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2015年8月

2015年8月25日 (火)

昭和61年夏、姫新線・芸備線の旅

今夏、30年ぶりに姫新線・芸備線で中国山地の山の中を通って広島へ出る旅をした。その30年前の旅行時の写真だ。

両線とも急行列車も走り、まだまだ活気があったころだ。

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姫路7:02、姫新線823Dはキハ40とキハ47の2連だった。この列車は播磨新宮に7:53、津山には9:41に到着する。

この頃、すでに高速バスに敗れた姫新線急行列車は一往復にまで減少していた。

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本龍野の跨線橋にクラシカルな駅名票。

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津山では2分の接続で861D、9:43となり、降りて写真をとる暇はなかった。

新見、11;33、ここでしばし下車して昼食や列車の撮影などもした。昼食は駅の蕎麦が大変美味しいところだったので、それを食べたように思う。

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姫新線折り返しの津山行き。

今のキハ120に比すとやはり貫禄がある。

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新見駅舎・・

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姫新線・芸備線ホームの様子。

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芸備線列車は13:38の863D、キハ45の2連だった。

ここから先も本数は8往復を数え、一往復は急行列車の末端区間で、列車は「たいしゃく」、この以前には新見から全区間急行の広島行きだった。芸備線は東城を過ぎるとハイライト、日本屈指の山の中を走る。

それでも、当時は道後山にはスキー場もあり、観光的な色彩がないわけではなかった。

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備後落合15:07着、列車が到着したホームには蕎麦屋が営業していて、ここの蕎麦も大変美味しかったと記憶している。

僕たちはここで一本後の急行に乗ろうということになり、普通列車を見送る。

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急行には三次から4連で来た列車の後部2両が使われた。

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前部2両が普通列車として新見へ向かっていく。

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ホームに停車する、三次から急行になる「みよし」号。

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ホームの駅名票も一緒に。

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列車の愛称板。

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備後落合駅の駅舎、何故かパトカーが。。

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保線用のモーターカー。

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保線用の牽引機械。

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16:05、三次から急行になる「みよし」号発車、次駅の比婆山駅。

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比婆山駅舎、何やら地元の人が作業をしていたようだ。

列車は三次を17:20に発車し、広島には19:39に到着した。姫路からの所要時間は12時間半だった。

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広島では路面電車が、それも元神戸市電が迎えてくれた。

このときの旅行ではまだあまり意識はしていなかったが、当時であっていた女の子たちが芸備線沿線の出身で、惹かれるものがあった。

この旅行も彼女たちから故郷の話を聞いていたからこそ、実現したようなものだったが、高速バス台頭の前夜といっていい時代、そろそろ姫新線・芸備線に陰りが見え始めるころ、思えばこの旅行はしておいてよかったとつくづく思う。

さて、先だって、お盆明けに休暇をもらい、、まさに30年ぶりにこのルートで旅をしたのではあるが、時代の変遷は何もかもを大きく変貌させていた。

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高架の姫路駅に入線する姫新線、高性能気動車、キハ127。

しかし、高性能気動車が走るのは佐用までだ。

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津山にて、軽快なワンマン気動車、キハ120。

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新見の駅舎。

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備後落合で出会う芸備線と木次線のキハ120。

備後落合・東城間、備後落合・出雲横田間はいずれの3往復しか列車が走らず、姫新・芸備線を通しての旅はわずか一日1往復しかできなくなってしまった。

しかも、広島から姫路へ向かうルートは姫路到着は深夜といっていい時間だ。

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広島に到着した快速「みよし」ライナー、キハ47(右)。

快速列車は三次・広島間を1時間26分で走破、停車駅が増えてもかつての急行とさほど変わらない。

今夏、30年ぶりに実現した旅では、姫路6:56、途中、播磨新宮、佐用、津山。新見、備後落合、三次で乗り換え、広島には17:28(実際は20分ほど遅れて到着したが)に到着した。

JR西が安全確保のためと称して行っている、線路脇民有地の保安のために速度を時速25キロ以下に落として運行している区間も相当でてしまっているが、これを含めても、所要時間は10時間半と、かつてよりも相当スピードアップしていることに驚かされるが、それにしても、本数的には一日3往復の区間があるというのはもはや、鉄道としての使命が終わったことを内外に宣伝しているようなものであろう。

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姫新・芸備線の山間部は、日本の鉄道としては有数の深い山の中を走る。

そこに広がる風景こそ日本人の原風景でもあり、それを生かした積極的な旅客誘致が求められるといえば・・それは素人の浅はかさなのだろうか。

2015年8月 3日 (月)

Photo Archive キハ80系賛歌

このブログでは以前に485系583系381系キハ181系を個別に取り上げてきたけれど、キハ80系に関してはブログ初期の文章中心の頃にしか特集していなかったように思う。

Facebookグループ、「国鉄・私鉄の思い出」でときに日付を意識してその日付に合わせた番号の形式や車両を出し合って遊んでいるけれど、8月ということでキハ80系の在りし日の姿を多くの方々から見せていただくことができる。

そこで、今回は国鉄特急形写真集として5番目、キハ80系としていきたい。

基本的にPhoto Archiveとしてブログ過去ログからの出典とするけれど、まだ未公開だった写真もいくつか入れていきたいと思う。

最初に登場したキハ81を先頭としたグループは画期的な日本初の気動車特急というシステムなのに、現場での習熟も十分ではなく、「第二回アジア鉄道首脳会議」にいわば強引に間に合わせた感もあり、結果として初期故障が多発、新聞ダネにもなってしまったけれど、この後改良がすすめられ、現場ではそれ以後、好評だった。 キハ80系の最大の功績は、新時代の鉄道をイメージさせる全国特急列車網を拡大していくうえでの主力となったことで、これにより日本全国の主要幹線に特急列車が走ることになったわけだ。

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天王寺駅でのキハ81、「くろしお」 僕はこのクルマが営業運転している姿を撮影できたのはこれ一度きりだ。

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 同じ「くろしお」キハ82、海南駅にて。

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 昭和57年梅雨入りの日、山陰本線東浜で「はまかぜ」

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 同じ日の「まつかぜ」

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 その反対側。

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 函館本線、豊平川橋梁の「おおぞら」

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同じ場所で「北斗」

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大阪駅での「まつかぜ」

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大阪駅で「はまかぜ」がDD54と並ぶ。

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福知山線武田尾にて、キハ82「まつかぜ」

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 城崎駅にて、「まつかぜ1号」と「だいせん2号」が並ぶ。

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「まつかぜ」が発車する。

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城崎の温泉街を通過する「まつかぜ」、食堂車、グリーン車の姿も見える。

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長駆博多へ向かう「まつかぜ」、13両編成の威容。

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改築中の山陽本線宝殿駅にて、「はまかぜ」

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余部橋梁におけるキハ80系列車。

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その列車が谷あいの空中を通過する。

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餘部駅での通過後の「あさしお」と少年たち。

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友人、K君撮影、倉敷駅を通過する「かもめ」

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高砂工場における検査の様子。 キシ806、入場待ち。

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ジャッキアップされる。

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その妻面。

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キシ80の車内。

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トラバーサに乗るキハ806。

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全般検査完了後のキハ806。

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完成し試運転を待つキハ82。

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 こちらはキロ80。

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キハ81の3と5が高砂工場に廃車解体で入場してきた。 工場の誰しもが「ほんまに解体するのか」と首をかしげる・・工場職員にはこのクルマの「値打ち」が分かっていたのだ・写真はキハ813・・このあと、交通科学館で急遽保存されたクルマだ。

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 こちらはキハ815全景、すでに解体前提で3ともども、主要部品が外されつつあった。

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左側の様子。

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キハ815の正面。

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運転室付近。

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右後方から見た様子。

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筆者(下)と友人、せめてもの記念撮影。

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キハ815の台車。

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JR化後の前に、すでに西日本エリアからキハ80は消滅していた。 東海で残ったキハ80系「ひだ」

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JR化前、すでに「ひだ」と並んで最後の活躍をしていたキハ80系「南紀」、多気にて。

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キハ28系急行「志摩」と並ぶキハ80系「南紀」。

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キハ80は初期高性能車の宿命で、軽量車体が災いし、これが寿命を縮めてしまった感がある。 特に北海道での厳しい自然環境では、本州と同じ設計の車両ではやはり無理が生ずるのは致し方ない。 なぜに、急行用やローカル用気動車は特別な設計をしていたのに、特急気動車のみ、本州と同じものをもち込んだのか・・

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末期の北海道での傷み具合は相当なもので、高砂や向日町による、手入れの行き届いた車両しか見ていない僕には北海道のキハ80系が老骨に鞭うつ姿を見るのは辛いものがあった。

そこで後に専用設計のキハ183が登場するわけだが、その少し前の時期になぜ電車特急として本州の485系を少し味付けを変えただけで送り込んでしまったのか・・ 結局、国鉄はキハ80系の北海道での惨状からなにも学ばなかったわけだ。

言葉を変えれば、キハ80系の失敗は気動車故にキハ183として結実し、電車特急485系はそこで失敗しなければ何も分からなかったということだろうか。 その後、781系の登場と相成ったのは読者諸兄の知るところだ。

だが北海道での厳しい自然環境による老朽化の進展を別にすれば、この気動車は優秀な車両だった。 現場では扱いやすく、非力ではあっても当時としては考えられる最高の高性能、当時としては燃費も良く、1000キロ超の運用でも無給油で賄える。 乗り心地は良く、車内は極めて静かで、この点では後継の181系の及ばない部分でもあった。 独特の浮床構造に加え、窓周りの部材に木材を多用したことが乗り心地と静粛性の向上につながったのは間違いがない。

僕は国鉄の名車として20系客車や153系電車とともにキハ20・キハ28とこのキハ80系列をトップに挙げるけれども、国鉄気動車というのはそれほど木目の細かい優しい作りであったということだ。

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福知山線、武田尾付近でトンネルから飛び出るキハ82「まつかぜ」。

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別の日、反対側のトンネルに吸い込まれていく「まつかぜ」

名車の記憶は色あせない。 そこにこそ、国鉄の、日本国有鉄道の良心と輝きがあったのは間違いがないことだから。