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2016年4月13日 (水)

奇跡の急行型電車も!七尾線近郊型電車。

北陸新幹線開業後、一般的には「国鉄急行型電車」は絶滅したと思われていた。

しかし、何の運命のいたずらか、413系近郊型電車の七尾線投入に伴い、この系列と同じ扱いを受けてきた急行型457系のクハ455が2両、413系とともに七尾線に転属、絶滅したはずの急行型が奇跡的に生き残るという事態になっている。
今回はそのクハ455と、今現在の同僚ともいえる413系、そして一部が413系により置き換えられたといってもまだまだ健在の415系800番台の現状と過去を見てみたいと思う。

まず、七尾線といえば交流電化の北陸本線に接続しながら、直流で電化された路線であり、それゆえ、交直両用電車が必要になったわけだが、当時、全国からかき集めて運行された急行「きのくに」格上げによる増発特急「くろしお」へ転用→「くろしお」381系統一、福知山線電化用に再転用→特急「北近畿」運用となった485系の交流機器類を撤去、183系化したその機器を再利用、福知山線に走っていた初期113系を中心としたグループに交流機器を搭載、七尾線用415系と相成った次第。

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写真が2010年の七尾線415系800番台。

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この系列・番台区分の大半の車両が福知山線電化当初に各地からかき集めた113系初期型で、800番台を名乗っていた。

写真が福知山線登場当時の様子。

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この初期カラーリングは悪くはなかったと思うがすぐに変更されてしまった。

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つい先日訪問した、桜の咲く横山駅での415系800番台。

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車内、座席配置は113系とは大きく変わった。

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座席の様子。
シートピッチが大幅に拡大され、座席もよくなった。

しかし、これでは座席定員の減少が著しく、JR西日本ではこれ以降の近郊型リニューアルでは転換クロスが導入された。
転換クロスだと扉間に5列が確保され、七尾線の様式よりは座席定員の増加が図れる。

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こちらも桜咲く宝達駅での様子。

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夕刻の中津幡駅での415系800番台。
通勤時間帯には3連を二組6連でも走り、旺盛な需要にこたえる。

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さて、富山にいた413系は5編成が「あいの風とやま鉄道」に移管、残り6編成が七尾線へ転属してきた。
写真が「あいの風とやま鉄道」富山駅高架ホームに入線した413系。

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413系は国鉄がその末期にせめて車体だけでも新しい時代の近郊電車にしたいと、従来の急行型電車の古い車両を車体乗せ換えで登場させた車両だ。
国鉄時代の6連で走る様子。

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倶利伽羅に停車中の様子。

しかし、国鉄、その後のJR西日本の財政事情から、せっかくの更新系列も11編成を作ったところで終わってしまい、それは今までのこの系列のすべてになってしまった。

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七尾線では順次茜色と言われる地域一色塗装への変更が進んでいて、この色合い、この系列の電車にはとてもよく似合うように思うのだ。
桜咲く横山駅、跨線橋から413系を俯瞰・・屋根上のAU13クーラーがこの電車が元々は急行型であることを示している。

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横山駅で上下列車が並ぶ様子。

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北陸地域色、青色の編成もまだ一本、残っていた。

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413系電車の車内。

気動車のキハ47に似ているが、電車は気動車より車体長が1メートル短いので、ドア間のボックスシートは一組少なくなっている。
ドア横の風防がこの電車が寒冷地を走ることを示している。

クロスシートは471系などの座席をひじ掛けを撤去するなど改造したもの、ロングシートはこの電車登場直前の廃車発生品だが座席枠を近郊型の寸法にして取り付けている。

11編成すべてが松任工場による自作で、短期間によくもこれだけの品質のものを大量製造したものと、当時、国鉄工場にいた僕は思ったものだ。

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さて、こちら先だっての旅で訪れた七尾駅での413系の様子。この編成は2編成だけクハ455をTcに連結している編成だ。
クモハ413-4。

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そのクハ455-701、ホーム側から。
完全に過去のものになったはずの国鉄急行型電車がどっこい、しぶとく生きてくれたわけだ。

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編成全景。
急行型クハにあるはずの前位側戸袋窓がないし、写真反対側の運転台から数えて最初の窓は固定化されている。
これは、この電車がサハ455からの改造車だからだ。

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前頭部をサイドから。

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413系中間車、モハ412-4との連結部。

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車体中央部、車番とその付近。

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車内の様子。

急行型の特徴である出入り大仕切りは撤去され、ロングシートが延長、クロスシートの数が413系に揃えられている。

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クロスシート部分。
数が減らされても、やはりこの雰囲気は急行型独特のものだ。
荷棚や天井のAU13吹き出し口も国鉄急行型ゆえ。

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その座席、窓側のひじ掛けが急行型であったことを象徴する。
薄茶色の壁面は昭和40年代前半までの国鉄優等車両の証だ。
特急・新幹線もこの壁面だった。なお、座席間のテーブルは撤去されている。灰皿のビス跡が見当たらないから、禁煙化後に化粧板の張替が行われたのだろうが、化粧板の色合いを替えなかった工場の担当者に拍手。

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洗面所が残っていた。

普通列車用の車両としては全国唯一ではないだろうか。

つまり、特急や団体、波動用途以外の車両でこれがあるのはクハ455の残存2両のみということになる。

古き良き列車旅の余韻を今に残す車両でもあるわけだ。

昨年までの北陸線急行型電車は近郊型に適応した改造をいろいろな形で受けていた。

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これは出入り台仕切り撤去、半自動ドアに改造された更新車の車内。
車内化粧板も交換されている。

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こちらは車端部ロングシート化だけが施工された車内。
その部分以外は、ほとんど原形のままだ。

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クハ455を連結した編成が中津幡駅に入るところ。

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実はこのクハ455をつないだ413系編成を僕はこれまでもたびたび目撃している。そのころは急行型475・457系を追うのに必死で、413系の仲間になったクハ455には興味がわかなかったというのが正直なところ。
それでも撮影した写真から・・昨年冬の魚津駅。

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こちらは2011年の大聖寺駅にて。
今にして思えば、この時、もう少し編成状況が分かるように撮影していれば・・

このときはまさか、この車両が国鉄急行型最後の一般運用の2両になるとは思わなかった。

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それでも、編成のクハ455とモハ412の連結部は撮影していた。

ここで、少しだけ、かつての急行型の北陸路での在りし日の姿を・・

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大阪駅に停車中の急行「ゆのくに」。

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武生を発車する急行「立山」

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急行列車の運用間合いによる普通列車、倶利伽羅峠にて。

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倶利伽羅に停車中の普通列車、「タウントレイン」の看板を付けている。

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倶利伽羅峠にて下り普通列車。

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たぶん、その列車の後追い。

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奇跡的に、わずかに2両が生き残った国鉄急行型の末裔・・

どうか、一日でも長く生きてくれよと・・祈りながら、僕はこの電車に再会を期すのだ。

2015年8月25日 (火)

昭和61年夏、姫新線・芸備線の旅

今夏、30年ぶりに姫新線・芸備線で中国山地の山の中を通って広島へ出る旅をした。その30年前の旅行時の写真だ。

両線とも急行列車も走り、まだまだ活気があったころだ。

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姫路7:02、姫新線823Dはキハ40とキハ47の2連だった。この列車は播磨新宮に7:53、津山には9:41に到着する。

この頃、すでに高速バスに敗れた姫新線急行列車は一往復にまで減少していた。

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本龍野の跨線橋にクラシカルな駅名票。

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津山では2分の接続で861D、9:43となり、降りて写真をとる暇はなかった。

新見、11;33、ここでしばし下車して昼食や列車の撮影などもした。昼食は駅の蕎麦が大変美味しいところだったので、それを食べたように思う。

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姫新線折り返しの津山行き。

今のキハ120に比すとやはり貫禄がある。

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新見駅舎・・

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姫新線・芸備線ホームの様子。

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芸備線列車は13:38の863D、キハ45の2連だった。

ここから先も本数は8往復を数え、一往復は急行列車の末端区間で、列車は「たいしゃく」、この以前には新見から全区間急行の広島行きだった。芸備線は東城を過ぎるとハイライト、日本屈指の山の中を走る。

それでも、当時は道後山にはスキー場もあり、観光的な色彩がないわけではなかった。

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備後落合15:07着、列車が到着したホームには蕎麦屋が営業していて、ここの蕎麦も大変美味しかったと記憶している。

僕たちはここで一本後の急行に乗ろうということになり、普通列車を見送る。

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急行には三次から4連で来た列車の後部2両が使われた。

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前部2両が普通列車として新見へ向かっていく。

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ホームに停車する、三次から急行になる「みよし」号。

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ホームの駅名票も一緒に。

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列車の愛称板。

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備後落合駅の駅舎、何故かパトカーが。。

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保線用のモーターカー。

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保線用の牽引機械。

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16:05、三次から急行になる「みよし」号発車、次駅の比婆山駅。

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比婆山駅舎、何やら地元の人が作業をしていたようだ。

列車は三次を17:20に発車し、広島には19:39に到着した。姫路からの所要時間は12時間半だった。

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広島では路面電車が、それも元神戸市電が迎えてくれた。

このときの旅行ではまだあまり意識はしていなかったが、当時であっていた女の子たちが芸備線沿線の出身で、惹かれるものがあった。

この旅行も彼女たちから故郷の話を聞いていたからこそ、実現したようなものだったが、高速バス台頭の前夜といっていい時代、そろそろ姫新線・芸備線に陰りが見え始めるころ、思えばこの旅行はしておいてよかったとつくづく思う。

さて、先だって、お盆明けに休暇をもらい、、まさに30年ぶりにこのルートで旅をしたのではあるが、時代の変遷は何もかもを大きく変貌させていた。

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高架の姫路駅に入線する姫新線、高性能気動車、キハ127。

しかし、高性能気動車が走るのは佐用までだ。

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津山にて、軽快なワンマン気動車、キハ120。

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新見の駅舎。

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備後落合で出会う芸備線と木次線のキハ120。

備後落合・東城間、備後落合・出雲横田間はいずれの3往復しか列車が走らず、姫新・芸備線を通しての旅はわずか一日1往復しかできなくなってしまった。

しかも、広島から姫路へ向かうルートは姫路到着は深夜といっていい時間だ。

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広島に到着した快速「みよし」ライナー、キハ47(右)。

快速列車は三次・広島間を1時間26分で走破、停車駅が増えてもかつての急行とさほど変わらない。

今夏、30年ぶりに実現した旅では、姫路6:56、途中、播磨新宮、佐用、津山。新見、備後落合、三次で乗り換え、広島には17:28(実際は20分ほど遅れて到着したが)に到着した。

JR西が安全確保のためと称して行っている、線路脇民有地の保安のために速度を時速25キロ以下に落として運行している区間も相当でてしまっているが、これを含めても、所要時間は10時間半と、かつてよりも相当スピードアップしていることに驚かされるが、それにしても、本数的には一日3往復の区間があるというのはもはや、鉄道としての使命が終わったことを内外に宣伝しているようなものであろう。

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姫新・芸備線の山間部は、日本の鉄道としては有数の深い山の中を走る。

そこに広がる風景こそ日本人の原風景でもあり、それを生かした積極的な旅客誘致が求められるといえば・・それは素人の浅はかさなのだろうか。

2015年1月29日 (木)

国鉄急行形車両鎮魂歌

本年3月ダイヤ改正では北陸新幹線開業、上野東京ライン開業、トワイライトエクスプレスの廃止、北陸地区在来線の第三セクター化といった大きな話題が出ていて、鉄道ファン諸氏は忙しい。

しかし、その中にあって実は国鉄鉄道車両の歴史における大きな変化があることに気づいておられる人は如何程おられるだろうか。

北陸線の第三セクター化と、それに伴う車両需給により、北陸線で活躍している475・457系が引退となるのだけれども、この車両こそ、現役最後の定期運用を持つ急行型車両である。

国鉄の急行型と言うのは実に国鉄にしか存在しない用途別車種であり、その淵源はスハ43一党にまで遡る。

戦前戦後の長距離用標準型客車と言えば、オハ35一党だが、このシリーズでは急行専用という感覚は全くなかったと言っていい。

急行と言う列車種別は戦後に有料化され、列車名も付けられ、一種のステータスになってくるのであり、それに応じた客車が必要になったということだ。 そこで、戦前戦後のオハ35を一歩進め、座席定員はオハ35並みを維持しながら、可能な限りのアコモデーションの改善を行ったのがスハ43一党ということができる。

まず、今も見ることができる客車の内装から。

 

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片上鉄道に今も保存されるオハ35の車内。 広窓、オールクロスシート、各車両に便所・洗面所がつくが片上では便洗は撤去された。

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その座席、このクルマでは内装はニス塗りのままだが、窓下に小テーブルがつく。 これは後の改造だ。 広い窓、テーブル下の灰皿・・ 長距離列車のアイテムでもある。

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その小テーブルには栓抜きがつく。 まだ売られている飲み物の大半が瓶詰の時代、この栓抜きは長距離列車には必要だった。

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こちら、大井川鉄道のオハ35、窓下にテーブルがなく、このクルマは大きな改造をされずに今に至ることが分かる。

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大井川鉄道のオハ47の座席。 座席背摺りは上下二段に分割され、下段に傾斜がついた。 少しでも乗客に寛いでもらおうという意志である。

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その座席を横から。 ハードボードは後の改造によるものがほとんどだが、この薄茶系統の色合いは急行型標準の内装材として、いや、色合いだけなら新幹線にも長く引き継がれた。 オハ35と何より変化があったのは座席窓側の肘掛だ。 この肘掛の存在が急行型車両であることの証として引き継がれていく。

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こちら、80系湘南電車初期車の車内。 座席幅は近郊電車であり、狭く設計されていて窮屈だが、すでに座席背もたれの上下二段化がなされている。 登場当時は上段部分はベニヤ板ニス塗りだった。 なお、80系では後の増備車で座席幅やピッチが広げられるが、近郊型兼用としての性格ゆえ、最後までスハ43に並ぶ内装とはならなかった。

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スハ43一党の中でも特急形に分類されるスハフ43の車内。 回転型クロスシートが並ぶ。 大井川鉄道で運用される日本ナショナルトラスト所有の貴重な車両だ。

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こちらは横川に残る軽量客車、ナハフ11の車内。 座席は近代化されるも、基本的な寸法などはスハ43とは変わらない。

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ナハフ11の座席。 窓が上下に大きくなり、雰囲気も近代的になったがスハ43と根本的な変化は存在しない。

急行型車両は無煙化、動力近代化に伴い、電車、気動車でも登場することになる。 おおむね昭和33年を境に、急行型の大増殖が始まる。

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急行型気動車キハ28系列による急行列車、7連の編成で由良川を渡る。

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熊本駅における気動車急行、駅弁売りの姿も見える。 キハ28系列は電車の153系あたりと比すと、たとえば台車がコイルばねであったり、正面にも当初は曲面ガラスを使わないなどのコストダウンが行われたが、電車急行とは違い、自然環境の厳しい線区へも入線することで、表情には厳しさも感じられた。 客窓は一段だが、電車の3ミリのガラスではなく、分厚い5ミリのガラスを採用、窓柱には窓釣バネも付けられている。

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急行型電車153系による急行「山陽」、ビュッフェ、グリーンつきの優等列車だった。 急行電車の車体は、厚さ3ミリのガラスの二段窓、各車両に便所洗面所を設けていたし、台車は空気ばねで乗り心地の向上も図られていた。

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急行型153・165系による「比叡」、大阪・名古屋を結ぶ急行として新幹線開業後も長く走り続けた。

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交直バージョンも登場・・急行型455系による急行「まつしま」・・ 急行型電車は座席はスハ43と大差ないまま発展したが、その速達性は多くの乗客の支持を集めた。

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急行型電車、475系による「ゆのくに」 特急「雷鳥」と棲み分けがなされ、急行は急行の乗客を獲得していった。

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「ゆのくに」のやや後の姿、腰の白線がなくなっている。

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北陸本線武生を発車する「立山」、 質素だがそれなりに快適な車内、足回りが特急形とそろえられた乗り心地の良い車両、リーズナブルで特急ほどではなくても速い列車、それが急行だった。ヘッドマークの翼部分が小さくなっている。

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北陸本線倶梨伽羅峠を行く475系、この当時、急行電車の間合い運用で使われていた普通電車ではヘッドマークは白無地になっていた。

しかし、世の中の経済事情が好転、より速くて設備のよい特急列車を乗客が好むようになってきた。

国鉄としてもいつまでも硬いボックスシートに乗客を詰め込んでいたのでは、航空機や高速バスとの競争に打ち勝って生き残りを図ることはできない 急行列車の特急格上げが続き、急行型車両の製造がなされなくなっていく。 実際、計画された急行型電車163系はサロを僅かに作ったのみで計画が中止され、183系特急電車の新製へと変化していくし、185系は急行用として設計されながらも結果的には特急用となった。

電車としての急行型は457系を最後に製造されず、あとは相次ぐ特急格上げの実施により急行の肩身が狭くなる時代となる。

その頃、当初より冷房装備が当たり前だった特急電車・気動車はもちろんだが、急行においても急行料金を頂戴する上からサービスの向上のために冷房化が推し進められた。 気動車においては、冷房化による出力向上のため、特に山岳区間の輸送の安定化を図るために新型急行型が登場、大出力エンジンを持つキハ65は実は12系客車と同じ車体に運転台を取り付け、便所洗面所を省略した形態をしていた。

 

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写真は急行「うわじま」で、キハ65は単独での運用はなされす、キハ28系列急行の出力確保のために連結された。

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ただし、後にJR西日本はキハ65の高出力に注目、車体を大改造してキハ65だけの編成を組んで走らせたが、その列車は臨時列車の一部を除けば特急で、キハ65は特急形「エーデル」シリーズとしても存在するということになった。

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12系客車は元々は万博の波動輸送用に製造されたものだが、車体長さを気動車並みの21メートルとして1メートル延長、延長したその部分の定員増加はさせず、座席を少しゆったりさせて登場した。 写真は大蔵谷付近を行くDD51と12系の試運転列車。

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その12系を後ろから。 車体デザインは153系から始まる急行型電車に範をとりながらも、全体的にゆったりとした雰囲気の客車だ。

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12系客車、今現在残るJR西日本所属車の車内。 ゆったりとしたボックスシートは急行型車両の完成形と言ってもいい。

人間工学を取り入れた掛け心地のよい座席、見た目にはそれまでの固定クロスと大きな変化はないが、座るとその良さに気付く人は多い。 特急用14系の座席があまり好評でなかったのに、こちら12系の座席は好評だった。各車に便所、洗面所、出入り台の仕切りつき、幅広のオールクロスシート、広い客用窓、窓下テーブル、栓抜き、窓側肘掛・・これがスハ43から続く急行車両必須のアイテムだ。

12系客車とその亜流ともいえるキハ65は急行型車両の一つの到達点であるが、残念なのは電車でこれらに匹敵する系列が製造されなかったことだ。

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その座席空間。  テーブルに栓抜きも健在だが、灰皿は撤去された。

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北陸地区で最後の活躍をする475系電車、雪の魚津駅で。

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 475系電車の今現在の車内。 これはM'車の車内で、天井には集中クーラーの風洞が続く。

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こちらはTcの車内で、前面が見渡せる仕切り板が健在。 出入り口付近はロングシート化されている。

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急行型車両のサービスの根本をなすものの一つ、洗面所。かつては冷水器もあった。

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 国鉄はその末期に将来の列車の設備の理想を指していたが、それは通勤型→ロングシート、近郊型→転換クロスもしくはゆったりとしたロングシート、急行型→リクライニングシート・・だが急行型の国鉄理想形は登場できなかった。 写真は急行型と近郊型、特急形の三車種折衷ともいえるキハ66車内。

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その座席。 窓側にテーブルも肘掛もない。 急行型とはいえない部分がここにもある。

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こちらは117系車内。 座席は良くなったが、出入り台仕切りは存在しないし、トイレは編成に一か所、洗面所はなくなっていて、この辺りが急行型とはサービスの根本が違う部分だろう。 なお、座席は急行型を凌駕していて、窓側にも肘掛がつく。

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JR東海キハ75の車内、急行としても一時期運用され、今も実質的に急行的な存在である快速「みえ」に運用される。非常に優秀な車内で雰囲気はかつての急行形を凌駕する。出入り代仕切りはないが、ドア横の風防が急行型に最も近い車両であることを思わせる。

185こちらは今現在のJR東日本185系車内。 登場時は転換式クロス、今はリクライニングシート、国鉄が描いた将来の急行型車両像に近いが、当時の営業のごり押しで急行ではなく特急として登場したという噂がある。

私鉄には国鉄でいうところの特急形は各社有料特急用のロマンスカーなどとして存在する。 通勤型はもちろんだが、国鉄でいうところの近郊型も、数は少ないながら存在する。 しかし、純粋な急行型と言うと私鉄にはまったく存在しない。 (ただし、かつて私鉄に存在しながら国鉄に存在がなかった都市間連絡用ロマンスカーは、今ではJR東海、西日本の標準近郊型となっている)

一時期、富士急行、南海、島原には急行型・準急形が存在したが、これは国鉄への乗り入れのための国鉄車両のコピーであり、急行型となると東武の6000・6050系や西武の4000系、伊豆急100・1000系などが近いようにも見えるがそれは形態だけのこと。 かたくななまでに急行利用客の利便性・快適性を重視した国鉄急行型に匹敵する私鉄オリジナル車両は一両も存在しないのだ。

その国鉄急行型、最後の定期運用が間もなく終了する・・ トワイライトの引退もショックだが、僕には急行型車両の引退と言う国鉄車両史に特筆されるであろう今春のダイヤ改正が恨めしい。

北陸本線475系、その風情をもう少し・・

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黒部にて・・列車の向かう先は雪だ。

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 富山駅にて、通勤列車に供される475系の夜景。 ブルーに塗られているが大きな窓から漏れる明かり、車内に見えるクロスシートに、かつての夜行座席急行を思い起こす。

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夜の富山駅で発車を待つ北陸色の列車。

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富山駅出発信号機を望む。 もう、この春までで、急行型電車の雄姿は見られなくなることを思うと、嫌でも感慨深くなる。

2014年8月14日 (木)

横川で国鉄軽量客車三種を見る。

つい先日、「ムーンライトながら」往復乗車が主目的の弾丸旅行をおこなった。 ムーンライトで東京へ行く以上、その先には訪問先が必要なのであって・・今回は長年、是非訪問したいと念願していた群馬県、信越本線横川駅すぐ近くの「碓氷峠鉄道文化むら」訪問を成し遂げることができた。

ここは日本最大の電気機関車保存両数で有名だが、僕の主目的は電気機関車ではなく客車、それも、3種あると聞いていた軽量客車だ。 このブログでもすでに、片上鉄道・大井川鉄道の旧型客車は紹介しているけれど、軽量客車は保存そのものが材質的に難しいために、特に一般型は保存が極めて少ないのだ。

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さて、「碓氷峠鉄道文化むら」ではかつてのここのクィーンだった特急「あさま」に迎えられる。

 

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その奥の、屋外展示場へ歩みを進めると、非常にたくさんの電気機関車、その中のEF58172につながれた編成に目が行く。 この前寄りがオハネ1229、後ろにつながれているのがオシ172055だ。

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まず、オハネ1229の外観。 寝台側、二連の窓が並ぶ独特の風貌だ。 車体幅が広げられ、裾が絞られている。 軽量客車の寝台、食堂車が初めて最大車体幅2950ミリを採用した。

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通路側の外観は隣の機関車、EF75との間から眺める。

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オハネ1229車内。 通路部で、完全に当時の様子が残されている。 20系以降の寝台車と異なり、通路側に補助椅子などはない。 窓は大きな一枚下降式だが、下降しないようにロックされていた。

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寝台の様子。 中段は座席運用時には背もたれとして活用するやり方。 20系より無駄が少ないが、その分、事故などの際は中段乗客が転落することも考えられる。

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寝台部の天井。 当初より冷房装備だった20系とは異なり、のちに冷房改造されたため、ユニットクーラーの出っ張りが目立つ。

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洗面所。 三人が一度に並んで使うことができる。

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碓氷峠の主だったEF63のトップナンバーEF631。 この後ろにナハフ111が繋がれている。

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ナハフ11のトップナンバーナハフ111。 大きな窓を持つ優雅な外観。

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車体中央部、車番表記がやや国鉄字体とは異なる気がする。

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車端部をサイドから。 トイレの下に出ているのが汚物排出口。 線路に垂れ流しだった時代。

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車内。 完全に当時の様子が残されている。

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座席。 ゆったりとした座席だが、同じ時代のキハ26あたりとは作りが異なり、保守に難儀したものだ。

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窓。 これも、キハ26・58の簡易だが確実な作りと比べることもできぬ粗悪な設計で、痛みやすく、保守に難儀した。 内側の網戸は撤去されている。

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さて、上記EF58172・オハネ1229の後ろにつながっていたのがオシ172055だ。 客席側の外観。

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厨房側の外観。 妻部に窓が作られているが、これは教習車オヤ171に改造された時のもの。

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その反対側の外観。

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オシ172055の車番表記。 17の部分のみオヤ時代のもの、オシと2055は書き直したのだろう。

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台車。 近畿車輛のシュリーレン台車。

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その台車に残っていた銘板。 組み立ては高砂工場で行われたようだ。

この車両に高砂の面影を見つけたことは非常に嬉しかった。

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床下。 旧型車の台枠を改造したもので、すっきりしているが、これは水タンク、冷房用エンジンを撤去されているから。

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台枠。 魚腹型台枠の形が残っていた。

17

車内。 客室の一部が残されている。家庭用クーラーが見えるが、オシ時代はきちんと冷房付き、しかも平天井という凝った設計だった。

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車内にあったパンタグラフ。 オヤ時代は交流機関車の訓練用に使われていて、そのための模擬パンタだ。

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運転台。 本来、オシ17に運転台などあるはずもないが、教習用に電気機関車に似せた運転台が設けられている。

4011

D51の後ろにつながれていたのがマイネ4011で、よくぞ、この様な車両が残っていたものと感心する。 ただし、車内は公開されていなかった。

20467

すぐ近くにあったキハ20、後期型のキハ20467で、人気のある標準色に塗装されている。 僕は今でもこのタイプのキハ20は国鉄が作った気動車としては最高傑作のひとつであると信じて疑わない。

Photo

神社。 この場所は碓氷峠を守る横川機関区のあった場所で、機関区の方々が手作りで祀った神社が残されていた。 かつて、国鉄の現場にはこういう神社があったものだ。

1213

国鉄高砂時代の写真から。 再掲であるがご容赦を。 新宮にいて「はやたま」に使われていたオハネフ1213・・廃車時に高砂工場にて。

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その寝台。

1213_3

車内通路。

10103

ナハフ10103。

JR西が京都に計画している博物館・・新たに保存されるのは電車が主体になりそうだが、あくまでも個人的な思いとして、国鉄関西三工場の一つ、高砂工場が作り上げた傑作、オシ17を京都に持ってきて完全に復元して保存できないのだろうか・・ 可能であるならと念願する。 それにしても、21世紀も10年以上を経て、軽量客車が三車種も完全に近い状態でみられるとは思わなかった。

「碓氷峠鉄道文化むら」関係者の努力に素直に感謝したい。

 

2014年2月 7日 (金)

南海電車浜寺公園駅惜別情景(付・諏訪ノ森駅)

南海電車の浜寺公園駅は知る人ぞ知る明治期の木造建築の傑作で、のちに東京駅を手がけることになる辰野金吾博士の第一作だとも言われている。 明治40年7月の完成と記録にはある。

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僕が小学生時代、2年間を泉大津で暮らしたのは既述のとおりだが、その頃とてこの駅舎の風格には心惹かれるものはあった。  さて、僕が写真を撮影し始めた当初・・この駅を撮影した写真だ。 駅舎正面・・ 当時の50ミリ標準レンズでは駅前の引きのない場所での撮影はこれが限度だったのか・・

7101

浜寺公園駅を発車する下り高石行き。 7101系で、この頃、南海線の電車は3系列しかなかった。

1001

 その南海の当時のスターといえば・・ 多少くたびれて見えるとはいえ、高速性も快適性も十分健在だった1001系(旧11001系)だろう。 和歌山港からの特急「四国」号。

さて、浜寺公園付近の連続立体交差化工事により、いよいよこの貴重な駅舎も地上駅としての終焉を迎えることになる。 駅舎そのものは高架工事完成後に駅の玄関として再活用されるらしいが、風格ある構内の様子はいまが見納めになってしまう。 そこで昨年末と本年1月に続けて様子を記録しにいった。

あわせて隣の「諏訪ノ森」駅も記録してきたので現況ルポとしたい。

 

1222

駅舎正面。 駅前は狭隘な商店街だったが高架工事の前に立ち退きとされ、そのことがかえって駅舎最後の記録をしやすくさせている。 ただ、城攻めの際に周囲を取り壊されて裸城となった感は否めなくもない。

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駅舎をやや斜め南から。 かつては到底撮影できなかったポジションでもある。

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同じくやや斜め北から。

1222_4

駅舎の正面アップ。

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 駅舎玄関を北側から。 郵便ポストが旅情を誘うが・・かつてはここにはなかったような気がする。

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 正面を広角レンズで近寄って撮影したもの。

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 やはり斜め北から広角レンズで。

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玄関サイドをやや引いて撮影。

0125_4

 かつての一等待合室。 ギャラリーになっていたが今は入れないようだ。

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 臨時改札あと。 海水浴客がどっと押し寄せた頃は、この改札にも出番があったのだろう。

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駅舎の内部。 出札窓口と改札口。 自動改札機が違和感を覚えてしまう造りだ。

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 南側の踏切から構内を見た様子。 一種独特の配線で、下りは通常の島式待避形ホーム、上りは通常の客扱いホームの先に、待避線があり、その部分に行き止まり式ホームを持つ。

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上りホームから下りホームを見た様子。

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 逆に下りホームから駅舎母屋と上りホームをのぞむ。

上りホーム手前が退避ホーム。

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下りホームから見た駅舎改札口。

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 上りホームの改札口と待合室付近。

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上りホームにある待合室内部。 エアコン完備だ。

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下りホームの待合室。 北側から。

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下りホーム待合室。 南側から。

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 下りホーム待合室内部。 ベンチに一人分ずつの区切りが入っている。 もちろん、クラシックな外観に似合わずエアコン完備。

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下りホーム先端から見た駅名票とホーム上屋の様子。

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 下りホーム上屋北端のアップ。

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駅務室とかつての折り返しホーム。

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上り退避ホーム、かつては左側にも折り返し線があった。

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1000系電車の区間急行が通過していく。 高架後は浜寺公園駅は阪急六甲のような通過形退避駅となる。

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 駅のトイレ。 外観はクラシカルでも設備は今様。

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上り線を行く2000系2ドア車の普通電車。 左側が退避ホーム。

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上り退避ホーム上にある新様式の待合室。 このホームを使うのは一日でも限られた時間帯だが、南海電鉄はそこでもきちっと上質の待合室を用意する。

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雨の中、特急「サザン」が通過していく。

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 浜寺公園駅東口はごらんのようなコンパクトな近代駅舎。

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駅前の路面電車、阪堺電車の浜寺駅前駅はこちら。

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 さて、諏訪ノ森だ。 上り駅舎。

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上り駅舎とホーム。 なお、下り側ホームは踏み切りを挟んで斜めに相対する位置にある。

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下り側駅舎。 浜寺公園の下り側駅舎と似た素っ気無い近代建築。

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上り駅舎の内部。 コンパクトだが如何にも高級住宅地の中にある駅といった風情。

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 諏訪ノ森下り駅舎の名物、ステンドグラス。

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 発車する最古参7001系による普通電車。

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 こちらは通過するやはり7001系区間急行。

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浜寺公園駅の案内碑。

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最後に、浜寺公園駅玄関脇の装飾柱。

浜寺公園、諏訪ノ森両駅が新時代にふさわしく、そしてこの両駅の持つ独特の風情を残した高架工事が出来上がることを念願する。

 

 

2013年8月25日 (日)

福岡市・貝塚公園のナハネフ22

30年近くぶりに九州を訪問した。
今回は時間的経済的制約の中だったので福岡・熊本で鉄道の側面を眺めたに過ぎないが、その中でどうしてもここだけは見ておきたかった場所があった。
市営地下鉄と西鉄貝塚線=旧宮地岳線の接続駅である貝塚駅すぐ近くの貝塚公園だ。
そこに、かつて「かいもん」で使われていたナハネフ22が保存されていると聞いていたからだ。

0820_dh114 8月20日、午後から福岡入りした僕は、最高気温が40℃を超えるという新記録の熱風が吹く中、貝塚駅から公園へ向かった。
公園には航空機も保存されていて、これは「デ・ハビランド DH.114 ヘロン」という航空機で、富士航空・日本国内航空=今の日本航空で使われていたものだそうだ。

0820 蒸気機関車、ずんぐりした独特の風貌は「キュウーロク」49627で、神戸生まれ、札幌で青春期を過ごし、筑豊地区で現役を終えた機関車だ。
こちらが公式側。

082049627 この機関車の後ろに20系客車が見える。
機関車から見て非公式側。

082022 ナハネフ22 1007・・これこそが、僕が会いたかったクルマだ。
こちらは4位側で客車の場合、車掌室は後位になる。客用ドアは自動式に改造されているが、これは12系との併結改造のときのもの。元々、20系は手動ドアで電磁ロック式・・NSEまでの小田急ロマンスカーと似たやり方だ。

0820_2 こちらは3位側。
かつてはもっと明るいカラーだったらしいが、20系客車本来のスカ色に改められている。
九州では最晩年は連結相手の12系客車とカラーがそろえてあったのではなかろうか。

0820_3 正面・・というより最後尾の流線型の顔。
20系独特の濃い色合いが美しい。
だが、ここまでするなら、クリームの帯を原型の三本にしてほしかったなぁ・・
(贅沢言って申し訳ない)

0820_4 前位、1位側=洗面所付近。
大きな窓、車内側では洗面器が3個並んでいた。
天井が高く、開放感あふれるデザインで、洗面所には大きな冷水器もあった。
なお、窓ゴムは腐食するのだろう、シーリング剤のようなものを塗られているが、これは現役時代、工場でも行われていた補修方法でもある。

0820_5 前位、2位側=便所付近から見た全景。
トイレは大小兼用2箇所で、この後の14系などよりゆったりしていた。

0820_6 1位側の連結面。
現役時代の表記がきちんと復元されている。

0820_7 キューロクとの連結器。
よく見ると、20系側の連結器には外側にもうひとつ、腕が噛むようになっていて、これは20系開発のときに設計された「密着自動連結器」であることが分かる。
ただし、機関車や一般客車、貨車は普通の自動連結器だから、完全に衝撃を抑えられるものではない。

0820_8 客車中ほどに車内が観察できるデッキが設けられていた。
洗面所側・・1位側・右側全景だ。

0820_9 ここから車内を観察。
中段寝台を出した状態。

0820_10 こちらは中段寝台をたたんだ状態。

0820_11 中段寝台のロック装置。
糸のようなばねが用いられ、これの保守に手間取ったものだ。
なお、画面左、畳んだときは必ずロックをしなければならないが、この状態はロックが解除されている。
実車運用中では禁止行為。

0820_12 枕灯。
10系の白熱灯から20系では蛍光灯に変わった。

0820_13 上段寝台。
10系シリーズと違い、冷房は集中式で床下装備、ダクトを通路上にしているために天井のでっぱりが無い。

0820_14 ヒータカバー、テーブル付近と下段寝台兼用座席。
座席は座席枠に折りたたみ式の簡単な角材が取り付けられ、これを使うとリクライニングしたような角度になるよう考えられていたが、実際にはほとんど使われなかった。
灰皿も原型のままだ。

0820221007 車番。
ナハネフ22 1007・・1000番台は12系との併結改造車であることを示す。
高砂ではかなり遅くまで12系併結改造車であっても帯は三本だった。

0820_15 方向幕。
独特の仕様、表示できる種類が限られていたために、色々分割して表示しているが、かえって風格を感じさせる。

22 最後に、当時の「さんべ」だったと思う。
ナハネフ22の急行時代の様子。
ナハネフ22は20系客車のイメージシンボル的存在でありながら、いくらも残っていない。
福岡市以外には1両がさいたま市の鉄道博物館、もう1両がなんと、西宮市のキャンプ場に保存されているが、そのほか、どこかにあるのだろうか。

それにしても、貝塚公園でのナハネフ22 1007との出会いは嬉しい出会いだった。

2013年4月 4日 (木)

今、改めて関西の103系電車。

103系電車はJR東日本から消えても、まだまだ・・JR西日本エリアには大量に残っていると・・思っていた。
けれども、ここ数年の近郊型電車の大量投入により通勤型103系を置き換える、JR西日本ならではのサービスアップが行われ、結果として今残っている103系電車は線区によっては風前の灯・・

このあたりで思い出と共に現況をルポしておきたいと思う。
まずは古い写真から。
10351 昭和51年、塩屋駅東方で撮影した非冷房編成。
大目玉一灯の優しく愛嬌のあるオリジナルデザイン。

10351_2 同じ日に撮影した冷房車編成。
ヘッドライトはシールドビーム二灯に、側窓はユニット窓になった編成だ。

10354 昭和53年ごろか。
大阪駅に停車中の非冷房編成。
ユニット窓、ヘッドライト二灯の冷房準備車か。

10354_2 阪和線鳳における103系普通電車。
阪和線は関西における103系の第一投入線区だった。

103 103系冷房車の車内。
実用本位、質実剛健と言う言葉がぴったりと当てはまる。

103_3 鷹取工場に冷房改造のために入場しているクハ。

当時、山手線ATC化により、関西には中間車だけが新車で入り、先頭車は山手線のお古だった。

103_2 既出だが福知山線の黄色い103系。
電車は今も環状線で走っているもの。

関西の103系電車はスカイブルーの阪和線、東海道山陽線、オレンジ色の大阪環状線、それに後から仲間に加わったのがウグイス色の関西線、カナリヤ色の福知山線と4色が出揃った。
東京で言えば、京浜東北線、中央快速、山手線、総武線普通と同じ色合いだけれど、関西線だけはなぜか正面に警戒帯を入れての登場となった。
それでは、最近の様子を。
1032006 大阪環状線野田駅における103系低運転台同士の離合。
今は見られない光景でもある。

103285201302 「はるか」と並んだ103系。

103201109 山陽本線を堂々と快走する和田岬線103系の送り込み運用。
バックは明石の天文科学館、列車線でモーターを唸らせていく。

1032011 和田岬線、兵庫運河を渡る103系電車。
和田岬線自体が今、廃止の是非が論じられている。

103201103 和田岬の103系電車。
バックは霊峰鷹取山。

103201103_2 和田岬線103系の車内。
ユニット窓を黒のサッシに変更、車内化粧板を張替えたもので、103系のオリジナルのよさを残したデザイン。
今、阪和線、奈良線などにも、このタイプが多く残る。

1032006_2 大阪環状線京橋の歓楽街を行き交う103系電車。
こういう風景は103系の最も似合うシチュエーションでもある。

103201303 京橋駅停車中の103系電車。
大勢の乗客であふれかえるホーム、103系の最も得意とする活躍シーン。

103201303_2 つい先ごろの桜ノ宮駅にて。
新車投入が正式にアナウンスされた大阪環状線、来年の桜を103系電車は見ることができるのか。

1032006_3 2006年ごろか・・
関西線=大和路線柏原における103系電車。
ヘッドライトは一灯の枠に二灯を収めたタイプ、シールドビーム改造のものだ。

103201303_3 つい先日の「おおさか東線」長瀬での様子。
奈良区には103系6連はわずか3編成しか残っていない。

103221201303 天王寺で221系と並んだ関西線103系。

103201303_4 京都駅奈良線ホームの103系普通。
いまや、103系最大の勢力温存路線が奈良線だ。

0320103 雨の奈良に入線する奈良線103系。
奈良線は4連で、時にこの4連を二組み合わせて8連とし、大坂環状線にも乗入れていた。

103105201107 桜井・和歌山線の105系電車は常磐線地下乗入れ用の電車を転用改造したものだ。
粉河における地下鉄当時の顔を持つ編成。

103105201107_2 こちらはJR西日本の地域色(単色=和歌山色)に塗られた地下鉄顔の105系電車。
和歌山にて。
本家、常磐線でもこういう風景が短期間あったように思うが・・

103105201303 王寺における105系顔の編成。
中間車両に運転台取り付け改造を行った場合は105系の顔が付いた。

103205201303 阪和線美章園における103系と205系の離合。
205系4編成が今春、阪和線に復帰し、また103系の出番が減った。

103201303_5 美章園における103系延命N40車を先頭にした編成。

103201209 播但線寺前の103系電車。
オールM、阪神ジェットカーも驚く高出力編成。
なぜか、播但線では車内は大幅にリニューアルされたが、105系化は行われなかった。
運転台取り付けタイプも、顔のデザインは揃えられている。

103201212 加古川線谷川におおける103系。
谷川支線には普段は125形ばかりが入線し、103系の入線は珍しい。

103201112 加古川線103系の車内。
徹底的にリニューアルされた車内はとても103系には見えない。

10310312005 最後に、2005年、京橋駅で出会ったクハ103-1・・栄えあるトップナンバーだ。
このクルマは、JR西日本が博物館開館用に保管していると聞く。
103系に博物館でしか会えなくなる日も近い。

2012年5月16日 (水)

阪急6300系三態

阪急6300系が通常の特急運用を追われ、いったん引退したのは2009年で、そのときの追悼文は過去ログをご覧戴きたい。

思い出の阪急6300系特急 阪急6300系

僕は、国鉄117、名鉄7000、京阪3000、南海11001とこの阪急6300に関しては、他の名車と一線を画する車両と認識している。
彼らの共通点は転換クロスの二扉で、名鉄・南海の一部運用を除けば特別料金不要で気軽に乗れる優等列車に使われたことだろう。

さて、いったん引退した阪急6300だが、まさかの復活劇を遂げ、今や阪急の大看板「京とれいん」として週末に走っているのはご存知の通りだ。
そこで、ここ最近撮影した写真から阪急6300系の三態を見ていただこうと思う。

6450 まずは今もオリジナルのまま残る6350Fによる快速特急だ。
これは、京とれいんのデビューまで、行楽シーズンの土休日に一往復だけ走ってくれたもので、この列車が走ることは僕を狂喜させた。
十三における臨時快速特急の入線風景。

6350 つづいて梅田における入線風景。
6連に短縮されたが、6300系快速特急復活運転の時のもの。

64516453 こちらは嵐山線専用電車に改造された6300系。
編成を4連とし、6351F、6352F、6353Fの3編成が改造された。
6351と6353が松尾ですれ違う。

63516357 6300系特急現役最末期のころ、桂では特急用の6300系と嵐山線専用の6300系が出会う姿が見られた。
写真は6357と6351が出会った様子。

6357 その6357の梅田行き特急、桂駅への入線風景。

6351 松尾における6351・・嵐山へ向かう。

6352 こちらは雨の中、嵐山へ向かう6352。

6300 その阪急6300系の三種類の車内を見ていただこう。
まずはオリジナル6350Fの車内全景。
伝統のゴールデンオリーブの転換クロスがずらりと並ぶ。

6300_2 車内妻面の様子。
窓のない妻面、ゆったりとした転換クロスは、まるで長距離列車を思わせる。

6300_3 座席の様子。
腰が高く、日よけが下降式のブラインドという阪急デザインでは、座面の低い転換クロスだと窓框に肘をかけることが出来ない。
窓側の肘掛が重要な意味を持つ。

6300_4 その座席、足元にはパイプで構成された簡単な足置きまである。

6300_5 車端部、出入り口の補助椅子。
セパレートタイプで引き出すと背もたれも前にせり出してくる良心的な設計だった。

6451 さて、こちらは嵐山線6351Fの車内の様子。
出入り口から窓二組分がロングシート化されたが、座席は9000系タイプの上質なもの。
ロングシートだがソファのような雰囲気を持つ。
さらに窓は全面的にブルーの熱線吸収ガラスに、日除けはロールカーテンに、転換クロスの座席は9300系タイプのものに改められて、面目を一新した。

6352_2 こちらは6352の車内。
室内のイメージとしては9000系、9300系に準じた上質なものになっている。
嵐山線といわず、土休日の特急運用にでも使って欲しいような内装だ。

6451_2 なお、6451にはブルーリボン賞のプレートもしっかり取り付けられている。

6354 今度は6354Fを改造して今や阪急の大看板の地位にあるとも言える「京とれいん」
梅田へ入線する様子。

Photo 6354F「京とれいん」の車内。
まずは転換クロスで構成された車両の車内全景。側化粧板が木目調ではないことに何より驚いた。そして、暖色系に改められた照明、張り替えられ、イメージを一新した座席。
ただし、側窓の窓枠や窓ガラスは改造されておらず、この改造があくまでも試験的なものであることを実感してしまう。
なお、補助椅子は撤去されている。

Photo_2 中間2両の固定クロス車の車内。
阪急で初めて出入り口と客室の間の仕切りを設け、上質な6300系のイメージをさらに大きく向上させた感じだ。

Photo_3 客室仕切りの様子。
まるで上質な料理屋の玄関を思わせるといえば言い過ぎか。

Photo_4 その客室内。
窓は枠も含めて一新され、ロールカーテンが装備されている。
木目調で統一され、和風を強く意識したこの雰囲気は昨今の居酒屋にも通じるようにも思う。

Photo_5 天井部分。
9300系譲りの間接照明を和風にアレンジした感じだ。

Photo_6 二人掛けの座席の様子。
これは・・ここで数時間は飲み食いしたくなるなぁ・・
いっそのこと、この電車でビール電車でもいかが?なお、背もたれの腰部には畳表も使われている。

Photo_7 一人掛けの座席。
カップル御用達。
セミコンパートメント風であり、二人の世界にハマルには絶好の座席か。
座席ピッチは十分すぎるほどで、大阪からの行き先が京都程度というのはもったいない。

気になるのは、「京とれいん」の改造が一編成だけで、しかも、完全にイメージを一新したのが中間の2両だけという点だ。
僕は6300系オリジナルの深くて低い転換クロスは大好きで、だから、転換クロスがあることを嘆くものではないが、この車両では改造部分はごく限定的になっているあたり・・もしかしたらあくまでも実用試験という感じだろうかと危ぶんでみたりもする。

6354_2 その6354F、特急時代の様子。
梅田駅へ入線する。
今は見られない8連がやはり貫禄を感じさせる。

阪急6300系には一編成だけ、他とは違う異端車があった。
京都線高架化工事によるスピードダウンで、どうしてももう一編成が入用になり誕生した6330Fだ。
チョッパ制御、阪急の新理論である「プッシュブル方式」を採用した電車で、内装もやや重厚さを増し、ファンや利用者からは完成度の高い電車として知られていた。
システム的には7000系7300系の仲間だったが、この編成が真っ先に解体されたのは何としても残念なことだった。
6330 写真は南茨木を京都へ向かう6330F。

阪急の電車は全体的に長寿の傾向があり、京都線で2300系が今も走っていたり、神戸線で3000系が高速運転をしたりしているのを見れば、それは確かなことなのだが、6300系はすでに半数以上が廃車され、解体されてしまっている。
阪急の中で、阪急を支える看板でありながら、他の電車より早く第一線を引退したこの名車が、それでも、改造もされて一部とはいえ何とか健在なのは、阪急の方々がこの電車をこよなく愛しているその証左だろう。

ただ、気になるのはトップナンバーの6350Fが休車状態で正雀に保管されていることで、今はその使い道も見当たらないのかもしれない。
出来れば、オリジナルのイメージを残してリニューアルし、「京とれいん」と合わせて毎時運行の快速特急として使えないのだろうか。
このまま廃車されれば何としても残念で、ぜひとも、原型に近い状態でリニューアルして欲しいと・・個人的には願っている。
6453 最後に、雨の嵐山駅に入線する6453。
駅の照明と電車の雰囲気がことのほか美しい。

2012年4月18日 (水)

21世紀にキハ20系列を見る。

21世紀もいつの間にか11年を経て2012年になった。
その21世紀の、それも10年以上を経た今、僕が国鉄の名車の一つに上げるキハ20系列が今も見られるというのは、これはまさに奇跡だろう。

昨夏と今春、私鉄2社を訪ねたのはやはり、キハ20系列に会いたかったためだ。
会えれば由、もちろん乗れればなお由であり、何よりもその姿を見ることを最大事に現地へ向かった。

昨夏に訪問したのは東日本大震災の壊滅的な被害からようやく立ち直った「ひたちなか海浜鉄道」だ。
このブログでもかつて紹介した「茨城交通湊線」を受け継いだ第三セクター鉄道である。

ここには新型気動車も入っていて、夏場であったことから冷房つきの新型が稼働していただけだったが、那珂湊の車庫には現役・廃車含め何両ものキハ20系列が所狭しと並べられていた。

2005 急行カラーに塗られ、キハ26に見えるのは留萌鉄道からやってきた国鉄キハ22と同型のキハ2005、その後ろには国鉄から水島臨海を経てやってきたキハ205。

205 キハ205のサイドビュー。
懐かしい国鉄標準色だ。

Photo キハ2005とキハ205の連結面。
これだけで、昭和40年代の国鉄気動車を現して余りある。

Photo_2 車庫にいるのは初期の青系統に塗られたキハ222と国鉄準急色のキハ2004。
キハ222は羽幌炭鉱鉄道出身の気動車だが国鉄キハ22と同型で正面窓の旋回窓はこれはもう国宝級のもの、キハ2004は留萌鉄道出身でやはり国鉄キハ22と同型で、この2両で近代化初期の国鉄気動車を示している。

ひたちなか海浜鉄道はファン心理を良く心得てくれていて、キハ22の車体をさまざまなカラーで塗装することで、かつての国鉄の気動車の雰囲気を見事に表現している。
けれど、それらを出来るなら並べて見てみたい・・
車庫の一部を改装して「昭和気動車博物館」とでもして、入館券を那珂湊駅で販売して、全国からファンを呼び込めば如何だろう。
いまは廃車になっている鹿島臨海を経てやってきたキハ20も赤系統の鹿島臨海カラーに復元、この系列の本当の良さをじっくり見てもらう格好の施設になると思うのだ。

ついでにケハ600にも何らかの台車をはかせて「日本最初のステンレス気動車」として華々しく展示できないだろうか。

さて、つい先ごろ、3月に訪問したのが岡山県倉敷市の「水島臨海鉄道」だ。
迂闊にもこの鉄道でキハ20が今も現役なのを知ったのはつい最近のこと、神戸から117 近いとはいえないが行けない距離ではなく、朝の通勤列車を狙って訪問した。
倉敷駅までは国鉄の傑作117系電車に乗せてもらった。

113 そして倉敷駅西方の跨線橋からなんと113系700番台の原色編成が走るその線路の横・・

208 水島臨海鉄道の平日のみ、一日数往復しかないキハ20担当の列車がやってきた。
先頭は水島カラーのキハ208。

203 後ろは国鉄標準色に復元されたキハ203だ。

この色合いこそ、21世紀に現役であることが奇跡であるさらにその上の奇跡だ。

あわてて、その折り返し列車に乗車し、久々のキハ20を楽しんだ。
203_2 水島キハ20の車内。
ほぼ原型でロングシートの増設も為されていないが、よく見るとトイレが撤去されている。

20 通路の様子。
ゆったりとしたクロスシートが並ぶ。

203_3 天井。
拡声器、通風器はオリジナルのもの、照明は20ワットの蛍光灯、これも二段窓車なら標準のものではないだろうか。
ただし、冷房は後付で、JR多度津工場にて施工されたとのこと。

203_4 座席。
ゆったりとした急行型サイズの座席だが、窓側の肘掛がない。
このゆったりとした座席こそ、僕がこの系列を名車であるとする所以だ。
壁は本来はハードボードだが、色あせや傷みがひどかったのだろう、おなじ系統の緑色に塗られている。
上窓の手掛けが一つなのはこの系列の特徴だ。

20_2 運転台側を望む。
折りたたみ式の車掌台とこの部分にもクロスシートを配した良心的な設計だ。
冷房改造時にトイレも撤去されたが、側構は廃車車両から移設されたのではないだろうか。
トイレ撤去の痕跡が見当たらない。
この手法はナハ21改造時にも用いられた。

20_3 窓框の様子。
この系列では窓框をやや広い木製にしていて、飲み物などを置けるように配慮されていた。

20_5

網棚。
国鉄時代の「網」そのもので、これを今も保守しているあたり、水島臨海鉄道関係者の努力が感じられる。

水島臨海鉄道では保守に苦しみながらもキハ20を維持してくれている。
沿線は近代的な工業地帯であり、線路も大半が高架、およそ旅情とは言いがたいが、キハ20は大きな財産ではないだろうか。
もっと、この車両が知られ注目を浴びる日が来ればと思うが、そうなればなったで盛んな貨物輸送の安全運行に支障がないとも限らず、難しいところだ。

353 さて、今から30年ほど前の水島臨海鉄道の様子。
場所が判然としないが水島だろうか。
気動車は国鉄キハ10を譲受したキハ353だ。

22 既出だが札幌でのキハ22。
北海道の気動車は急行型と一般型の設備上の差異が少なく、長距離を乗っても十分快適だった。

20_6 国鉄高砂線を行くキハ20の2連。
朱色の一色塗りだが、この塗装もまたよく似合っていた。

20_7 二俣線におけるキハ20の4両編成。
先頭は国鉄標準色で、キハ20に最も似合うのはやはりこの色・・というのは僕の世代を表しているのかも知れない。

2011年7月29日 (金)

大井川鉄道旧型客車レポート

先日、7月23日に青春18切符で東京へ行く途中、時間を生み出して大井川鉄道の20年ぶりの訪問が実現した。

今回の訪問では何より客車に乗ることを第一義として、出来れば何両かの内外の写真を撮影しておきたいと思っていた。
ただし、旅程の都合上、大井川鉄道に居られる時間はわずかで、その間に千頭まで行くとなると、単純に往復するしかない厳しい条件でもある。

夏休みとあって、窓口が大変混雑する金谷駅で、SL列車に乗りたいが予約していない旨を告げると、座席指定のない急行券を発行してくれた。
ただし、座席は車掌さんが指示してくれるそうで、必ず座れますとのこと、感謝して切符を受け取った。

0723sl501 すぐにSL急行川根路号が入って来たが、後部補機が牽引する7両編成・・
金谷駅には機回り設備がないので、SL列車は金谷向きの電気機関車に牽引されて入線してくるが、さすがに7両ともなるとC11やC10の牽引力では不足気味で、このままELが後部補機としてつくことになるのは容易に想像できる。

しかし、大井川鉄道のELは国鉄EF56あたりを小さくまとめなおしたような形態で、旧型客車にはよく似合う。
金谷駅には5両程度のホーム有効長しかなく、それより前の車両に乗車する人は手前の車両から連結部を渡っていく・・
このあたりの対処もかつての国鉄を思い出し、懐かしい。

072335435 さて、乗客の案内に忙しい車掌さんに声をかけると、「すぐにご案内します!最後尾の車両で中で待っていてくださいね」とのこと。
デッキで待つとすぐに件の車掌さんが小走りで来てくれ、オハ35435の隅のボックスを案内してくれた。

本当は43か47に乗りたいなぁ・・と思いながら・・なぜか見覚えのある雰囲気に・・
そう・・なんと、わがホームページの表紙を飾ってくれている車両なのだ。

なんとも縁を感じ、オハ35435の座席に落ち着いた。

列車はやがてゆっくりと発車・・
田園をわたる夏の風が涼しく、電力不足の懸念から節電のために冷房温度設定をあげているJR電車よりはるかに快適だ。

072335149 新金谷に入線するとき、ここの客車の中でも国宝級の1両、オハ35149が留置されているのが目に入る。
塗装は緑じゃなかったのか・・やはりオリジナルの茶色が美しい。
意欲的な仕事をしていた小倉工場、戦前の試作車で、ウィンドヘッダーのない外観が健在だ。

0723367 その隣に居たのがオハニ367・・
いまや大変貴重な荷物合造客車で日本ナショナルトラスト保有の車両だ。

072342286 反対側の車窓からスハフ42286と、その後ろに大井川鉄道で電車を改造して作り上げた客車が並んでいる様子が見える。

さて、列車は日本の原風景のような線路を走って行く。

072316000 すれ違う普通電車も、客車よりは相当新しいものの、かつて関西で活躍した特急電車たちばかりで、この電車は近鉄特急16000系。
まるで新性能電車が走り始めた頃の亜幹線を思わせる交換風景。

0723sl 吹き抜ける風はあくまでも心地よく、オハ35のガタガタとした乗り心地も楽しく、トンネルの中では機関車のシンダーとともに、地下水のひんやりした空気も感じることが出来る。

懐かしさ極まるオハ35の乗り心地はまさに自分の越し方を振り返らせ、ふっと感傷的になったりもする。

千頭までの1時間20分はあっという間で、今日一日中、この列車に乗っていたい気持ちを湧かさせる。

だが、時間はない。
千頭で機関車に群がる家族連れを尻目に、僕は客車を見たい。

先ほどの車掌さんに「客車を見に来た」と伝えると「どうぞどうぞ!ご自由にご覧ください」とのこと。
先行したSL列車編成が1本、向かいのホームに停車していて、あちらも7両編成、ということは両方で14両もの客車が生きた状態で僕の目の前にあるのだ。

ただし、車内で係りの人が作業をされていたり、休憩されていたりする車両は遠慮させていただいたい、外部の写真は足元が確保しずらいものや、作業用の機関車などがあるところは避けた。

072335435_2 まずは車内の写真から。
乗車してきたオハ35435だ。
内装はニス塗り、照明は丸型蛍光灯に改造、カーテンは一般的なサランのものだ。

07233522 オハ3522。
内装はニス塗り、照明も同じく丸型蛍光灯。
カーテンがオハ35戦前型オリジナルの緑のビニール製遮光カーテン。
灯火管制に備えたものだったとか。

07234781 オハ4781。
座席は急行仕様の背もたれが2段になったもの・・
国鉄では上下段ははっきりと分割されていたが、こちらでは補修の都合だろうか、座席生地が1枚ものになっている。
それでも、きちんと整備されていることが如何に素晴らしいことか。
内装化粧板は国鉄急行標準の茶系ハードボード、カーテンキセはアルミ製、荷棚受けはメッキされたもの、照明はサークライン2列、床は灰色リノリューム。

072335459 オハ35459。
戦前型だが更新工事がされている。
内装は茶系ハードボード、カーテンキセはアルミ製だが連続タイプ、荷棚受けはメッキされたもの、43系に近いが、座席はオハ35そのもの、照明は20ワットの蛍光灯2列、床は米松そのまま。

072335857 オハ35857。
戦後製の車両だが、内装は余り手を入れられていない。
内装はニス塗り、照明は元の白熱灯の台座を利用しながら20ワット蛍光灯2列にした特殊なもの、荷棚受けは塗装したもの、網棒がニス塗りのまま、カーテンキセは塗装したもの、床は木製。

072335857_2 この車両の天井の様子。
高砂時代には見たことがないタイプだ。

072347380 オハ47380。
上記オハ4721とほとんど同じ仕様。
この車両は関西出身らしい。高砂受け持ちだったようだ。
しかし、僕の持つ客車配置表にオハ46380はあってもオハ47380はない・・
オハ46,47、スハ43の間では結構頻繁に形式の変更があったからだろうか。

072333469 オハフ33469。
これも岡山にいたクルマで、高砂の受け持ちだったクルマ。
内装は徹底的に更新されていて茶系ハードボード、荷棚はスハ43並みのものに変更されている。
カーテンキセはアルミ製、連続タイプだが、こちらは丸みを帯びたもの、照明は20ワット蛍光灯2列、床は米松のまま・・
この改造工事には高砂の匂いが漂う気が・・

072333469_2 この客車の手ブレーキ。
車掌が列車の安全をバックアップできた時代・・鉄道マンがプロフェッショナルだった時代を髣髴とさせてくれる。

0723432 スハフ432。
これも国宝級の車両。
かつての特急「つばめ」「はつかり」急行「銀河」などにも使われた特急用の三等車で、回転クロスシート、窓はアルミ製のもの、カーテンキセはオリジナルの塗装連続タイプ。
僕はこの車両を多度津で撮影している。
座席は向かい合わせで固定されている。
背もたれのテーブルなどが撤去されたのは通勤車両転用の時か。
内装はニス塗りの上から後にペンキ塗装したもの・・優等車両にこういう処理をしたものが多かった。

0723432_2 この車両の洗面所。
優等車両だけにちょっと趣がある。

0723433 スハフ433。
上記と同じ形態の車両だが、国鉄工場の仕業?か・・仕切り板の処理が左右で違う・・
多分、向かって左はオリジナルのままのニス塗り。照明はスハ43一党標準のサークライン2列だが、荷棚はなぜかスハ43より落ちてオハ35タイプのものになっていて、これもたぶん、オリジナルのまま。

072342184 スハフ42184。
内装はオリジナルのニス塗りの上からペンキを塗ったもの、照明、荷棚は他のスハ43、オハ47一党と同じだが、窓がアルミ製に変更されている。
最後は清水港線を走っていた由。

072342304 スハフ42304。
内装関係は標準的な急行仕様、オハ4721などと似ているが、荷棚がオリジナルのもの。

072342304_2 この車両のベンチレータ、国鉄部内では「整風器」と呼んだ。
開閉にはやや力が必要で、車掌が長い棒を持って操作していたのが思い返される。

072342304_3 同じくこの車両の荷棚・・いわゆる網棚である。
オハ35一党とは異なり、通路より前に網棒より前に飾りの太い棒が1本通っている。
急行型客車では更新時に荷棚はビニールでラッピングされた網棒を使うなど、変更されていたはずだが、この車両はなぜか荷棚だけがオリジナルのまま残ったようだ。
荷棚受けも塗装していないタイプ。

0723433_2 次は外観、
スハフ432。
ブルートレイン塗装にしているけれど、できれば元の青一色がいいと思うのは僕だけ?

072342184_2 スハフ42184。
青の急行型客車・・そのもののイメージだ。

072342184_3 そのデッキ部。
なんと風格溢れる入り口だろう・・旅への期待が高まる気がする。

072335435_3 オハ35435・・屋根周りの痛みが進行しているようで、非常に気になる。
なお、大井川鉄道では屋根には電車用のイボリュームを貼り付けていて、これは非常にうまいやり方だと思ったけれども、根本的には屋根を作り直すしかないのでこれら客車が持つ、持たないは屋根の補修にかかっているように思う。

072347380_2 オハ47380。
茶系の43系は珍しい。

072342304_4 スハフ42304。
これも茶系で、もしかすると大井川では客車の塗り替えをするときに茶系に塗りなおしているのかもしれない。

0723c11190sl 千頭に到着した様子のC11190牽引の急行列車。
まるで昭和30年代の地方駅の風情だ。

0723el101 こちらの列車は発車準備がなり、ELが反対側へ回って後部補機になっている。
101号機関車は、その雰囲気は国鉄の旧型電気機関車と似ていて、こうして客車の前に立っても貫禄がある。

0723c108 こちらは全国唯一のC10、これも国宝級の機関車だ。

072342304_5 客車のデッキ、自動ドアではない、走行中、いつでも開閉できる・・
夏は涼しく、それでもスリル満点だった・・

0723slel 到着して次の発車準備中の急行列車とその横の電気機関車・・
現実の鉄道を使って昭和の国鉄を、あるいは昭和の鉄道風景を最大限再現しているのが大井川鉄道であるといえようか・・

07233008 うれしい気持ちを抱えたまま、僕は折り返し電車、京阪3000系に乗車して千頭を後にした。