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2015年9月26日 (土)

Photo Archive 改めて湘南形二枚窓の電車を思い返す。

昭和25年、国鉄としては画期的な電車による長距離運転を実現した80系が登場、当初は半流線型3枚窓のデザインだったが、このデザインが戦前最盛期の国電デザインに比しても何となく間の抜けた感じであり、二次車からは思い切ってデザインを変更、流線型二枚窓という全く新しいデザインとなり、一世を風靡するようになる。

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初期、一次形、名古屋にて。

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夢前川の80系電車。

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播州赤穂駅に入る80系電車。

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 こちらは夢前川橋梁東側の築堤にて、クハ86300代先頭。

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国鉄ではこの後、この電車のイメージを気動車、機関車にまで反映させる。 気動車では電気式キハ44000型がこのデザインを採用。後にキハ17系液体式気動車群が登場してからは合造車や郵便荷物車などに改造された。  写真は加古川駅に入るキハユニ15、変わった顔立ちが印象的な3号車だ。

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こちらは加古川駅で荷扱い中のキハユニ156、加古川線には3両のキハユニ15がいた。

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 機関車、電気式ディーゼル機関車、DD50、米原駅構内にて。

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当初評判の良くなかった戦後復興期の大型電気機関車、EF58は大規模な更新工事を受け、その際に車体を流線型二枚窓に改められた。 今も人気の高い機関車だ。 写真はEF58トップナンバー、宝殿にて。

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EF5880、流し撮り、流線型EF58の顔立ちの何と美しいことか。

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 70系電車、府中電車区。 80系が正面と側面がややアンバランスなイメージがあるのに対し、上下に拡大された二段式の側窓、明るいクリーム主体のツートンカラーで登場した70系のデザインは品がよく、国鉄が作ったこの種のデザインでは白眉ではないかと思う。

しかし、国鉄で湘南形二枚窓を採用したのは量産車ではここまでで、これ以後、電車・気動車は使いやすい貫通型、特に電車急行、近郊型電車にはパノラマミックウィンドウと組み合わせた格調高いデザインが中心となった。 だが、私鉄では国鉄デザインよりさらに良いものをと、一種独特の湘南形風二枚窓デザインを採用した会社もあり、全国手に大流行、さらに昭和40年代になっても湘南形二枚窓を基本としたデザインを採用すr会社もあるなど、大きな影響があった。

2023

京王帝都のグリーン車、2023、京王八王子にて。

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 3000系ステンプラカー、明大前。

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 更新車、3772、明大前。

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 名鉄5000系、一種独特の流線型、丸い車体は国鉄デザインのはるか上を行った。 日本車両と名鉄の意欲が表に出た形だ。

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東急5000系、写真は熊本での様子だが、これまた独特の軽快さで私鉄らしい車両だ。

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 移籍先の長野での様子、赤系統の塗装がよく似合う。

2001

その長野電鉄が近代化初期に特急用として投入した2000系、名鉄5000と同じメーカーで、似た雰囲気ながら独自路線を行く。

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西鉄1000系、3ドア改造後、やや野暮ったい、面長なデザイン。 この、独特の風貌がまた魅力だった。

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神戸電鉄300系、阪神3011系は早くにその姿を変えてしまったが、その香りが漂う。

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 南海、11001系→この頃は1001系改造後。 新今宮駅。 国鉄湘南形二枚窓を基本にしたデザインでは、もっとも完成度の高いデザインだと思う。 側面と正面のバランス、長い車体、そして明朗な緑濃淡のカラー。

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南海21001系、11001系と同じ系統のデザインだが、車体サイズが短く、トンネル限界の関係で屋根が低いので微妙に印象が異なる。 なぜか、関西私鉄は湘南形デザインには消極的だったが、南海はうまくこのデザインを昇華させ自社のものとした。

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富山地鉄181、14780系の制御車、長野・名鉄と同じメーカー、日本車両による意欲的な作品で、正面の傾斜はないが、塗装と相まって独特の風格を感じる。

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近鉄800系、湘南形二枚窓のアレンジとしてはデザイン的にも一歩抜きんでているように思う。

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 近鉄409、更新車にも湘南デザインが登場したが、こちらは800系に比すとバタ臭い感じがする。

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 近江鉄道132、近江鉄道はこの電車をすべて自作。 自作でもここまで見事な車両にできた・・驚嘆に値する。

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大井川鉄道(元北陸鉄道)6050系、湘南形デザインを一歩進めた、大型パノラマミックウィンドウ、アルミ車体という大変な意欲作。 これも日本車両の手によるもの。

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茨城交通ケハ601、ステンレスの気動車、車内は通勤型仕様だが、その存在感は大きかった。

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福井鉄道200形、これも日本車両の手による意欲作。 湘南形と101系デザインを合わせ、車内は111系、そして連接車という車両で、今も残るが福井鉄道LRT化により、去就が注目されている。 写真は武生新における準急→急行への変更作業。

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 伊豆箱根1000系、西武系の鉄道は二枚窓がとても好きだけれど、ここの車両は一味もふた味も違っていた。

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二枚窓電車が3編成並ぶ。

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十和田観光、1205、三沢にて。 北海道・札幌で電鉄を運営していた定山渓鉄道の車両。

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 京浜急行600形。 久里浜にて・・走行シーン。

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 編成の連結部分。 オールM、クロスシート、正面デザインは全体に傾斜した独特の二枚窓、側面大きな窓と相まってバランスのとれた美しさを見せる。

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久里浜駅ホームで先頭車のアップ。

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中間車の様子。 阪神3011系よりやや後の作品だが、僕らはこの電車に阪神3011の面影を見た気がした。

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西武鉄道101系、池袋にて。 湘南形大好きな西武の、もっとも洗練されたデザイン、黄色とグレーのツートンが良く似合っていた。

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 流山電鉄での元西武車、バランスのとれた、かっこいい電車だ。

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大井川鉄道の元西武車、こちらは3ドアを2ドアに改造、クロスシートを設置して活躍していた。

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 岡山臨港のキハ7001、元はと言えば北海道、夕張鉄道の気動車だった。

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紀州鉄道の603、はるばる大分からやってきた。

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長らく、国鉄は湘南形デザインの本家でありながら、そのデザインを生かした車両を作ることはなかったが、末期にようやく2種の電車が登場した。 写真は185系、鼻筋を通し、全面上部に傾斜を付けるなど、湘南形の末裔であることを宣言しているように見える。

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117系、関西急電からの伝統を、うまく受け継いで見事に表現した、国鉄デザインとしては最高傑作のひとつであると信じる。

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最後に偉大な80系湘南電車の面影をしのびながら・・ 飯田線。

 

2015年9月12日 (土)

別府鉄道、明姫幹線付近

別府鉄道のポジが出てきた。

同じフィルムに野口線と土山線の列車が写っていて、季節は冬のよう、キハ101の風貌や沿線の雰囲気から昭和57年ごろの写真だと思う。

今の国道250号線、通称明姫幹線(めいきかんせん)付近での撮影、クルマかバイクで追いかけたものだろう。

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野口線、坂井・円長寺間での撮影から・・

出来たばかりの高規格道路をクラシカルな気動車、キハ101がくぐる。

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キハ101が接近する。

背景の高架橋は今も存在しているが、別府鉄道廃止により4車線化のさいには増設車線部分が地平に建設された。

1013ゆっくりと単行列車が近付く。

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立派な建物は新道路完成後に出来たラブホテルだ。

今なら鉄道オタク御用達?

101_2その横には住宅が新築中。

かつては一面の田園地帯だった場所だが、幹線道路の開通で変化が起き始めていた。

いまや、住宅密集地でもある。

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立派なマンション横を通過する。

巨大マンションが建設され始めたころだ。

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宅地造成されているところを通過する。

沿線人口は爆発的に増加しても別府鉄道の乗客は増えない。

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今度は線路際で。

そのマンション脇に列車が進んでくる。

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マンション脇を通過する。

 

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工場と住宅の間を列車が行く。

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去り行く列車。

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野口駅での様子。

アップで・・

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この頃、キハ101はどういう理由からか、ドアステップに車体裾をそろえる改造がされていた。

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土山線、中野駅にて。DD502がたった1両の客車をけん引する。

すでに中野駅は営業されなくなっていた。

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列車が接近する。客車はハフ7だ。

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去りゆく客車列車。

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昭和50年代とはとても思えぬ列車の風情だが、周囲の景色はまぎれもなくこの時代を表している。

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別府鉄道廃止後、キハ101は地元、別府町の公園で保存された。

が、この後の手入れがなされず荒廃し、結局は解体された。

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今、別府鉄道があった場所に住んでいる住民のどれほどが、ここに鉄道があり、こういう鉄道だったことを知っているだろうか。

廃止30年の時間はあまりにも長い。

 

2015年8月25日 (火)

昭和61年夏、姫新線・芸備線の旅

今夏、30年ぶりに姫新線・芸備線で中国山地の山の中を通って広島へ出る旅をした。その30年前の旅行時の写真だ。

両線とも急行列車も走り、まだまだ活気があったころだ。

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姫路7:02、姫新線823Dはキハ40とキハ47の2連だった。この列車は播磨新宮に7:53、津山には9:41に到着する。

この頃、すでに高速バスに敗れた姫新線急行列車は一往復にまで減少していた。

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本龍野の跨線橋にクラシカルな駅名票。

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津山では2分の接続で861D、9:43となり、降りて写真をとる暇はなかった。

新見、11;33、ここでしばし下車して昼食や列車の撮影などもした。昼食は駅の蕎麦が大変美味しいところだったので、それを食べたように思う。

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姫新線折り返しの津山行き。

今のキハ120に比すとやはり貫禄がある。

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新見駅舎・・

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姫新線・芸備線ホームの様子。

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芸備線列車は13:38の863D、キハ45の2連だった。

ここから先も本数は8往復を数え、一往復は急行列車の末端区間で、列車は「たいしゃく」、この以前には新見から全区間急行の広島行きだった。芸備線は東城を過ぎるとハイライト、日本屈指の山の中を走る。

それでも、当時は道後山にはスキー場もあり、観光的な色彩がないわけではなかった。

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備後落合15:07着、列車が到着したホームには蕎麦屋が営業していて、ここの蕎麦も大変美味しかったと記憶している。

僕たちはここで一本後の急行に乗ろうということになり、普通列車を見送る。

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急行には三次から4連で来た列車の後部2両が使われた。

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前部2両が普通列車として新見へ向かっていく。

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ホームに停車する、三次から急行になる「みよし」号。

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ホームの駅名票も一緒に。

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列車の愛称板。

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備後落合駅の駅舎、何故かパトカーが。。

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保線用のモーターカー。

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保線用の牽引機械。

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16:05、三次から急行になる「みよし」号発車、次駅の比婆山駅。

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比婆山駅舎、何やら地元の人が作業をしていたようだ。

列車は三次を17:20に発車し、広島には19:39に到着した。姫路からの所要時間は12時間半だった。

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広島では路面電車が、それも元神戸市電が迎えてくれた。

このときの旅行ではまだあまり意識はしていなかったが、当時であっていた女の子たちが芸備線沿線の出身で、惹かれるものがあった。

この旅行も彼女たちから故郷の話を聞いていたからこそ、実現したようなものだったが、高速バス台頭の前夜といっていい時代、そろそろ姫新線・芸備線に陰りが見え始めるころ、思えばこの旅行はしておいてよかったとつくづく思う。

さて、先だって、お盆明けに休暇をもらい、、まさに30年ぶりにこのルートで旅をしたのではあるが、時代の変遷は何もかもを大きく変貌させていた。

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高架の姫路駅に入線する姫新線、高性能気動車、キハ127。

しかし、高性能気動車が走るのは佐用までだ。

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津山にて、軽快なワンマン気動車、キハ120。

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新見の駅舎。

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備後落合で出会う芸備線と木次線のキハ120。

備後落合・東城間、備後落合・出雲横田間はいずれの3往復しか列車が走らず、姫新・芸備線を通しての旅はわずか一日1往復しかできなくなってしまった。

しかも、広島から姫路へ向かうルートは姫路到着は深夜といっていい時間だ。

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広島に到着した快速「みよし」ライナー、キハ47(右)。

快速列車は三次・広島間を1時間26分で走破、停車駅が増えてもかつての急行とさほど変わらない。

今夏、30年ぶりに実現した旅では、姫路6:56、途中、播磨新宮、佐用、津山。新見、備後落合、三次で乗り換え、広島には17:28(実際は20分ほど遅れて到着したが)に到着した。

JR西が安全確保のためと称して行っている、線路脇民有地の保安のために速度を時速25キロ以下に落として運行している区間も相当でてしまっているが、これを含めても、所要時間は10時間半と、かつてよりも相当スピードアップしていることに驚かされるが、それにしても、本数的には一日3往復の区間があるというのはもはや、鉄道としての使命が終わったことを内外に宣伝しているようなものであろう。

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姫新・芸備線の山間部は、日本の鉄道としては有数の深い山の中を走る。

そこに広がる風景こそ日本人の原風景でもあり、それを生かした積極的な旅客誘致が求められるといえば・・それは素人の浅はかさなのだろうか。

2015年8月 3日 (月)

Photo Archive キハ80系賛歌

このブログでは以前に485系583系381系キハ181系を個別に取り上げてきたけれど、キハ80系に関してはブログ初期の文章中心の頃にしか特集していなかったように思う。

Facebookグループ、「国鉄・私鉄の思い出」でときに日付を意識してその日付に合わせた番号の形式や車両を出し合って遊んでいるけれど、8月ということでキハ80系の在りし日の姿を多くの方々から見せていただくことができる。

そこで、今回は国鉄特急形写真集として5番目、キハ80系としていきたい。

基本的にPhoto Archiveとしてブログ過去ログからの出典とするけれど、まだ未公開だった写真もいくつか入れていきたいと思う。

最初に登場したキハ81を先頭としたグループは画期的な日本初の気動車特急というシステムなのに、現場での習熟も十分ではなく、「第二回アジア鉄道首脳会議」にいわば強引に間に合わせた感もあり、結果として初期故障が多発、新聞ダネにもなってしまったけれど、この後改良がすすめられ、現場ではそれ以後、好評だった。 キハ80系の最大の功績は、新時代の鉄道をイメージさせる全国特急列車網を拡大していくうえでの主力となったことで、これにより日本全国の主要幹線に特急列車が走ることになったわけだ。

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天王寺駅でのキハ81、「くろしお」 僕はこのクルマが営業運転している姿を撮影できたのはこれ一度きりだ。

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 同じ「くろしお」キハ82、海南駅にて。

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 昭和57年梅雨入りの日、山陰本線東浜で「はまかぜ」

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 同じ日の「まつかぜ」

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 その反対側。

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 函館本線、豊平川橋梁の「おおぞら」

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同じ場所で「北斗」

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大阪駅での「まつかぜ」

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大阪駅で「はまかぜ」がDD54と並ぶ。

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福知山線武田尾にて、キハ82「まつかぜ」

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 城崎駅にて、「まつかぜ1号」と「だいせん2号」が並ぶ。

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「まつかぜ」が発車する。

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城崎の温泉街を通過する「まつかぜ」、食堂車、グリーン車の姿も見える。

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長駆博多へ向かう「まつかぜ」、13両編成の威容。

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改築中の山陽本線宝殿駅にて、「はまかぜ」

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余部橋梁におけるキハ80系列車。

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その列車が谷あいの空中を通過する。

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餘部駅での通過後の「あさしお」と少年たち。

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友人、K君撮影、倉敷駅を通過する「かもめ」

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高砂工場における検査の様子。 キシ806、入場待ち。

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ジャッキアップされる。

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その妻面。

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キシ80の車内。

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トラバーサに乗るキハ806。

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全般検査完了後のキハ806。

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完成し試運転を待つキハ82。

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 こちらはキロ80。

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キハ81の3と5が高砂工場に廃車解体で入場してきた。 工場の誰しもが「ほんまに解体するのか」と首をかしげる・・工場職員にはこのクルマの「値打ち」が分かっていたのだ・写真はキハ813・・このあと、交通科学館で急遽保存されたクルマだ。

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 こちらはキハ815全景、すでに解体前提で3ともども、主要部品が外されつつあった。

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左側の様子。

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キハ815の正面。

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運転室付近。

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右後方から見た様子。

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筆者(下)と友人、せめてもの記念撮影。

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キハ815の台車。

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JR化後の前に、すでに西日本エリアからキハ80は消滅していた。 東海で残ったキハ80系「ひだ」

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JR化前、すでに「ひだ」と並んで最後の活躍をしていたキハ80系「南紀」、多気にて。

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キハ28系急行「志摩」と並ぶキハ80系「南紀」。

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キハ80は初期高性能車の宿命で、軽量車体が災いし、これが寿命を縮めてしまった感がある。 特に北海道での厳しい自然環境では、本州と同じ設計の車両ではやはり無理が生ずるのは致し方ない。 なぜに、急行用やローカル用気動車は特別な設計をしていたのに、特急気動車のみ、本州と同じものをもち込んだのか・・

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末期の北海道での傷み具合は相当なもので、高砂や向日町による、手入れの行き届いた車両しか見ていない僕には北海道のキハ80系が老骨に鞭うつ姿を見るのは辛いものがあった。

そこで後に専用設計のキハ183が登場するわけだが、その少し前の時期になぜ電車特急として本州の485系を少し味付けを変えただけで送り込んでしまったのか・・ 結局、国鉄はキハ80系の北海道での惨状からなにも学ばなかったわけだ。

言葉を変えれば、キハ80系の失敗は気動車故にキハ183として結実し、電車特急485系はそこで失敗しなければ何も分からなかったということだろうか。 その後、781系の登場と相成ったのは読者諸兄の知るところだ。

だが北海道での厳しい自然環境による老朽化の進展を別にすれば、この気動車は優秀な車両だった。 現場では扱いやすく、非力ではあっても当時としては考えられる最高の高性能、当時としては燃費も良く、1000キロ超の運用でも無給油で賄える。 乗り心地は良く、車内は極めて静かで、この点では後継の181系の及ばない部分でもあった。 独特の浮床構造に加え、窓周りの部材に木材を多用したことが乗り心地と静粛性の向上につながったのは間違いがない。

僕は国鉄の名車として20系客車や153系電車とともにキハ20・キハ28とこのキハ80系列をトップに挙げるけれども、国鉄気動車というのはそれほど木目の細かい優しい作りであったということだ。

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福知山線、武田尾付近でトンネルから飛び出るキハ82「まつかぜ」。

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別の日、反対側のトンネルに吸い込まれていく「まつかぜ」

名車の記憶は色あせない。 そこにこそ、国鉄の、日本国有鉄道の良心と輝きがあったのは間違いがないことだから。

 

2015年7月18日 (土)

名鉄の青空

そろそろ梅雨明けかと思わせる、台風一過の青空が広がった今日だが、今回も前回に続き青空の特集・・名鉄篇だ。

このブログではなぜか名鉄を記事にするとアクセスが下がる傾向にあるが、まだ、僕にとって大好きな名鉄が健在だった時代、撮影時期は昭和から平成に変わる頃の年末辺りか・・

今回は二か所、河和線阿久井、椋岡あたりと、揖斐線尻毛あたりだ。

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まずは今は見られない1000系パノラマスーパー、特別車だけの4連。

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青空に1000系の瀟洒なデザインが生える。

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サイド、目に眩しい白と赤の車体、そして青空。

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5500系の普通電車。

戦後日本最初の通勤冷房電車は最後の活躍をしていた。

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5500系と7000系による6連。

 

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登場したばかり、5700系の4連・・この系列が出る前、今後の名鉄は6000系ばかりになるのかと不安を感じていたものだ。(結果的にはそうなったけれど)

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7000系、まさに王者の貫録。

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7500系、このスマートさ!

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尻毛駅・・その駅舎。

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750形単行の普通。

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登場したばかりの780形急行。

金華山をバックに・・

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接近。

赤い車体に青空。

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さらに接近。

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2326が750形に牽かれて去る・・

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望遠で金華山もはっきり写る。

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最後にパノラマカーのシルエット、この写真を撮影した自分を誉めてやりたい・・

 

2015年7月 4日 (土)

加古川の青空

梅雨時の鬱陶しい時期、ときに青空が望みたくなるが、今回からそんな青空をモチーフにした写真を3回ほど続けたいと思う。 今回はJR化後の山陽新幹線加古川橋梁、それに未だ3000系が中心だった山陽電鉄の加古川橋梁だ。

時期的には昭和63年頃か・・

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まずは山陽新幹線。 当時の新鋭、100系上り列車「ひかり」のサイド。

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下りにも100系が接近、まさに出会う瞬間。

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 ダブルデッカーと先頭車が行きあう。

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下り列車の先頭車。

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0系の6連がやってきた。 当時の「こだま」だろうか。

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 0系の下り方サイド。

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0系の上り方サイド。

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今度は山陽電鉄。 未だ5000系は登場していてもごく少数だった頃だろう。 写っているのは3000系列ばかりだ。 冷改、旧塗装の4連特急。

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非冷房、旧塗装の4連特急、中間に2000系改造の3550形を連結している。

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見上げる角度で・・こちらも冷改旧塗装の4連特急。

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冷改3000系と新製冷房車3050系の出会い。

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3050系ニューアルミカー。

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3200形だろうか、冷改、新塗装の3連。

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 最後に新幹線橋梁横に建設省の看板。

鬱陶しい梅雨の後、また今年も猛暑の夏が来そうです。 皆様にも十分、お身体ご自愛いただき、実り多き夏を過ごされますことをお祈り申し上げます。

2015年6月14日 (日)

パノラマたっぷり、名鉄名古屋本線昭和57年春。

今回紹介する大半の写真は昭和57年春に撮影したもの、一部、その前後のものもあるが似たような時期のものだ。 これまでもこのブログで僕が名鉄SR系、中でも7000から始まるパノラマ一党に深い愛着を持っていることをお伝えしてきたが、今回はこれまでの欲求不満解消とでもいうか・・ とにかくパノラマ・・そしてそのほかの電車という感じで進めたい。

なお、一部に当時のライバルというか・・名鉄に負けっぱなしだった国鉄も登場する。

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名鉄の電車は伊奈を出ると終点豊橋まで停車しないが、ここは国鉄飯田線と線路を共有する区間で、飯田線の下地駅を降りて撮影した。7000系を見上げて・・ ワントーンの車体がなんとも言えずカッコイイ。

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 こちらは7500、連続窓はなぜ、名鉄以外には普及が遅れたのだろう。

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やはり7500、惚れ惚れとする美しさだ。

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国鉄の165系急行電車、天竜号か。

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 名電山中駅で下車して撮影してみた。 既出だが809の荷物電車。

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6000系急行。 6000系の初期デザインはSRの流れをくみ、好きだった。今回登場の名鉄車両では今も現役で残るのがこの系列のみとなった。

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 白帯特急、7000系が接近する。

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その列車の反対側。

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こちらは7500の急行か。

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簡素な踏切を通過する7500。

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7500をサイドから遠望気味に。

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7500、草むらの向こうを走る。

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新木曽川に停車するのはAL車3651、美しいツリカケ電車だ。

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その付近だったと思う。 7000の白帯車。

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こちら7500、流し撮り気味に。

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7500の編成俯瞰。 こういう美しい列車が本当に走っていた。

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同じ場所で国鉄のユーロライナーDD51。

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ユーロライナーの客車。

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新岐阜駅を出てすぐのところ、今でもごく一部に単線区間があるが、かつてはこの区間の真横に歩道橋があり、電車を眺めるのに好都合だった。 HL車2718。

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OR車2901。

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その編成の反対側か・・OR車3901。

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HL車3715。

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HL3719。

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SR車5200系、中間に5000系を挟んでいた。

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新岐阜に入るワントーンの7000系。 高速か。

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こちら、白帯特急7000系。

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新岐阜を出る7000系白帯特急。

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その反対側、豊橋行き。

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7000の急行美合行き。

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急カーブをゆっくりと曲がっていく。

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7000系4+4の連結部。 8連の座席指定特急が走っていたのだから今思えばすごいこと。

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7500系の入構・・

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ゆっくりと接近。

485

橋の下には国鉄485系「しらさぎ」

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新岐阜駅での7500系急行、停車のスナップ。

7700

新岐阜駅の7700系特急。

名鉄が好き、それはやはりパノラマの存在が大きかったのは言うまでもない。 だから今の僕には名鉄は特別な鉄道には見えない。 普通の大手私鉄・・ 一風変わった、非常に個性豊かだった名鉄のあのころを思いだす。 それは今でも至福のひと時でもあるが、パノラマ7000のない今の悔しさも同時に湧き上がってしまうのは致し方のないところだ。 なお、名鉄についてはまだまだ記録があるので、出していきたいと思う。

2015年5月30日 (土)

昭和52年、山陽本線夢前川橋梁にて

80系電車の廃車が確実になった頃、鷹取の国鉄寮から夢前川橋梁へ、もちろん、趣味活動として出向いた。

103

 朝早く寮を出て、まずは西明石での103系電車。 非冷房、シールドビーム2灯のいわゆる豚鼻・・側面窓は非ユニットタイプで、関東からの転入車か・・

83de101371

 姫路駅で・・ クモニ83と入替中のDE101071が出会う。

581

581系寝台特急「彗星」

5811

その編成にはサハネ581のトップナンバーが。。 サハネ581-1。

Ef5847

英賀保駅だろうか。 EF5847,正面窓はHゴム化されていないが庇のついた顔立ち・

80

夢前川橋梁。 上りの80系電車、シートピッチ拡大、アルミ窓枠の200番台が先頭だ。

80200

そのクハ86、200台のサイド。

80300

こちら、クハ86300台、クハ86はこの300代が最も美しいと思うが1両の保存も存在しない。

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 やはりクハ86、300台、築堤を行く。

113

113系電車、網干所属の7連。

115

115系電車、関東からの転入車編成。

153

153系電車、新快速。 当時、新快速には網干始発のものもあり、ヘッドマークは最初から新快速表示になっていた。 また、余談だが、姫路発、明石まで各駅停車で明石から新快速として走る列車もあった。

Ef6040

EF6040、今のEF210のごとく、あきるほど見れらた機関車だ。

Ef6653

EF6653、高速コンテナ列車だろうか。 これも余談だが、このとき、往路の153系の中で悪ふざけをしていて、列車の揺れにより思い切り尾骶骨を肘掛で打った・・ あれ以来、数年は痛かった・・ほんとうに痛い思い出だ。

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最後に・・80系電車は僕にとっては国鉄の原風景のようなもの・・ 引退は寂しかった。 その80系が日に一度だけ西明石まで顔を出していた・・その頃の宝殿での写真。

2015年5月11日 (月)

同和鉱業片上鉄道

片上鉄道との縁は古く、初めて岡山に行ったときにわざわざ和気で下車しているから・・僕にとって最も早くから写真を撮影した鉄道の一つと言うことになる。 だが、魅力あふれるこの鉄道、なぜか敷居が高く感じられ・・結局、全線を通しで乗ったことは一度もなく・・じっくりと撮影のために訪問したこともなく・・ いつも、近くを通ったそのついでに伺っていたというのが本音だ。

昭和50年代の片上鉄道は車両の整備状態も抜群、線路は重軌条にPC枕木、その上を気動車が時速70キロ以上で滑るように走った。 この時代、僕にとって非電化私鉄と言えば、別府鉄道であり、岡山臨港鉄道であり、加悦鉄道であり・・敷居を高く感じたのは国鉄ローカル線ははるかに上回り、亜幹線に匹敵すると思われたその立派さゆえか・・

302

和気駅のキハ302、朋輩のキハ301は我が地元、別府鉄道で3のところを1に書き直しただけで走り始めていた。 国鉄キハ41000(後のキハ04)を譲り受けたもので、別府に転じたものはクロスシートだが片上にはロングシートに改造されたものがあった。

311

キハ311・・上記キハ301、国鉄キハ41000をベースに自社発注された気動車で、とてもキハ41000とは思えぬスタイルのよさをしている。

312

キハ312、これも同型、こうしてみるとアレンジ次第で国鉄機械式気動車のデザインと言うのは非常にレベルが高くなるように思える。

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キハ702、こちらは国鉄キハ42000→キハ07だが、正面デザインに大きく手が加えられていて、半円形フロントマスクが非常に近代的な味を醸し出す。

Photo

片上の機関区は国鉄赤穂線の西片上駅近くにあった。 そこを訪問した時の様子。 写真は入口からの様子で、そこにおられた社員らしき人に「気動車を見せてください」と頼むと快く入れてくれた。

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機関区でのキハ302、狭い構内では思うような写真が撮影できなかったが、それでも油の臭いに僕らは歓喜したものだ。

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キハ312が休んでいる様子。

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キハ702、この角度が最も格好がよい。

703キハ703、側面を見ると国鉄キハ07の面影が十分だ。

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 気動車の従台車。

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こちらはキハ700形だろうか・・その動台車。

303

あるとき、和気と片上の間をクルマで走っていたら線路に出くわした。 中山付近か。 ちょっと待って・・気動車列車。 キハ303、滑るように走っていく。

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田んぼの中を行くキハ303・・車掌さんの背中が見える。

13

 おっと、貨物列車が走るのを見逃すところだった。 社線DD13牽引の貨物列車、国鉄ワキ6194が次位に繋がる。

103

ワフ103、片上鉄道所有の車掌車だ。

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ワフを最後尾に貨物列車が過ぎていく。

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国鉄を退職した直後、なんとなくドライブに出かけて・・片上鉄道の線路わきに出た。 このときも、やや待つと貨物列車の姿が。

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谷あいを長大な貨物列車が近づいてくる。

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 DD13の姿がはっきりとしてくる。

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過ぎ去るDD13牽引の社線トラばかり繋いだ貨物列車。私鉄にしては長い列車だ。

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貨車の後尾・・数えてみると26両! こういう列車が走るからこその、重軌条であり、PC枕木であるわけだ。

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周匝(すさい)の近く、第二吉井川橋梁でのキハ801の列車・・ やや見上げるようなアングルで・・列車が山野の中の出現したかのよう。

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 橋梁を渡る。

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ゆっくり・・・

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全長180メートル余り、長い橋梁だ。

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渡り終えていく。

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 反対方向の列車を同じポイントで。 今度は土手の上から。

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橋梁を渡る。

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遠ざかる列車。 このキハ800形は同じ同和鉱山の秋田県小坂鉄道からやってきた車両で日車標準型車体を持つ非常に近代的なイメージだった。

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備前塩田駅。三角屋根のお洒落な駅舎が片上鉄道の標準仕様。

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 なお、片上鉄道は自治体とボランティアの方々の熱心な活動により動態保存されていて、吉が原に於いて、今でも現役時代そのままの車両たちを見ることができる。

現在、吉ヶ原の鉱山資料館の一部となっている保存施設では当時の駅舎などもそのまま保存されている。

13551

 DD13551と客車3両、朝夕のラッシュ輸送に活躍した「ブルートレイン」の編成で、僕はついにこの列車の運行を見ることがなかった。

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キハ702、美し状態を保たれていて、動態保存されている。 なお、キハ07系列の保存は全国にたった2両しかない。

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キハ303、別府のキハ101が解体されてしまった今、国鉄キハ41000の系譜を示す貴重な一両だ。

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キハ312、自社発注の力作も1両がこうして保存された。 誠にうれしい限りだ。

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 ワフ102、貴重な車掌室つき有蓋貨車もその姿を見ることができる。

ボランティアの方々の献身的な努力により貴重な産業遺産が保存されること、心より感謝の念に堪えない。

 

2015年4月29日 (水)

九州の国鉄・・2

前回の同名エントリー から4年も経ってしまったが、久々に九州の国鉄の写真だ。 なお、長崎本線長与支線筑肥線筑豊本線はそれぞれ別のエントリーを参照されたい。 私鉄を訪問するその過程で撮影したもので、昭和53年から57年くらいの間。 まとまりがないのはご容赦を・・

また、これまでのエントリーと重複するところもあるが、改めてスキャン、画像加工しなおしている。

1153000

 下関まで山陽本線で・・ 広島からの普通列車は115-3000。

66

小倉駅にはキハ66系の姿が・・

23

キハ23、どこでも見かけた気動車だが、全体の両数が少なく、当時から希少感はあった。

485

 485系「にちりん」

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 西鹿児島駅で、朝、見かけたのは鹿児島交通南薩線の気動車、キハ301だった。

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西鹿児島でも485系「にちりん」

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伊集院だと思うが客車列車のオハフ4523。

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スハフ4243を最後尾に発車していく。

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スハフ4243の車内天井・・

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雨の中、寝台特急が入ってくる。 「なは」あたりだろうか。

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大牟田駅・・485系「有明」

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その先頭車両はクハ481-1だった。

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 大牟田での485系有明編成後尾。

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ED7639牽引の貨物列車。

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ED7639がこの駅で入れ替え作業をする。

Ed731011

 ED731011、ED73を見たのはこのときが最初で最後か。

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寝台特急14系客車は「みずほ」だ。

224482120

貨車、さすがに石炭王国の名残・・ ロセラ2120、ワフ22448。

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飯塚の50系客車とボタヤマ。

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豊肥線立野、キハ28系急行。

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大分だと思うが、485系「にちりん」

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撮影場所不詳・・471系快速、記憶では大分駅なのだが、当時、日豊本線にこの手の快速はなかったはず。

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甘木、DE101549による貨物列車。

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 その列車の後尾。

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 原田(はるだ)、421系電車、高運転台だが、貫通路の目貼りが哀れ。。 九州と言っても冬は寒い。

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421系電車初期型の大窓タイプ。

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485系「かもめ」、この頃の長崎本線特急は遅かった。

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485系「有明」が接近。

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「有明」が通過する。

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「有明」の後尾。

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ED76が貨物列車を牽引する。

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そのサイドに見えていたのはこちら、オハフ33。

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 キハ26、600番台で旧二等車を通勤車両に改造したもの・・気動車版オハ41か・・

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筑豊本線からの普通列車はキハ28系だった。

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その気動車が転線をする。

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気動車の行先板・・ちょっと見た目には何のことかわからない。

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こちらは「快速」表示のキハ28系、「くまがわ」あたりだろうか。