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2015年8月 3日 (月)

Photo Archive キハ80系賛歌

このブログでは以前に485系583系381系キハ181系を個別に取り上げてきたけれど、キハ80系に関してはブログ初期の文章中心の頃にしか特集していなかったように思う。

Facebookグループ、「国鉄・私鉄の思い出」でときに日付を意識してその日付に合わせた番号の形式や車両を出し合って遊んでいるけれど、8月ということでキハ80系の在りし日の姿を多くの方々から見せていただくことができる。

そこで、今回は国鉄特急形写真集として5番目、キハ80系としていきたい。

基本的にPhoto Archiveとしてブログ過去ログからの出典とするけれど、まだ未公開だった写真もいくつか入れていきたいと思う。

最初に登場したキハ81を先頭としたグループは画期的な日本初の気動車特急というシステムなのに、現場での習熟も十分ではなく、「第二回アジア鉄道首脳会議」にいわば強引に間に合わせた感もあり、結果として初期故障が多発、新聞ダネにもなってしまったけれど、この後改良がすすめられ、現場ではそれ以後、好評だった。 キハ80系の最大の功績は、新時代の鉄道をイメージさせる全国特急列車網を拡大していくうえでの主力となったことで、これにより日本全国の主要幹線に特急列車が走ることになったわけだ。

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天王寺駅でのキハ81、「くろしお」 僕はこのクルマが営業運転している姿を撮影できたのはこれ一度きりだ。

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 同じ「くろしお」キハ82、海南駅にて。

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 昭和57年梅雨入りの日、山陰本線東浜で「はまかぜ」

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 同じ日の「まつかぜ」

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 その反対側。

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 函館本線、豊平川橋梁の「おおぞら」

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同じ場所で「北斗」

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大阪駅での「まつかぜ」

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大阪駅で「はまかぜ」がDD54と並ぶ。

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福知山線武田尾にて、キハ82「まつかぜ」

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 城崎駅にて、「まつかぜ1号」と「だいせん2号」が並ぶ。

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「まつかぜ」が発車する。

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城崎の温泉街を通過する「まつかぜ」、食堂車、グリーン車の姿も見える。

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長駆博多へ向かう「まつかぜ」、13両編成の威容。

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改築中の山陽本線宝殿駅にて、「はまかぜ」

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余部橋梁におけるキハ80系列車。

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その列車が谷あいの空中を通過する。

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餘部駅での通過後の「あさしお」と少年たち。

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友人、K君撮影、倉敷駅を通過する「かもめ」

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高砂工場における検査の様子。 キシ806、入場待ち。

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ジャッキアップされる。

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その妻面。

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キシ80の車内。

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トラバーサに乗るキハ806。

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全般検査完了後のキハ806。

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完成し試運転を待つキハ82。

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 こちらはキロ80。

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キハ81の3と5が高砂工場に廃車解体で入場してきた。 工場の誰しもが「ほんまに解体するのか」と首をかしげる・・工場職員にはこのクルマの「値打ち」が分かっていたのだ・写真はキハ813・・このあと、交通科学館で急遽保存されたクルマだ。

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 こちらはキハ815全景、すでに解体前提で3ともども、主要部品が外されつつあった。

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左側の様子。

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キハ815の正面。

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運転室付近。

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右後方から見た様子。

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筆者(下)と友人、せめてもの記念撮影。

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キハ815の台車。

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JR化後の前に、すでに西日本エリアからキハ80は消滅していた。 東海で残ったキハ80系「ひだ」

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JR化前、すでに「ひだ」と並んで最後の活躍をしていたキハ80系「南紀」、多気にて。

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キハ28系急行「志摩」と並ぶキハ80系「南紀」。

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キハ80は初期高性能車の宿命で、軽量車体が災いし、これが寿命を縮めてしまった感がある。 特に北海道での厳しい自然環境では、本州と同じ設計の車両ではやはり無理が生ずるのは致し方ない。 なぜに、急行用やローカル用気動車は特別な設計をしていたのに、特急気動車のみ、本州と同じものをもち込んだのか・・

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末期の北海道での傷み具合は相当なもので、高砂や向日町による、手入れの行き届いた車両しか見ていない僕には北海道のキハ80系が老骨に鞭うつ姿を見るのは辛いものがあった。

そこで後に専用設計のキハ183が登場するわけだが、その少し前の時期になぜ電車特急として本州の485系を少し味付けを変えただけで送り込んでしまったのか・・ 結局、国鉄はキハ80系の北海道での惨状からなにも学ばなかったわけだ。

言葉を変えれば、キハ80系の失敗は気動車故にキハ183として結実し、電車特急485系はそこで失敗しなければ何も分からなかったということだろうか。 その後、781系の登場と相成ったのは読者諸兄の知るところだ。

だが北海道での厳しい自然環境による老朽化の進展を別にすれば、この気動車は優秀な車両だった。 現場では扱いやすく、非力ではあっても当時としては考えられる最高の高性能、当時としては燃費も良く、1000キロ超の運用でも無給油で賄える。 乗り心地は良く、車内は極めて静かで、この点では後継の181系の及ばない部分でもあった。 独特の浮床構造に加え、窓周りの部材に木材を多用したことが乗り心地と静粛性の向上につながったのは間違いがない。

僕は国鉄の名車として20系客車や153系電車とともにキハ20・キハ28とこのキハ80系列をトップに挙げるけれども、国鉄気動車というのはそれほど木目の細かい優しい作りであったということだ。

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福知山線、武田尾付近でトンネルから飛び出るキハ82「まつかぜ」。

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別の日、反対側のトンネルに吸い込まれていく「まつかぜ」

名車の記憶は色あせない。 そこにこそ、国鉄の、日本国有鉄道の良心と輝きがあったのは間違いがないことだから。

 

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コメント

485系1500番台は、当初専用設計の北海道専用交流電車特急車両が投入される予定のところ、PCB使用問題が発生し、問題の解決した上での新車投入が間に合わなくなったため暫定的にマイナーチェンジの485系を投入したものです。
北海道の環境下では耐寒耐雪性能が不十分なのは半ば承知の上やむを得ずの投入でした。

実際485系1500番代より先に投入された近郊形711系(北海道専用)では問題は起きていません

幼いころ、津駅や松阪駅でキハ81先頭の「くろしお」を見た記憶があります。食堂車で年配の客が箸を動かしているのも見ました。
キハ82「南紀」の最後の一年は、良いアングルをひたすら求めて本気で紀勢通いしましたね。徳和から熊野市まで、めぼしいところはほとんど撮りつくすことができたと思っております。キロ80が2両に増結された7両編成が来ると、一気に鉄魂が燃え上がったものでした。
北と西の13両、おおぞらとまつかぜ。さらに、山陽を行くかもめ。これらを撮って、乗って、食堂車でビールと一番高いセットメニュー頼んで腹一杯飲み食いしてええ頃加減に酔って…そんなこと、一度ぐらいしてみたかったです。

 私が鉄道ファンだった頃は、82系の全盛期で“白鳥”、“かもめ”、“なは・日向”、“まつかぜ”、“はまかぜ”が運行され、文字通り東奔西走といった大活躍ぶりでした。そのなかで熊本から三宮まで“なは”に乗車しました。食堂車で車窓を見ながら昼食を摂ったり、小倉駅で“日向”との連結シーンを見に行ったり、今では懐かしい思い出です。

 DC特急は狭い床下スペースに駆動系はもちろん補機の搭載もあり、更に静粛性も必要なので当時の技術では大変だったことと想像できます。

 今では小型で強力な駆動系、冷却システムで車両作りも難なくできます。しかし、セクショナリズムに陥ったJR各社では長距離列車もなくなり、キハ82のような名車はもう出ないでしょうね。

自分がはっきり記憶する、初めて乗った国鉄の特急は、竹野の海水浴場から神戸に帰るときに利用した「はまかぜ」でした。
もう40年前の夏・・・
ちょうど、この頃から昭和30年代に登場した新鋭たちの
廃車が始まりました。
157系電車は構造上の弱点があって、特に短命になったようですし、
181系電車も、当時の鉄道雑誌を見ても、連結器カバーの
ボコボコぶりとか、いかにも「ポンコツ」な感じがしたものです。
そう思うと、キハ80系はまだ「よくもった」のかも知れません。
481系電車、あるいは40年以上も活躍した583系やキハ181系などは
何か、根本的な部分での作りが違うのでしょうか・・・

おはようございます。
連続してのコメントにて失礼致します。
キハ80系は、一度も見ないまま、乗らないまま、になってしまった車両です。写真の世界で楽しむばかりではありますが、一点強く思うのは、デザインの良さは最高峰ではないかと感じています。
時代と共に流行りもありますが、この車両が活躍していた最盛期に、駅で、沿線で、この車両を見掛けたら、やはり他との格の違いを感じ取ることができたのではないでしょうか。
通勤電車まで等しく進化して、流麗なデザインの車両も増えていますが、一方でコスト面の制約が前面に出過ぎた車両も多くなっている現状に、改めてこの車両の意義を感じます。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

あああさん>

そのお話は初めて聞きました。
関西では485-1500に対しては現場で大丈夫かという危惧があったものです。
間に合わせとはいえ、国鉄としても投入は拙かったとは思っていたのでしょうね。

12200系のぞみさん>
ワタシはかなりいい加減なほう、なので必死に撮影するよりは車内で飲み食いしてしまうたちでした。
それが故、今はこのブログで当時の自分の写真の拙さに、焦りを感じます。。

L急行鷲羽さん>

JR四国のパテントを買うのすら躊躇われる現状では、中々全国にまたがる名車の登場は望めないですね。
それゆえ、キハ80、後継のキハ181のあのスタイルが燦然と輝くのではと思うのです。

えるどらるどさん>

初期高性能車の最大の欠点は軽量化しすぎた車体構造にありますね。
これはキハ80も同じなのですが、固定窓ということで随分救われていたようです。
ですので、高性能車第二期の作ともいえる、485系、583系、14系客車、キハ181などは車体構造がかなり改善されています。
それが長持ちの要因の一つでしょうね。

風旅記さん>

デザインに関しては1981年春の「レイル」誌春号に、当時の担当の黒岩保美さんが詳細に顛末を書かれています。
後の近鉄特急のようなデザインや、欧州の国際特急のようなデザインも候補に挙がっていたようです。
その中で技術開発と同時進行しながら完成した特急気動車のデザインはまさに国鉄最高の秀逸さを持っていたといえるのでしょうね。


突然失礼します、最後の福知山線での二枚の写真、いつごろの撮影だったかわかりますでしょうか?

福知山線の歴史を調べているのですが、興味深い写真です。

kimagure207さん>

昭和52~3年頃かと思います。
福知山線について何度かエントリーしていますが、以下もぜひご一読くださればと思います。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2011/05/post-1f61.html

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2014/05/post-ff37.html

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