フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

JR化後の思い出 Feed

2016年9月28日 (水)

秋のドライブ鉄散歩、加古川・加西。

昭和63年だったと思う。
国鉄を退職、阪急六甲の写真スタジオに弟子入りして、休みの日にふらりとクルマでドライブに出かけた。しかし、そのクルマはまもなく手放し、以後は僕は結婚するまで自家用車を持たない身になったその前の写真だ。
(この頃の写真は他にもいくつかあるので機会を見て出していきたい)

 

2000b_2

さて、最初に行った場所は加古川河畔、それも南端の山陽電鉄橋梁だ。
3050系ニューアルミカーが川の中ほどで、2000系トップナンバー編成と出会う。

 

20003078_2

三菱製紙の煙突が印象的な、ススキ、セイタカアワダチソウ、ヨシからなる秋の河原だ。

2000c

2000Fの編成が見渡せる。
まもなく引退する2000系が最後の踏ん張りを見せていた。

2011

尾上の松方向から2011がやってくる。
ステンレス無塗装、2ドアという特徴的な車体だ。

2010

その編成、2010Fの後追い。
ステンレス無塗装のコルゲート付き2ドア車体はサロ153のほかにはあまり例がなく、こうして見るとやはり美しい。

僕は個人的には過去現在を通して、山陽が作り上げた電車の中で最も美しい電車であると思っている。

3012

旧塗装の3012F。

3028

こちら3028・・当時は3550形を挟み4連だった。

3050

3050系、新旧塗装が出会う。

30503000

こちら、3000系と3050系、新旧塗装の出会い。

3050_2

その3050系、旧塗装編成が去る。

3051

3051号とセイタカアワダチソウ。

3554

こちら新塗装だが2000系改造編入の3554号。

5012

まっさらの5012F、相次ぐ5000系の大量増備で釣りかけ車を一気に置き換えたところ。

5603

こちら後追いの5603号。

すこし北へ歩き、新幹線の線路を眺める。

Tec0

折よく0系先頭車のサイドビュー。
しかも、すでに珍しくなりつつあった大窓車だ。

Tec0_2

その編成、長い16連が下っていく。
「ひかり」だろうか。

Tec100

100系がやってきた。
当時、新車だった100系が来ると嬉しかったものだ。

Tec100_2

100系中間の食堂車とグリーン車。

1985

このあと、クルマを北へ走らせた。
晩秋の播州といえば語呂がよいが、なんとなく悲しい気分の作画になった。
向かった先は北条鉄道だ。

播磨横田駅。

Photo

網引駅の線路。
三セク化されたばかりの北条鉄道は今とは違い、ひっそりとしていた。

19851

網引付近のレールバス、フラワ1985-1。

19851b

雨の少ない播州だが、秋は天候不順なことが多い。

1985_4

法華口に入っていくレールバス、ラッシュ時に差し掛かり2連になっている。

1985_2

法華口に停車する2連のレールバス。
この当時の法華口は今にも崩れそうな駅舎、如何にもローカル線の悲哀を感じさせるものだった。

1985_5

発車していくレールバス・・
通勤の高校生が歩く。
このローカル線風情あふれる・・しかし、先が見込めなさそうな景色を大変革した今の北条鉄道から学ぶものは多い。

1985_6

すっかり日暮れた田園風景の中、ヘッドライトを灯して2連のレールバスがやってくる。
今の華やかさなどおよそ想像もできなかったころである。

(eoブログから新規の加入を中止する旨発表がありました。本ブログもまた・・行先を考えねばならないかもです)

2016年9月 8日 (木)

JR化後の福知山線、道場にて

武田尾という稀有な撮影地であり、また休日を楽しむ場所でもあった武田尾付近の名所を失ってから・・

それでも僕らはその車両の面白さに福知山線へ通い続けたが、どうも武田尾のような定点とはならなかった。

今回は三田・道場付近を取り上げる。
撮影は207系が写っているから平成5年以降、平成7年ごろではないだろうか。

H7207_2

まず、三田付近にて、いまだ4連の207系、東西線直通はもう少し先のことだ。

H7

エーデル北近畿、キハ65の改造車で急行型から特急への格上げだ。

H72

こちらは「エーデル北近畿」の5連。

H7_2

キハ28・58も最後の活躍をしていた。

電化の際に改めて設定された急行「みやづ」、宮福線直通列車で2連だった。

H765183

道場付近で・・「エーデル丹後」が183系の後尾についている様子。
エーデルシリーズ最初の改造で、客室窓割が大きく変更されたのが目立つ。

H765

「エーデル北近畿」、5連だが中間にキハ58が挿入されている。

H765_2

こちらも183系の後尾についているキハ65「エーデル丹後」

H765_3

こちらも「北近畿」183系の後尾のキハ65「エーデル北近畿」

H7103

道場手前の山間を行く黄色の103系。電化完成により大増発を遂げた普通電車だが、当初の6連からこの当時は4連に減車されていた。

H7103b

下り103系普通電車が接近する。

H7103c

こちらは上り電車、これら103系は事故廃車になった1両を除けば今、大阪環状線で最後の活躍をしている。

H7117100

117系、ブルーライナー、レッドライナーに続き、福知山線は緑の帯を締めた117系が快速として活躍。

H7117100b

福知山線快速は基本117系の6連での運用だった。

H7117100_2

セミクロス改造された117系だが、この線区には似合っていたように思う。

H7117

117系電車のサイド。緑の沿線に良く似合う。

H7113

こちら、113系、当初の強烈な黄色塗装から、ずいぶん穏やかな色合いに変わっていた。

H7183

紀勢線投入485系を再改造した183系、よく見ると後ろにキハ65をつないだ編成のようだ。

H718365

こちらも183系と後ろにキハ65。。。

H7207_3

そして207系。

質実剛健の国鉄通勤型との大きな差を感じた新車だった。

2015381

昨年、久々に道場駅付近を訪れたが、久々すぎて昔に撮影した場所がわからず、駅のすぐ近くで撮影した。

置き換え直前の381系電車・・183系を置き換えるために一時的に紀勢線から転属してきていたものだ。

2015223207

223系丹波路快速と207系の普通電車の出会い。

主役は完全に変わってしまった。

2016年4月13日 (水)

奇跡の急行型電車も!七尾線近郊型電車。

北陸新幹線開業後、一般的には「国鉄急行型電車」は絶滅したと思われていた。

しかし、何の運命のいたずらか、413系近郊型電車の七尾線投入に伴い、この系列と同じ扱いを受けてきた急行型457系のクハ455が2両、413系とともに七尾線に転属、絶滅したはずの急行型が奇跡的に生き残るという事態になっている。
今回はそのクハ455と、今現在の同僚ともいえる413系、そして一部が413系により置き換えられたといってもまだまだ健在の415系800番台の現状と過去を見てみたいと思う。

まず、七尾線といえば交流電化の北陸本線に接続しながら、直流で電化された路線であり、それゆえ、交直両用電車が必要になったわけだが、当時、全国からかき集めて運行された急行「きのくに」格上げによる増発特急「くろしお」へ転用→「くろしお」381系統一、福知山線電化用に再転用→特急「北近畿」運用となった485系の交流機器類を撤去、183系化したその機器を再利用、福知山線に走っていた初期113系を中心としたグループに交流機器を搭載、七尾線用415系と相成った次第。

415800


写真が2010年の七尾線415系800番台。

113800


この系列・番台区分の大半の車両が福知山線電化当初に各地からかき集めた113系初期型で、800番台を名乗っていた。

写真が福知山線登場当時の様子。

113800_2


この初期カラーリングは悪くはなかったと思うがすぐに変更されてしまった。

0406415


つい先日訪問した、桜の咲く横山駅での415系800番台。

0407415800


車内、座席配置は113系とは大きく変わった。

0406415800


座席の様子。
シートピッチが大幅に拡大され、座席もよくなった。

しかし、これでは座席定員の減少が著しく、JR西日本ではこれ以降の近郊型リニューアルでは転換クロスが導入された。
転換クロスだと扉間に5列が確保され、七尾線の様式よりは座席定員の増加が図れる。

0406415800_3


こちらも桜咲く宝達駅での様子。

0406415800_2


夕刻の中津幡駅での415系800番台。
通勤時間帯には3連を二組6連でも走り、旺盛な需要にこたえる。

413


さて、富山にいた413系は5編成が「あいの風とやま鉄道」に移管、残り6編成が七尾線へ転属してきた。
写真が「あいの風とやま鉄道」富山駅高架ホームに入線した413系。

4136


413系は国鉄がその末期にせめて車体だけでも新しい時代の近郊電車にしたいと、従来の急行型電車の古い車両を車体乗せ換えで登場させた車両だ。
国鉄時代の6連で走る様子。

413_2


倶利伽羅に停車中の様子。

しかし、国鉄、その後のJR西日本の財政事情から、せっかくの更新系列も11編成を作ったところで終わってしまい、それは今までのこの系列のすべてになってしまった。

0406413


七尾線では順次茜色と言われる地域一色塗装への変更が進んでいて、この色合い、この系列の電車にはとてもよく似合うように思うのだ。
桜咲く横山駅、跨線橋から413系を俯瞰・・屋根上のAU13クーラーがこの電車が元々は急行型であることを示している。

0406413_2


横山駅で上下列車が並ぶ様子。

0406413_3


北陸地域色、青色の編成もまだ一本、残っていた。

0407413


413系電車の車内。

気動車のキハ47に似ているが、電車は気動車より車体長が1メートル短いので、ドア間のボックスシートは一組少なくなっている。
ドア横の風防がこの電車が寒冷地を走ることを示している。

クロスシートは471系などの座席をひじ掛けを撤去するなど改造したもの、ロングシートはこの電車登場直前の廃車発生品だが座席枠を近郊型の寸法にして取り付けている。

11編成すべてが松任工場による自作で、短期間によくもこれだけの品質のものを大量製造したものと、当時、国鉄工場にいた僕は思ったものだ。

0407413_2


さて、こちら先だっての旅で訪れた七尾駅での413系の様子。この編成は2編成だけクハ455をTcに連結している編成だ。
クモハ413-4。

04074557012


そのクハ455-701、ホーム側から。
完全に過去のものになったはずの国鉄急行型電車がどっこい、しぶとく生きてくれたわけだ。

0407455701



編成全景。
急行型クハにあるはずの前位側戸袋窓がないし、写真反対側の運転台から数えて最初の窓は固定化されている。
これは、この電車がサハ455からの改造車だからだ。

0407455701_2


前頭部をサイドから。

0407455413


413系中間車、モハ412-4との連結部。

0407455701_3


車体中央部、車番とその付近。

0407455701_4


車内の様子。

急行型の特徴である出入り大仕切りは撤去され、ロングシートが延長、クロスシートの数が413系に揃えられている。

0407455701_5


クロスシート部分。
数が減らされても、やはりこの雰囲気は急行型独特のものだ。
荷棚や天井のAU13吹き出し口も国鉄急行型ゆえ。

0407455701_6


その座席、窓側のひじ掛けが急行型であったことを象徴する。
薄茶色の壁面は昭和40年代前半までの国鉄優等車両の証だ。
特急・新幹線もこの壁面だった。なお、座席間のテーブルは撤去されている。灰皿のビス跡が見当たらないから、禁煙化後に化粧板の張替が行われたのだろうが、化粧板の色合いを替えなかった工場の担当者に拍手。

0407455702


洗面所が残っていた。

普通列車用の車両としては全国唯一ではないだろうか。

つまり、特急や団体、波動用途以外の車両でこれがあるのはクハ455の残存2両のみということになる。

古き良き列車旅の余韻を今に残す車両でもあるわけだ。

昨年までの北陸線急行型電車は近郊型に適応した改造をいろいろな形で受けていた。

475_4


これは出入り台仕切り撤去、半自動ドアに改造された更新車の車内。
車内化粧板も交換されている。

474


こちらは車端部ロングシート化だけが施工された車内。
その部分以外は、ほとんど原形のままだ。

0407413455


クハ455を連結した編成が中津幡駅に入るところ。

2015455


実はこのクハ455をつないだ413系編成を僕はこれまでもたびたび目撃している。そのころは急行型475・457系を追うのに必死で、413系の仲間になったクハ455には興味がわかなかったというのが正直なところ。
それでも撮影した写真から・・昨年冬の魚津駅。

2011455700


こちらは2011年の大聖寺駅にて。
今にして思えば、この時、もう少し編成状況が分かるように撮影していれば・・

このときはまさか、この車両が国鉄急行型最後の一般運用の2両になるとは思わなかった。

2011455412


それでも、編成のクハ455とモハ412の連結部は撮影していた。

ここで、少しだけ、かつての急行型の北陸路での在りし日の姿を・・

Photo


大阪駅に停車中の急行「ゆのくに」。

Photo_2


武生を発車する急行「立山」

475


急行列車の運用間合いによる普通列車、倶利伽羅峠にて。

413_3


倶利伽羅に停車中の普通列車、「タウントレイン」の看板を付けている。

475_2


倶利伽羅峠にて下り普通列車。

475_3


たぶん、その列車の後追い。

0407455701_7


奇跡的に、わずかに2両が生き残った国鉄急行型の末裔・・

どうか、一日でも長く生きてくれよと・・祈りながら、僕はこの電車に再会を期すのだ。

2015年11月15日 (日)

Photo Archive 想い遥かな餘部駅・余部鉄橋。

冬が近くなると山陰への思いが募る。

それも、鉄橋時代の餘部、余部橋梁へ・・今回は未公開写真も多く出しながら、改めて余部橋梁への想いをつづってみたい。

初めて餘部に行ったのは昭和54年頃か・・国鉄寮の仲間と向かったのだが、当時は姫路始発の急行「但馬」があったように思う。

Dd51

DD51牽引の普通列車を見上げる。

80

特急列車、キハ80系6連。

Dd51_4

雨の日、客車を牽いてDD51が接近する。

Photo_3

その列車の後部・・リアス式海岸をバックに、旧型客車の風情。

Dd51_2

冬の遠望・・堂々たる普通客車列車。

181

こちらは特急列車。

1812

その列車の後部。

181_2

橋を行く列車を見上げる・・特急列車だ。

Photo_4

普通客車列車。

Dd511122

駅に進入するDD51牽引、12系による普通列車。機関車はDD511122だ。

286

雪の中をゆくキハ28・58系列による急行列車。

Photo_5

キハ181系、特急「はまかぜ」が接近する。

Photo_6

雪の風情・・

Photo_7

残り柿。

Photo_8

橋梁の補強梁・・

Photo_9

下から橋梁を見る・・

保守の面倒な大型橋梁は国鉄にとって小さくない負担だったのだろう。

 

181_3

青空の日・・空中を行くキハ181特急、そのキロと中間に入った先頭車の連結部分。この色合いはポジ原板による。

181_4

キハ181先頭・・

181_5

後部の乗務員ドアが開放されていた。

車掌には暑い部屋だ。

Dd514

旧型客車4連の普通が東へ向かう。

Dd51_3

DD51の次位にマニ50。

12

ローカル改造された12系客車が行く。

287

青い海を背景にキハ28・58急行列車、7連。

47

堂々たる旧型客車による普通列車が姿を消した・・キハ47系による普通気動車列車。

28b

キハ28の列車がやってくる。

283

たった3連、急行列車間合いの普通だろうか。

Photo_10

トンネルから出てきたのは急行気動車を改造した特急、「エーデル北近畿」

B

列車が進む・・

4

貫禄というものは感じないが、観光用にふさわしい特急列車だった。

1812_2

餘部駅の隣、久谷付近での撮影・・

特急列車の遠望。

181c

列車が進む・・まだこの頃には特急らしい貫禄があった。

1811

その列車の後尾。

189

3年前に訪れた際の写真、特急「はまかぜ」は新型キハ189になったが、編成はさらに短く、たった3連となった・・
ただ、乗客の多い日には6連でも運転される。

Photo_12

記憶の彼方の風景・・小学生が遊んでいたが、特急通過後に僕のカメラのファインダ―画面に入ってきてしまう。今思えば非常にいい記録になった。

 

Photo_11

通学の高校生・・餘部駅の、如何にもローカル駅と言った風情は、初めて訪れた僕らを強く引き付けた。

 

だが、地域住民が愛し、手入れをしてきた駅、地域が誇りとしてきたあの鉄橋で国鉄は最末期に大事故を起こした。

「みやび」転落事故である。

僕も愛した鉄橋、愛した駅で、僕が愛する国鉄が、僕も参加して作り上げた「みやび」を転落させ、大勢の地元の方々を死に至らしめ、町を破壊した。愛する風景だけではない重みが、餘部駅に、余部橋梁にはある。

愛すると一言で言えない重み、鉄道を愛していたはずの方々を押しつぶし、誉れを持って新型客車に乗務していた食堂従業員を道連れにしたあの大事故は今も常に僕の心にある。

Photo_13

それでも、餘部は、僕にとっては愛すべき場所であることに違いはないのだ。

(本文中、「あまるべえき」は餘部駅、「あまるべきょうりょう」は余部橋梁と表記しております)

2015年10月30日 (金)

Photo Archive・国鉄特急色を思う

今、これを書いているのは10月30日の夜で、今日は国鉄・JRの歴史にとっては忘れられない日になりそうだ。パソコンに向かいながら手元には愛飲の焼酎をお湯で割ったグラスを置き、もう、このまま日が変わってもいいような気がしている。

というのも、関西における381系電車の定期運行が終了すること、すなわち国鉄特急色を纏った車両の定期運行が終了するという日になった。ここでいう国鉄特急色とは、昭和33年10月に登場したモハ20系電車→151系→181系電車の纏った肌色の地色に濃い赤の窓回りというあの色合いだ。

今年はこの色合いが誕生してから57年ということになり、一つの色合いがそのまま半世紀以上にわたって続くのはこれは如何にこの色合いが日本の気候風土に合っていたかという証左でもあるだろう。

181中学生のころの拙い写真だが181系「とき」の凛々しさにはこれを見に来てよかったと思ったものだ。

僕は関西在住だから東北・関東方面への縁は余りないのだけれど、少しだけあるコレクションから出していくつもりだが、過去には485系上野駅の記事もあるので、そちらも参考にしていただきたいと思う。

485国鉄と言えば「つばめ」、この名称の列車が国鉄特急色だったのは151系時代と481・485系になってから、それも昭和50年3月までだ。

485_8

「なは」倉敷駅で・・

485_2

秋田駅での「たざわ」「つばさ」、今やどちらも新幹線ルートとなった列車だが、「たざわ」は「こまち」にとってかわられた。

485_7

こちらは「いなほ」

80国鉄特急色は気動車特急にも・・

「まつかぜ」キハ80系、武田尾での撮影だ。

80_2

北海道にも特急気動車・・キハ80系「おおぞら」、開業直後の千歳空港駅近くで。

485_3こちら九州の「みどり」編成が留置線で休んでいるところ、関東から転用のクロ481が並ぶ。

4811

こちらは「有明」先頭車はクハ481-1だ。

485_11

「かもめ」原田にて。

481

「あいづ」上野駅で、クロ481はこの列車のために生まれた。

我が父祖の地は会津から下野にかけてで、今もわずかに親族があり、かつてはこの列車にも好んで乗ったものだ。

181_2

国鉄特急色は四国にも・・

多度津付近のキハ181「南風」・・

181_8

「しおかぜ」、周囲の様子がまさに当時の国鉄を思い出させる・・松山駅。

485_4北陸路には「雷鳥」、11連中、サロ2両、サシ1両という今では考えられないデラックス編成だった。

489

こちらは上野と北陸路を信越経由で結んだ489系「白山」

485_9

「雷鳥」ボンネット型先頭車。

485_10

最終期の「雷鳥:先頭の展望グリーン車は「スーパー雷鳥」のもので、後に国鉄特急色に塗りなおされた。

183_5

最近まで走っていた183系電車の「ムーンライトながら」

781

北海道では新型電車特急も当初は国鉄特急色を纏っていた。

183

そして新型気動車特急も・・キハ183「北斗」

この塗装を纏った国鉄車両としては、151・161・181・481・483・485・489・781・キハ80・キハ181・キハ183、そして、後に塗装が変更され特急車の仲間入りをした準急用157系と非常に多岐にわたり、日本全国の津々浦々にまで、特急と言えばこのカラーを印象付けた。

よく考えると、国鉄の走っていない沖縄県以外のすべての都道府県でこの色合いの列車が優等列車の代表である「特急」だったわけだ。(奈良県には短期間だがキハ80系の定期運用があった)

緑の色が濃い日本の風土には緑の補色である赤系統の色合いが良く似合うものなのかもしれない。

1811

山陰本線久谷付近でのキハ181系。

181_3

宮津線、キハ181「あさしお」

181_4

冬の武田尾、キハ181「まつかぜ」

181_5

余部橋梁、キハ181「あさしお」

381

伯備線布原、381系「やくも」

80_3

倶梨伽羅峠、キハ80系「ひだ」

181_6

須磨海岸を行くキハ181「はまかぜ」

381221

須磨海岸の「シュプール」381系。

485_6

本年初頭撮影、485系原色編成による「北越」、魚津駅で。

485_5

さて、今回、北陸新幹線開業による「はくたか」廃止などにより転用された683系改め289系による置き換えとなった「こうのとり」「北近畿」系統の過去の様子も今一度・・登場当時の「北近畿」。

183_2

183系に改造後の「北近畿」後部にキハ65、「エーデル丹後」を連結している。

183_3

207系と並んだ183系「こうのとり」尼崎にて。

183_4

尼崎での後追い。

183223

223系と並ぶ「こうのとり」、城崎温泉。

183_6

新大阪での183系「こうのとり」

紀勢本線287系投入により余剰となった381系がまず、183系を淘汰・・

381_2

381系「きのさき」、復元なった福知山城をバックに・・

381_3

淀川をわたる381系電車の俯瞰。

「くろしお」運用ではオーシャンカラーと呼ばれる青系統の色合いに塗られていた381系だが、福知山・山陰系統への転用に際し、わざわざ国鉄特急色への復元がなされた。JR西日本からファンへのプレゼントだ。

381_4

大阪駅での「こうのとり」、この編成はひとまず183系JRカラー車の置き換えに「阪和ライナー」から転用されたもので、この後、「くろしお」リニューアル車が入ると廃車されている。

3814

道場駅付近にて、381系「こうのとり」

381_6

伊丹駅での様子。

381_5走り去る国鉄色381系・・もうこの姿を定期列車で診ることが出来ない・・

時の流れは致し方ないが、それでも「特急」とはこの色、それが消えることの侘しさは、やはり僕らの世代では避けようがない。

今でも、線路際に行くとこの色合いの特急列車が走ってきそうな気がする・・たぶん、僕の中では一生、国鉄・JRの特急列車といえばこの色合いなんだろうなぁ。

2015年8月 3日 (月)

Photo Archive キハ80系賛歌

このブログでは以前に485系583系381系キハ181系を個別に取り上げてきたけれど、キハ80系に関してはブログ初期の文章中心の頃にしか特集していなかったように思う。

Facebookグループ、「国鉄・私鉄の思い出」でときに日付を意識してその日付に合わせた番号の形式や車両を出し合って遊んでいるけれど、8月ということでキハ80系の在りし日の姿を多くの方々から見せていただくことができる。

そこで、今回は国鉄特急形写真集として5番目、キハ80系としていきたい。

基本的にPhoto Archiveとしてブログ過去ログからの出典とするけれど、まだ未公開だった写真もいくつか入れていきたいと思う。

最初に登場したキハ81を先頭としたグループは画期的な日本初の気動車特急というシステムなのに、現場での習熟も十分ではなく、「第二回アジア鉄道首脳会議」にいわば強引に間に合わせた感もあり、結果として初期故障が多発、新聞ダネにもなってしまったけれど、この後改良がすすめられ、現場ではそれ以後、好評だった。 キハ80系の最大の功績は、新時代の鉄道をイメージさせる全国特急列車網を拡大していくうえでの主力となったことで、これにより日本全国の主要幹線に特急列車が走ることになったわけだ。

81

天王寺駅でのキハ81、「くろしお」 僕はこのクルマが営業運転している姿を撮影できたのはこれ一度きりだ。

82

 同じ「くろしお」キハ82、海南駅にて。

19820612

 昭和57年梅雨入りの日、山陰本線東浜で「はまかぜ」

19820612_2

 同じ日の「まつかぜ」

19820612_3

 その反対側。

8010

 函館本線、豊平川橋梁の「おおぞら」

Photo

同じ場所で「北斗」

82_2

大阪駅での「まつかぜ」

Dd5430

大阪駅で「はまかぜ」がDD54と並ぶ。

82_3

福知山線武田尾にて、キハ82「まつかぜ」

81_2

 城崎駅にて、「まつかぜ1号」と「だいせん2号」が並ぶ。

2

「まつかぜ」が発車する。

4

城崎の温泉街を通過する「まつかぜ」、食堂車、グリーン車の姿も見える。

80

長駆博多へ向かう「まつかぜ」、13両編成の威容。

82_4

改築中の山陽本線宝殿駅にて、「はまかぜ」

80_2

余部橋梁におけるキハ80系列車。

80_3

その列車が谷あいの空中を通過する。

82_5

餘部駅での通過後の「あさしお」と少年たち。

82_6

友人、K君撮影、倉敷駅を通過する「かもめ」

5510806

高砂工場における検査の様子。 キシ806、入場待ち。

5405088034

ジャッキアップされる。

54050880

その妻面。

Photo_2

キシ80の車内。

54050880_2

トラバーサに乗るキハ806。

5510805

全般検査完了後のキハ806。

82_7

完成し試運転を待つキハ82。

80_4

 こちらはキロ80。

813

キハ81の3と5が高砂工場に廃車解体で入場してきた。 工場の誰しもが「ほんまに解体するのか」と首をかしげる・・工場職員にはこのクルマの「値打ち」が分かっていたのだ・写真はキハ813・・このあと、交通科学館で急遽保存されたクルマだ。

540508815

 こちらはキハ815全景、すでに解体前提で3ともども、主要部品が外されつつあった。

540508815_2

左側の様子。

540508815_3

キハ815の正面。

540508815_4

運転室付近。

540508815_5

右後方から見た様子。

540508815_6

筆者(下)と友人、せめてもの記念撮影。

540508815_8

キハ815の台車。

82_8

JR化後の前に、すでに西日本エリアからキハ80は消滅していた。 東海で残ったキハ80系「ひだ」

822

JR化前、すでに「ひだ」と並んで最後の活躍をしていたキハ80系「南紀」、多気にて。

8228

キハ28系急行「志摩」と並ぶキハ80系「南紀」。

Photo_3

キハ80は初期高性能車の宿命で、軽量車体が災いし、これが寿命を縮めてしまった感がある。 特に北海道での厳しい自然環境では、本州と同じ設計の車両ではやはり無理が生ずるのは致し方ない。 なぜに、急行用やローカル用気動車は特別な設計をしていたのに、特急気動車のみ、本州と同じものをもち込んだのか・・

Photo_4

末期の北海道での傷み具合は相当なもので、高砂や向日町による、手入れの行き届いた車両しか見ていない僕には北海道のキハ80系が老骨に鞭うつ姿を見るのは辛いものがあった。

そこで後に専用設計のキハ183が登場するわけだが、その少し前の時期になぜ電車特急として本州の485系を少し味付けを変えただけで送り込んでしまったのか・・ 結局、国鉄はキハ80系の北海道での惨状からなにも学ばなかったわけだ。

言葉を変えれば、キハ80系の失敗は気動車故にキハ183として結実し、電車特急485系はそこで失敗しなければ何も分からなかったということだろうか。 その後、781系の登場と相成ったのは読者諸兄の知るところだ。

だが北海道での厳しい自然環境による老朽化の進展を別にすれば、この気動車は優秀な車両だった。 現場では扱いやすく、非力ではあっても当時としては考えられる最高の高性能、当時としては燃費も良く、1000キロ超の運用でも無給油で賄える。 乗り心地は良く、車内は極めて静かで、この点では後継の181系の及ばない部分でもあった。 独特の浮床構造に加え、窓周りの部材に木材を多用したことが乗り心地と静粛性の向上につながったのは間違いがない。

僕は国鉄の名車として20系客車や153系電車とともにキハ20・キハ28とこのキハ80系列をトップに挙げるけれども、国鉄気動車というのはそれほど木目の細かい優しい作りであったということだ。

82_9

福知山線、武田尾付近でトンネルから飛び出るキハ82「まつかぜ」。

82_10

別の日、反対側のトンネルに吸い込まれていく「まつかぜ」

名車の記憶は色あせない。 そこにこそ、国鉄の、日本国有鉄道の良心と輝きがあったのは間違いがないことだから。

 

2015年7月 4日 (土)

加古川の青空

梅雨時の鬱陶しい時期、ときに青空が望みたくなるが、今回からそんな青空をモチーフにした写真を3回ほど続けたいと思う。 今回はJR化後の山陽新幹線加古川橋梁、それに未だ3000系が中心だった山陽電鉄の加古川橋梁だ。

時期的には昭和63年頃か・・

100

まずは山陽新幹線。 当時の新鋭、100系上り列車「ひかり」のサイド。

1003

下りにも100系が接近、まさに出会う瞬間。

1002

 ダブルデッカーと先頭車が行きあう。

100_2

下り列車の先頭車。

06

0系の6連がやってきた。 当時の「こだま」だろうか。

0

 0系の下り方サイド。

0_2

0系の上り方サイド。

30004

今度は山陽電鉄。 未だ5000系は登場していてもごく少数だった頃だろう。 写っているのは3000系列ばかりだ。 冷改、旧塗装の4連特急。

30004_2

非冷房、旧塗装の4連特急、中間に2000系改造の3550形を連結している。

30004_3

見上げる角度で・・こちらも冷改旧塗装の4連特急。

30503000

冷改3000系と新製冷房車3050系の出会い。

30504

3050系ニューアルミカー。

32003

3200形だろうか、冷改、新塗装の3連。

Photo

 最後に新幹線橋梁横に建設省の看板。

鬱陶しい梅雨の後、また今年も猛暑の夏が来そうです。 皆様にも十分、お身体ご自愛いただき、実り多き夏を過ごされますことをお祈り申し上げます。

2015年2月24日 (火)

トワイライトエクスプレス、様々な想いの終焉。

本年3月14日のダイヤ改正で、寝台特急「トワイライトエクスプレス」が廃止され、その最終運行は大阪、札幌をいずれも3月12日と言うことになった。

平成元年、関西から北海道への直通クルージングトレインとして運転開始され、その年のうちに臨時列車となり一般客も乗車できるようになった列車で、25年あまりの歴史、すなわち、JR西日本の表看板の一つとして四半世紀の長きにわたり活躍してきた列車だ。

Ef811141_2

まずは、初期の倶梨伽羅峠での撮影から。 EF81114牽引の上り列車が来る。

Ef811142_3

「トワイライトエクスプレス」僕の記念すべき最初の写真、だが、当日の天候が良くなく、茫洋とした雰囲気にしか撮れそうになかったし、あのヘッドマークの天使のイメージからソフトフォーカスを効かせた一枚となった。

24_6

食堂車、スシ24が通過する。 電車特急の食堂車を24系に編入したクルマだ。

25_5

ツインルームの設けられたダブルデッカー、オハネ25の520番台。

25_6

一般的なオハネ25のイメージを残すコンパートメント車、オハネ25560番台。

24_7

後尾のカニ24、大阪へ向け、ゆっくりと走り去る。

Photo_10

この客車の改造工事の写真、僕は国鉄退職後で、この鷹取での写真は友人のO君撮影のものだ。 オハネ25、520番台の鋼体。

Photo_11

サロンカー、オハ25、550番台の鋼体。

Photo_12

最後尾のスウィート、スロネフ25の鋼体。

225_3

トワイライトの車両は走行距離が長く、したがって入場回帰が短く、いつも美しく整備されていた。 生みの親の鷹取工場が廃止され、業務を引き継いだ網干総合車両所での全般検査の様子。 2010年の様子。

25_7

こちらは2013年の様子。 網干での二枚は工場公開の際の僕自身の撮影だ。

Ef81114_3

京都へ出かけた際に、偶然キャッチした上りトワイライト、EF81114。

24_8

その列車の後尾カニ24。

ここからは時系列は無視して、僕が撮影したトワイライトエクスプレスを北からご紹介しようと思う。 ただ、僕は北海道でのこの列車を撮影する機会には恵まれておらず、それは今後2週間でも到底変わるはずもないことから撮影場所は僅かに北陸線・湖西線があるが、ほとんどは東海道線に限られることをご承知おきいただきたい。 また、有名撮影地のものはほとんどないが、これは僕自身が大勢で群れることが好きではないという性格の問題もある。

20150106_2

本年初頭、高岡にて、EF81114牽引、下り列車、このときは定時運行だったが、この後、豪雪に阻まれて札幌に行きつけなかった列車だ。

Ef81114_4

その列車の機関車を流し撮り気味に・・

201501061_2

列車の後尾から全景、機関車を入れて堂々11連の列車は、今のJRでは長大編成と言うべきだろう。 このときの客車は第一編成だった。

Photo_13

湖西線永原での上り列車。

Ef811142_4

千里丘での下り列車。EF81114。

Ef81113_2

新大阪、駅南の歩道橋から。 EF81113とカニ24が写る。

25_8

ツインルーム、サロン付のオハネ25510番台。

24_9

スシ24、キノコ形クーラーカバーが生まれを物語る。

Photo_14

新大阪に入線、EF8144の牽引。

1_4

新淀川を渡る上りトワイライトエクスプレス。

3_4

その列車が接近、編成全体が画面に入る。

3_5

大阪駅に到着する上り列車を俯瞰。 連絡橋から。

2412_2

その列車の後尾、カニ2412。

Photo_15

トワイライトを写メで撮影する女性。 トワイライトエクスプレスは間違いなく鉄道趣味の拡大に火を付けた。

2ef81113_3

大阪駅で発車を待つトワイライトエクスプレス。 EF81113の牽引。

2ef81113_4

機関車のサイド銘板、トワイライト用の機関車5両は密着自動連結器に交換され、乗り心地の大幅な向上が図られていた。

2ef811132413_2

カニ2413と機関車の連結部分。

22413_2

電源車、カニ2413

225502_4

この日、2月2日のトワイライトは2号編成だった。 9号車、オハネフ25502

225562_2

8号車、オハネ25562

225512_2

7号車、ミニサロン付オハネ25512

225521_2

6号車、オハネ25521

225524_2

5号車、オハネ25524

225552_2

4号車、サロンデュノール、オハ25552

2242_2

3号車、ダイナープレヤデス、スシ242、キノコ形クーラーが出自を表す。

225502_5

2号車、スロネ25502

225502_6

1号車、展望スウィート、スロネフ25502

2_3

客車の後尾から見た2月2日、8001列車の列車全景。

Photo_16

トワイライトエクスプレスの紋章、ステッカー仕上げだが上品な雰囲気に満ちる。

Photo_17

塚本を通過する上り8002列車の回送。

Photo_18

その回送列車が接近する。

1_5

塚本駅を通過する下り8001列車の回送。

 

「トワイライトエクスプレス」は僕にとって「日本海」や「きたぐに」、「銀河」とは異なり、利用客としての思い入れはない。 けれども、長年、夜行列車運行を司ってきた宮原区の最後の夜行列車であり、最後の関西始発の夜行列車であるし、国鉄時代に整備を担当してきた24系25型には格別の思いいれのある僕にとっては、関西における最後の24系客車でもある。

利用客としての想いはなくとも、心情的に様々な想いがまさにここで終焉を迎えるわけだ。

最終運行まであと2週間、どうか事故なく、最後までその歴史が栄光に包まれたものであることを念願してやまない。

3_6

梅田スカイビル屋上から俯瞰、下り8001列車回送。

1_6

大阪駅を発車する下り8001列車、機関車と次位の電源車。

2_4

大阪駅を去る最後尾スウィート。

 

2014年10月 7日 (火)

可部線その後。

前回エントリーでは72系電車全盛の可部線を特集したけれど、今回はその後の様子。 昭和59年と63年の様子で、この間に国鉄はJRとなった。

72系から105系への置き換えは、1両の電車も可部線用に製造することなく、103系を転用改造した105系、それに福塩線105系の運用合理化と先頭車改造により捻出した105系、宇部線運用合理化により転出させた105系で行われた。

105

広島付近、福塩線カラーのまま走る105系。

105_2

横川駅近く、奈良線カラーのまま走る105系4ドア編成で、これは常磐線からの転用をさらに転用したもの。

73001

前回にも出したが、このときの撮影、クモハ73001を先頭にした72系、すでに72系はその最後の時が近づいていた。上八木付近の太田川橋梁。

72

古色蒼然たるロクサンの面影を残す72系編成も最後の活躍。 横川付近で。

1053

 JR化後、105系3ドア編成の可部線カラー。

1053_2

 その編成の先頭車のアップ。

10532

 105系3ドア編成が山をバックにやってくる。

1054

105系4ドア、朱色の編成。 朱色は元は宇部線用。山をバックに・・

1054_2

朱色の編成が太田川を渡る。

なお、クモハ123には何度か乗車していて、写真も撮影しているはずなのだが、今回は写真が出てこなかった。

40

このとき、三段峡まで行っている。

なお、可部以北が廃止された現在の可部線は輸送密度18000人以上、一部の幹線をしのぐ通勤路線に成長している。

それなら地方交通線扱いもやめて、幹線と運賃面でも同じにしないといけないのではないだろうか?なお、可部から先1,6キロが復活電化開業準備中とのことだ。

 

 

 

先だっての広島豪雨災害において、この沿線が甚大な被害を受け、多くの方が亡くなられ、非常に多くの方が家をなくされました。 ここに、かつて可部線に頻繁に出入りし、沿線の方々に非常に親しく接していただいた者として、謹んで、お悔み、お見舞い申し上げます。

一日も早く沿線の方々の生活が復興されますよう、心よりお祈り申し上げます。

2014年7月27日 (日)

JR化直後の北海道、昭和62年6月。

昭和62年、国鉄の休職期間が終了し、それまで勉強がてらお手伝いさせてもらっていた写真屋も、これ以上学ぶことがなく、結局辞めてしまい・・それではと心機一転、専門書の書店の社長に勧められるまま入社したものの・・どうも自分の思う方向ではない気がして・・たった二日勤めただけで辞めてしまい、その日の夜、大阪駅から急行「きたぐに」に飛び乗ってしまった。 とりあえずの行き先は北海道・・そんなときの写真だ。

以前に音別は出したが、その音別の未公開写真から。

Jr183

音別にて・・太平洋沿いを走るキハ183「おおぞら」

以前の音別は以下。

「音別の海と列車」http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2013/06/post-0441.html

 

Jr781

 函館本線光珠内にて。 781系「ライラック」

Jr781_2

 ライラックのアップ。

Jr781_3

 光珠内駅を通過する様子。

Jred76518

 ED76518牽引の51系客車列車。

Jr183_2

 キハ183系初期型、「オホーツク」・・画像の色情報が飛んでおり、モノクロ加工した。

Jr183_3

構内をゆくキハ183系「オホーツク」カラーのままで・・

Jr711

 千歳線植苗にて・・711系電車。

Jr56

 キハ56系の普通列車。

Jr56_2

 こちらはキハ56系の回送。

Jr183n

 キハ183系新型「北斗」、これもモノクロ変換した。

Jr183_4

 キハ183初期型「北斗」、上記と同じくモノクロ変換。

Jr711_2

 千歳空港711系。

Jr711_3

 711系電車が発車する。 この電車が間もなく引退だとか・・僕ら世代にとっては、北海道の電車といえばこの系列だった。

Jr711_4

 朝里にて・・こちらも711系。 特に小樽と札幌の間ではこの電車ばかりだったが、デザインも乗り心地も良く、飽きることがなかった。

Jr

 朝里の駅舎。

Jrex

 苗穂に停留していた「アルファトマムエクスプレス」、リゾート列車の走りだ。

Jr56_3

 その列車の中間予備車に色だけ塗り替えたキハ56がいた。 札幌で。

Jr22_2

 釧網本線北浜にて。 夏空の下、キハ22。

Jr22_3

 別の列車の後追い。

Jr222

 ポジの色再現性は今も健在、ただし、コントラストが高くなる。 北浜のオホーツク海岸をゆくキハ22。

Jr54

 原生花園近くの橋梁にて・・キハ54。

Jr_2

 北浜の駅舎。

Jr54_2

 北浜駅のキハ54。

Jr22_4

 厚岸(あつけし)でのキハ22・・夕日に照らされる。

Jr53

 厚岸キハ53、本来のキハ53とは異なり、キハ56系を両運転台改造したもの。

Jr183_5

 網走のキハ183「オホーツク」

Jrdd511093

宗谷本線。 夜行急行「利尻」で稚内へ向かった。 6月、日が長く、夜行列車は午前3時には明るくなった茫洋とした大地を走っていたように思う。 勇知という駅で撮影。 DD511093牽引の急行「宗谷」。

Jrdd54

機関車の後追い。

Jr14

 当時の「宗谷」は14系座席車と寝台車を合わせた編成で、寝台車が指定席だった。

Jr14_2

 14系客車の後追い。 高砂で改造した車両も多く含まれる列車だ。

Jr40228

 キハ40228・・道内ではキハ22からの世代交代が進んでいた。

Jr53504

 キハ53504。 急行塗装を維持した車両は外観だけでもデラックスに見える。

Jr_3

勇知の駅舎。、ワフを改造したもの・・稚内から急行「天北」で旭川へ戻った。 長い編成の14系客車はがらがらで・・ゆったりと茫洋とした景色を眺めての旅となった。

Jr54_3

 旭川駅の風景・・停車しているのはキハ54急行「礼文」。

 

Jr183_6

 函館本線桂川(けいせん)・・海はなぜか悲しく、風がやまないところだった。 キハ183「北斗」。

Jr22_5

 桂川、キハ22の普通列車。

風がやむことが少ないのだろう、沿線の家々の窓にはビニールが張ってあったのが強く印象に残っている。

このときは10日ほど北海道に滞在しただろうか・・ 列車での車中泊が中心だったが、3回ほどビジネスホテルや木賃宿も使った。 宿帳の職業欄、まさか「無職」と書くわけにもいかず、「写真屋」と書いた。

翌月から神戸の写真スタジオで働くことになるけれど、それはまだ、何の話にもなっていない・・危うい空気の中での北海道滞在だった。

この旅行の写真ではモノクロ原板のものがまだ未公開だ。 それは、また機会のあるときに・・