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2010年7月14日 (水)

オハ35・・吉ヶ原で記憶を呼び起こす。

つい先日、友人のO君と岡山方面へドライブに行った。
と言っても、目的はこの方面の列車たちで、それについてはこのブログにおいても「転クロ2ドア3兄弟」のエントリーでアップしたのだけれど、その帰路のことだ。
時間もあまりなかったが、初夏のこととて日が長く、ついでに片上鉄道の保存施設を覗いてみようということになった。

国道2号を神戸へ向かう途中、懐かしい吉井川の鉄橋はそのまま残っていて、この鉄橋を見ながら道を北にとり、そこから約20キロ、終点柵原の手前、吉ヶ原駅の構内を使って、そこに鉱山資料館なるものができていた。
その資料館にはすでにタイムオーバーで入れないのだが、公園として整備されている駅構内には片上鉄道の車両がたくさん生き残っていた。
それは、単に保存などというものではなく、車両も施設も生きた鉄道として整備・保存されているように見えるのだ。

運転会の開催などもあるらしかったが、僕はそういった事情を全く知らず、そして、そこはまさにあの片上鉄道の生きていた頃そのままの風景が、21世紀も10年を経た今の世に忽然と出現したかのような不思議な錯覚を覚える楽しい場所でもあった、。

気動車や貨車とともに、機関車牽引の3両の客車が列車編成ごとプラットホームに横付けされ、ブルーに白線といった国鉄ブルートレインを模した、うち2両は片上鉄道のオリジナルの通勤型、17メートル級セミクロスシート、オープンデッキタイプの、いかにも私鉄然とした楽しい客車だったが、最後部の1両はそれらと一味違う・・そう、それはまさしく、国鉄のオハ35そのものだった。

この車両は片上鉄道ホハフ3001で、国鉄時代の車番はオハ351227・・戦後製のいわゆる「キノコ型」タイプだ。
国鉄時代は岡山、津山に配属されてきた車両だから、高砂工場担当、昭和55年に片上鉄道へ譲渡ということなので、僕もこの車両は触ったことがあるかもしれない。

しかも、この車両は自由に車内を見学できる。
中に入ってみて驚いた。
便洗面所が撤去されて車掌室に改造されているのだが、他の部分はほぼ完全に原型をとどめている。
Photo 車内の雰囲気だ。
目にも鮮やかなブルーの座席、そして、木目を生かしたベニヤ板の内張り、米松の床・・
車内に一歩、足を踏み入れた瞬間、オハ35のあの懐かしい雰囲気が甦ってくる。

Photo_2 座席。
向かい合わせ、現代では窮屈な固定クロスだが、このサイズは長く国鉄客車の標準だった。
背もたれは段差のない一枚物で、このあとのスハ43シリーズで下段がやや膨らんだものに改善される。

Photo_3 窓下のテーブルと灰皿。
このテーブルのデザインは12系客車まで引き継がれた。
灰皿にはJNRマークつき。

Photo_4 テーブルの栓抜きのアップ。
車内販売も駅売りも飲み物はビンの時代。
これもなぜか12系客車まで引き継がれた。

Photo_5 窓構造。
窓を窓止め棒(カナ当て、とも呼んだ)で固定している。
この棒は真ちゅう製の重いものだ。
そしてカーテンとの間の溝には蒸気機関車の煤煙から車内を守るための「網戸」が設けられていたが、これは昭和50年ごろから撤去されてしまった。

Photo_6 帽子掛け。
昔の人はお洒落だったのだろう。
帽子を使う人が多かった。
真ちゅう製の頑丈なつくりで、帽子どころかみやげ物が入った袋もぶら下げられていた。

Photo_7 網棚。
今では荷棚と呼ぶことが多いが、かつてはまさに網棚だった。
この車両の網棚には補修に苦心した形跡が見られる。
漁師の網と同じで、これは一旦はずして、きちんと補修するほうが楽なのだ。
ただし、一旦はずした網を取り付けるには、男が最低3人は必要。

オハ35をここまで美しく、整備、保存してくれたのは非常に嬉しく、それもまた自分と縁の深い岡山所属の車両ということで、親近感も沸く。
あの、5~6人がかりで、出車作業をして、網棚など、車両全長分を一気に張り込んでいった、いかにも男の作業場という感じの、旅客者職場をふっと思い出してしまった。

そういえば、21世紀に入って10年が経とうとしているが、前世紀の前半に製造されたこの客車を、今の時代に見られること自体が奇跡であるように思えてならない。
大井川鉄道にはそれこそ現役のオハ35一党、8両が現存しているわけで、これは、できる限り早く、貴重な客車を見に行きたいと願ってしまう。

さて、最後に高砂で撮影したオハ35の写真を2種、入れておくことにしたい。
いずれの拙ホームページからのものである。

Photo_8 こちらは初期型。
材質が良好な初期型は、かえって戦後製のものより補修する部分が少なく、現場では好評だった。

Photo_9 こちらは後期型。
このあとのスハ43一党との間をなす形態で、屋根周りも金属製になったものが多い。

オハ35をたくさん連ねた亜幹線の普通列車・・
もう一度その姿を見たいなとは思っても、それは、それこそ大井川鉄道でなければ叶うことのない夢でしかない。
心底、大井川へ「客車」を見に行きたい。

2009年2月13日 (金)

特急「こだま」を現在の神戸で見る

特急「こだま」を現在の神戸で見る。

今回は思い出ではなく、現在の状況のレポートに近くなると思う。

日記ブログでも書いたけれど、神戸市の川崎重工でかの特急「こだま」1号車が保管されている。

Dsc_0389kawajuu181frontunder
これは、山陽線「しおじ」から「あさま」「あずさ」に転用されて、使用された後、183系の台頭で甲信の山々から追い出され、当初は記念すべき1号車であるとして川崎重工が引き取って保管していた車輌をなるべく原型に近づけて保管されているものだ。
この車輌は映画「3丁目の夕日」でこの場所に東京駅のセットを作って使用されていたので覚えておられる方も多いのではないだろうか。

川崎重工が引き取った当初は「あさま」「あずさ」用の赤帯つき、頭上のヘッドライトは撤去された形で、長く公開されていなかった。

僕は今の仕事で比較的頻繁にこの場所を通ることが多く、この車輌の存在は知っていたけれども、まさか営業車から降りて趣味的な写真を撮影するわけにも行かず、改めて公私の私として訪れたものだ。

さて、特急「こだま」は昭和33年10月、東京と関西を日帰りできる初めての列車として東京・神戸間に登場した。
東京大阪間の所要時間は6時間50分、最高速度は当初110キロ毎時で、運転時間が短くなることから食堂車ではなくビュッフェを組み込んでの登場だった。

小田急SE,近鉄ビスタカーに先を越されたとはいえ、格下げ改造をまったく意識せず、特急専用車輌として登場したのは国鉄では初めてのことだ。
エアコン完備、固定窓、回転式クロスシートの車内は3等車であれども、当時の2等車をはるかに凌駕し、快適な旅行を明確に印象付けた。

僕は残念ながらこの車輌に乗車することも、ましてや工場職員として検査修繕に携わることもなかったのだけれども、この当時、この電車に乗った乗客の驚きが手に取るように理解できる。
当時のスーパースターたる客車特急「つばめ」「はと」などはいまだエアコンの装備も一部優等車輌だけで、概観はかの43系客車そのものだったのだから、まさに未来が目の前に存在するようなものだったのではなかろうか。

さて、川崎重工におけるその写真である。

Dsc_0375kawajuukodamazenkei まずは全体像。
場所は川崎重工の事務棟敷地内で比較的広々としている。

公道からも十分観察できる。
写真はすべて公道からの撮影である。

Dsc_0383kawajukodamaside サイドビュー・・スカートが原型ではない点が惜しまれる。
連結器の形状といい、これはまさに「横軽対策」そのものだろう。
489系のクハは今も残っているので、この部品を使えばもっと原型に近くなるのにと・・残念に思う。なお、ボンネットは固定化されてしまっている。

Dsc_0386kawajuukodamafront フロントマスク・・ヘッドマーク付近は溶接されて固定化され、その溶接跡が見えるのが痛々しい。
しかし、運転開始当時の「こだま」はヘッドマークは固定式だったから形としてはこれでよいのだろう。
ある意味では復元できているといっても良いかもしれない。
バックミラーも欲しいところだ。
ヘッドライトの復元は喜ばしい限りだがマーカーも欲しい・・

Dsc_0382kawajuu181namber ナンバー部分・・
切り欠いて継ぎを当てているのが分かる。
本来のナンバー部分はどこかに保管されているのだろうか。

Dsc_0385kawajuu181jnr JNRのシンボルマーク・・
このマークは「こだま」のためにデザインされたといっても過言ではない。
今も光を浴びて輝く。

Dsc_0381kawaju181daisya 台車・・
TR58でほぼ原型を保っている。
登場時は下回りはグレーだったはず・・
でも、黒のほうが質感があってよいかな・・

この車輌はもっと知られても良いような気がする。
日本の鉄道史に燦然と輝く金字塔を打ち立てた車輌であるだけに、もっと引き立たせてやりたい気もする。
でも、この車輌誕生の地で、しかも、始発駅だった神戸駅に程近いこの場所に保管されているというのは・・この車輌にとって実に幸せなことなのかもしれない。

誕生が昭和33年、廃車が最終のものが昭和57年・・
一部は九州へ転出しているけれども、これはあくまでも485系の一員としてだ。
活躍は24年に過ぎず、昨今の485系電車で40年ほど走り回っている車輌があることを考えると、早くに世を去ったという感じだろうか。
もっとも、暖地向けの設計であり、寒冷地ばかりを走行していた晩年では想定外の傷み方もしていたというから、その点でははじめから寒冷地での使用を考えて設計された485系と耐久性が違うのかもしれない。

訪れた日は冬にしては暖かな日差しが差し込む日だった。
クハ181-1は屈託なく寛いでいるように見えた。
長くこの地で、穏やかに過ごして欲しいものだと思う。