フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 昭和58年、南海電車大和川あたり | メイン | 35∼40年前の宝殿駅付近 »

2016年6月30日 (木)

35∼40年前の加古川付近。

今回と次回で加古川・宝殿あたりの写真を見ていただこうと思う。

山陽本線のこの付近は僕にとって鉄道趣味を始めた原点ともいえる場所であり、これまでにも何度か本ブログには出している。
今回も、既出の写真もあるが、データはすべて再スキャンし改めて画像処理による復元作業を行った。

今回は加古川駅前後のあたりの写真だ。

過去ログは以下の通り。

加古川市野口町、山陽本線昭和58年・春「サロンカーなにわ」ほか
今、あらためて加古川駅
加古川駅

加古川駅から東へ約1キロ、当時そのあたりは田んぼが広がっていて、列車の撮影には好適な場所だった。

Ef65132

ずらりと並んだワム80000を牽引するEF65132・・

今のEF210と同じように、当時のロクゴはそれこそ、いくらでもやってくる撮影意欲のあまり湧かない機関車だった。

Photo_2

ワムの並んだ様子・・

フイルム代、現像代に悩んでいた僕がこういう写真を撮影するのは珍しい。

Ef66

EF66のサイド。

この機関車は正面から見るよりこういう角度のほうが男っぽく見える。

113

113系快速電車の連結部分。
よく見ると前後でタイプが異なる。

原型タイプとユニット窓・シールドビームが特徴の300台か。

111

その電車の最後尾。

夏場だと思うが、車掌氏は上着を着用している、初夏のころだろうか。

28

キハ28・58系の急行列車。

ドア横には「指定席」の札が・・

道理でこの車両が外から見ても空いているように見えるわけだ。

117

117系新快速。

この日、なぜかここでは列車の頭の流し撮りばかりしていたようだ。

Photo_3

加古川駅構内、これまでも何度もブログに出しているが、今回、北口を撮影したネガが見つかった。

キハユニ15、3号車が一緒に写る。

Photo_4

キハユニ15 3の様子。

当時、加古川気動車には3・6・9の3両のキハユニ15がいて、この3は正面窓の補修が独特の雰囲気、そしてサイドの客車窓とともに、異色の存在だった。

Ef65eh10

加古川橋梁。

加古川橋梁もこれまでに何度も出している。

まずはEF65牽引のコンテナ列車と、EH10の出会い。

Eh10

非常にゆっくり走っていたEH10の後ろには巨大な貨車が巨大な物体を載せている。

僕がこれまでに見た大物車シキの中でもこれだけ大きなものは、この時だけではないだろうか。(操重車、ソのようです。ご指摘ありがとうございました)

Eh10_2

こちらはEH10初期型。

パンタグラフが中央寄りになっているのが特徴。

Ef58

EF58が荷物列車をけん引していく。

次位にあるのはスニ44か。。

83

クモニ83が単行で走っていく。

多分、ツリカケの音を心地よく撒きなが走っていったのだろう・・すべては記憶の中だ。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/351371/33870637

35∼40年前の加古川付近。を参照しているブログ:

コメント

ただただ懐かしい車輌ばかり。
あれだけ同型ワムの連なった貨物列車も珍しい、壮観ですらありますね。
EH10中寄せパンタは初期型と云うより試作機、これまた稀少でした。
急電色117系が新快速でブイブイ云わせて走っていた…、要するに関西国鉄にまだモハ52急電の残影が残っていたと時代とは関東者の感想ですが、今に残る窓周りの薄茶色もその一連でしょうね。
ところで、関東から見ると加古川線は優等列車が無かった為に山陽本線からの支線の内でも一段地味に思えたものですが、臨時等で運行された事はあったのでしょうか。

たぶん中学生のころ、初めて117系の車両を明石駅のホームで見た記憶があります。当時の国鉄の車両にすれば、垢ぬけた電車だった気がしますが、その後あまり見ませんね?
短命だったのですか?

あづまもぐらさん>

最後のワム列車も最近消えてしまいましたね。
加古川線は急行が設定されたことがなく、その割に列車本数は支線区にしては多いのが特徴で、これは今に引き継がれていると思います。
臨時でサロンカーなどが入ったことはあるのですが、普段お優等列車は快速が唯一だったような・・

せきおかさん>
117系は今、岡山地区と和歌山地区、京都地区で活躍中です。
ただ、下関での運用が終了して、下関の比較的新しい車両が岡山や和歌山に転じ、古い編成が玉突きの形で廃車され始めています。
湖西線に行けば日中でも見ることができますよ。

EH10が牽いているのはシキではなく、操重車のソ300ですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84%E3%82%BD300%E5%BD%A2%E8%B2%A8%E8%BB%8A

2両揃って車掌車を従えて、しかもEH10牽引なんてなかなか貴重な写真です。

う~さん>

あ、ホンマですね!!
ありがとうございます。
訂正しておきます。
しかし、このような重厚な列車、拝みたくても拝めない今の加古川付近でもありますね。。

おはようございます。
今日も、お写真の数々、興味深く楽しませて頂きました。
路線により状況は異なるものの、一つの路線や系統を単一の形式の車両に揃えて運行する志向が強くなっているように感じています。そして、異質な列車はダイヤ上も邪魔になると言わんばかりに廃止されていきました。(在来線に優等列車の少ない東京にいるがために、一層そう思うのかもしれません)
お写真を拝見しますと、こんなにもたくさんの種類の列車があったのだと改めて気付かされます。旅客列車も然り、貨物列車の中にもバリエーションがあり、また荷物・郵便電車も走っている、在来線が真価を発揮していた時代に映りました。
先日の報道で、東武東上線と東京メトロ有楽町線で、宅配便の荷物を旅客車両で輸送する実験を行うことを知りました。埼玉と東京の双方の車庫や途中駅で積み下ろしをするそうです。
以前のような、車両の多様性が戻ることはないと思いますが、お写真の時代のように、「運ぶ」ことにおいて多様性が出てくると、将来への明るい要素になるのではないかと感じています。
既に京福で同様の取り組みがあり、北越急行でも検討中とのこと、赤字非効率にならない形の研究が進めば、明るい気持ちで昭和の多様な列車を振り返れそうに思います。
駄文失礼致しました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

風旅記さん>

いつもありがとうございます。
どうしても私たちの世代では在来線が活発な時代を鉄道黄金期であったかのように思ってしまいますね。
実際そうなのかもしれないですが。

鉄道に持つ復活の動きは嬉しいですね。
少しでも鉄道の持つ利点を生かして、鉄道が社会に存在意義を見せつける必要というのもあると思います。

コメントを投稿