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2016年1月

2016年1月20日 (水)

別府鉄道、終わりの記憶。

別府鉄道に関してはこのブログではこれまでに何度も出してきたし、ウェブページも作成してきた。

別府鉄道、明姫幹線付近」「12枚撮りに写った別府鉄道」「別府鉄道のデラックス編成」「別府鉄道との出会い

当時、加古川に住んでいた僕にとって、別府鉄道は、初めて興味を持って乗るためだけに行った鉄道であり、山陽本線、山陽電鉄、加古川線、高砂線と並んで鉄道趣味活動を始めたごく初期に撮影した鉄道でもある。

そう考えれば、中学になったばかりの僕がこの鉄道に興味を持てた鉄道趣味界入りは幸運だったといえるのかもしれない。

今回は廃止前年、廃止時の写真を中心に紹介したいが、まずはごく初期に撮影したものをお目にかけようと思う。

なお、ウェブページに既出した画像もあるが、ページ作成時と今現在では作成、読み取りの環境が大きく異なるために、ほとんどを再スキャン、画像サイズを統一している。

昭和50年8月、友人のK君と車庫を訪問した時のカットから。

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旧キハ2、単車の気動車でK君撮影。

戦前にすでに無煙化がなされ鄭田野口線の小型ガソリンカー、レカ2を戦後ディーゼルに改造したもの。

このころは車庫の奥でひっそりと眠っていた。

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こちらもK君撮影、当日僕は小型のカメラを持って行ったがうまく撮れなかった。

ワ124とハフ5だ。

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キハ3、今の小海線、佐久鉄道の気動車だ。

廃止時にはいなかったように思う。先に佐久へ里帰りしたのだろうか。

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キハ101、この写真は昭和50年の11月で、夏に訪問した時、車庫の奥のほうで整備を受けていた大型気動車だ。

同和鉱業片上鉄道からの移籍、まだ、すそ周りの改造がなされていない。

別府鉄道はいわゆる赤字ローカル線ではなく、れっきとした黒字路線だった。といっても収入の中心は貨物輸送で、列車本数的には多かった野口線の赤字を、土山線の貨物列車が埋めていたような格好だ。

その別府鉄道は国鉄が土山駅での貨物扱いをやめると一方的に決め、結局、収入の元が断たれてしまう形で、やむなく路線廃止となった。

それでは廃止前年の秋ごろからの様子を見ていただきたい。

Photo

まずは別府港の様子。土山線列車の入れ替え風景。助役さんだろうか、手旗をもって監視にあたる。

Db

DB201がハフ7を連れて入れ替え作業をする。

この機関車は新車で入線したが、山陽特殊製鋼の注文流れ、三菱三原製だったとのこと。

ハフ7は言わずと知れた最後のオープンデッキ客車で、混合列車とはいえ実質は車掌車の役割を果たしていた。今、神奈川の相模鉄道に里帰りして保管されている。

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組成された列車の発車準備が整った。

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DD502が混合列車をけん引する。

こちらは新日鉄構内で日本運輸が使っていた機関車だったとのこと。

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その列車の後尾、ハフ7が列車のしんがりにつく。

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廃止間際には別府港構内で使わない車両を展示してくれていた。こちらはごく初期のディーゼル機関車DC302 、もとは倉敷市営鉄道、今の水島臨海鉄道にいた機関車だ。

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DC302の後部。

初期ディーゼル機の雰囲気がたっぷりだった。

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キハ2、最後まで活躍してくれた気動車、もとは三岐にいた昭和初期のガソリンカー。

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キハ101の列車が野口へ向かう。

腕木式の信号が見える。

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キハ101が出ていく・・

裾回りの改造は何のためだったのだろう。

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土山線、明姫幹線南側・・寺院の前をDBがハフを連れていく。

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明姫幹線高架の前を通る・・

今、この辺りはこんなに広々とはしていない。

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明姫幹線をくぐる列車・・鉄道は消えても、この高架橋は今も残る。

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中野駅。

ほとんど使われてない駅だった。

記録では最後まで停留所としての位置づけだったらしい。(これは私鉄研究者のTeddoさんからのご教示)

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川崎重工前信号所。

貨車の入れ替えの際には乗客を乗せたまま、車掌がポイント、連結器を操作して行っていた。

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少し先に行くと田んぼの真ん中にぽつりと鳥居があった。

鳥居のところで撮影する初老の鉄道ファン氏と、接近する列車。

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鳥居の前を行く、ハフ連れのDB。

その先にはちょっとした橋梁・・

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橋梁を行くDD1351牽引のハフ・・

国鉄では小型のDD13も別府に来ると超大型に見えてしまう。江若鉄道にいた機関車だ。

撮影は友人で鉄道社員のO君。

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わが愛車と、そこに居合わせた鉄道ファン諸氏。カメラが急に壊れ、慌てて別のカメラをとってきて、現場に戻るときは愛車を駆った。

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今の大中遺跡あたりを進むハフ連れDB・・

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さて、野口線・・やはり明姫幹線高架橋から俯瞰したキハ101。

今のこの辺りは住宅密集地でこんなに広々とはしていない。

また明姫幹線は大動脈に成長し、まさかこんなところで車を止めるなど考えられないところだ。

当時は部分開通であり、通行量は少なかった。

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円長寺駅。

カラーで撮影したが色情報が失われていたのでモノクロ化している。

ここも今では考えられないゆったりとした場所だった。

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円長寺に停車するキハ101。

野口線は半ば、この集落のための路線ともいえた。

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藤原製作所前。

今のTLV加古川工場の前の駅で、工場そのものは今も盛業中、写真左がTLVで、向かいの工場は今は巨大な葬祭会館となった。

この近くから加古川駅までは今、路線バスが結構走っている。

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野口駅に進入するキハ101。

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国鉄キハ35と別府鉄道キハ101が並ぶ。

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野口駅、いったん列車を北側へ・・折り返しに時間があるときだろうか。

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ホームにたたずむキハ101。

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加古川からまたキハ35が折り返してきた。

別府鉄道キハ101と並ぶ。時刻はすっかり夕暮れのころだ。

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国鉄気動車の後ろはキハ20だった。

別府鉄道キハ101と同時発車する。

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さて、いよいよこの鉄道最後の年、最後の月を迎えた。昭和59年1月だ。

土山線、日本レイルクラブのヘッドマークを付けてDD1351がハフ2両をけん引する。場所は明姫幹線近くだ。

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その列車の後部。

せいぜい時速30キロ、軸受けが平軸受けだからか、列車はエンジンの音以外に、車輪の音を立てて走る。

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野口線も明姫幹線付近で待ち受けた。

広々とした田園風景は今では考えられない。

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明姫幹線をくぐる列車・・この道路を通行するドライバーで、ここに鉄道があったことを事実として知っている人はどれほどいるのだろうか。

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最後の日、僕は国鉄高砂工場で終業まで働いて別府鉄道最終を撮影に出かけようとした。しかし、当日は雪の降らない播州で30年ぶりの大雪、愛車は荒井駅付近の駐車場に止めたまま、山陽電車で別府鉄道に向かった。

野口線最後の列車がやってきた。

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列車は大勢のファンが待つ終着駅へ入っていく。

土山線列車が来る頃には周囲は暗くなっていた。

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当時のASA400トライエックスではいかにレンズ開放値が2.0の35ミリを使っていたとしてももはや動くものを撮影するのは限界になっていた。

DD1351がなんと3両の客車を引き連れて入ってきた。

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機関車の次位はハフ7だが・・2両目はハフ5。

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最後尾にはキハ2がぶら下がっていた。

実はこの光景は記憶から飛んでいて、このたび、この記事のためにネガを見ていて見つけ、ようやく当日の様子を思い出したものだ。僕が、生きている別府鉄道を撮影した最後のカットだ。

0928今も別府鉄道の跡地は特に野口線で遊歩道として整備されている。

先日、この遊歩道を歩いてみた。円長寺付近でレールが残っているのを見つけた。

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近くには一応保存されているキハ2が・・最近、ボランティアの手によって車体の整備と塗装が行われた。

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加古川市別府町中心部の公園にはかつてキハ101も保存されたが、こちらはほどなく荒廃し、あえなく解体されてしまった。

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播磨町の大中遺跡公園にはDC302とハフ5が驚くほど見事なコンディションで保存されている。

なお、別府鉄道という会社は今もきちんと存在し、不動産やタクシー事業を営んでいる。

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山陽電車の別府駅前には懐かしい社章を掲げたタクシーが並ぶ。

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播磨にあった小さな鉄道、赤字ローカル線という存在ではなく、いつも車両は派手な色合いに美しく塗られていたし、鉄道係員もきちんとしていた小さな鉄道・・

まもなくこの鉄道が消えて32年になろうとしている。

雪の日に消えていった地域の鉄道を、今夜のような寒い夜に思い起こすのは寂しくも、ふっと心が温かくなるような愛しい時間ではある。

僕らの記憶があるがきぎり、この愛すべき鉄道は生き続ける。

2016年1月 1日 (金)

謹賀新年

2016

本年も宜しくお願いいたします。

皆様にとって良い一年でありますように。