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私鉄の思い出 Feed

2016年9月28日 (水)

秋のドライブ鉄散歩、加古川・加西。

昭和63年だったと思う。
国鉄を退職、阪急六甲の写真スタジオに弟子入りして、休みの日にふらりとクルマでドライブに出かけた。しかし、そのクルマはまもなく手放し、以後は僕は結婚するまで自家用車を持たない身になったその前の写真だ。
(この頃の写真は他にもいくつかあるので機会を見て出していきたい)

 

2000b_2

さて、最初に行った場所は加古川河畔、それも南端の山陽電鉄橋梁だ。
3050系ニューアルミカーが川の中ほどで、2000系トップナンバー編成と出会う。

 

20003078_2

三菱製紙の煙突が印象的な、ススキ、セイタカアワダチソウ、ヨシからなる秋の河原だ。

2000c

2000Fの編成が見渡せる。
まもなく引退する2000系が最後の踏ん張りを見せていた。

2011

尾上の松方向から2011がやってくる。
ステンレス無塗装、2ドアという特徴的な車体だ。

2010

その編成、2010Fの後追い。
ステンレス無塗装のコルゲート付き2ドア車体はサロ153のほかにはあまり例がなく、こうして見るとやはり美しい。

僕は個人的には過去現在を通して、山陽が作り上げた電車の中で最も美しい電車であると思っている。

3012

旧塗装の3012F。

3028

こちら3028・・当時は3550形を挟み4連だった。

3050

3050系、新旧塗装が出会う。

30503000

こちら、3000系と3050系、新旧塗装の出会い。

3050_2

その3050系、旧塗装編成が去る。

3051

3051号とセイタカアワダチソウ。

3554

こちら新塗装だが2000系改造編入の3554号。

5012

まっさらの5012F、相次ぐ5000系の大量増備で釣りかけ車を一気に置き換えたところ。

5603

こちら後追いの5603号。

すこし北へ歩き、新幹線の線路を眺める。

Tec0

折よく0系先頭車のサイドビュー。
しかも、すでに珍しくなりつつあった大窓車だ。

Tec0_2

その編成、長い16連が下っていく。
「ひかり」だろうか。

Tec100

100系がやってきた。
当時、新車だった100系が来ると嬉しかったものだ。

Tec100_2

100系中間の食堂車とグリーン車。

1985

このあと、クルマを北へ走らせた。
晩秋の播州といえば語呂がよいが、なんとなく悲しい気分の作画になった。
向かった先は北条鉄道だ。

播磨横田駅。

Photo

網引駅の線路。
三セク化されたばかりの北条鉄道は今とは違い、ひっそりとしていた。

19851

網引付近のレールバス、フラワ1985-1。

19851b

雨の少ない播州だが、秋は天候不順なことが多い。

1985_4

法華口に入っていくレールバス、ラッシュ時に差し掛かり2連になっている。

1985_2

法華口に停車する2連のレールバス。
この当時の法華口は今にも崩れそうな駅舎、如何にもローカル線の悲哀を感じさせるものだった。

1985_5

発車していくレールバス・・
通勤の高校生が歩く。
このローカル線風情あふれる・・しかし、先が見込めなさそうな景色を大変革した今の北条鉄道から学ぶものは多い。

1985_6

すっかり日暮れた田園風景の中、ヘッドライトを灯して2連のレールバスがやってくる。
今の華やかさなどおよそ想像もできなかったころである。

(eoブログから新規の加入を中止する旨発表がありました。本ブログもまた・・行先を考えねばならないかもです)

2016年8月14日 (日)

長崎の夏は暑かった。

今からちょうど30年前、国鉄を退職前提の休職としていた夏、九州への旅をした。
今の夏とさして変わらない猛烈な暑さの夏、とりわけ長崎はとにかく暑かった。(ただ、この旅行で、僕がどういうルートを取ったかが記憶にない。すでに愛用の夜行急行は全廃のあと、アルバムには芸備線のあとにいきなり甘木線、そして長崎が写っていて、さて・・新幹線で九州入りしたのだろうか)

なお、長崎の「冬」はこちら

撮影後30年、撮影場所の記憶もほとんどなく、場所など、お分かりの方にはご教示いただきたいと思う。
(撮影場所について、地元におられたnumber8さんにコメント欄でご教示いただきました。
本文中で訂正させていただきますとともに謹んでお礼申し上げます。)

86208


208号、西浜町あたりか・・
(賑橋とのことです・・以下、括弧内はご教示いただいた正しい撮影場所です)

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214号、電停で降りて道を渡ろうとする人たちの雰囲気が猛暑を物語る。
(築町)

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215号、大浦付近か。
(出島)

86215_2


その215号、電停での様子。

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302号、真っ青な空の下、思案橋。

86304


蛍茶屋、304号。

86306


西浜町あたりか、306号。

(築町)

86306_2


同じく306号、場所はどこだろう。。。
(長崎大学前)

86309


蛍茶屋の近くか、309号。

86365


新大工町365号。

(昭和町とのことです)

86505


長崎大学前、505号。

見るからに暑そうだ。

86508


夕方になると少しは涼しくなったのだろうか。長崎駅前、508号。

86704


東京からやってきた704号。これも場所はどこだろう。(公会堂前)

86704_2


その704、別の角度で。

861051


仙台から来た1051号、番号の附番が仙台→千台、51年に入線ということで決まったとか。。(長崎駅前)

861202


軽快電車の車体に旧車流用の足回りを付けたのが1200形、1202号。
(昭和町通り)

861202_2


1202号の俯瞰、新大工町。

(昭和町通り)

861204


1204号。(昭和町通り)

861205


1205号。(長崎大学前)

862001


長崎駅前、2001号。

国の政策転換で日本の工業力の粋を集めた軽快電車、今のLRTのはしり・・だ。

この当時、僕はかなりの頻度で長崎を訪問していた。

それは長崎の電車が魅力的だったことと、夜行急行「雲仙・西海」の存在が大きかったからだ。

夜行急行が廃止されたこの時、僕は新幹線で九州入りしたのだろうか。
僕はこのあと、27年ほど九州には行っていないということになる。そして、長崎には未だに再訪できていない。

今の僕にとって長崎は遠い。

さて、この年だったか、春先の長崎で撮影したモノクロ写真を参考に挙げる。

155


155号、木造車で当時朝ラッシュ時のみ走っていた。
車内には電鈴の紐がむき出しで見えていて車掌が乗務していたように思う。
(長崎駅前)

1054


1054号、仙台からやってきて間もない時のものだが、今、この車両はシドニーで保存されていると聞く。(長崎駅前)

2001


導入されたばかりの軽快電車2001号。

浦上付近にて。(大橋)

この車両は最近、引退したと聞く。
僕が長崎を訪ねたのがそれだけ「昔」になってしまったということか。

Photo


最後に、長崎の夏…ほとんど撮影の記憶がないが。あの猛烈な暑さだけは体に残っている。
夏を迎えるたびに、またあの長崎へ行きたいと思うのだが。

2016年6月11日 (土)

昭和58年、南海電車大和川あたり

夏の暑い日だったと思う。

なぜにここを訪問したかは覚えていないが、その日の暑さだけは記憶にある。
今回は主に高野線、阪堺線だ。
(なお、前にも書いたが本ブログでは南海電鉄の車両で高野線6201系までの系列については、末尾の数時1の系列名を、本線10000系以降の系列については末尾の数字を0にした系列名を採用している。また今回、サザンの10000系車両は登場しない)

6001


当時の主力、6001系。
ステンレス無地の車体が今となっては神々しくさえ感じる。
バッド社の技術では南海独特の柔らかいデザインは難しかったようだが、メーカー、鉄道会社の努力で見事に形になった好例。
美しく、上質な電車だ。

6101


6101系、今、6300系と名を変えて健在だ。

側面の下降窓が新しい時代を感じさせる。

6114


6101系、6114のサイドビュー。

なぜに今の南海はあんな派手な意匠を、このような美しい車両に施すのか・・疑問ではある。

61016201


6101系と、当時の最新鋭、6201系が出会う。

この6201系は今、VVVF化とともに、大掛かりな更新工事を施され健在である。

220014


高野線急行用、22001系が行く。

この風格!

緑色の時代の南海は、阪急に勝るとも劣らぬ風格を持っていたといえば言いすぎか。

22008


22008サイド。

2ドアのスマートなデザイン、ただ、このころ高野線急行の混雑は激しかった。

220005


その編成の難波より、22005サイド。

これほど均整の取れた通勤車両というのはなかなか存在しない。

3000


泉北高速3000系、当時はまだ100系もいたと思うが、南海6201系に合わせた3000系も撮影していた。

今も健在だし、一部が南海に移って活躍している。

200013


当時の高野線のクイーンといえばこの電車、20001系だ。
列車は極楽橋への「こうや」号。

私鉄界最高峰のデラックス電車でありながら、一編成しか製造されず、長年、孤軍奮闘してきた名車といえる。

200012


その列車が接近する。
今のように高倍率のズームレンズは一般的ではなく、単焦点レンズのためにいったん決めたアングルからの脱却は難しい。

全景を撮影できないまま。。列車の接近を迎えた。

20001_2


サイドビュー、当時とてデザイン的には古さも感じさせたが、この雰囲気!

私鉄の華やかさを振りまいて、沿線乗客の羨望を集める。

20001_3


後部。

時刻表をきちんと読まず、それゆえ、中途半端となった一世一代のスターの姿。

だが、今となってはよくぞ撮影していたと当時の自分をほめたい。

6001


移動中、国道の橋梁から高野線6001系の姿を。

501
阪堺線モ501形、雲の意匠が印象的だったころ。

7001


南海本線7001系、1001系「四国」号のない南海本線は当時の僕にはもの足りない路線だったかもしれない。

高速道路と緑の電車の組み合わせ・・シンプルさがかえって都会のイメージだ。

2016年5月27日 (金)

雨の熊本駅前と、熊本市電訪問の記録。

昭和58年、春の旅行は西・南九州方面だったが、この時、ほんのひと時だけ熊本駅前で熊本市交通局=熊本市電の電車を眺めた。

この旅行唯一の雨、それも土砂降りで、雨に恐れをなした早々と退散したのが惜しまれるが、熊本市電にはこの前に一回訪問しているし、この後、何度か訪問することになるが、後半ではその時の写真も入れていきたい。

1207

1207号車がやってくる。

昭和53年に改造された日本の路面電車最初の冷房電車であり、特筆されるべき存在でもある。

1207_2

その電車は熊本駅前止だった

折り返しの準備をしているところ。

1207_3


発車していく。

8202


続いてやってきたのが当時の最新鋭、なんと日本最初のVVVF電車、8202号だ。

九州産交バスの雰囲気が懐かしい。

8202_2


大雨の中、8202号が接近する。

駅から南へ行った先の田崎橋行だ。

8202_3

止まぬ雨の中、その電車が折り返してきた。

8202_4

8202号が去っていく。

1095

1095号が土砂降りの向こうへ去っていく。

さて、初めて熊本へ行ったのは昭和54年、夜行急行「阿蘇」で先に熊本電鉄を訪問してからだった。

1205


なんとも田舎の中心都市駅前といった風情だった熊本駅前にて1205号。

1097こちら1097号。

1091

1091号、熊本市電は当時、ほとんどの電車の正面デザインを統一していたからあまり面白みはないように感じた。

しかも、同じ統一するのでも松山のような落ち着きがデザインからは感じられない。

今の洗練が嘘のような当時の姿だ。

1208


そして日本の路面電車、冷房化第一号、1208号。
今にも廃業しそうだった熊本市電はこの時、再生への一歩を踏み出していたと僕は思う。

こちらは昭和58年に訪問時のもの。

宿泊地熊本市内で、交通センターの近くだったと思う。

チェックインしてから路面電車の夜景を見て歩いた。

1083

1083号のサイドビュー。夜の路面電車にはなんと見えない開放感があり、僕は良く、宿泊した街の路面電車を夜に乗車している。

1205_2

1205号のサイドビュー、側面は各車それなりに変化があるのだ。

Photo


花電車。

神戸や大阪の花電車を知る僕にとって、その花電車のイメージそのまんまの嬉しい電車だった。

2


この日は夏まつりか何かだったのだろうか。

電停で電車を待つ人たちも驚いて花電車を眺める。

8502


8502号、外観は日本最初のVVVF電車8200形と似ているが、旧車の部品を流用した形式だ。

熊本市電は少しずつ洗練されていく。

1201


3年前、ほんの少し、熊本市電を訪れることができた。

熊本駅前は凄まじい変貌ぶりで熊本市は大都会だった。

そしてあの頃のように1200形1201号。

9702

洗練された連接車、9702号。

今や熊本は広島・長崎・富山に次ぐ路面電車都市でもある。

1063

最後に、熊本城と1063号。

この度の大地震で市電も大きな被害を受けたと聞く。

市電はすでに前線復活していて、頼もしい限りだが、どうか熊本市民の方々の生活の復興、また、熊本城などの地域の象徴、そして南阿蘇鉄道や豊肥本線など鉄道路線の復興を心より祈る。

僕らもあの時、日本中から応援をいただいた。

「頑張ろう、熊本!」

2016年4月24日 (日)

南阿蘇鉄道を訪ねた日

この度の熊本・大分両県にわたる地震災害において、亡くなられたすべての方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災されたすべての皆様が一日も早く普段の生活に戻られますよう、深くご祈念申し上げます。
また、南阿蘇鉄道はじめ被災地の鉄道路線が一日も早く旧に復することができますようお祈り申し上げます。

昭和61年8月、すでに僕は国鉄は休職として、写真屋でアルバイトをしながら基礎を教えてもらっていて、なかなかまとまった休日を取るのは難しかったが、友人たちと九州への旅行に出た。
その時、広島→筑豊→長崎→島原と旅をして、熊本から大分に向かう途中に立ち寄ったのが「南阿蘇鉄道」だ。

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熊本を朝立って、立野へ向かう・・朝の急行に乗ったのか・・記憶が飛んでいて判然としないが熊本9:29「火の山1号」で向かったものと推察される。立野駅でのその急行列車。
立野での接続は非常によく、すぐに高森行きの軽快気動車に乗ったように思う。

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そのまま高森まで行った・・記憶はないのだが、今回、ポジを探し出してみるとしっかり高森駅が写っている。

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高森駅構内と思しき場所に停車しているMT2000形。2連で停車している。

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構内の2連を駅外からだろうか。

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その反対側。

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トロッコ列車編成、当時、いまだ雑誌等に記事がなく、ただ、交通新聞あたりで情報を仕入れてここに来たように思う。
で・・国鉄の構内入換機が、堂々と旅客列車編成に使われているのに非常に驚いた。

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この日、次の「阿蘇白川」駅まで歩いたように記憶している。
距離としては4キロ弱、歩けない距離ではないのだが・・その「阿蘇白川」駅。

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ここでは喫茶店が営業中で、ピラフをいただいたように思う。
喫茶店の女性はとても素敵な方だった印象が残っている。
阿蘇白川駅のホーム側。

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さて、多分、ここに行きつく前に撮影したのだろう。

トロッコ列車がやってきた。さきほどのDBに挟まれた編成だ。

さほど暑かった印象がない・・写真で見る限り、阿蘇高原の空気は涼しげだ。

B


トロッコ列車がゆく。

時速20キロほどだろうか・・恐ろしくゆっくりした列車だ。

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今のように高倍率ズームなどない時代、短焦点レンズを付け替えても十分撮影できる速度だ。夏空の下、なんだか超越した感のある列車が遠くなっていく。

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しばらくして、下り(つまりは登り)のトロッコ列車がやってきた。

今度は気動車を一番後ろにつないでいる。

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この列車も気動車が後押ししているとはいえ、低速だ。

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列車が視界から樹々の向こうに・・

このあと、阿蘇白川から列車に乗り高森へ・・
高森駅での写真はその時に撮影したのかもしれない。

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超越した時間を過ごした僕らは、やがて立野に帰ってきた。大分行きの急行列車までは時間がたっぷりあって、立野駅周辺でぼうっとしていた。
立野駅舎。

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立野駅に停車する南阿蘇鉄道の軽快気動車。

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国鉄の普通列車。

B_2


阿蘇の外輪山を背景に、おとぎの国のような列車が目の前をゆっくり進んでいったあの風景はあれからちょうど30年がたった今でも忘れることができない。

どうかどうか、阿蘇の地の人々よ、災害なんかに負けず、踏ん張ってほしい。
そして愛すべき小さな鉄道もどうか旧に復することを!!

2016年3月30日 (水)

春のうた

はじめに・・本ブログの記事はIEでは「互換表示」をONにしてくだされば最適な状態で閲覧できます。スマホからの場合は最下部に「スマートフォン専用ページ」と表記がると思いますので、そこをクリックして専用ページにしてください。

なお、MS・Edgeでは写真に合わせて文章が表示されない状態になっています。

Facebookグループ、「国鉄・私鉄の思い出」では時に僕が「お題」を出して。参加されている方々の力作を投稿してもらっているが、桜の開花にちなんで「春鉄」のお題としたところ、いつもよりさらに盛況に、しかも、華やかな力作がそろうという素晴らしいことになった。

本ブログはこのグループの親元であり、ここでも「春」にちなんだ写真を出しで見ようと思う。

基本的に本ブログにおいては未公開の写真でまとめてみた。

2300

地元、山陽電鉄線、須磨浦公園での1991年の作品集から。

満開の桜の中、可愛い風貌の山陽2300系電車が行く。

7000

車番はわからないが、当時の状況から見て阪急7000系か・・桜の中に電車の頭が見えた。

7020

阪急7020F、当時の僕はソフトフォーカスが大好きで、しかも半逆光気味の写真作りが好きだった。女性ポートレートの手法だが、何も列車までそうしなくてもいいのにと今になれば思う。

70208219

その阪急7020と阪神8219?が出会う。

7022

阪急7022F・・このころ、日曜日の阪急は普通列車のみの乗り入れだった。特急ということは平日の撮影だろうか。

7023

阪急7023F、こちらは普通列車での乗り入れとなっている・・

同じ日に撮影したはずなのだが・・

7101

満開の桜の先を阪神赤胴車がいく・・形式・番号は不明だが7001系あたりではなかろうか。

7111

阪神7111、やはり阪神といえばこの色合いとこの顔立ちだろう。

須磨浦公園駅で並ぶ阪急・阪神。

82297223

阪急は7223、阪神は8229と読める。

3050

山陽3050系トップナンバー、3050F。

5000

山陽5000系トップナンバー、5000F。この頃、山陽5000系は6連が三編成できたばかりで3連・4連が基本だったと思う。

沿線小学校生徒の作品を中吊にした「クレヨン」号だ。

5002

こちらは5002F、看板は「潮干狩り」だ。

5602

5602、編成は5004Fのはずだ。

5605

桜の下を清々しいアルミ色の電車が走る。

5605だ。

2000

ちょっと違う場所の春の風景も。。

九州は遠賀川、直方市の筑豊電鉄線・・春というより早春の雰囲気だ。

菜の花畑の上を連接電車が走る。

1200_2

菜の花をアップにして、電車をぼかしてみた。

最近、なかなかこういう勇気が出ない。

Hot7000

智頭急行線開通まもないころ、恋山形付近でのHOT7000系気動車。こうしてみると、この気動車の先頭貫通バージョンは国鉄気動車特急の雰囲気を今に受け継いでいることが分かる。

103最近の撮影も・・

大阪環状線桜ノ宮駅の103系電車。

いよいよ103系にとって最後の春になるのかもしれない。

63526353

阪急嵐山線松尾駅・・

専用車となった6300系が春を満喫しているように見える。

5603

須磨浦公園駅、3年ほど前の撮影だ。山陽5000系5603、6連化され直通特急で走る。まもなく夜桜の時間帯だ。

3012

最後に再び1991年の春へ・・

山陽3012F、姫路へ向けて去っていく・・

時は流れる・・毎年来る春も、限りある人生にとってはまた限りある出会いでもある。

2016年3月 4日 (金)

加悦鉄道、鉄道営業の記憶

加悦鉄道の在籍車両のすべては、今も「加悦SLの広場」で見ることができるし、一部は動態保存もなされ、時としてイベントで動く姿を見ることもできるので、「思い出」としてはそれほど珍しいものではない。

だが、今の加悦駅舎があるのはかつての鉱山駅跡地であり、加悦駅はかつては町の中心部にあった。

ここでは、営業していた当時の加悦鉄道をしのんでみたいと思う。

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初めて訪問したのは京都からの急行列車でだっただろうか、丹後山田まで神戸からえらい時間がかかったように思う。友人と丹後山田駅。昭和53年ごろか。

丹後山田はのちに野田川、さらに現在では与謝野と名称を変えた。

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駅に停車していたのはキハ51で、もとをただせば芸備鉄道の大型気動車、大型ながら前後にバケットを持ち、かつてはキハユニということだから合造車だった由・・芸備鉄道国有化ののち、舟木鉄道を経て加悦へ来た。

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ホーム側から見た様子
この閑散とした駅でも国鉄急行が停車したように思う。

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キハ51の車内、行商人らしいおばあさんが乗車してきた。

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運転台、なぜにもっと上から撮影しなかったのか不明・・向かいの座席に座ったままで撮影しただけか・・

列車は、貧弱な線路を船のように大きくローリングしながら進んだ。これと似た乗り心地は京福電鉄福井支社での南海11001形運用の列車で感じたことがあるが、あちらは少なくとも時速70キロ近くは出ていた。こちらは自転車程度の速度だが別府のハフ7よりも乗り心地は悪かったように記憶している。揺れると座席どころか窓枠までもが同じように揺れた。

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加悦に着いたキハ51。

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特徴的な駅舎とキハ51。

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キハ51のおでこ。。

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加悦鉄道には何度も訪問していて、実は白状すると神戸からドライブではちょうどよい距離でもあり、ガールフレンドを連れての訪問も数度あった。

これは雪の残る車庫風景、キハ083がいる。

Dc351083


DC351とキハ083、ターンテーブル。

Tmc100


除雪用TMC10、キハ101。奥に083。

101


キハ101、珍しい片ボギー、バケット付きの珍車といえるがスタイルは明朗、すっきりしていて当時から好印象を持った。

101_2


こちら、キハ101のモノクロ。

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キハ1013、当時とてすでに珍しくなりつつあった国鉄キハ10が入線した。

1013_2


女の子が一緒だと、ついついこういう写真を撮ってしまう。

キハ1013のソフトフォーカス・・案外、こういう写真が好きだったりする。

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廃止直前だったか・・代替バスの新車両と並んだキハ51。すでに、この代替バスも廃止され、今、この土地には阪急系、丹後海陸交通の路線バスしか存在しない。

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冬の田園を走るキハ083、キハ51よりもっとローリングが大きかった。ただ、さすがに国鉄形で作りはしっかりしていた。

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当時からある保存車両も・・

サハ3104、休憩室に改造されていたがまだ原型も残っている。今、レストランに改造されたこの車両から原型を想像するのは難しい。

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ハブ2、ハフではなくハブとしているのはなぜなのか、今もってわからない。

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ハ10、加悦鉄道自社発注の客車。大阪の梅鉢鉄工所製造。

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ハ10の車内、わずか数キロの鉄道にしては上等の客車だ。

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ハ4995、国鉄、明治期の面影を残す貴重な車両、実は足回りだけ使って車体は廃棄されていたが、のちに別の車両の足回りと組み合わせ復元されたとのこと。

Db201


DB201、森製作所製の唯一の現存機関車と言われている。

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蒸気機関車、2号機。

無煙化を達成すると、過去の機関車などは廃棄されるのが通例だが、加悦の経営者たちは過去の車両も文化財として大切に保管してくれた。元々は国鉄京阪神鉄道の123号で、今では重要文化財に指定されている。

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蒸気機関車4号機。

今の長野電鉄にあたる河東鉄道の4号機が前身。

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蒸気機関車1261号機。

国鉄木次線の前身にあたる簸上(ひのかみ)鉄道出自の機関車。

最初の訪問の際は、この後宮津線で豊岡に出て、急行「白兎」に乗車、米子から「さんべ5号」で九州入りしたように記憶している。

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ついでながら、豊岡駅の急行編成。

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豊岡に停車していた国鉄の新車、まっさらのキハ47、それから30有余年、いまだにこの系列がここを走っているようになるとは思いもしなかった。

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加悦鉄道廃止のその日、昭和60年5月1日、友人たちと例によって北端方面へドライブに行った折、無理を言って加悦鉄道を少しだけ訪問させてもらった。

廃止記念列車と鉄道ファンたち、今、活躍されておられる方、僕の友人の中にもこの中におられる方があるのではなかろうか。

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その時の加悦駅。

別府鉄道や岡山臨海鉄道と異なり、ゆったりとした風景の中に溶け込んでいた加悦鉄道、今、SLの広場としてきちんと整備されているのはとてもうれしいことだ。

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最近の写真から・・

復活運転されたキハ101、関係者の方々の努力に頭が下がる。

2016年1月20日 (水)

別府鉄道、終わりの記憶。

別府鉄道に関してはこのブログではこれまでに何度も出してきたし、ウェブページも作成してきた。

別府鉄道、明姫幹線付近」「12枚撮りに写った別府鉄道」「別府鉄道のデラックス編成」「別府鉄道との出会い

当時、加古川に住んでいた僕にとって、別府鉄道は、初めて興味を持って乗るためだけに行った鉄道であり、山陽本線、山陽電鉄、加古川線、高砂線と並んで鉄道趣味活動を始めたごく初期に撮影した鉄道でもある。

そう考えれば、中学になったばかりの僕がこの鉄道に興味を持てた鉄道趣味界入りは幸運だったといえるのかもしれない。

今回は廃止前年、廃止時の写真を中心に紹介したいが、まずはごく初期に撮影したものをお目にかけようと思う。

なお、ウェブページに既出した画像もあるが、ページ作成時と今現在では作成、読み取りの環境が大きく異なるために、ほとんどを再スキャン、画像サイズを統一している。

昭和50年8月、友人のK君と車庫を訪問した時のカットから。

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旧キハ2、単車の気動車でK君撮影。

戦前にすでに無煙化がなされ鄭田野口線の小型ガソリンカー、レカ2を戦後ディーゼルに改造したもの。

このころは車庫の奥でひっそりと眠っていた。

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こちらもK君撮影、当日僕は小型のカメラを持って行ったがうまく撮れなかった。

ワ124とハフ5だ。

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キハ3、今の小海線、佐久鉄道の気動車だ。

廃止時にはいなかったように思う。先に佐久へ里帰りしたのだろうか。

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キハ101、この写真は昭和50年の11月で、夏に訪問した時、車庫の奥のほうで整備を受けていた大型気動車だ。

同和鉱業片上鉄道からの移籍、まだ、すそ周りの改造がなされていない。

別府鉄道はいわゆる赤字ローカル線ではなく、れっきとした黒字路線だった。といっても収入の中心は貨物輸送で、列車本数的には多かった野口線の赤字を、土山線の貨物列車が埋めていたような格好だ。

その別府鉄道は国鉄が土山駅での貨物扱いをやめると一方的に決め、結局、収入の元が断たれてしまう形で、やむなく路線廃止となった。

それでは廃止前年の秋ごろからの様子を見ていただきたい。

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まずは別府港の様子。土山線列車の入れ替え風景。助役さんだろうか、手旗をもって監視にあたる。

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DB201がハフ7を連れて入れ替え作業をする。

この機関車は新車で入線したが、山陽特殊製鋼の注文流れ、三菱三原製だったとのこと。

ハフ7は言わずと知れた最後のオープンデッキ客車で、混合列車とはいえ実質は車掌車の役割を果たしていた。今、神奈川の相模鉄道に里帰りして保管されている。

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組成された列車の発車準備が整った。

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DD502が混合列車をけん引する。

こちらは新日鉄構内で日本運輸が使っていた機関車だったとのこと。

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その列車の後尾、ハフ7が列車のしんがりにつく。

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廃止間際には別府港構内で使わない車両を展示してくれていた。こちらはごく初期のディーゼル機関車DC302 、もとは倉敷市営鉄道、今の水島臨海鉄道にいた機関車だ。

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DC302の後部。

初期ディーゼル機の雰囲気がたっぷりだった。

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キハ2、最後まで活躍してくれた気動車、もとは三岐にいた昭和初期のガソリンカー。

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キハ101の列車が野口へ向かう。

腕木式の信号が見える。

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キハ101が出ていく・・

裾回りの改造は何のためだったのだろう。

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土山線、明姫幹線南側・・寺院の前をDBがハフを連れていく。

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明姫幹線高架の前を通る・・

今、この辺りはこんなに広々とはしていない。

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明姫幹線をくぐる列車・・鉄道は消えても、この高架橋は今も残る。

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中野駅。

ほとんど使われてない駅だった。

記録では最後まで停留所としての位置づけだったらしい。(これは私鉄研究者のTeddoさんからのご教示)

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川崎重工前信号所。

貨車の入れ替えの際には乗客を乗せたまま、車掌がポイント、連結器を操作して行っていた。

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少し先に行くと田んぼの真ん中にぽつりと鳥居があった。

鳥居のところで撮影する初老の鉄道ファン氏と、接近する列車。

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鳥居の前を行く、ハフ連れのDB。

その先にはちょっとした橋梁・・

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橋梁を行くDD1351牽引のハフ・・

国鉄では小型のDD13も別府に来ると超大型に見えてしまう。江若鉄道にいた機関車だ。

撮影は友人で鉄道社員のO君。

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わが愛車と、そこに居合わせた鉄道ファン諸氏。カメラが急に壊れ、慌てて別のカメラをとってきて、現場に戻るときは愛車を駆った。

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今の大中遺跡あたりを進むハフ連れDB・・

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さて、野口線・・やはり明姫幹線高架橋から俯瞰したキハ101。

今のこの辺りは住宅密集地でこんなに広々とはしていない。

また明姫幹線は大動脈に成長し、まさかこんなところで車を止めるなど考えられないところだ。

当時は部分開通であり、通行量は少なかった。

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円長寺駅。

カラーで撮影したが色情報が失われていたのでモノクロ化している。

ここも今では考えられないゆったりとした場所だった。

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円長寺に停車するキハ101。

野口線は半ば、この集落のための路線ともいえた。

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藤原製作所前。

今のTLV加古川工場の前の駅で、工場そのものは今も盛業中、写真左がTLVで、向かいの工場は今は巨大な葬祭会館となった。

この近くから加古川駅までは今、路線バスが結構走っている。

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野口駅に進入するキハ101。

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国鉄キハ35と別府鉄道キハ101が並ぶ。

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野口駅、いったん列車を北側へ・・折り返しに時間があるときだろうか。

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ホームにたたずむキハ101。

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加古川からまたキハ35が折り返してきた。

別府鉄道キハ101と並ぶ。時刻はすっかり夕暮れのころだ。

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国鉄気動車の後ろはキハ20だった。

別府鉄道キハ101と同時発車する。

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さて、いよいよこの鉄道最後の年、最後の月を迎えた。昭和59年1月だ。

土山線、日本レイルクラブのヘッドマークを付けてDD1351がハフ2両をけん引する。場所は明姫幹線近くだ。

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その列車の後部。

せいぜい時速30キロ、軸受けが平軸受けだからか、列車はエンジンの音以外に、車輪の音を立てて走る。

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野口線も明姫幹線付近で待ち受けた。

広々とした田園風景は今では考えられない。

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明姫幹線をくぐる列車・・この道路を通行するドライバーで、ここに鉄道があったことを事実として知っている人はどれほどいるのだろうか。

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最後の日、僕は国鉄高砂工場で終業まで働いて別府鉄道最終を撮影に出かけようとした。しかし、当日は雪の降らない播州で30年ぶりの大雪、愛車は荒井駅付近の駐車場に止めたまま、山陽電車で別府鉄道に向かった。

野口線最後の列車がやってきた。

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列車は大勢のファンが待つ終着駅へ入っていく。

土山線列車が来る頃には周囲は暗くなっていた。

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当時のASA400トライエックスではいかにレンズ開放値が2.0の35ミリを使っていたとしてももはや動くものを撮影するのは限界になっていた。

DD1351がなんと3両の客車を引き連れて入ってきた。

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機関車の次位はハフ7だが・・2両目はハフ5。

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最後尾にはキハ2がぶら下がっていた。

実はこの光景は記憶から飛んでいて、このたび、この記事のためにネガを見ていて見つけ、ようやく当日の様子を思い出したものだ。僕が、生きている別府鉄道を撮影した最後のカットだ。

0928今も別府鉄道の跡地は特に野口線で遊歩道として整備されている。

先日、この遊歩道を歩いてみた。円長寺付近でレールが残っているのを見つけた。

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近くには一応保存されているキハ2が・・最近、ボランティアの手によって車体の整備と塗装が行われた。

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加古川市別府町中心部の公園にはかつてキハ101も保存されたが、こちらはほどなく荒廃し、あえなく解体されてしまった。

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播磨町の大中遺跡公園にはDC302とハフ5が驚くほど見事なコンディションで保存されている。

なお、別府鉄道という会社は今もきちんと存在し、不動産やタクシー事業を営んでいる。

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山陽電車の別府駅前には懐かしい社章を掲げたタクシーが並ぶ。

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播磨にあった小さな鉄道、赤字ローカル線という存在ではなく、いつも車両は派手な色合いに美しく塗られていたし、鉄道係員もきちんとしていた小さな鉄道・・

まもなくこの鉄道が消えて32年になろうとしている。

雪の日に消えていった地域の鉄道を、今夜のような寒い夜に思い起こすのは寂しくも、ふっと心が温かくなるような愛しい時間ではある。

僕らの記憶があるがきぎり、この愛すべき鉄道は生き続ける。

2015年12月 9日 (水)

山陽3000系全編成健在の記録。

山陽電鉄に20年ぶりの新型車で18年ぶりの新車、6000系がまもなく登場、うわさでは既存車両の大幅な入れ替えが近くあるといわれている。

そこで、今現在、山陽電鉄の主力車両として活躍する3000系のすべての編成がそろう最後の時期であり、高度経済成長期を支えた、中小私鉄としては最多の両数を誇るこの系列の全編成の様子をここに記憶としてとどめておきたいと思う。

山陽3000系は昭和39年、神戸高速鉄道乗り入れのためにこれまでの2000系を抜本的に見直した車両として登場、すべてロングシート、3ドアの完全な通勤型車両だ。

当初登場したのは本邦最初だったアルミカー、2012Fの実績を元に、オールアルミで昭和39年に製造された3000Fと3002Fだ。

なお、本稿で掲載した写真の撮影は古くても昭和50年ごろまでのものであること、ご承知おきいただきたい。

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須磨での3000F、当初3連、後にサハを加えて4連化されている。

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後に3050形新アルミカーに合わせて、正面帯が太くなった。写真は地上仮線時代の西代付近。

3600

この編成のTc、クハ3600・・山陽電鉄3000系は神戸よりからMc・M’・T・Tcで組成されるのが基本、McもM'も3000形を名乗るがMcがクモハ3000で偶数、M’がモハ3000で7奇数、Tcがクハ3600形、Tがサハ3500形だ。なお、車番は形式名から始まる・・つまりゼロ番が第一号車となる。加古川橋梁にて。

3001

今現在の3001の車内。

登場から50年を超えるが美しく整備されている。当初は座席はグリーン、天井照明にはグローブが付いていた。

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工事中の舞子公園駅に停車する3600。

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こちらは3002F、地下化工事が始まる前の西代付近。

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昭和52年ごろ、須磨で3600と3601が並んだ。

3004

神戸高速開業に際し、多くの車両が必要になるために、コスト面から普通鋼製車体となった3004F。当初、前面・側面の行き先・種別表記は散りつけられていなかったが、後の増備車に合わせて行き先表示が取り付け・・その際、改造車は機器が正面に飛び出した格好となった。これはほかの編成はすべて後に正面ドアの交換が行われたが、この編成だけは今現在も飛び出した行先表示器を持っている。ごく最近の撮影・・大蔵谷駅。あまりにも原形を保ちすぎていて、今後が心配になる。

3602

的形付近を走る3004F、Tc3602。

旧カラー時代だ。

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3006F、飾磨にて・・網干線ワンマン対応改造がなされた編成で、3200形以外の3000系列では唯一。飾磨にて。

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3008F、雪景色の阪急神戸線を快走・・かつては阪急六甲まで乗り入れていた。

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その編成の旧カラー時代、滝の茶屋で3604。

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3010F、阪急御影駅西方の折り返し線で待機する様子。この編成は後に3200系化され、今の車番は3210F。

阪急線では免許上は御影までの乗り入れ、客扱いは六甲までで、御影手前で折り返す。

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こちら、今の、3210が3012と出会う様子。霞ヶ丘。

山陽電鉄では既存3000系のリニューアルを進めていて、今後もリニューアル済みの編成に付いてはある程度安泰であると言う話もある。

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3012F、旧色時代の須磨浦公園で。

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3014F、こちらも須磨浦公園、旧色時代。

30163001

3016F、ごく最近の霞ヶ丘で、3002Fと並んだ様子。

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3016FのTc、3608、高架前の電鉄明石にて。旧色時代。

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3018F、この編成はTcが2両つながる、変則的な編成だった。旧色時代、須磨浦公園。

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加古川橋梁にて、3609の次位に3619がつながった様子。

4連化の増備の際、TではなくTCを製造、後にMC、M'を製造して、これに2000系改造のT、3550形を挿入した。その際にTc3619が1両だけ余った形になった。

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3020F、数年前の霞ヶ丘にて。

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藤江付近を行く3022、旧色時代。

この編成から中間M’車の屋根がパンタ部分のみ、やや低くなっていた。

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この編成のTc、3611、次位に2000系改造のT、3551を連結して4連となっている。加古川橋梁にて。

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3024F、地上時代の西代にて。中間に3552を挿んでいた。

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ニューカラーのごく初期、僕が初めて見た3000系新塗装、一時的に3連化されていた3024F、飾磨にて。

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3026F、滝の茶屋にて。

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3028F、林崎付近。

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この編成のTc、3614、高砂線列車を追う様子、加古川橋梁にて。

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3030F、こちらも林崎で。

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この編成のTc、3615・・次位に2000系改造、3555を連結している。加古川橋梁。

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3032F、須磨浦公園にて。

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この編成には中間に3556号が連結されていた。こちらは加古川橋梁で。

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3034F、須磨にて。後に3200系化され、今の車番は3206F。

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大塩付近を走る3034F、中間に3557号を連結している。

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その3557号の様子。

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3036F、非冷房3000系最後の増備。この頃には冷房化されている。藤江付近。

この編成も3200系化された。今の車番は3208F。

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この編成のTc、3618、2000系改造の3558が連結されている様子が判る。須摩浦公園。

この昭和50年代当時、3000Fから3016Fまでは新製の3500から3508までのTが連結されて4連に、3018FにはTcの3609を中にいれて4連に、3020Fから3036Fには2000系2002F~2006Fまでの編成をバラして、3ドア、ロングシート、付随車化、といった改造を施した3550から3558までのTを中に入れて4連化されていた。

ここから3200形編成。

2000系の一部を電装解除して、編成をバラし、3000系のTに改造したことは先に述べたけれど、その際に余剰となった主電動機を使った車両が3200形で、外観は全く3000系後期型と同じだ。

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3200F、平松にて。

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3202F、最近の撮影。網干付近。

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この編成の旧色時代、先頭は3621。

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3204F、こちらも最近の撮影。高架の西飾磨にて。

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この編成の旧色時代、地上時代の西代付近。Tcは3622。

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ここより3050形。

いよいよ山陽電車でも通勤冷房車の製造と言う時代になった。

当初より冷房装置を搭載し、車内を見れば平天井、並行する国鉄とは一味もふた味も違う気持ちの良い冷房車の登場となった。

当初は4連で登場した。

昭和47年登場、3050F、これは最近の大蔵谷にて。

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この編成の旧色時代、別府にて・・Tc3630、線路脇の架線柱は大正時代の神姫電鉄開業時からのものだ。

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3052F、阪急三宮。最近の撮影。

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新色になってからだが、Tcは3631、一の谷。

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3054F、加古川橋梁にて旧色時代。

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3056F、この編成からエアサスにグレードアップした。藤江付近。乗り心地が非常に良いのが印象的だった。

 

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この編成のTc、3633が3604と改装前の姫路駅で並ぶ。

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3058F、旧色時代、須磨にて。

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この編成のTc3634。

30603060F、数年のブランクを経て登場した新車、当初、運転台窓回りのゴムが黒色で驚いたものだ。加古川橋梁。

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同じく、須磨浦公園内で。

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3062F、加古川橋梁。

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3064F、ごく最近の撮影、急行にあたる「S特急」で運用される様子。霞ヶ丘。

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この編成のTc、3637がかつての特急ロマンスカー、855と姫路駅で並ぶ。

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3066F、林崎付近。

昭和56年、久々にアルミカーとして登場、ただし、先頭Tc車は鋼製車体、Tはほかの編成から持ってきたもの、3508だったろうか・・後にTも新造された。

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3068F、晴れて無塗装、赤ライン付きで新生山陽をアピールした。最近の撮影、舞子公園にて。

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3070F、この頃は毎年1編成、新車が見られた。須磨浦公園。

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3072F、最近の撮影、舞子公園のJR跨線橋を俯瞰。

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3074F、これも最近の撮影、大蔵谷にて。

この編成は5000系転換クロス化で余剰になった固定シートを使ってセミクロスシートに改造されている。

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3076F、この編成もクロスシートに改造されたが、3074・3078とあわせて、一時は3連でいつでも6連にして5000系運用の穴を埋められるようになっていた。なお、Tは3000Fから抜いた3500だ。

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この編成のTc、3642が6連特急の運用にはいっているところ。姫路駅。

3078

3078F、この編成も6連予備のための3連だったが、今は3002Fから3501を抜いて4連化されている。

最近の撮影、須磨寺にて。

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この編成の車内。なお、クロス改造車はいずれもMc、M'、Tcのみで、T車はロングシートのままだ。

これは特急予備車時代に3連で運用されていたことによる。

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3100F、将来の6連化を予想して増結用に使えるように作られた編成で、Tcは鋼製車グループで余剰になっていた3619を連結した。登場当時の東二見車庫で。

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3100Fは一時的に4連化されて特急運用にも使われた。

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Tcに抜擢された3619は鋼製車ながら、淡いグレーに赤帯、ドア部分はステンレス地肌と言うアルミカーのような塗装を纏い、異彩を放っている。

4連、霞ヶ丘にて。(現在はこの編成は3連だ)

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このほか、2700系→2300系で活躍した2編成が一時的に3550形置き換えのTとして3560形を名乗り、編成に挟まれたことがあった。写真は3562、霞ヶ丘。

今秋、山陽電鉄では誕生50年を越えた3000Fの赤帯を登場当時の細いものに変更してくれた。

それもテープなどを使わず、かつてのように赤いプラ板で精巧に作った帯を、磨きぬいた車両正面に取り付けてくれた。

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写真は新装成った西新町高架線をいく3000F。

ちょうど、僕が写真を撮り始めた頃のデザインで、非常にうれしい。

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そして、鉄道退職後の僕が写真の修行をした阪急沿線の入り口・・阪急神戸三宮駅でのTc3600と阪急8000系のトップナンバー編成、8100との出会い。

これだけでも当時をしのんで涙も出てくる・・まさに青春の光景の再現でもある。

いよいよ、次の春が来ると3000系編成の中から、離脱する編成も出てくる。

山陽3000系は僕にとって身近で親しみやすい、私鉄電車の代表格のような存在、どうか、少しでも長く走ってくれよと祈りながらこの長い文章を終えたい。

2015年10月14日 (水)

都電荒川線

日本の路面電車受難の時代、首都東京においても大阪や神戸と同じく路面電車=都電の廃止がなされていたけれど、専用気道が多く、道路交通への影響がほとんどない荒川線が残されていた。

これは非常に羨ましいことで、神戸や大阪ではこういった路線がなく、市電の姿そのものが街中なら消え去ったのに、東京では都電の姿がわずかに一路線とは言え、残ることになったのだ。

路面電車ファンを自認する僕としてはこの路線は見に行かねばならず、初めての東京訪問時にも京急・小田急・京王などと並んでこの路線を訪問したのは、僕の趣味の方向性が路面電車にも重きをなしていたことを意味するのだろう。

7058

さて、昭和52年の東京、大塚駅前の様子から・・まだ未更新の7000形7058号。

7077

こちら7077号。

7084此方は7084号。

線路の立派さに驚いたものだ。

75037503号、まだ原形の美しさを保っていた。

75032

去りゆく7503号。

70007000形の出会い。

75047022

ここよりはこの数年後、二度にわたって改めて訪問した際のスナップ。

更新された7504と7022の続行。

70127012号。

70187018号。

702575157025号と7515号。

70277027号が大塚駅ガード下の電停に停車する。

75087508号。

750827508号は大塚駅どまりだった。

75167516号。

75162

去りゆく7516号。

7504車内から7504号。

停留所は不明。

7515学習院下7515号。

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7000形の運転台。

7001早稲田付近か、7001号。

70107010号。

70167016号と鉄道ファンの方々。

このときに出会った年配のファンの方々には、僕が東京ものでないことが分かると散々バカにされたような話し方をされた。「城南だけど、知らないよね」知らんわ。。。

75207520号。

この風情は捨てがたいものがある。

75157025_2もう一度、大塚駅前の7515号と7025号、7000形は東海道線尼崎の西にあるアルナ工機においておるのをよく見かけた。

日本の路面電車が受難から発展へ・・そのきっかけになった車両であると思う。

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国鉄の線路上には非冷房の103系が。

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2012年にここを再訪することが出来た。

あまりの激変ぶりに言葉を失った。

それでも大塚駅ガード下の電停には7000形も。

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そして30年ぶりに出会えた7025号。

 なお、白状すると・・僕はいまだに大塚駅前から三ノ輪橋への区間は未乗だ。

あの、地元鉄道ファンに馬鹿にされたことがトラウマになった・・わけではない。