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2008年10月 6日 (月)

標準軌19メートル3ドアの魅力

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大都会周辺の電車といえばJRとともに、大手私鉄や準大手私鉄、地下鉄を思い浮かべるのだけれど、僕はどういうものか、国鉄=JRの規格外の電車に強く惹かれる癖がある。
これは幼少時より阪神、阪急、山陽といった関西私鉄に触れてきたから自然にそうなってしまうのだろうけれども、これら私鉄の車体長18~19メートル級3ドアの電車が如何にも私鉄の空気を漂わせているような気がしてならない。

国鉄の場合、すでに戦前に車体長20メートル級の電車を基本として確立しているから、よほどのことがない限り国鉄=JRで車体長の短い電車にお目にかかることはないのだけれども、大手私鉄、準大手私鉄には今も18~19メートル級の電車を走らせているところが結構多い。

関東なら京成、京浜急行、都営浅草線とそれらの関連線区である北総や新京成・・それに東京メトロの銀座、丸の内、日比谷各線区と日比谷線に直通する東武や東急の一部電車あたりか・・
最近までこのサイズを使ってきた京王井の頭線は(狭軌ではあるが)ついにというか、20メートル級電車の走る路線になってしまった。
(といいつつも、この路線の車両デザインは好きなんだけれど)

関東の場合、戦後すぐに国鉄63系を導入してそれからずっと20メートル級で通してきた東武以外は、車両の大型化は意外に遅く、同じように63系電車を導入した小田急もいったんは車両のサイズを小さくして、通勤ラッシュの激化により1964年の2600系からというような状態だった。
現在、大型車両の走っている各社でも西武は払い下げ国電の台枠を利用して比較的早い時期に20メートル電車を作り始めたけれども、、他社の場合、東急は1969年、、京王は1972年から車両の大型化に踏み切っている。

国鉄はかの悪名高きモハ63で4ドアの威力を味わい、それ以後、通勤電車は4ドアになったのだ。
新性能電車の時代になり、101系、103系といった通勤型電車の威力を、各私鉄は目の当たりにして、押し寄せる通勤客を必死で捌こうとして、各社、その規格を取り入れていったのが目に見えるようだ。
それでも、西武は20メートル級3ドアという独自路線を貫き、4ドアになったのは1977年の2000系からだ。

京王を除けばいずれも国鉄と同じ狭軌を採用しているのが興味深い。

さて、車両の大型化は実に関西の私鉄がその先鞭をつけていて、車体長20メートル級の大型電車は1928年の大阪鉄道(今の近鉄南大阪線)から始まっていて、これは国鉄最初の大型電車モハ32登場の4年前になる。
関西私鉄は戦前、大型の電車を次々に生み出し、1929年の南海301系(後の2001系)、1930年の大阪電気軌道1300型、参宮急行2200系(いずれも現在の近鉄大阪線)、と続く。
これらのうちで通勤型といえるものは大阪電気軌道の1300型くらいで、あとは中・長距離用・・今でいえば急行型か近郊型といったところだろう。
関西の私鉄の場合、4ドアの純然たる大型通勤電車を作り始めるのはやはり戦後で、南海が国鉄63系を導入して、それの更新工事で1959年に1521系を生み出し、近鉄は1957年から南大阪線でラビットカー6800系を登場させ、このときから4ドア通勤電車が幅を利かすようになってくる。

さて、ここで不思議なことは、本来、車両の大型化に有利な標準軌私鉄にあって、大型20メートルの電車を走らせているのは近鉄だけで、京王も標準軌に近いがやや軌間は狭く、そういう意味では標準軌私鉄の多くが未だに大型車体を作らないのがなんとも不思議に思える。
とはいっても、その近鉄ですら車体長こそJRよりやや長いが車体幅になるとやや狭く(車体幅は裾を絞って、2800ミリ・・JRは裾を絞って2950ミリ))、そういった意味では完全な大型車体といえるものは標準軌私鉄には存在しないように思える。

標準軌私鉄の多くが実は路面電車をその発祥としたり、公営路面電車への乗り入れを模索していたために標準軌を採用した歴史上の経緯を見ると、やはり大型車体の採用にはインフラの面で無理があるのかもしれない。
そう考えれば明治時代の遺産が今も残っているのが標準軌私鉄の中型車体ということになるのだろうか。
(京王も軌間を東京市電に合わせているように、その出自は路面電車的な鉄道で、その鉄道を長い年月をかけて大型車体が走れるように改良した関係者の努力はすばらしいと思う)

唯一、標準軌私鉄で国鉄並みの大型車体の電車を走らせたのが山陽電鉄で、ここは戦後、どうにも仕方のない車両不足を乗り切るために線路のほうを国鉄63系電車に合わせて改良したという歴史の持ち主だ。
ただ、今現在、山陽電鉄には車体長20メートルの電車は存在せず、阪神と合わせた規格の車体しか使っていない。(阪急神戸線はやや車体幅が狭い)

さて、そのような歴史の必然、偶然は飲み込んでおきながらも、僕にとって車体長18~19メートル、片側3ドアの電車はいかにも私鉄的で魅力的に思える。
4ドアだとどうしても国鉄=JRの通勤電車のイメージが強く、いくら私鉄が自社の個性を盛り込んで設計したとて、そこにオリジナリティがあまり感じられないからかもしれない。
それがやや車体の短い、3ドアの電車だと、どことなく余裕のようなものが感じられ、それがいかにも庶民的な私鉄臭を漂わせているような気がするから不思議だ。
国鉄=JRとは違うんだという主張のようにも見て取れる。

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京成、京急、新京成、阪急、京阪、阪神、山陽、それに西鉄・・

いずれも個性豊かな鉄道だ。
かつて、これら私鉄の通勤車両はドア間の窓は3個、車端の窓は2個だった。
これがある意味では規格のようにも思えたのだが、京急あたりの新型車からドア間の窓は幅広の2個に変わってきて、今や阪急・阪神も含めそのスタイルが主流になりつつある。
多少は規格化されても、絶対数の多いJRのようには見えないところが、これら私鉄の車両の得な面でもあるだろう。

ただ、標準軌、18メートル車体でありながら4ドアを採用している大阪市営地下鉄や、19メートル車体に5ドアを設けた京阪5000系のような例外はもちろん存在するし、それもまた強烈な個性の現われかとも思う。
それでも、標準軌、19メートル、3ドアの電車を見ると、なにやら国家権力にも見える国鉄への反抗心や、没個性化時代への反発にも思えてくる。
ま・・難しいことは考えず、ただ単に、僕は私鉄の標準軌、19メートル、3ドア電車が妙に好きなだけなのだけれども・・
(それには僕が国鉄に居たということも関係しているのかもしれない・・それと決して4ドアの大型車体の電車が嫌いなわけではない・・念のため)

*注*
電車の車体長は基本的には連結面間距離を指します。20メートル車体の場合、実際の車両の長さは19メートル50センチ程度です。

2008年9月26日 (金)

戦争の証人・・オエ70

Emaiko_76 高砂工場には時折、業務用の風変わりな車両が入場することがあった。
業務用の車両には製造の予算をかけられないから余剰車両を改造することが多く、結果として基本型からはみ出た特異な車両が生き残っている姿を見ることも出来るわけだ。

その中にいくらなんでも客車としての出自ではないことが一目で分かる車両が存在した。
短い車体、二段の大きな窓・・どうみても17メートル級国電にしか見えない車両・・
彼らは実はかの第二次大戦の際の空襲で焼けただれ、戦後の混乱期を乗り切るために応急復旧された電車の成れの果てなのだ。
当時は「焼け電」と呼ばれ、車庫や工場の隅で積み上げられていたらしい。

ものがない時代、電車として復旧するには部品も確保できない。
それよりも、客車として箱と台車だけ使えるようにすれば蒸気機関車で牽引してでも貨車代用よりははるかにましな「客車」が出来上がる。
当時、使えるものなら貨車でさえも人間を運ぶ客車として重用された時代である。
一刻も早く、一両でも多くの客車が必要だった時代・・

それでも、たとえば戦前の関西で急行電車として活躍したモハ52流線型電車などは、関係者の思い入れもあってか、奇跡的に電車として復旧されるのだけれども、大量に被災した多くの車両たちはとにかく使えるようにと・・それだけを優先して焼けた車体の骨組みを使って粗末な客車に再生されたわけだ。
それはかつてのスマートな外観を知っているものから見ればいかにも無様で無残なものに見えただろう。
けれどもまた、その無残な外観の車両が戦後輸送に大活躍したのだ。

戦災復旧客車の形式はオハ70をはじめとした70番台の形式がつけられたけれども、一応、現場での作業の都合から17メートル級と20メートル級、それに3軸ボギーの優等車を出自とした車両とに分けられている。
前二者ではその車両の出自は関係なく、客車、電車、気動車が種車の車両が混在していた。
しかし、電車、気動車は明らかに客車とは形態が異なるので、それらを出自とした車両は簡単に見分けが付く。

これら、簡易復旧とも言える車両たちは、戦後も落ち着き、きちんとした標準形式が量産されるようになると第一線から退き、やがて荷物車や郵便車への改造がなされ、さらにそれらも立派で使いやすい専用車両が登場すると、今度は車庫の片隅で業務用の職用車や救援資材を積み込んだ救援車としてそれこそ第4の人生を送るようになっていくのだ。
たとえば、本来なら大都会の通勤用として華々しく活躍した電車が戦争によりその運命を変えられ、無様な姿をさらして黙々と縁の下の力持ち的な仕事ばかりするようになったと・・そう考えても良いかもしれない。
それは何も彼らの出来が悪かったわけではないのだ。
あくまでも戦争という時代の犠牲になったということだ。

鉄道は米軍による空襲の標的になった。
けれども、軍事物資を積んだ貨物列車ならともかく、民間人が普段に使う電車や客車を破壊し、その中にいる乗客を殺傷する・・それは国家間の戦争の行為として許されるものだろうか?
米国は今、テロとの戦争を掲げて相変わらずあちらこちらで物騒な軍隊を活躍させているけれども、米国がかの第二次戦争で行った、民間人が乗車する列車への空襲は・・今のテロとどこが違うのだろうか。
簡易復旧されたこれら戦災復旧車両・・それらが空襲で被災したとき、その車内でも多くの人が死傷したこともあっただろう。

無様な姿に改造され、それでも業務用車両となったことが幸いして生き残った戦災電車、客車たちは如実にこのことを物語っていたように思う。
残念なのは、これら車両がすでに平成の現代には存在しないことで、無様な姿を残しておくこともまた、戦争の愚かさを後の世に伝えただろうにとも思うのだ。

2008年8月13日 (水)

流線型雑感

日本で言えば大正時代の後期から世界的に鉄道車両における流線型がブームになってくる。
ヨーロッパでは当時すでに時速160キロに及ぶ流線型気動車が存在していた。
日本の国鉄もまた、世界の流行に乗る形で流線型車両の開発に乗り出す。

けれども、狭軌で線路状態のよくない日本では、最高速度は120キロ程度が限界で、流行に乗ってつくられた流線型車両もまた、その持てる空力特性を発揮することもなかった。

国鉄はC53やC55、モハ52やキハ44000といった流線型車両を完成させたが、工作に手間がかかり、かつ、空力特性もさほど向上するはずのない日本の線路条件では流線型車両は不便だけが多いと言うのも頷ける。
国鉄に限らず、私鉄でも先進的な会社では流線型車両を登場させている。

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有名なところでは愛知電鉄や名岐鉄道、それに京阪と言うところだろうか。
東横の場合、わざわざ流線型の気動車を大都市の電化路線に投入もしている。

時代は1935年前後、大正デモクラシーの平和は短い終わりを告げ、日本はまた戦争の中に突入していくその寸前の時代である。
鉄道車両が実用一点張りから流麗なデザインを採用し、乗客や沿線住民へアピールをしていく・・そこにはつかの間の平和の春の輝きがあったのかもしれない。

ただ、南満州鉄道において、流線型の機関車や客車、気動車が作られていくのだけれども、これとて、設計者は決して軍用の用途に考えたものではなかろう。
鉄道の健全な発展の方向へ(南満州鉄道の存在が必ずしも健全なものではないにしろ)進んでいく、その必然性から生まれたものであるだろうし、欧州並みの高速運転が可能な大陸の鉄道では流線型デザインも大きな意義があったのかもしれない。

話を日本国内に戻すと、戦前の日本の鉄道程度の速度では流線型はその保守に不便が多く、結果として戦時輸送へ突き進む鉄道において、それ以上の発展をすることはなかった。
また、流線型にあらずとも、参宮急行や新京阪、阪神急行、阪和など関西の先進的な鉄道においては箱型でありながら十分な高速運転も実施されているのだ。

国鉄が関西地区に投入した先駆的な流線型電車、モハ52は、2次車からあとの増備はなされず、工作の容易な半流線型の「合いの子」の登場となっていくし、それもやがて戦時体制が深まるにつれ、本来の使用法から逸脱していってしまう。
世は国家を挙げて非常事態になっていく。

鉄道が敢えて流線型を作っている間、世間はまだ平和な風が吹いていると言うことなのではなかろうか。
あるいはその平和が頂点に達した、いわば一種のバブル的な時代なのだろうか。

僕はこのブログ初期の頃に書いたように、自分で旅行が出来るようになってすぐに流線型、モハ52を見に行っている。

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この車両の走行シーンを実際に見て、実際に乗車したのはきわめて幸運なことだったのかもしれない。
けれども、日本の鉄道が歩んだ苦難の道を思うとき、改造の痕跡が目立つ傷まみれのモハ52の車体が何かを物語っているかのように思えてならないのだ。

今、日本の鉄道は流線型花盛りである。
500系や700系、N700系、E2系、E3系と言った新幹線電車はもとより、四国の8000系、九州の881系・・かつての「未来の鉄道」というイメージから飛び出してきたような流線型電車が走り回っている。
私鉄においても、小田急や近鉄の特急電車はすばらしいデザインの流線型だ。

どうか、この状態が戦前の流線型時代の再来ではないことを、切に祈りたい。
この流線型が脇役に追いやられ、必要最小限のデザイン、無骨な造りの車両が出回り始めたら・・
またきな臭くなりそうな予感がするのだ。

しかし、JR西日本あたりの・・特急気動車の平面顔は・・僕を少しだけ不安にさせてもいるけれど。。