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2015年9月

2015年9月26日 (土)

Photo Archive 改めて湘南形二枚窓の電車を思い返す。

昭和25年、国鉄としては画期的な電車による長距離運転を実現した80系が登場、当初は半流線型3枚窓のデザインだったが、このデザインが戦前最盛期の国電デザインに比しても何となく間の抜けた感じであり、二次車からは思い切ってデザインを変更、流線型二枚窓という全く新しいデザインとなり、一世を風靡するようになる。

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初期、一次形、名古屋にて。

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夢前川の80系電車。

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播州赤穂駅に入る80系電車。

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 こちらは夢前川橋梁東側の築堤にて、クハ86300代先頭。

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国鉄ではこの後、この電車のイメージを気動車、機関車にまで反映させる。 気動車では電気式キハ44000型がこのデザインを採用。後にキハ17系液体式気動車群が登場してからは合造車や郵便荷物車などに改造された。  写真は加古川駅に入るキハユニ15、変わった顔立ちが印象的な3号車だ。

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こちらは加古川駅で荷扱い中のキハユニ156、加古川線には3両のキハユニ15がいた。

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 機関車、電気式ディーゼル機関車、DD50、米原駅構内にて。

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当初評判の良くなかった戦後復興期の大型電気機関車、EF58は大規模な更新工事を受け、その際に車体を流線型二枚窓に改められた。 今も人気の高い機関車だ。 写真はEF58トップナンバー、宝殿にて。

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EF5880、流し撮り、流線型EF58の顔立ちの何と美しいことか。

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 70系電車、府中電車区。 80系が正面と側面がややアンバランスなイメージがあるのに対し、上下に拡大された二段式の側窓、明るいクリーム主体のツートンカラーで登場した70系のデザインは品がよく、国鉄が作ったこの種のデザインでは白眉ではないかと思う。

しかし、国鉄で湘南形二枚窓を採用したのは量産車ではここまでで、これ以後、電車・気動車は使いやすい貫通型、特に電車急行、近郊型電車にはパノラマミックウィンドウと組み合わせた格調高いデザインが中心となった。 だが、私鉄では国鉄デザインよりさらに良いものをと、一種独特の湘南形風二枚窓デザインを採用した会社もあり、全国手に大流行、さらに昭和40年代になっても湘南形二枚窓を基本としたデザインを採用すr会社もあるなど、大きな影響があった。

2023

京王帝都のグリーン車、2023、京王八王子にて。

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 3000系ステンプラカー、明大前。

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 更新車、3772、明大前。

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 名鉄5000系、一種独特の流線型、丸い車体は国鉄デザインのはるか上を行った。 日本車両と名鉄の意欲が表に出た形だ。

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東急5000系、写真は熊本での様子だが、これまた独特の軽快さで私鉄らしい車両だ。

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 移籍先の長野での様子、赤系統の塗装がよく似合う。

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その長野電鉄が近代化初期に特急用として投入した2000系、名鉄5000と同じメーカーで、似た雰囲気ながら独自路線を行く。

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西鉄1000系、3ドア改造後、やや野暮ったい、面長なデザイン。 この、独特の風貌がまた魅力だった。

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神戸電鉄300系、阪神3011系は早くにその姿を変えてしまったが、その香りが漂う。

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 南海、11001系→この頃は1001系改造後。 新今宮駅。 国鉄湘南形二枚窓を基本にしたデザインでは、もっとも完成度の高いデザインだと思う。 側面と正面のバランス、長い車体、そして明朗な緑濃淡のカラー。

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南海21001系、11001系と同じ系統のデザインだが、車体サイズが短く、トンネル限界の関係で屋根が低いので微妙に印象が異なる。 なぜか、関西私鉄は湘南形デザインには消極的だったが、南海はうまくこのデザインを昇華させ自社のものとした。

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富山地鉄181、14780系の制御車、長野・名鉄と同じメーカー、日本車両による意欲的な作品で、正面の傾斜はないが、塗装と相まって独特の風格を感じる。

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近鉄800系、湘南形二枚窓のアレンジとしてはデザイン的にも一歩抜きんでているように思う。

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 近鉄409、更新車にも湘南デザインが登場したが、こちらは800系に比すとバタ臭い感じがする。

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 近江鉄道132、近江鉄道はこの電車をすべて自作。 自作でもここまで見事な車両にできた・・驚嘆に値する。

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大井川鉄道(元北陸鉄道)6050系、湘南形デザインを一歩進めた、大型パノラマミックウィンドウ、アルミ車体という大変な意欲作。 これも日本車両の手によるもの。

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茨城交通ケハ601、ステンレスの気動車、車内は通勤型仕様だが、その存在感は大きかった。

200

福井鉄道200形、これも日本車両の手による意欲作。 湘南形と101系デザインを合わせ、車内は111系、そして連接車という車両で、今も残るが福井鉄道LRT化により、去就が注目されている。 写真は武生新における準急→急行への変更作業。

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 伊豆箱根1000系、西武系の鉄道は二枚窓がとても好きだけれど、ここの車両は一味もふた味も違っていた。

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二枚窓電車が3編成並ぶ。

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十和田観光、1205、三沢にて。 北海道・札幌で電鉄を運営していた定山渓鉄道の車両。

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 京浜急行600形。 久里浜にて・・走行シーン。

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 編成の連結部分。 オールM、クロスシート、正面デザインは全体に傾斜した独特の二枚窓、側面大きな窓と相まってバランスのとれた美しさを見せる。

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久里浜駅ホームで先頭車のアップ。

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中間車の様子。 阪神3011系よりやや後の作品だが、僕らはこの電車に阪神3011の面影を見た気がした。

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西武鉄道101系、池袋にて。 湘南形大好きな西武の、もっとも洗練されたデザイン、黄色とグレーのツートンが良く似合っていた。

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 流山電鉄での元西武車、バランスのとれた、かっこいい電車だ。

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大井川鉄道の元西武車、こちらは3ドアを2ドアに改造、クロスシートを設置して活躍していた。

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 岡山臨港のキハ7001、元はと言えば北海道、夕張鉄道の気動車だった。

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紀州鉄道の603、はるばる大分からやってきた。

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長らく、国鉄は湘南形デザインの本家でありながら、そのデザインを生かした車両を作ることはなかったが、末期にようやく2種の電車が登場した。 写真は185系、鼻筋を通し、全面上部に傾斜を付けるなど、湘南形の末裔であることを宣言しているように見える。

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117系、関西急電からの伝統を、うまく受け継いで見事に表現した、国鉄デザインとしては最高傑作のひとつであると信じる。

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最後に偉大な80系湘南電車の面影をしのびながら・・ 飯田線。

 

2015年9月12日 (土)

別府鉄道、明姫幹線付近

別府鉄道のポジが出てきた。

同じフィルムに野口線と土山線の列車が写っていて、季節は冬のよう、キハ101の風貌や沿線の雰囲気から昭和57年ごろの写真だと思う。

今の国道250号線、通称明姫幹線(めいきかんせん)付近での撮影、クルマかバイクで追いかけたものだろう。

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野口線、坂井・円長寺間での撮影から・・

出来たばかりの高規格道路をクラシカルな気動車、キハ101がくぐる。

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キハ101が接近する。

背景の高架橋は今も存在しているが、別府鉄道廃止により4車線化のさいには増設車線部分が地平に建設された。

1013ゆっくりと単行列車が近付く。

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立派な建物は新道路完成後に出来たラブホテルだ。

今なら鉄道オタク御用達?

101_2その横には住宅が新築中。

かつては一面の田園地帯だった場所だが、幹線道路の開通で変化が起き始めていた。

いまや、住宅密集地でもある。

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立派なマンション横を通過する。

巨大マンションが建設され始めたころだ。

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宅地造成されているところを通過する。

沿線人口は爆発的に増加しても別府鉄道の乗客は増えない。

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今度は線路際で。

そのマンション脇に列車が進んでくる。

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マンション脇を通過する。

 

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工場と住宅の間を列車が行く。

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去り行く列車。

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野口駅での様子。

アップで・・

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この頃、キハ101はどういう理由からか、ドアステップに車体裾をそろえる改造がされていた。

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土山線、中野駅にて。DD502がたった1両の客車をけん引する。

すでに中野駅は営業されなくなっていた。

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列車が接近する。客車はハフ7だ。

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去りゆく客車列車。

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昭和50年代とはとても思えぬ列車の風情だが、周囲の景色はまぎれもなくこの時代を表している。

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別府鉄道廃止後、キハ101は地元、別府町の公園で保存された。

が、この後の手入れがなされず荒廃し、結局は解体された。

Photo

今、別府鉄道があった場所に住んでいる住民のどれほどが、ここに鉄道があり、こういう鉄道だったことを知っているだろうか。

廃止30年の時間はあまりにも長い。