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私鉄の思い出 Feed

2015年9月26日 (土)

Photo Archive 改めて湘南形二枚窓の電車を思い返す。

昭和25年、国鉄としては画期的な電車による長距離運転を実現した80系が登場、当初は半流線型3枚窓のデザインだったが、このデザインが戦前最盛期の国電デザインに比しても何となく間の抜けた感じであり、二次車からは思い切ってデザインを変更、流線型二枚窓という全く新しいデザインとなり、一世を風靡するようになる。

86000

初期、一次形、名古屋にて。

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夢前川の80系電車。

80

播州赤穂駅に入る80系電車。

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 こちらは夢前川橋梁東側の築堤にて、クハ86300代先頭。

153

国鉄ではこの後、この電車のイメージを気動車、機関車にまで反映させる。 気動車では電気式キハ44000型がこのデザインを採用。後にキハ17系液体式気動車群が登場してからは合造車や郵便荷物車などに改造された。  写真は加古川駅に入るキハユニ15、変わった顔立ちが印象的な3号車だ。

156

こちらは加古川駅で荷扱い中のキハユニ156、加古川線には3両のキハユニ15がいた。

Dd50

 機関車、電気式ディーゼル機関車、DD50、米原駅構内にて。

Ef581

当初評判の良くなかった戦後復興期の大型電気機関車、EF58は大規模な更新工事を受け、その際に車体を流線型二枚窓に改められた。 今も人気の高い機関車だ。 写真はEF58トップナンバー、宝殿にて。

Ef5880

EF5880、流し撮り、流線型EF58の顔立ちの何と美しいことか。

76307

 70系電車、府中電車区。 80系が正面と側面がややアンバランスなイメージがあるのに対し、上下に拡大された二段式の側窓、明るいクリーム主体のツートンカラーで登場した70系のデザインは品がよく、国鉄が作ったこの種のデザインでは白眉ではないかと思う。

しかし、国鉄で湘南形二枚窓を採用したのは量産車ではここまでで、これ以後、電車・気動車は使いやすい貫通型、特に電車急行、近郊型電車にはパノラマミックウィンドウと組み合わせた格調高いデザインが中心となった。 だが、私鉄では国鉄デザインよりさらに良いものをと、一種独特の湘南形風二枚窓デザインを採用した会社もあり、全国手に大流行、さらに昭和40年代になっても湘南形二枚窓を基本としたデザインを採用すr会社もあるなど、大きな影響があった。

2023

京王帝都のグリーン車、2023、京王八王子にて。

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 3000系ステンプラカー、明大前。

20053772

 更新車、3772、明大前。

5000

 名鉄5000系、一種独特の流線型、丸い車体は国鉄デザインのはるか上を行った。 日本車両と名鉄の意欲が表に出た形だ。

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東急5000系、写真は熊本での様子だが、これまた独特の軽快さで私鉄らしい車両だ。

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 移籍先の長野での様子、赤系統の塗装がよく似合う。

2001

その長野電鉄が近代化初期に特急用として投入した2000系、名鉄5000と同じメーカーで、似た雰囲気ながら独自路線を行く。

1000

西鉄1000系、3ドア改造後、やや野暮ったい、面長なデザイン。 この、独特の風貌がまた魅力だった。

303

神戸電鉄300系、阪神3011系は早くにその姿を変えてしまったが、その香りが漂う。

1001

 南海、11001系→この頃は1001系改造後。 新今宮駅。 国鉄湘南形二枚窓を基本にしたデザインでは、もっとも完成度の高いデザインだと思う。 側面と正面のバランス、長い車体、そして明朗な緑濃淡のカラー。

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南海21001系、11001系と同じ系統のデザインだが、車体サイズが短く、トンネル限界の関係で屋根が低いので微妙に印象が異なる。 なぜか、関西私鉄は湘南形デザインには消極的だったが、南海はうまくこのデザインを昇華させ自社のものとした。

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富山地鉄181、14780系の制御車、長野・名鉄と同じメーカー、日本車両による意欲的な作品で、正面の傾斜はないが、塗装と相まって独特の風格を感じる。

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近鉄800系、湘南形二枚窓のアレンジとしてはデザイン的にも一歩抜きんでているように思う。

409

 近鉄409、更新車にも湘南デザインが登場したが、こちらは800系に比すとバタ臭い感じがする。

132

 近江鉄道132、近江鉄道はこの電車をすべて自作。 自作でもここまで見事な車両にできた・・驚嘆に値する。

6061

大井川鉄道(元北陸鉄道)6050系、湘南形デザインを一歩進めた、大型パノラマミックウィンドウ、アルミ車体という大変な意欲作。 これも日本車両の手によるもの。

601

茨城交通ケハ601、ステンレスの気動車、車内は通勤型仕様だが、その存在感は大きかった。

200

福井鉄道200形、これも日本車両の手による意欲作。 湘南形と101系デザインを合わせ、車内は111系、そして連接車という車両で、今も残るが福井鉄道LRT化により、去就が注目されている。 写真は武生新における準急→急行への変更作業。

1000_2

 伊豆箱根1000系、西武系の鉄道は二枚窓がとても好きだけれど、ここの車両は一味もふた味も違っていた。

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二枚窓電車が3編成並ぶ。

1205

十和田観光、1205、三沢にて。 北海道・札幌で電鉄を運営していた定山渓鉄道の車両。

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 京浜急行600形。 久里浜にて・・走行シーン。

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 編成の連結部分。 オールM、クロスシート、正面デザインは全体に傾斜した独特の二枚窓、側面大きな窓と相まってバランスのとれた美しさを見せる。

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久里浜駅ホームで先頭車のアップ。

600

中間車の様子。 阪神3011系よりやや後の作品だが、僕らはこの電車に阪神3011の面影を見た気がした。

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西武鉄道101系、池袋にて。 湘南形大好きな西武の、もっとも洗練されたデザイン、黄色とグレーのツートンが良く似合っていた。

Photo

 流山電鉄での元西武車、バランスのとれた、かっこいい電車だ。

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大井川鉄道の元西武車、こちらは3ドアを2ドアに改造、クロスシートを設置して活躍していた。

7001

 岡山臨港のキハ7001、元はと言えば北海道、夕張鉄道の気動車だった。

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紀州鉄道の603、はるばる大分からやってきた。

185

長らく、国鉄は湘南形デザインの本家でありながら、そのデザインを生かした車両を作ることはなかったが、末期にようやく2種の電車が登場した。 写真は185系、鼻筋を通し、全面上部に傾斜を付けるなど、湘南形の末裔であることを宣言しているように見える。

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117系、関西急電からの伝統を、うまく受け継いで見事に表現した、国鉄デザインとしては最高傑作のひとつであると信じる。

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最後に偉大な80系湘南電車の面影をしのびながら・・ 飯田線。

 

2015年9月12日 (土)

別府鉄道、明姫幹線付近

別府鉄道のポジが出てきた。

同じフィルムに野口線と土山線の列車が写っていて、季節は冬のよう、キハ101の風貌や沿線の雰囲気から昭和57年ごろの写真だと思う。

今の国道250号線、通称明姫幹線(めいきかんせん)付近での撮影、クルマかバイクで追いかけたものだろう。

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野口線、坂井・円長寺間での撮影から・・

出来たばかりの高規格道路をクラシカルな気動車、キハ101がくぐる。

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キハ101が接近する。

背景の高架橋は今も存在しているが、別府鉄道廃止により4車線化のさいには増設車線部分が地平に建設された。

1013ゆっくりと単行列車が近付く。

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立派な建物は新道路完成後に出来たラブホテルだ。

今なら鉄道オタク御用達?

101_2その横には住宅が新築中。

かつては一面の田園地帯だった場所だが、幹線道路の開通で変化が起き始めていた。

いまや、住宅密集地でもある。

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立派なマンション横を通過する。

巨大マンションが建設され始めたころだ。

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宅地造成されているところを通過する。

沿線人口は爆発的に増加しても別府鉄道の乗客は増えない。

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今度は線路際で。

そのマンション脇に列車が進んでくる。

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マンション脇を通過する。

 

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工場と住宅の間を列車が行く。

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去り行く列車。

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野口駅での様子。

アップで・・

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この頃、キハ101はどういう理由からか、ドアステップに車体裾をそろえる改造がされていた。

Dd502

土山線、中野駅にて。DD502がたった1両の客車をけん引する。

すでに中野駅は営業されなくなっていた。

Dd502_2

列車が接近する。客車はハフ7だ。

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去りゆく客車列車。

72

昭和50年代とはとても思えぬ列車の風情だが、周囲の景色はまぎれもなくこの時代を表している。

101_9

別府鉄道廃止後、キハ101は地元、別府町の公園で保存された。

が、この後の手入れがなされず荒廃し、結局は解体された。

Photo

今、別府鉄道があった場所に住んでいる住民のどれほどが、ここに鉄道があり、こういう鉄道だったことを知っているだろうか。

廃止30年の時間はあまりにも長い。

 

2015年7月18日 (土)

名鉄の青空

そろそろ梅雨明けかと思わせる、台風一過の青空が広がった今日だが、今回も前回に続き青空の特集・・名鉄篇だ。

このブログではなぜか名鉄を記事にするとアクセスが下がる傾向にあるが、まだ、僕にとって大好きな名鉄が健在だった時代、撮影時期は昭和から平成に変わる頃の年末辺りか・・

今回は二か所、河和線阿久井、椋岡あたりと、揖斐線尻毛あたりだ。

1000

まずは今は見られない1000系パノラマスーパー、特別車だけの4連。

1000b

青空に1000系の瀟洒なデザインが生える。

1000_2

サイド、目に眩しい白と赤の車体、そして青空。

5500

5500系の普通電車。

戦後日本最初の通勤冷房電車は最後の活躍をしていた。

55007000

5500系と7000系による6連。

 

5700

登場したばかり、5700系の4連・・この系列が出る前、今後の名鉄は6000系ばかりになるのかと不安を感じていたものだ。(結果的にはそうなったけれど)

7000

7000系、まさに王者の貫録。

7500

7500系、このスマートさ!

Photo

尻毛駅・・その駅舎。

750

750形単行の普通。

780

登場したばかりの780形急行。

金華山をバックに・・

780b

接近。

赤い車体に青空。

780c

さらに接近。

2326

2326が750形に牽かれて去る・・

2326b

望遠で金華山もはっきり写る。

7000_2

最後にパノラマカーのシルエット、この写真を撮影した自分を誉めてやりたい・・

 

2015年7月 4日 (土)

加古川の青空

梅雨時の鬱陶しい時期、ときに青空が望みたくなるが、今回からそんな青空をモチーフにした写真を3回ほど続けたいと思う。 今回はJR化後の山陽新幹線加古川橋梁、それに未だ3000系が中心だった山陽電鉄の加古川橋梁だ。

時期的には昭和63年頃か・・

100

まずは山陽新幹線。 当時の新鋭、100系上り列車「ひかり」のサイド。

1003

下りにも100系が接近、まさに出会う瞬間。

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 ダブルデッカーと先頭車が行きあう。

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下り列車の先頭車。

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0系の6連がやってきた。 当時の「こだま」だろうか。

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 0系の下り方サイド。

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0系の上り方サイド。

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今度は山陽電鉄。 未だ5000系は登場していてもごく少数だった頃だろう。 写っているのは3000系列ばかりだ。 冷改、旧塗装の4連特急。

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非冷房、旧塗装の4連特急、中間に2000系改造の3550形を連結している。

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見上げる角度で・・こちらも冷改旧塗装の4連特急。

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冷改3000系と新製冷房車3050系の出会い。

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3050系ニューアルミカー。

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3200形だろうか、冷改、新塗装の3連。

Photo

 最後に新幹線橋梁横に建設省の看板。

鬱陶しい梅雨の後、また今年も猛暑の夏が来そうです。 皆様にも十分、お身体ご自愛いただき、実り多き夏を過ごされますことをお祈り申し上げます。

2015年6月14日 (日)

パノラマたっぷり、名鉄名古屋本線昭和57年春。

今回紹介する大半の写真は昭和57年春に撮影したもの、一部、その前後のものもあるが似たような時期のものだ。 これまでもこのブログで僕が名鉄SR系、中でも7000から始まるパノラマ一党に深い愛着を持っていることをお伝えしてきたが、今回はこれまでの欲求不満解消とでもいうか・・ とにかくパノラマ・・そしてそのほかの電車という感じで進めたい。

なお、一部に当時のライバルというか・・名鉄に負けっぱなしだった国鉄も登場する。

7000

名鉄の電車は伊奈を出ると終点豊橋まで停車しないが、ここは国鉄飯田線と線路を共有する区間で、飯田線の下地駅を降りて撮影した。7000系を見上げて・・ ワントーンの車体がなんとも言えずカッコイイ。

7500

 こちらは7500、連続窓はなぜ、名鉄以外には普及が遅れたのだろう。

7500b

やはり7500、惚れ惚れとする美しさだ。

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国鉄の165系急行電車、天竜号か。

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 名電山中駅で下車して撮影してみた。 既出だが809の荷物電車。

6000

6000系急行。 6000系の初期デザインはSRの流れをくみ、好きだった。今回登場の名鉄車両では今も現役で残るのがこの系列のみとなった。

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 白帯特急、7000系が接近する。

7000b

その列車の反対側。

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こちらは7500の急行か。

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簡素な踏切を通過する7500。

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7500をサイドから遠望気味に。

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7500、草むらの向こうを走る。

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新木曽川に停車するのはAL車3651、美しいツリカケ電車だ。

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その付近だったと思う。 7000の白帯車。

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こちら7500、流し撮り気味に。

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7500の編成俯瞰。 こういう美しい列車が本当に走っていた。

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同じ場所で国鉄のユーロライナーDD51。

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ユーロライナーの客車。

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新岐阜駅を出てすぐのところ、今でもごく一部に単線区間があるが、かつてはこの区間の真横に歩道橋があり、電車を眺めるのに好都合だった。 HL車2718。

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OR車2901。

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その編成の反対側か・・OR車3901。

3715

HL車3715。

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HL3719。

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SR車5200系、中間に5000系を挟んでいた。

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新岐阜に入るワントーンの7000系。 高速か。

7000_5

こちら、白帯特急7000系。

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新岐阜を出る7000系白帯特急。

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その反対側、豊橋行き。

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7000の急行美合行き。

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急カーブをゆっくりと曲がっていく。

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7000系4+4の連結部。 8連の座席指定特急が走っていたのだから今思えばすごいこと。

7500_8

7500系の入構・・

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ゆっくりと接近。

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橋の下には国鉄485系「しらさぎ」

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新岐阜駅での7500系急行、停車のスナップ。

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新岐阜駅の7700系特急。

名鉄が好き、それはやはりパノラマの存在が大きかったのは言うまでもない。 だから今の僕には名鉄は特別な鉄道には見えない。 普通の大手私鉄・・ 一風変わった、非常に個性豊かだった名鉄のあのころを思いだす。 それは今でも至福のひと時でもあるが、パノラマ7000のない今の悔しさも同時に湧き上がってしまうのは致し方のないところだ。 なお、名鉄についてはまだまだ記録があるので、出していきたいと思う。

2015年5月11日 (月)

同和鉱業片上鉄道

片上鉄道との縁は古く、初めて岡山に行ったときにわざわざ和気で下車しているから・・僕にとって最も早くから写真を撮影した鉄道の一つと言うことになる。 だが、魅力あふれるこの鉄道、なぜか敷居が高く感じられ・・結局、全線を通しで乗ったことは一度もなく・・じっくりと撮影のために訪問したこともなく・・ いつも、近くを通ったそのついでに伺っていたというのが本音だ。

昭和50年代の片上鉄道は車両の整備状態も抜群、線路は重軌条にPC枕木、その上を気動車が時速70キロ以上で滑るように走った。 この時代、僕にとって非電化私鉄と言えば、別府鉄道であり、岡山臨港鉄道であり、加悦鉄道であり・・敷居を高く感じたのは国鉄ローカル線ははるかに上回り、亜幹線に匹敵すると思われたその立派さゆえか・・

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和気駅のキハ302、朋輩のキハ301は我が地元、別府鉄道で3のところを1に書き直しただけで走り始めていた。 国鉄キハ41000(後のキハ04)を譲り受けたもので、別府に転じたものはクロスシートだが片上にはロングシートに改造されたものがあった。

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キハ311・・上記キハ301、国鉄キハ41000をベースに自社発注された気動車で、とてもキハ41000とは思えぬスタイルのよさをしている。

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キハ312、これも同型、こうしてみるとアレンジ次第で国鉄機械式気動車のデザインと言うのは非常にレベルが高くなるように思える。

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キハ702、こちらは国鉄キハ42000→キハ07だが、正面デザインに大きく手が加えられていて、半円形フロントマスクが非常に近代的な味を醸し出す。

Photo

片上の機関区は国鉄赤穂線の西片上駅近くにあった。 そこを訪問した時の様子。 写真は入口からの様子で、そこにおられた社員らしき人に「気動車を見せてください」と頼むと快く入れてくれた。

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機関区でのキハ302、狭い構内では思うような写真が撮影できなかったが、それでも油の臭いに僕らは歓喜したものだ。

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キハ312が休んでいる様子。

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キハ702、この角度が最も格好がよい。

703キハ703、側面を見ると国鉄キハ07の面影が十分だ。

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 気動車の従台車。

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こちらはキハ700形だろうか・・その動台車。

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あるとき、和気と片上の間をクルマで走っていたら線路に出くわした。 中山付近か。 ちょっと待って・・気動車列車。 キハ303、滑るように走っていく。

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田んぼの中を行くキハ303・・車掌さんの背中が見える。

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 おっと、貨物列車が走るのを見逃すところだった。 社線DD13牽引の貨物列車、国鉄ワキ6194が次位に繋がる。

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ワフ103、片上鉄道所有の車掌車だ。

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ワフを最後尾に貨物列車が過ぎていく。

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国鉄を退職した直後、なんとなくドライブに出かけて・・片上鉄道の線路わきに出た。 このときも、やや待つと貨物列車の姿が。

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谷あいを長大な貨物列車が近づいてくる。

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 DD13の姿がはっきりとしてくる。

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過ぎ去るDD13牽引の社線トラばかり繋いだ貨物列車。私鉄にしては長い列車だ。

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貨車の後尾・・数えてみると26両! こういう列車が走るからこその、重軌条であり、PC枕木であるわけだ。

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周匝(すさい)の近く、第二吉井川橋梁でのキハ801の列車・・ やや見上げるようなアングルで・・列車が山野の中の出現したかのよう。

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 橋梁を渡る。

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ゆっくり・・・

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全長180メートル余り、長い橋梁だ。

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渡り終えていく。

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 反対方向の列車を同じポイントで。 今度は土手の上から。

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橋梁を渡る。

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遠ざかる列車。 このキハ800形は同じ同和鉱山の秋田県小坂鉄道からやってきた車両で日車標準型車体を持つ非常に近代的なイメージだった。

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備前塩田駅。三角屋根のお洒落な駅舎が片上鉄道の標準仕様。

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 なお、片上鉄道は自治体とボランティアの方々の熱心な活動により動態保存されていて、吉が原に於いて、今でも現役時代そのままの車両たちを見ることができる。

現在、吉ヶ原の鉱山資料館の一部となっている保存施設では当時の駅舎などもそのまま保存されている。

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 DD13551と客車3両、朝夕のラッシュ輸送に活躍した「ブルートレイン」の編成で、僕はついにこの列車の運行を見ることがなかった。

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キハ702、美し状態を保たれていて、動態保存されている。 なお、キハ07系列の保存は全国にたった2両しかない。

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キハ303、別府のキハ101が解体されてしまった今、国鉄キハ41000の系譜を示す貴重な一両だ。

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キハ312、自社発注の力作も1両がこうして保存された。 誠にうれしい限りだ。

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 ワフ102、貴重な車掌室つき有蓋貨車もその姿を見ることができる。

ボランティアの方々の献身的な努力により貴重な産業遺産が保存されること、心より感謝の念に堪えない。

 

2015年4月 3日 (金)

昭和55年、舞子辺り。

今、僕は山陽本線舞子駅から山手の方へバスで15分ほど走った所に住んで、舞子・朝霧を中心に仕事をしているが、この当時、まさか自分が将来そこに住み、仕事をするようになるとは到底思えなかった・・ 昭和55年の写真である。

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この夏、京阪神を走る113系快速のグリーン車が連結中止となった。 まずは、明石駅での時刻表から。

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 舞子海岸では遠い将来に向けて、架橋工事が始まっていた。 まだ海底にボーリングをしているその様子・・ この時期の精神状態を表しているのか、自分でも驚くほど暗いトーンの写真ばかりだ。

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こちら、山陽電鉄山側から見た工事現場。 淡路島の山容が今とは異なる。

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当時、山陽電鉄が国鉄をオーバークロスする跨線橋には、明治9年に開業した官設鉄道上神崎橋梁(現在の阪急京都線の一部区間になる)で使われていた「ポニー形ワーレントラス」が使われていた。 今、東二見工場の正門近くに一部が保存されているあの鉄橋だ。

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その橋梁を3050系が行く。

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当時、山陽で最も乗り心地が良いと評判だった3056Fが行く。

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3056のアップ。

30562

 更に接近する3056。 すでに3060Fも登場し、3050系エアサス車は3編成になっていたが、なぜか、この編成の乗り心地は一味違ったように思えた。 山陽電鉄は今もこの頃も、電車1両ごとの「顔」が見える鉄道だ。

286852

270形286が850形を従えてやってくる。

286

286のアップ、旧型車の車体更新車だが、作りがよく、走りもまた良く、好きなシリーズだった。

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舞子公園駅をサイドから見た様子。 停車しているのは3610号。 非冷房だ。

3635

3635号、黒Hゴムのちょっと個性がある風貌、3060Fの姫路側Tcだ。 海がよく見える。

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 舞子駅南の国道から・・ 走っているのは国鉄の快速電車113系。

3000

上記ポニーワーレントラスのすぐ先にあった架道橋を渡る3000系一次車、アルミカー・・まだ、山陽が3050系でアルミカーを復活するなんて考えられなかった頃。

284850

神戸側に284を連結した270・850形の普通列車。

Ef5864

舞子公園の中から・・ EF5864単機回送。

117

117系電車・・このときのお天気は下り坂。 それにしても写真が暗い。

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103系電車。

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113系の快速電車。 すでに改良型2000番台は登場していたが、この電車は関東で増備が続いていた一般型ユニット窓冷房車を昭和52年に限り関西にも投入されたもの。

110901

快速電車のグリーン車、サロ110-901、国鉄旅客車で初めてのステンレスカーだ。

827

霞ヶ丘駅近くで。 800形の最後の生き残り、827。

282

その編成の神戸側先頭車は282号。

2013

日本最初の旅客用アルミカー、山陽2000系2013号。 この日は日本最初の旅客用アルミカー・ステンレスカーを見たわけだ。

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垂水方の急カーブを行く3605、3000系3010Fの姫路側先頭車だ。

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 この時代より少し後の撮影、山陽電鉄、舞子公園の旧駅舎。 とても大都市近郊私鉄の駅舎とは思えぬ長閑なたたずまい。 駅前にはちょっとした商店街もあった。

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この当時の舞子公園駅ホーム、駅舎は北側にあり、改札から下り線に行くには地下道を渡った。

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今の舞子公園駅。 国道や海岸から見えるJR舞子駅とは違い、再開発ビルの裏手にひっそりとたたずむ。 だが、今は直通特急も停車し、山陽では最初にバリアフリー化がすすめられた近代的な駅となった。

ちょうど阪神から乗り入れの1000系が出発する。

 

2015年3月12日 (木)

山陽電車、須磨あたり

山陽電鉄、須磨と須磨浦公園のかつての様子を・・ 阪急が乗り入れ、山陽には旧型車も健在だったあの頃の写真・・ 撮影は昭和52年頃から、震災直後まで。

284

電鉄須磨駅の広く長いホームに入る250形284、後ろには850形が繋がっているはずだ。

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同じく300系318、車体幅こそ2.8メートルの幅広だが、車体全長は15メートルでしかない。 流線型200形の車体更新車。

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850形851、戦後、本邦最初の本格的都市間ロマンスカー800形の出力向上車。 全般検査直後だろうか、非常に美しい外観だ。

2012

2000系、本邦最初のアルミカー、2012。 今も東二見で保管されている電車だ。

2012_2

その2012をカラーで。

2702

2700形2702、後ろには最初の2700系、2ドア車が見える。 ロクサン電車、700形を更新した電車だ。

2703

2700系2703.。 幅広、丸みのある車体に巨大なDT13系台車。

2708

2700系2708。 上記の編成の東向きか。

3000

3000系トップナンバー、3000ちょうど、夕闇が迫る駅を出ていく。

3000_2

3000ちょうど、特急で入線。

360036012001

3000系アルミカーが2本と、300形、2000系が並ぶ。 3600と3601、神戸側先頭車でいえば上記の3000と3002だ。

3010

3010、阪急三宮行き。

3058

3058、3050系は編成ごとに進化していくが、エアサスになった2編成目。 阪神大石行き特急。

3060

3060、姫路行き特急、唯一黒Hゴムで登場した編成だ。

5130

阪急5100系5130、この当時は5100系も入線していた。

5144

阪急5100系5144。

5233

阪急5200系5233、短命に終わった試作冷房車。

3501

阪神3501系3501、この系列と次の3601系が側面2連の窓配置。

3565

阪神3561系3565、かつてのノンストップクロスシート特急車の晩年の姿。

3904

阪神3801系3904、阪急5000系が阪急スタイルの完成形なら、阪神スタイルの完成形はこの系列、ただし、佳人薄命・・早々に一部が廃車され、残りも系列が変更された。

77052

阪神7601系7705、3601系をチョッパ制御化した電車。

7819

阪神7801系7819、ドア間に同じ寸法の窓が4枚並ぶ・・

7839

阪神7801系7839、すっきりとしたデザインになったがまだ屋根が低い。

7922

阪神7801系7922、7801系の仲間ではあるが、種車は3561系の先頭車、大改造された側面がなんともアンバランス。

2010

須磨浦公園近くで・・ 2000系2010、2000系最後の転換クロス車、で2ドア、そして最初のステンレスカー。 山陽が作った最も美しい電車だと僕は思っている。

3615

3615、阪急三宮行き特急、冷房改造された頃。

5010

阪急5010、今も健在だが、この当時のすっきりとした雰囲気はいかにも阪急らしい。 阪急スタイルの完成形だと思っている。

6015

震災直後の阪急6000系6015、震災後、いったんは阪急と山陽の間の相互乗り入れが本数が増えた。

2207

阪神2000系2207、7001系などを改造した形式、これも撮影は震災後。

8901

阪神8801系8901、阪神スタイルの完成形として知られた3801系を改造した形式。

Photo

電鉄須磨駅の信号扱い所。

5020

最後に震災後、ようやく神戸高速線が開通、三宮へ直通できるようになったダイヤ改正PR用のヘッドマークを付けた5000系5020。

震災後、しばらくして、ここに走っていた3社は白紙ダイヤ改正を実施、阪急と山陽の相直は廃され、阪神と山陽の間で直通特急が走り始めた。 まさに、神戸高速開業以来の悲願が実った形だ。 もっとも、姫路と大阪を直結する役目はJR西日本の新快速が主導権を握るが、遅くとも私鉄も負けてはいられない。 でも、こうして昔の写真を眺めると、あの頃の電車の美しさがふっと思い返される。

2015年2月10日 (火)

京阪三条辺りほか

京都を代表する鉄道風景でもあった鴨川沿いの京阪電車の様子は、過去に何度かこのブログで紹介した。 今回は鴨川は出てこないが地上時代の京阪三条駅とその付近の様子だ。

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 まず、三条駅舎。 この駅そのものをさすときは「京阪三条」、駅周辺をさすときは「三条京阪」と呼んでいた。 同じ感覚は大阪の「野田阪神」と「阪神野田」にも言える。

82

京津(けいしん)線は三条駅を出るとすぐに道路上に出て行くのだが、駅前の歩道橋は京津線をながめるのに具合が良かった。 80形82号が接近する。

82_2

82号が駅に入っていく。

81

その編成、後ろは81号だ。 駅の屋根の下に吸い込まれている。

82_3

折り返し82号が四宮へ向かう。

92

三条の次の停留所、東山三条、92号が停車する。 その電車から降りてきた観光客風の女性たち。 三条からわずかひと駅、数百メートルの距離だ。

92_2

92号が発車していく。

人一人立つのがやっとの狭い安全地帯、バスと電車を待つ女性との対比が今となっては怖い。

268

三条駅構内、京津線準急、268号。 京津線乗り場と、京阪線乗り場の間には屋根に覆われたちょっとしたエキナカの店舗があり、ここで乗り前の際によく食事をしたものだ。

278

同じく京津線準急、278号。 京津線は路面乗降区間のある四宮までの普通電車が80形、そこから先、浜大津方面へ行く電車が準急の260・300形で、準急用電車には路面乗降用のステップは設けられていなかった。

1805

 京阪線ホーム、1805号。 特急車1800系の格下で、三扉化されていた。

1805_2

1805号の正面。 クラシカルに見えるが、軽量車体、カルダン駆動の新性能車だ。

1800

1800系の車内。 内装はピンク色だった。

22221805

1805号が2200系と出会った。 それも2222という、希有な番号の電車。

3505

特急車、3505号。 急行に乗るために、特急車の車内を通行することが出来るようになっていた。

この車両はのちの3000系最後の一本であり、しかも、今、樟葉で保存されている。

3056

3000系3056の車内。 当時、国鉄グリーン車を上回る雰囲気だった。

3110

3110号の車内。 妻面の化粧板は、千代紙や金箔をちりばめたような粋な模様、妻面に飾られているのは広告ではなく、名画の複製画。

3006

3006号の運転台。 前後に動くマスコンは非常に斬新に見えた。

1911

鴨川沿いの線路の地下化工事がたけなわになってきたころ、夜行列車に乗る前の時間つぶしに京阪電車を訪れている。 ただし、駅は三条ではなく、七条だ。 1911号、1810系からの編入車だ。

1923

1923号、こちらは当初より1900系として製造された編成。

1803

1803号、1800系はまだまだ使えるカルダン駆動の機器類と、ツリカケ車の車体更新車600系から派生した車体とを組み合わせて生まれ変わった。 しかし、あの1800系の優雅さは消えた。

(今回の写真撮影時期は昭和52年ごろ、昭和57年ごろであると思う)

2015年1月13日 (火)

山陽電鉄、西代あたり。

昭和51年、国鉄寮に入ったころ、意外に近い山陽電車の西代車庫を訪ねたことがあった。 今回はその時の様子と、昭和55年ごろ、並びに震災直前の平成初期のころの写真だ。

当時、西代には車庫があり、板宿との間の区間は下町情緒にあふれていたし、阪神・阪急の電車も頻繁に乗り入れていた。

117

西代車庫の入り口近くに置かれていた117号の廃車体。 戦前の山陽電車の標準型ともいえようか。

250

車庫裏側から見られる位置にあった250形の廃車体。 番号不明だが252号あたりだろうか。

715

700形715号。 ヘッドライトこそないものの、まだ、台車を履いていて、この系列が一両でもいいから残せなかったものかと思ってしまう。

715830

715号の横には青く塗られた830号が・・ こちらは連結面側。

830

830号、試験塗装だそうで青一色に塗られていた。

830_2

後年に撮影した830号、最初のOK台車を履いた意欲的な車両だ。

60

貨車、クト60、前方にあるのはモワか・・

1

モワがちょっと出てきたのでついでに・・後年に東二見で撮影したモワを・・ こちらはモワ1。

5

こちらはモワ5。車内に機器が置かれてしまい、車体側面に扉が二か所必要になったとか。

15

モワ1とモワ5の連結面。

3568

西代駅にて・・ 阪神3561系、3568。

7105

阪神7001系、7105。

7117

道路下をくぐる阪神7117。

7708

上りホームの7708。

5006

阪急5006が駅西のカーブを行く。

2601

ややのちの撮影、2300系2601。

3000

震災直前、3000系トップナンバー。

横にあるのは地下工事の飯場。

5609

登場したばかりの5000系5603、まだ3連だった。

Photo

勝福山からみた俯瞰、線路は仮設で、地下工事が進展していることをうかがわせる。 走っているのは3050系か・・