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2016年3月 4日 (金)

加悦鉄道、鉄道営業の記憶

加悦鉄道の在籍車両のすべては、今も「加悦SLの広場」で見ることができるし、一部は動態保存もなされ、時としてイベントで動く姿を見ることもできるので、「思い出」としてはそれほど珍しいものではない。

だが、今の加悦駅舎があるのはかつての鉱山駅跡地であり、加悦駅はかつては町の中心部にあった。

ここでは、営業していた当時の加悦鉄道をしのんでみたいと思う。

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初めて訪問したのは京都からの急行列車でだっただろうか、丹後山田まで神戸からえらい時間がかかったように思う。友人と丹後山田駅。昭和53年ごろか。

丹後山田はのちに野田川、さらに現在では与謝野と名称を変えた。

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駅に停車していたのはキハ51で、もとをただせば芸備鉄道の大型気動車、大型ながら前後にバケットを持ち、かつてはキハユニということだから合造車だった由・・芸備鉄道国有化ののち、舟木鉄道を経て加悦へ来た。

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ホーム側から見た様子
この閑散とした駅でも国鉄急行が停車したように思う。

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キハ51の車内、行商人らしいおばあさんが乗車してきた。

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運転台、なぜにもっと上から撮影しなかったのか不明・・向かいの座席に座ったままで撮影しただけか・・

列車は、貧弱な線路を船のように大きくローリングしながら進んだ。これと似た乗り心地は京福電鉄福井支社での南海11001形運用の列車で感じたことがあるが、あちらは少なくとも時速70キロ近くは出ていた。こちらは自転車程度の速度だが別府のハフ7よりも乗り心地は悪かったように記憶している。揺れると座席どころか窓枠までもが同じように揺れた。

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加悦に着いたキハ51。

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特徴的な駅舎とキハ51。

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キハ51のおでこ。。

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加悦鉄道には何度も訪問していて、実は白状すると神戸からドライブではちょうどよい距離でもあり、ガールフレンドを連れての訪問も数度あった。

これは雪の残る車庫風景、キハ083がいる。

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DC351とキハ083、ターンテーブル。

Tmc100


除雪用TMC10、キハ101。奥に083。

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キハ101、珍しい片ボギー、バケット付きの珍車といえるがスタイルは明朗、すっきりしていて当時から好印象を持った。

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こちら、キハ101のモノクロ。

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キハ1013、当時とてすでに珍しくなりつつあった国鉄キハ10が入線した。

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女の子が一緒だと、ついついこういう写真を撮ってしまう。

キハ1013のソフトフォーカス・・案外、こういう写真が好きだったりする。

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廃止直前だったか・・代替バスの新車両と並んだキハ51。すでに、この代替バスも廃止され、今、この土地には阪急系、丹後海陸交通の路線バスしか存在しない。

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冬の田園を走るキハ083、キハ51よりもっとローリングが大きかった。ただ、さすがに国鉄形で作りはしっかりしていた。

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当時からある保存車両も・・

サハ3104、休憩室に改造されていたがまだ原型も残っている。今、レストランに改造されたこの車両から原型を想像するのは難しい。

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ハブ2、ハフではなくハブとしているのはなぜなのか、今もってわからない。

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ハ10、加悦鉄道自社発注の客車。大阪の梅鉢鉄工所製造。

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ハ10の車内、わずか数キロの鉄道にしては上等の客車だ。

4995


ハ4995、国鉄、明治期の面影を残す貴重な車両、実は足回りだけ使って車体は廃棄されていたが、のちに別の車両の足回りと組み合わせ復元されたとのこと。

Db201


DB201、森製作所製の唯一の現存機関車と言われている。

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蒸気機関車、2号機。

無煙化を達成すると、過去の機関車などは廃棄されるのが通例だが、加悦の経営者たちは過去の車両も文化財として大切に保管してくれた。元々は国鉄京阪神鉄道の123号で、今では重要文化財に指定されている。

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蒸気機関車4号機。

今の長野電鉄にあたる河東鉄道の4号機が前身。

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蒸気機関車1261号機。

国鉄木次線の前身にあたる簸上(ひのかみ)鉄道出自の機関車。

最初の訪問の際は、この後宮津線で豊岡に出て、急行「白兎」に乗車、米子から「さんべ5号」で九州入りしたように記憶している。

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ついでながら、豊岡駅の急行編成。

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豊岡に停車していた国鉄の新車、まっさらのキハ47、それから30有余年、いまだにこの系列がここを走っているようになるとは思いもしなかった。

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加悦鉄道廃止のその日、昭和60年5月1日、友人たちと例によって北端方面へドライブに行った折、無理を言って加悦鉄道を少しだけ訪問させてもらった。

廃止記念列車と鉄道ファンたち、今、活躍されておられる方、僕の友人の中にもこの中におられる方があるのではなかろうか。

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その時の加悦駅。

別府鉄道や岡山臨海鉄道と異なり、ゆったりとした風景の中に溶け込んでいた加悦鉄道、今、SLの広場としてきちんと整備されているのはとてもうれしいことだ。

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最近の写真から・・

復活運転されたキハ101、関係者の方々の努力に頭が下がる。

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コメント

私が訪れたのは昭和47~8年頃でした。
乗ったのはキハ08 3でした。
車内は言うまでもなく60系PC、誰が発案したのでしょうね。
10系DCの涙ぐましい軽量化に対して、オ級車体の重量感はそのまま走りに反映されていたかと憶えています。
加悦はナスステンレスの日本冶金の町と知りましたが、車輌保存にも熱心に取り組まれているとは嬉しい限りですね。
同和鉱業片上と共に金属系産業には斯様な産業遺産を尊重する気風があるのでしょうかね。

加悦鉄道、ほんと、一度乗りたかったです。確か昭和51年頃の夏、海水浴に行く途中、踏切でキハ08に出会いました。

キハ08のタイフォンのカバーは485系等のように、鳴らしたときに半分に割れて開く方式でないですね。踏切待ちをしていた時、駅から発車するキハ08がタイフォンを鳴らした際、1枚のカバー全体が大きくパカッと開いたのが印象に残っています。

一度保存車両を見に行かねば・・・・・・

加悦鉄道には2回訪問しました。別府鉄道に負けず劣らず珍品揃いで驚きでした。客車にエンジンを積んだ車両もあり、随分奇異な印象を受けましたが、どの車両もきれいでメンテが行き届いているという印象です。

同鉄道が日本冶金の関連会社であることを後日知りました。
私が大阪勤務の際、懇親会の席上で日本冶金の方と同席しました。初対面の方に鉄道趣味の話をする訳にいかず、普通は仕事やゴルフの話題に終始するのですが、その方は丹後地区出身で加悦鉄道の思い出を話してくれました。加悦鉄道が仲を取り持ってくれました。

あづまもぐらさん>

国鉄の涙ぐましい努力の成果・・といっても、大工事であったことは間違いがなく。。
のちの時代にもこの手の改造は北海道と西日本でしか見られませんでしたね。
加悦・片上・小坂と、鉱山系鐡道が今も保存されているのは嬉しい限りです。

TMさん>

クルマなら案外楽にたどり着けます。
たぶん、5月の連休には特別公開もあるでしょうし、ぜひ、お出かけになってみてくださいね。

L急行鷲羽さん>

不思議な縁もあるものですね。
当時から加悦鉄道はメンテナンスが上手でした。
いや、地方私鉄で車両が小汚いところって少なかったように記憶しています。
自社に誇りを持っていたんでしょうね。

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