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2015年3月

2015年3月26日 (木)

Photo Archive 国鉄最末期の完成車たち

国鉄は大きな図体で私鉄のような小回りも効かず、新しい技術や手法の導入にも決して積極ではなかったように見える。 肩を持つわけではないが、大手私鉄は比較的よい環境・・これは自然環境も含めた経営環境という意味だが・・の中で仕事ができるのに対し、国鉄は厳寒・豪雪、多雨、強風といった容赦のない自然環境で運営されることを想定せねばならず、万が一の故障や、乗務員の体調不良を呼び起こすような設計ミスはあってはならないわけで、それだけ慎重だったともいえる。

しかし、国鉄部内での技術研究は実に当時の車両メーカーや大手私鉄各社を凌駕していたのではないか・・ それが表に出なかっただけの事で、組合運動華やかなりしころ、ともすると現場からの突き上げにしどろもどろになるような新機軸はおいそれとは採用できない面もあったのだろう。 例えば、私鉄電車の華やかさを足元から支えたミンデン台車は、国鉄ではついに在来線一般車両への応用はなかったのだけれど、すでに昭和39年開業の新幹線に使われている技術であるといえば、国鉄の技術レベルの高さも納得いただけるだろうか。

しかし、自然環境や経営環境、さらには乗客、労組に鍛えられた国鉄設計陣による車両が一気に開花する時期を迎える・・ それは長い冬が一気に春を迎えるような、けれども軽薄さのない、落ち着きのある華やかさ・・ 新制御方式や新型エンジン、車体の腐食対策、車体強度の向上、乗り心地の向上、乗務環境の向上、経済性、、省電力もしくは低燃費・・ それらを一度にかなえた、いわば第二の新性能時代といってもいいような時代が国鉄末期にはあった。

そのころに生まれた車両は頑丈で、乗り心地のよい、そして乗務環境のよい優れた車両となり、その多くが今もJR各社などで健在だ。 今回はそういった車両たちを、過去の写真から洗い出して再度ご覧いただこうと思う。 なお、国鉄末期、並びにJR化直後は諸般の事情で会えていない車両も存在するため、自分自身が直接会えていない車両は割愛した。

 

25

24系25形客車、昭和49年登場・・ 寝台車が始めて諸外国並みの2段になった・・ 写真は「日本海」、倶利伽羅峠にて。 ようやく・・国鉄も変わるかもしれない・・そう思い始めたころ・・

66

 昭和50年、国鉄車両が本当に変わる・・その期待感を抱かせた車両こそ、キハ66・67だ。 吉塚の留置線での4連。

664

 キハ664、飯塚。 新幹線の博多開業に合わせて製造された大出力、転換クロスの汎用気動車だ。 長崎地区に転じたものの、今も健在。

50

 昭和52年、レッドトレインの愛称で親しまれた一般型客車、50系が登場。 武田尾駅での写真。

50_2

 飯塚駅での50系

4047

キハ40・47シリーズ、キハ66で得た期待を思い切りはずされた感じの気動車、ただ、車内アコモがよく、今も根強い人気がある。 写真は本年の高岡にて。

781

 昭和53年、電車の場合、しばらく既製系列の改良に力だ注がれた後に登場したのが781系、特急電車として始めて地域の特性を設計にこめた北海道専用の特急電車だ。 光珠内にて。

Ed7651851

 昭和53年、北海道にもレッドトレインが入った。 51系客車、光珠内にてED76518牽引。

117

 昭和54年。 117系電車、京都での俯瞰、運転開始初日の様子。

117_2

117系電車、震災後に一度は撤退していた京阪神新快速運用に復帰したときの様子。

117_3

117系電車、最近の京都駅での様子、最新321系と並ぶ。

201

201系電車。 須磨海岸を行く様子。

Photo

201系電車色違いの並び・・隣には「はるか」も・・野田駅にて。

105

昭和56年、105系電車・・ローカル線区用としては初めての新車、福塩線府中電車区。

105_2

 広島での可部線用105系。 1M方式を採用した新性能電車初のシステムとなった。

185

185系・・急行用153系を置き換えた特急車。 急行「伊豆」にて運用の様子。

185_2

最近、オンシーズンには大垣までこの電車が顔を出してくれるようになった。 「ムーンライトながら」

183

キハ183系、高運転台、スラントノーズの初期型、それも初期のカラー、函館本線桂川で。

183_2キハ183系初期車、千歳空港にて。

119

昭和57年、119系電車。 先だっての105系と似ているが、飯田線の乗客の動向を鑑みた電車で、1M方式のセミクロス車。

1153000

115系3000番台。 国鉄で長期にわたって製造が続く系列にもこの時期、目覚しい改善があり、113毛・115系2000番台のアコモ改善、115系1000番台の寒冷地対応などがあるが、この115系3000番台だけはシステムこそ115系だが車体はまったく別物・・ 117系の車体デザインに115系の足回りを組み合わせた車両だ。

37

 昭和58年、キハ40のローカル線にふさわしくない大型車体を改め、線区の実情に即して仕様の変更が簡単に行える車両、将来のワンマン化をも視野に入れた車両として登場・・高砂工場にて。

37_2

キハ37、加古川線野村駅(今の西脇市駅)にて。 結局5両しか製造されず、JR西では早々と廃車になってしまった。

205

 昭和60年、添加励磁制御205系の登場・・関西には少数だが京阪神緩行線と阪和線に入った。 写真は須磨付近にて。

211

211系。 113系の後継車となった。 乗り心地もアコモもよく、もう少し人気が出てもいいような車両だ。 写真はトップナンバー、クモハ211-1、亀山にて。

121

 昭和61年、厳しい経済状況が思うような新車を投入できなくなっていく・・ 旧車の部品を流用した121系電車。 坂出にて。

413

 こちらも、急行型電車の機器一式を使って製造された413系電車。 登場当時の常願寺川にて。

413_2

 青一色に塗られたが、一部は第三セクターにまで引き継がれた系列。 魚津で今冬の撮影。

183500

 キハ183系500番台、より高性能になった、まさに国鉄最後の力を振り絞って投入・・根室本線音別にて。

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キハ185、四国用に投入された。国鉄は自信を持って投入した軽快な特急車だが、JR四国では振り子式2000系や電車特急8000系に追われ、一部は九州へ転じて走っている。

185121

121系と並んだキハ185、坂出だろうか。

54

民営化後の経営の厳しい線区用にローカル気動車も製造された北海道のキハ54。

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こちらは四国のキハ54、何故か四国のものはロングシートで今もそれは変わらない。

32

そして四国のキハ32、閑散線区用の軽快気動車だ。

213

 昭和62年。 国鉄電車最後の純然たる新系列・・213系。 岡山でマリンライナー運転開始当初の様子。

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 岡山地区ローカル電車として余生を送る今の様子。 庭瀬にて。

Ef651132

 改造車もこの時代、本当にアイデアを駆使したものが多数世に送り出された。 写真は「サロンカーなにわ」、牽引するのは機関車としては国鉄末期、昭和53年の製造、EF651132だ。

Dd51116312

こちらは12系客車の改良型を牽引するDD511163・・昭和52年製造だ。 機関車は一部の例外を除けば昭和50年半ばより国鉄解体まで製造されず、この長期にわたる古い機関車の酷使がJR化後のJR貨物に負担を与えたであろう事は容易に想像ができる。

Ef81404

 今も活躍するEF81、それも関門対応改造を施され、後に富山に転じたEF81404牽引の貨物列車・・ 後ろのコキ50000もまた、国鉄末期の標準形式だ。

Ef641014

EF64-1000・・本来は別形式にすべき機関車だが諸般の事情で従来のEF64の新番台となった機関車。国鉄が最後に作ったシリーズだ。地元、大蔵谷にてEF641014牽引の8866列車。

最後10年近くは機関車をまともに作らなかった国鉄だが、EF64、EF65、EF81、ED76、DD51、DE10が国鉄機関車の完成形と言っても良いのかもしれない。

これら国鉄最末期の完成度の高い車両たちは既に一部が鬼籍に入っているが、まだしばらくは活躍してくれるものと思っている。

Photo_2

最後に、定期運用を終了した「トワイライトエクスプレス」は機関車も客車も、まさに国鉄末期の完成度の高い車両で運行されていた。

それが長期運行が可能だった一因なのかもしれない。

2015年3月12日 (木)

山陽電車、須磨あたり

山陽電鉄、須磨と須磨浦公園のかつての様子を・・ 阪急が乗り入れ、山陽には旧型車も健在だったあの頃の写真・・ 撮影は昭和52年頃から、震災直後まで。

284

電鉄須磨駅の広く長いホームに入る250形284、後ろには850形が繋がっているはずだ。

318

同じく300系318、車体幅こそ2.8メートルの幅広だが、車体全長は15メートルでしかない。 流線型200形の車体更新車。

851

850形851、戦後、本邦最初の本格的都市間ロマンスカー800形の出力向上車。 全般検査直後だろうか、非常に美しい外観だ。

2012

2000系、本邦最初のアルミカー、2012。 今も東二見で保管されている電車だ。

2012_2

その2012をカラーで。

2702

2700形2702、後ろには最初の2700系、2ドア車が見える。 ロクサン電車、700形を更新した電車だ。

2703

2700系2703.。 幅広、丸みのある車体に巨大なDT13系台車。

2708

2700系2708。 上記の編成の東向きか。

3000

3000系トップナンバー、3000ちょうど、夕闇が迫る駅を出ていく。

3000_2

3000ちょうど、特急で入線。

360036012001

3000系アルミカーが2本と、300形、2000系が並ぶ。 3600と3601、神戸側先頭車でいえば上記の3000と3002だ。

3010

3010、阪急三宮行き。

3058

3058、3050系は編成ごとに進化していくが、エアサスになった2編成目。 阪神大石行き特急。

3060

3060、姫路行き特急、唯一黒Hゴムで登場した編成だ。

5130

阪急5100系5130、この当時は5100系も入線していた。

5144

阪急5100系5144。

5233

阪急5200系5233、短命に終わった試作冷房車。

3501

阪神3501系3501、この系列と次の3601系が側面2連の窓配置。

3565

阪神3561系3565、かつてのノンストップクロスシート特急車の晩年の姿。

3904

阪神3801系3904、阪急5000系が阪急スタイルの完成形なら、阪神スタイルの完成形はこの系列、ただし、佳人薄命・・早々に一部が廃車され、残りも系列が変更された。

77052

阪神7601系7705、3601系をチョッパ制御化した電車。

7819

阪神7801系7819、ドア間に同じ寸法の窓が4枚並ぶ・・

7839

阪神7801系7839、すっきりとしたデザインになったがまだ屋根が低い。

7922

阪神7801系7922、7801系の仲間ではあるが、種車は3561系の先頭車、大改造された側面がなんともアンバランス。

2010

須磨浦公園近くで・・ 2000系2010、2000系最後の転換クロス車、で2ドア、そして最初のステンレスカー。 山陽が作った最も美しい電車だと僕は思っている。

3615

3615、阪急三宮行き特急、冷房改造された頃。

5010

阪急5010、今も健在だが、この当時のすっきりとした雰囲気はいかにも阪急らしい。 阪急スタイルの完成形だと思っている。

6015

震災直後の阪急6000系6015、震災後、いったんは阪急と山陽の間の相互乗り入れが本数が増えた。

2207

阪神2000系2207、7001系などを改造した形式、これも撮影は震災後。

8901

阪神8801系8901、阪神スタイルの完成形として知られた3801系を改造した形式。

Photo

電鉄須磨駅の信号扱い所。

5020

最後に震災後、ようやく神戸高速線が開通、三宮へ直通できるようになったダイヤ改正PR用のヘッドマークを付けた5000系5020。

震災後、しばらくして、ここに走っていた3社は白紙ダイヤ改正を実施、阪急と山陽の相直は廃され、阪神と山陽の間で直通特急が走り始めた。 まさに、神戸高速開業以来の悲願が実った形だ。 もっとも、姫路と大阪を直結する役目はJR西日本の新快速が主導権を握るが、遅くとも私鉄も負けてはいられない。 でも、こうして昔の写真を眺めると、あの頃の電車の美しさがふっと思い返される。