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2015年11月15日 (日)

Photo Archive 想い遥かな餘部駅・余部鉄橋。

冬が近くなると山陰への思いが募る。

それも、鉄橋時代の餘部、余部橋梁へ・・今回は未公開写真も多く出しながら、改めて余部橋梁への想いをつづってみたい。

初めて餘部に行ったのは昭和54年頃か・・国鉄寮の仲間と向かったのだが、当時は姫路始発の急行「但馬」があったように思う。

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DD51牽引の普通列車を見上げる。

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特急列車、キハ80系6連。

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雨の日、客車を牽いてDD51が接近する。

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その列車の後部・・リアス式海岸をバックに、旧型客車の風情。

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冬の遠望・・堂々たる普通客車列車。

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こちらは特急列車。

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その列車の後部。

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橋を行く列車を見上げる・・特急列車だ。

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普通客車列車。

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駅に進入するDD51牽引、12系による普通列車。機関車はDD511122だ。

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雪の中をゆくキハ28・58系列による急行列車。

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キハ181系、特急「はまかぜ」が接近する。

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雪の風情・・

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残り柿。

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橋梁の補強梁・・

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下から橋梁を見る・・

保守の面倒な大型橋梁は国鉄にとって小さくない負担だったのだろう。

 

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青空の日・・空中を行くキハ181特急、そのキロと中間に入った先頭車の連結部分。この色合いはポジ原板による。

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キハ181先頭・・

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後部の乗務員ドアが開放されていた。

車掌には暑い部屋だ。

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旧型客車4連の普通が東へ向かう。

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DD51の次位にマニ50。

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ローカル改造された12系客車が行く。

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青い海を背景にキハ28・58急行列車、7連。

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堂々たる旧型客車による普通列車が姿を消した・・キハ47系による普通気動車列車。

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キハ28の列車がやってくる。

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たった3連、急行列車間合いの普通だろうか。

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トンネルから出てきたのは急行気動車を改造した特急、「エーデル北近畿」

B

列車が進む・・

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貫禄というものは感じないが、観光用にふさわしい特急列車だった。

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餘部駅の隣、久谷付近での撮影・・

特急列車の遠望。

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列車が進む・・まだこの頃には特急らしい貫禄があった。

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その列車の後尾。

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3年前に訪れた際の写真、特急「はまかぜ」は新型キハ189になったが、編成はさらに短く、たった3連となった・・
ただ、乗客の多い日には6連でも運転される。

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記憶の彼方の風景・・小学生が遊んでいたが、特急通過後に僕のカメラのファインダ―画面に入ってきてしまう。今思えば非常にいい記録になった。

 

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通学の高校生・・餘部駅の、如何にもローカル駅と言った風情は、初めて訪れた僕らを強く引き付けた。

 

だが、地域住民が愛し、手入れをしてきた駅、地域が誇りとしてきたあの鉄橋で国鉄は最末期に大事故を起こした。

「みやび」転落事故である。

僕も愛した鉄橋、愛した駅で、僕が愛する国鉄が、僕も参加して作り上げた「みやび」を転落させ、大勢の地元の方々を死に至らしめ、町を破壊した。愛する風景だけではない重みが、餘部駅に、余部橋梁にはある。

愛すると一言で言えない重み、鉄道を愛していたはずの方々を押しつぶし、誉れを持って新型客車に乗務していた食堂従業員を道連れにしたあの大事故は今も常に僕の心にある。

Photo_13

それでも、餘部は、僕にとっては愛すべき場所であることに違いはないのだ。

(本文中、「あまるべえき」は餘部駅、「あまるべきょうりょう」は余部橋梁と表記しております)

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コメント

子供の頃、飽きる事もなく眺めた昭和33年頃発刊の多分講談社の交通図鑑、まだ現代の様なカラー写真印刷は無く殆ど絵でしたが、代表的な鉄橋として余部がそこを行くDF50を添えて載せてありました。
餘部なら勘違いも無かったのでしょうが、小学生には余部故に余目と中学生になる永く思い込んでいました。
昭和47年夏に初めて現地を訪れました。その時に泊まった今は閉館となったユースホステルからも遠望出来たと思いますが、あの地形ですから餘部の部落の殆どの場所から見えるのでしょう。それを考えれば、不幸にして斯様な事故は起きてしまいましたが、高く聳え連なる橋梁はあの地区の象徴であるやにと。
鉄橋から真新しいコンクリート橋へと改まり、新たな景観となったのに、華は僅かに特急はまかぜ2往復となってしまったのは寂しい限りです。

初めまして。この秋より隅々まで何度も読ませていただいております。

小学5年生でJ誌を読み始めたのが30年以上前ですが、それ以来鉄道のプロにあこがれたまま大人になってしまいました。

さて、余部橋梁・餘部駅の写真、大変懐かしく思い出しました。何度かこの区間、やはり初めての一人旅で京都から181系気動車の「あさしお」の体験が一番強い印象ですね。ゆっくりとトンネルを抜け、餘部駅を通過し、天空へ飛び出すがごとく鉄橋を進むのは、普段の電車とはまったく違う非日常体験でした。

「みやび」の事故は、当時現場に設置の風速計が一定値を越えるとアラームが出るはずが、出ないままだったので福知山の運転指令センターが抑止しなかった、との報道だったと記憶しています。

当時も現場の監視員を廃止し感覚より風速計の値が重視されているのがマスコミでは問題視されていましたが、今ではもっと自動化が進み、「これ以上は危険だ」と肌で感じ取れるような職人はいなくなってしまったんでしょうね。

現代の189系気動車と新しいPC橋梁に生まれ変わった餘部(余部橋梁)、今後は油断なく事故のないように祈るばかりです。

あづまもぐらさん>

特徴的だった橋が、今は普通の橋のちょっと大きいものに代わってしまった・・感がありますね。。
折角の新橋梁、上を通る列車もそこに相応しいカッコいいものにしてほしいとは思うのですが。。

CrossTourDream2020さん>

はじめまして、ようこそ!!
みやび・・あの事故の遠因はもしかしたら風でも何でもなく、鉄道関係者家族を乗せ、香住に着いた列車を、お買い物中のその方々のために無理矢理発車させたのではという邪推も・・案外、当たっているかもしれません。
謎の多い事故ですね・・
「みやび」はワタシにとって記念碑的な存在でしたが・・

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