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« 昭和61年夏、姫新線・芸備線の旅 | メイン | Photo Archive 改めて湘南形二枚窓の電車を思い返す。 »

2015年9月12日 (土)

別府鉄道、明姫幹線付近

別府鉄道のポジが出てきた。

同じフィルムに野口線と土山線の列車が写っていて、季節は冬のよう、キハ101の風貌や沿線の雰囲気から昭和57年ごろの写真だと思う。

今の国道250号線、通称明姫幹線(めいきかんせん)付近での撮影、クルマかバイクで追いかけたものだろう。

1012

野口線、坂井・円長寺間での撮影から・・

出来たばかりの高規格道路をクラシカルな気動車、キハ101がくぐる。

101

キハ101が接近する。

背景の高架橋は今も存在しているが、別府鉄道廃止により4車線化のさいには増設車線部分が地平に建設された。

1013ゆっくりと単行列車が近付く。

1012_2

立派な建物は新道路完成後に出来たラブホテルだ。

今なら鉄道オタク御用達?

101_2その横には住宅が新築中。

かつては一面の田園地帯だった場所だが、幹線道路の開通で変化が起き始めていた。

いまや、住宅密集地でもある。

1012_3

立派なマンション横を通過する。

巨大マンションが建設され始めたころだ。

1011

宅地造成されているところを通過する。

沿線人口は爆発的に増加しても別府鉄道の乗客は増えない。

101_3

今度は線路際で。

そのマンション脇に列車が進んでくる。

101_8

マンション脇を通過する。

 

101_4

工場と住宅の間を列車が行く。

101_5

去り行く列車。

101_6

野口駅での様子。

アップで・・

101_7

この頃、キハ101はどういう理由からか、ドアステップに車体裾をそろえる改造がされていた。

Dd502

土山線、中野駅にて。DD502がたった1両の客車をけん引する。

すでに中野駅は営業されなくなっていた。

Dd502_2

列車が接近する。客車はハフ7だ。

7

去りゆく客車列車。

72

昭和50年代とはとても思えぬ列車の風情だが、周囲の景色はまぎれもなくこの時代を表している。

101_9

別府鉄道廃止後、キハ101は地元、別府町の公園で保存された。

が、この後の手入れがなされず荒廃し、結局は解体された。

Photo

今、別府鉄道があった場所に住んでいる住民のどれほどが、ここに鉄道があり、こういう鉄道だったことを知っているだろうか。

廃止30年の時間はあまりにも長い。

 

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別府鉄道、明姫幹線付近を参照しているブログ:

コメント

懐かしいですね。
ところで中野駅ですが廃止まで駅として存在していました。
ただ、土山線の列車に乗客がいないときは通過していたこともあったようです。
末期に明姫幹線の上から中野駅を撮影したことが何回かありますが、停車すると思って構図を構えていたら減速せずにシャッターを切るタイミングを逃したことがありました。
乗降客はいませんでしたがきちんと停車し、車掌が車外に出て出発合図をしているところを見たこともあります。

こうさん、いつも楽しく拝見させていただいております。
別府鉄道には2つ印象が残っております。
①藤原製作所前駅
小学生の頃、よく父親に最寄の公設卸売市場に連れて行かれ、その帰りにディゼルカーに出くわしました。その横の工場への通勤の足のようでしたね
②別府港駅
山陽電車の車窓から遠く、別府港駅の構内を見渡すことができました。貨物好きの私は、高砂線ではみかけないタンク車の姿を見ることができ楽しかった思い出があります。アンモニアを積載した白いタンク車や、塩酸を積んだタンク車などを遠目で目撃し、楽しんでおりました。

写真好きの阪急の駅員さんが、「面白い私鉄があるから」と
一緒に写しに行つたのが高校2年生の時でした。
土山まで山陽本線併結のナハフ21000系備後十日市行きに
乗車、土山から3号機関車(中越甲1型No.1→国有1050)に
引かれた二軸単車、別府港でまだ代燃釜が残るキハ2撮影
オリジナルのキハ1に乗り野口へ行き側線に放置状態の
元播丹鉄道キハ500を見ました。窓ガラスが殆ど割れて
青とクリームの塗装も禿げチョロケ状態。
その後度々訪れましたが、本当に長閑な鉄道でした。中野
に停車したのは、鉄道友の会の見学臨時列車の時だけだった
です。

たしかに、私が存在を知った1970年代頃から、廃線までの時期まで、すでに時代を超越した存在でした。
改めて写真の風景を見ると当時は田園風景が広がり、今はそれなりに商業施設やマンション・住宅が増えていることに改めて気づかされます。明姫幹線はいつも通るところだけに31年の歳月を感じます。

 別府鉄道、懐かしいです。S59雪のラストランは今も鮮明に記憶しています。

 その当時でも、別府鉄道と明延鉱山の一円電車はタイムスリップした感じでアッと驚く存在でした。

 別府鉄道は多木化学の肥料を専門に運んでいたと思っていたのですが、川崎車両(KHIの前身)の製作した貨車を運んでいたとKHIのOBに聞きました。今ではKHI加古川工場になり、バイク部品しか作っていませんが。そういえばポートライナーの試作車両を一時倉庫代わりに使っていました。

Teddoさん>

いつもお世話になります。
中野駅ですが、最後まで駅として存在していたというのは本当でしょうか。
ワタシはここに時刻表があった記憶がなく、この駅のホームにいて列車が停車した記憶もなく、土山線列車に乗っていて列車が停車したこともなく・・
川崎重工前では時折停車して貨車の入れ替えをしているのに出くわしたことはありますが。。

旧高砂市民さん>

別府鉄道の茫洋とした、工場地帯でありそうで、田園地帯でありそうで、住宅といでありそうでそのどれでもない雰囲気、
特に、別府港や野口にはその印象が強かったと思います。
藤原製作所前、今もそこの企業は残っていて、TLVという名称になっていますね。

キッコーマン専用線さん>

ワタシにとってもなかなか縁の濃い地域、今でもしょっちゅう訪れますが、ふと、別府鉄道のいたころの痕跡を探す自分があります。
30年は長い長い時間になってしまいましたね。

L急行鷲羽さん>

時折、その川重前で、客が乗っているのに列車を止めて貨車の入れ替えもしていましたね。
今、そのあたりに立派な公園が出来、別府鉄道の車両も綺麗に保管されていますね。

Pyreneanさん>

いただいたお写真をこのブログ横のウェブサイトで公開しております。
ワタシの知る別府鉄道よりさらに時代がかった別府鉄道・・
そのころを見てみたかったものです。
いつもありがとうございます。

中野駅は通過していましたが、
別府港駅で中野行きの硬券を販売しており
一応は存在していたことになります。
中野行きの硬券は渋かったですよ

ニブロクさん>

ありがとうございます。
ワタシは乗車券類の収集をしないので、全く気がつきませんでした。

旧中野駅のそば、川重の南側に有った、保線倉庫に使われていた貨車上部。長らく放置状態でいずれは朽ち果てるのかと思っていたら、ごく最近きれいに塗りなおされ、社名・車番も現役時代並みに書き直されています。どなたの仕事か?本職の仕事のようです。往時を知る人間にはありがたいことです。

キッコーマン専用線さん>

その話題、ちょっとあちらこちらで沸いていますね。
ワフの消えた番号まできちんと復元してくれていると・・
近く、様子を見に行きたいと思っております。

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