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2015年12月

2015年12月31日 (木)

終焉へ向かう夜行列車への考察

 このテーマではできるだけ新年になる前に済ませておきたかったのだけれど、多忙を言い訳についに大晦日になってしまった。 大半の読者が新年にこれを読まれることを思うと、新年早々夢のない話・・と言われかねないが旧年中にアップした記事であり、新年は少しでも希望のあるほうへ向かってほしいとの意向であることをご理解いただければと思う。

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僕自身、国鉄時代には数え切れないほどの夜行列車に乗車した。 書き綴りながら思い返し、思い返しながら列車名をあげていくと、

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鹿児島線「かいもん」、長崎線「ながさき」、山陰線「さんべ」、土讃線夜行快速、

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山陽線からの九州方面行きでは「阿蘇・くにさき」「雲仙・西海」「さくら」、

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四国連絡「鷲羽」、山陰線関西口の「だいせん」「山陰」、紀勢線「はやたま」、北陸線「立山」「きたぐに」「日本海」、東海道線大垣夜行344M、「銀河」「臨時銀河」、中央線「ちくま」、信越線「越前」、

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函館線「すずらん」、根室線「まりも」、宗谷線「利尻」・・今思いつくだけでこれだけ出てくるが、実際はもっともっと乗車しただろう。 また、宇高、青函航路には夜行便も存在していた。 昭和50年前後、夜行列車はどれも混んでいた。 寝台は満席、指定席など取れず、自由席に乗ると決意したその先には通路での雑魚寝、あるいは立ったまま夜通しなどごく当たり前だった。 その頃、国鉄はテレビコマーシャルで「星のマークの寝台列車、一日およそ4万ベッド」と、改善の進んだ寝台をアピールしたものだ。

ところが、国鉄末期から夜行列車の削減が頻繁に行われ、まず、座席主体の夜行急行や夜行快速、夜行鈍行が姿を消した。 そして、高額な寝台料金による客離れが進んだ寝台特急・・いわゆるブルートレインが少しずつ消えていく。

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ダイヤ改正のたびに廃止される夜行列車を追う鉄道ファンの姿が一種の風物詩のようにもなっていく。 それでも、当初は乗車効率の悪い列車の削減、あるいは列車を統合して効率化を図るための削減というものだった。

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だが、「銀河」あたりの廃止からは「多くのお客様にご利用いただいていますが、車両の老朽化により」というJRの言い訳を見ることが増えていったように思う。

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ここ数年に廃止された夜行列車、「きたぐに」「北陸」「あけぼの」「出雲」「銀河」・・そしてJR化後に誕生した「北斗星」「トワイライトエクスプレス」といった列車は乗車効率は高い列車だったはずだ。

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車両が老朽化したなら、多くの利用客のために車両を製造すれば済むことで、それは日頃、僕たちが利用している通勤列車ではあたり前のように行われているはずだ。 なぜに、夜行列車用の車両が老朽化して、それを新製の車両でまかなえないのか・・ 鉄道ファンのみならず、それら列車を利用していた多くの乗客はJRの言い訳に納得などできるはずもないのだ。

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たとえば、JR西日本では、SL観光列車「やまぐち」号の12系客車の老朽化に伴い、外観をノスタルジックな旧型客車のデザインに合わせた新型客車編成を製造することを発表している。 SL「やまぐち」号は快速の全車両座席指定車だ。 特急料金は収受できず、特別料金としては座席指定料金の520円だけしか得られない。 だのに、この列車の客車は製造し、「トワイライトエクスプレス」や「銀河」の車両は老朽化したからといっても代替車を製造する話にはならない。 乗車券以外に一人の乗客が払う特別料金は数千円から数万円になるのに・・だ。

SL「やまぐち」号は列車単体で見れば大きな赤字を出す列車だと見ている。 だが、沿線経済への波及効果は巨大で、JRとしても新幹線などほかの分野への集客効果も大きい。

そうすると、夜行列車にSL「やまぐち」のような経済波及効果はないのだろうか。

自治体でも鳥取県や秋田県では寝台特急の廃止に対して「存続」をJRに陳情している。 北海道も「トワイライトエクスプレス」「北斗星」の廃止には難色を示していた。 これはこれら夜行列車がもたらす経済波及効果が、大きいということを意味している。 それでも、JRは腰を上げない。 いったん廃止と決めた列車を復活させたりはしない。

それはなぜか・・国鉄分割民営化とその後の新幹線延伸への世論の中で、JR内部、国交省内部の全うな意見は押され、つぶされ、結果としてJRに無理やり新幹線を押し付けるという方向になってしまい、受けるJRとしても新幹線の経営安定が第一義となり、平行在来線を切捨てせざるを得ない危険な状況に追い込まれているが、JR北海道が当面、北海道新幹線に巨額の赤字を見込む結果となっているのはその際たるものだろう。

そこに夜行列車を運行しても第三セクターなどとの権利関係が複雑で、自社にとって大きな利益にならないと読んでいるから・・要は新幹線を運用するだけで必死と言う状況である。

北陸新幹線をフル企画で建設するかどうか、世論が分かれていたその当時、JR西日本は明確に「反対」の意思を表示していた。 「われわれが長年取り組んできたことが無駄になる」 これは当時のコメントだったと思うが、北越急行への肩入れと、それに伴う列車の高速化という努力すべてが無駄になる・・そのことを表している。 将来的には在来線列車の時速200キロ運転までも視野に入れていたJRの技術開発はその昇華の時期を向かえつつあった・・ だが、我田引鉄の論理は北陸新幹線構想を巻き込み、東北や上越に負けないフル規格新幹線への地元世論が大きくなると、在来線の維持・発展のための世論はかき消されていく。 JRとしても、こうなるとやらねばならないことだけを必死でやり、やる必要がない部分は切り捨てるしかなくなってくる。 結果として夜行列車のような長距離列車はその存在基盤を失う・・車両が老朽化したからと言って、 新車を作ってもその投資に見合う収益が見込めなければ撤退するしかないのだ。 この点では夜行列車は、赤字必死のローカル線列車よりJR内部におけるその地位は低いということになってしまった。

「昔懐かしい」「ノスタルジック」「消え行くもの」「時代の趨勢」これらの言葉が消え行く、いや、無理やり消されていく列車への哀愁となって、駅や沿線での鉄道ファンの殺到となり、「葬式鉄」などという嫌な言葉が囁かれる。

考えてみてほしい・・ 先進国といわれる国で夜行寝台列車のない国があるのか・・ かの米国ですら政府主導で長距離列車を運行する「Amtrak」が今も数多くの列車を運行している。 時間を有効に活用しながら、疲れを癒し、明日への活力となる列車・・ それこそが新時代の夜行列車であり、そこに哀愁という言葉は似合わない。

あるいは、ゆったりとした休暇を楽しむための列車、老後のささやかな贅沢をほんのひととき楽しむための列車。 日本が本当に先進国であると宣言するなら、鉄道における「文化」の部分を大事にした列車、あるいは人生の効率化のために本当に役立てる列車、そういう存在があって然るべきではないのだろうか。

JR九州が運行を開始したクルーズトレイン「ななつぼし」の大好評に刺激され、JR東日本、JR西日本はそれぞれ豪華クルーズ列車の開発に着手した。

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そして、JR西日本では「トワイライトエクスプレス」の車両を使ってクルーズトレインを試行している。やっと「鉄道文化」に対する認識が少し生まれてきたかと思ってはいるが、これではまだまだ、ビジネスマンが仕事のために、明日の活力のために使う列車も登場して初めて鉄道が持つ文化的土壌を発揮できるのではないか。

あるいは若者がリーズナブルに旅行をするための、快適で安全な列車の開発、事故多発の高速道路ではなく、安全な鉄道を最高にアピールできる機会であり、もっともっと、夜行列車というものを見直していくようになり、その列車を保護、発展させる政策があって始めて日本は先進国、文化立国といえるのではないのだろうか。

もうひとつ言えば、新幹線の高速性を利用し、線路保守の妨げにならない時間帯に走り、線路保守時間帯は駅で停車して時間調整を行うような夜行列車があればと考えている。

新幹線なら、車体サイズも大きく、寝台車としてはゆったりとした非常に良いものが出来るのではないだろうか。

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ちょうど今のサンライズの車両を少し大きくした感じをイメージしている。

鉄道ファンにしても、廃止される列車を追うばかりではなく、新時代への提言をもっともっと、大きな声にしていこうとするそういう方向性になぜ至らぬのか・・

それならお前がやれ・・とはよく言われる言葉だが、一人の声ではない、大勢の声をもっと大きくしていくことの必要性を僕はこの国の鉄道・交通の未来のために言っているわけだ。

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2016年3月改正以降、日本の夜行旅客列車は定期運行では「サンライズ瀬戸・出雲」一本のみとなる。 「一日およそ4万ベッド」の時代からわずかに四半世紀、その日以降は「サンライズ瀬戸・出雲」の全寝台が、日本の鉄道が一般に販売する夜行列車ベッドの全数であり、「サンライズ」の「のびのび座席」が夜行列車座席のすべてなのだ。

夜行列車、寝台列車始まって以来のこの危機は、必ず日本の鉄道の危機への序章となる・・僕はそう考えている。

個別の時間やライフスタイルに応じた選択肢のない乗り物はその魅力を発揮出来ず、いずれ撤退するしかないからだ。

2015年12月 9日 (水)

山陽3000系全編成健在の記録。

山陽電鉄に20年ぶりの新型車で18年ぶりの新車、6000系がまもなく登場、うわさでは既存車両の大幅な入れ替えが近くあるといわれている。

そこで、今現在、山陽電鉄の主力車両として活躍する3000系のすべての編成がそろう最後の時期であり、高度経済成長期を支えた、中小私鉄としては最多の両数を誇るこの系列の全編成の様子をここに記憶としてとどめておきたいと思う。

山陽3000系は昭和39年、神戸高速鉄道乗り入れのためにこれまでの2000系を抜本的に見直した車両として登場、すべてロングシート、3ドアの完全な通勤型車両だ。

当初登場したのは本邦最初だったアルミカー、2012Fの実績を元に、オールアルミで昭和39年に製造された3000Fと3002Fだ。

なお、本稿で掲載した写真の撮影は古くても昭和50年ごろまでのものであること、ご承知おきいただきたい。

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須磨での3000F、当初3連、後にサハを加えて4連化されている。

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後に3050形新アルミカーに合わせて、正面帯が太くなった。写真は地上仮線時代の西代付近。

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この編成のTc、クハ3600・・山陽電鉄3000系は神戸よりからMc・M’・T・Tcで組成されるのが基本、McもM'も3000形を名乗るがMcがクモハ3000で偶数、M’がモハ3000で7奇数、Tcがクハ3600形、Tがサハ3500形だ。なお、車番は形式名から始まる・・つまりゼロ番が第一号車となる。加古川橋梁にて。

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今現在の3001の車内。

登場から50年を超えるが美しく整備されている。当初は座席はグリーン、天井照明にはグローブが付いていた。

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工事中の舞子公園駅に停車する3600。

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こちらは3002F、地下化工事が始まる前の西代付近。

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昭和52年ごろ、須磨で3600と3601が並んだ。

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神戸高速開業に際し、多くの車両が必要になるために、コスト面から普通鋼製車体となった3004F。当初、前面・側面の行き先・種別表記は散りつけられていなかったが、後の増備車に合わせて行き先表示が取り付け・・その際、改造車は機器が正面に飛び出した格好となった。これはほかの編成はすべて後に正面ドアの交換が行われたが、この編成だけは今現在も飛び出した行先表示器を持っている。ごく最近の撮影・・大蔵谷駅。あまりにも原形を保ちすぎていて、今後が心配になる。

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的形付近を走る3004F、Tc3602。

旧カラー時代だ。

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3006F、飾磨にて・・網干線ワンマン対応改造がなされた編成で、3200形以外の3000系列では唯一。飾磨にて。

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3008F、雪景色の阪急神戸線を快走・・かつては阪急六甲まで乗り入れていた。

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その編成の旧カラー時代、滝の茶屋で3604。

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3010F、阪急御影駅西方の折り返し線で待機する様子。この編成は後に3200系化され、今の車番は3210F。

阪急線では免許上は御影までの乗り入れ、客扱いは六甲までで、御影手前で折り返す。

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こちら、今の、3210が3012と出会う様子。霞ヶ丘。

山陽電鉄では既存3000系のリニューアルを進めていて、今後もリニューアル済みの編成に付いてはある程度安泰であると言う話もある。

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3012F、旧色時代の須磨浦公園で。

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3014F、こちらも須磨浦公園、旧色時代。

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3016F、ごく最近の霞ヶ丘で、3002Fと並んだ様子。

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3016FのTc、3608、高架前の電鉄明石にて。旧色時代。

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3018F、この編成はTcが2両つながる、変則的な編成だった。旧色時代、須磨浦公園。

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加古川橋梁にて、3609の次位に3619がつながった様子。

4連化の増備の際、TではなくTCを製造、後にMC、M'を製造して、これに2000系改造のT、3550形を挿入した。その際にTc3619が1両だけ余った形になった。

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3020F、数年前の霞ヶ丘にて。

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藤江付近を行く3022、旧色時代。

この編成から中間M’車の屋根がパンタ部分のみ、やや低くなっていた。

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この編成のTc、3611、次位に2000系改造のT、3551を連結して4連となっている。加古川橋梁にて。

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3024F、地上時代の西代にて。中間に3552を挿んでいた。

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ニューカラーのごく初期、僕が初めて見た3000系新塗装、一時的に3連化されていた3024F、飾磨にて。

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3026F、滝の茶屋にて。

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3028F、林崎付近。

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この編成のTc、3614、高砂線列車を追う様子、加古川橋梁にて。

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3030F、こちらも林崎で。

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この編成のTc、3615・・次位に2000系改造、3555を連結している。加古川橋梁。

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3032F、須磨浦公園にて。

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この編成には中間に3556号が連結されていた。こちらは加古川橋梁で。

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3034F、須磨にて。後に3200系化され、今の車番は3206F。

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大塩付近を走る3034F、中間に3557号を連結している。

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その3557号の様子。

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3036F、非冷房3000系最後の増備。この頃には冷房化されている。藤江付近。

この編成も3200系化された。今の車番は3208F。

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この編成のTc、3618、2000系改造の3558が連結されている様子が判る。須摩浦公園。

この昭和50年代当時、3000Fから3016Fまでは新製の3500から3508までのTが連結されて4連に、3018FにはTcの3609を中にいれて4連に、3020Fから3036Fには2000系2002F~2006Fまでの編成をバラして、3ドア、ロングシート、付随車化、といった改造を施した3550から3558までのTを中に入れて4連化されていた。

ここから3200形編成。

2000系の一部を電装解除して、編成をバラし、3000系のTに改造したことは先に述べたけれど、その際に余剰となった主電動機を使った車両が3200形で、外観は全く3000系後期型と同じだ。

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3200F、平松にて。

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3202F、最近の撮影。網干付近。

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この編成の旧色時代、先頭は3621。

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3204F、こちらも最近の撮影。高架の西飾磨にて。

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この編成の旧色時代、地上時代の西代付近。Tcは3622。

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ここより3050形。

いよいよ山陽電車でも通勤冷房車の製造と言う時代になった。

当初より冷房装置を搭載し、車内を見れば平天井、並行する国鉄とは一味もふた味も違う気持ちの良い冷房車の登場となった。

当初は4連で登場した。

昭和47年登場、3050F、これは最近の大蔵谷にて。

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この編成の旧色時代、別府にて・・Tc3630、線路脇の架線柱は大正時代の神姫電鉄開業時からのものだ。

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3052F、阪急三宮。最近の撮影。

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新色になってからだが、Tcは3631、一の谷。

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3054F、加古川橋梁にて旧色時代。

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3056F、この編成からエアサスにグレードアップした。藤江付近。乗り心地が非常に良いのが印象的だった。

 

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この編成のTc、3633が3604と改装前の姫路駅で並ぶ。

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3058F、旧色時代、須磨にて。

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この編成のTc3634。

30603060F、数年のブランクを経て登場した新車、当初、運転台窓回りのゴムが黒色で驚いたものだ。加古川橋梁。

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同じく、須磨浦公園内で。

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3062F、加古川橋梁。

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3064F、ごく最近の撮影、急行にあたる「S特急」で運用される様子。霞ヶ丘。

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この編成のTc、3637がかつての特急ロマンスカー、855と姫路駅で並ぶ。

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3066F、林崎付近。

昭和56年、久々にアルミカーとして登場、ただし、先頭Tc車は鋼製車体、Tはほかの編成から持ってきたもの、3508だったろうか・・後にTも新造された。

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3068F、晴れて無塗装、赤ライン付きで新生山陽をアピールした。最近の撮影、舞子公園にて。

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3070F、この頃は毎年1編成、新車が見られた。須磨浦公園。

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3072F、最近の撮影、舞子公園のJR跨線橋を俯瞰。

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3074F、これも最近の撮影、大蔵谷にて。

この編成は5000系転換クロス化で余剰になった固定シートを使ってセミクロスシートに改造されている。

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3076F、この編成もクロスシートに改造されたが、3074・3078とあわせて、一時は3連でいつでも6連にして5000系運用の穴を埋められるようになっていた。なお、Tは3000Fから抜いた3500だ。

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この編成のTc、3642が6連特急の運用にはいっているところ。姫路駅。

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3078F、この編成も6連予備のための3連だったが、今は3002Fから3501を抜いて4連化されている。

最近の撮影、須磨寺にて。

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この編成の車内。なお、クロス改造車はいずれもMc、M'、Tcのみで、T車はロングシートのままだ。

これは特急予備車時代に3連で運用されていたことによる。

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3100F、将来の6連化を予想して増結用に使えるように作られた編成で、Tcは鋼製車グループで余剰になっていた3619を連結した。登場当時の東二見車庫で。

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3100Fは一時的に4連化されて特急運用にも使われた。

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Tcに抜擢された3619は鋼製車ながら、淡いグレーに赤帯、ドア部分はステンレス地肌と言うアルミカーのような塗装を纏い、異彩を放っている。

4連、霞ヶ丘にて。(現在はこの編成は3連だ)

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このほか、2700系→2300系で活躍した2編成が一時的に3550形置き換えのTとして3560形を名乗り、編成に挟まれたことがあった。写真は3562、霞ヶ丘。

今秋、山陽電鉄では誕生50年を越えた3000Fの赤帯を登場当時の細いものに変更してくれた。

それもテープなどを使わず、かつてのように赤いプラ板で精巧に作った帯を、磨きぬいた車両正面に取り付けてくれた。

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写真は新装成った西新町高架線をいく3000F。

ちょうど、僕が写真を撮り始めた頃のデザインで、非常にうれしい。

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そして、鉄道退職後の僕が写真の修行をした阪急沿線の入り口・・阪急神戸三宮駅でのTc3600と阪急8000系のトップナンバー編成、8100との出会い。

これだけでも当時をしのんで涙も出てくる・・まさに青春の光景の再現でもある。

いよいよ、次の春が来ると3000系編成の中から、離脱する編成も出てくる。

山陽3000系は僕にとって身近で親しみやすい、私鉄電車の代表格のような存在、どうか、少しでも長く走ってくれよと祈りながらこの長い文章を終えたい。