フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 山陽電鉄、西代あたり。 | メイン | 京阪三条辺りほか »

2015年1月29日 (木)

国鉄急行形車両鎮魂歌

本年3月ダイヤ改正では北陸新幹線開業、上野東京ライン開業、トワイライトエクスプレスの廃止、北陸地区在来線の第三セクター化といった大きな話題が出ていて、鉄道ファン諸氏は忙しい。

しかし、その中にあって実は国鉄鉄道車両の歴史における大きな変化があることに気づいておられる人は如何程おられるだろうか。

北陸線の第三セクター化と、それに伴う車両需給により、北陸線で活躍している475・457系が引退となるのだけれども、この車両こそ、現役最後の定期運用を持つ急行型車両である。

国鉄の急行型と言うのは実に国鉄にしか存在しない用途別車種であり、その淵源はスハ43一党にまで遡る。

戦前戦後の長距離用標準型客車と言えば、オハ35一党だが、このシリーズでは急行専用という感覚は全くなかったと言っていい。

急行と言う列車種別は戦後に有料化され、列車名も付けられ、一種のステータスになってくるのであり、それに応じた客車が必要になったということだ。 そこで、戦前戦後のオハ35を一歩進め、座席定員はオハ35並みを維持しながら、可能な限りのアコモデーションの改善を行ったのがスハ43一党ということができる。

まず、今も見ることができる客車の内装から。

 

35

片上鉄道に今も保存されるオハ35の車内。 広窓、オールクロスシート、各車両に便所・洗面所がつくが片上では便洗は撤去された。

35_2

その座席、このクルマでは内装はニス塗りのままだが、窓下に小テーブルがつく。 これは後の改造だ。 広い窓、テーブル下の灰皿・・ 長距離列車のアイテムでもある。

35_3

その小テーブルには栓抜きがつく。 まだ売られている飲み物の大半が瓶詰の時代、この栓抜きは長距離列車には必要だった。

35_4

こちら、大井川鉄道のオハ35、窓下にテーブルがなく、このクルマは大きな改造をされずに今に至ることが分かる。

47_2

大井川鉄道のオハ47の座席。 座席背摺りは上下二段に分割され、下段に傾斜がついた。 少しでも乗客に寛いでもらおうという意志である。

47

その座席を横から。 ハードボードは後の改造によるものがほとんどだが、この薄茶系統の色合いは急行型標準の内装材として、いや、色合いだけなら新幹線にも長く引き継がれた。 オハ35と何より変化があったのは座席窓側の肘掛だ。 この肘掛の存在が急行型車両であることの証として引き継がれていく。

8080

こちら、80系湘南電車初期車の車内。 座席幅は近郊電車であり、狭く設計されていて窮屈だが、すでに座席背もたれの上下二段化がなされている。 登場当時は上段部分はベニヤ板ニス塗りだった。 なお、80系では後の増備車で座席幅やピッチが広げられるが、近郊型兼用としての性格ゆえ、最後までスハ43に並ぶ内装とはならなかった。

44

スハ43一党の中でも特急形に分類されるスハフ43の車内。 回転型クロスシートが並ぶ。 大井川鉄道で運用される日本ナショナルトラスト所有の貴重な車両だ。

11

こちらは横川に残る軽量客車、ナハフ11の車内。 座席は近代化されるも、基本的な寸法などはスハ43とは変わらない。

11_2

ナハフ11の座席。 窓が上下に大きくなり、雰囲気も近代的になったがスハ43と根本的な変化は存在しない。

急行型車両は無煙化、動力近代化に伴い、電車、気動車でも登場することになる。 おおむね昭和33年を境に、急行型の大増殖が始まる。

287

急行型気動車キハ28系列による急行列車、7連の編成で由良川を渡る。

58

熊本駅における気動車急行、駅弁売りの姿も見える。 キハ28系列は電車の153系あたりと比すと、たとえば台車がコイルばねであったり、正面にも当初は曲面ガラスを使わないなどのコストダウンが行われたが、電車急行とは違い、自然環境の厳しい線区へも入線することで、表情には厳しさも感じられた。 客窓は一段だが、電車の3ミリのガラスではなく、分厚い5ミリのガラスを採用、窓柱には窓釣バネも付けられている。

153

急行型電車153系による急行「山陽」、ビュッフェ、グリーンつきの優等列車だった。 急行電車の車体は、厚さ3ミリのガラスの二段窓、各車両に便所洗面所を設けていたし、台車は空気ばねで乗り心地の向上も図られていた。

165

急行型153・165系による「比叡」、大阪・名古屋を結ぶ急行として新幹線開業後も長く走り続けた。

455

交直バージョンも登場・・急行型455系による急行「まつしま」・・ 急行型電車は座席はスハ43と大差ないまま発展したが、その速達性は多くの乗客の支持を集めた。

475_2

急行型電車、475系による「ゆのくに」 特急「雷鳥」と棲み分けがなされ、急行は急行の乗客を獲得していった。

475

「ゆのくに」のやや後の姿、腰の白線がなくなっている。

Photo

北陸本線武生を発車する「立山」、 質素だがそれなりに快適な車内、足回りが特急形とそろえられた乗り心地の良い車両、リーズナブルで特急ほどではなくても速い列車、それが急行だった。ヘッドマークの翼部分が小さくなっている。

475_3

北陸本線倶梨伽羅峠を行く475系、この当時、急行電車の間合い運用で使われていた普通電車ではヘッドマークは白無地になっていた。

しかし、世の中の経済事情が好転、より速くて設備のよい特急列車を乗客が好むようになってきた。

国鉄としてもいつまでも硬いボックスシートに乗客を詰め込んでいたのでは、航空機や高速バスとの競争に打ち勝って生き残りを図ることはできない 急行列車の特急格上げが続き、急行型車両の製造がなされなくなっていく。 実際、計画された急行型電車163系はサロを僅かに作ったのみで計画が中止され、183系特急電車の新製へと変化していくし、185系は急行用として設計されながらも結果的には特急用となった。

電車としての急行型は457系を最後に製造されず、あとは相次ぐ特急格上げの実施により急行の肩身が狭くなる時代となる。

その頃、当初より冷房装備が当たり前だった特急電車・気動車はもちろんだが、急行においても急行料金を頂戴する上からサービスの向上のために冷房化が推し進められた。 気動車においては、冷房化による出力向上のため、特に山岳区間の輸送の安定化を図るために新型急行型が登場、大出力エンジンを持つキハ65は実は12系客車と同じ車体に運転台を取り付け、便所洗面所を省略した形態をしていた。

 

65

写真は急行「うわじま」で、キハ65は単独での運用はなされす、キハ28系列急行の出力確保のために連結された。

65_2

ただし、後にJR西日本はキハ65の高出力に注目、車体を大改造してキハ65だけの編成を組んで走らせたが、その列車は臨時列車の一部を除けば特急で、キハ65は特急形「エーデル」シリーズとしても存在するということになった。

5112

12系客車は元々は万博の波動輸送用に製造されたものだが、車体長さを気動車並みの21メートルとして1メートル延長、延長したその部分の定員増加はさせず、座席を少しゆったりさせて登場した。 写真は大蔵谷付近を行くDD51と12系の試運転列車。

12

その12系を後ろから。 車体デザインは153系から始まる急行型電車に範をとりながらも、全体的にゆったりとした雰囲気の客車だ。

12_2

12系客車、今現在残るJR西日本所属車の車内。 ゆったりとしたボックスシートは急行型車両の完成形と言ってもいい。

人間工学を取り入れた掛け心地のよい座席、見た目にはそれまでの固定クロスと大きな変化はないが、座るとその良さに気付く人は多い。 特急用14系の座席があまり好評でなかったのに、こちら12系の座席は好評だった。各車に便所、洗面所、出入り台の仕切りつき、幅広のオールクロスシート、広い客用窓、窓下テーブル、栓抜き、窓側肘掛・・これがスハ43から続く急行車両必須のアイテムだ。

12系客車とその亜流ともいえるキハ65は急行型車両の一つの到達点であるが、残念なのは電車でこれらに匹敵する系列が製造されなかったことだ。

12_3

その座席空間。  テーブルに栓抜きも健在だが、灰皿は撤去された。

4756

北陸地区で最後の活躍をする475系電車、雪の魚津駅で。

475m

 475系電車の今現在の車内。 これはM'車の車内で、天井には集中クーラーの風洞が続く。

475_4

こちらはTcの車内で、前面が見渡せる仕切り板が健在。 出入り口付近はロングシート化されている。

475_5

急行型車両のサービスの根本をなすものの一つ、洗面所。かつては冷水器もあった。

66

 国鉄はその末期に将来の列車の設備の理想を指していたが、それは通勤型→ロングシート、近郊型→転換クロスもしくはゆったりとしたロングシート、急行型→リクライニングシート・・だが急行型の国鉄理想形は登場できなかった。 写真は急行型と近郊型、特急形の三車種折衷ともいえるキハ66車内。

66_2

その座席。 窓側にテーブルも肘掛もない。 急行型とはいえない部分がここにもある。

117

こちらは117系車内。 座席は良くなったが、出入り台仕切りは存在しないし、トイレは編成に一か所、洗面所はなくなっていて、この辺りが急行型とはサービスの根本が違う部分だろう。 なお、座席は急行型を凌駕していて、窓側にも肘掛がつく。

75

JR東海キハ75の車内、急行としても一時期運用され、今も実質的に急行的な存在である快速「みえ」に運用される。非常に優秀な車内で雰囲気はかつての急行形を凌駕する。出入り代仕切りはないが、ドア横の風防が急行型に最も近い車両であることを思わせる。

185こちらは今現在のJR東日本185系車内。 登場時は転換式クロス、今はリクライニングシート、国鉄が描いた将来の急行型車両像に近いが、当時の営業のごり押しで急行ではなく特急として登場したという噂がある。

私鉄には国鉄でいうところの特急形は各社有料特急用のロマンスカーなどとして存在する。 通勤型はもちろんだが、国鉄でいうところの近郊型も、数は少ないながら存在する。 しかし、純粋な急行型と言うと私鉄にはまったく存在しない。 (ただし、かつて私鉄に存在しながら国鉄に存在がなかった都市間連絡用ロマンスカーは、今ではJR東海、西日本の標準近郊型となっている)

一時期、富士急行、南海、島原には急行型・準急形が存在したが、これは国鉄への乗り入れのための国鉄車両のコピーであり、急行型となると東武の6000・6050系や西武の4000系、伊豆急100・1000系などが近いようにも見えるがそれは形態だけのこと。 かたくななまでに急行利用客の利便性・快適性を重視した国鉄急行型に匹敵する私鉄オリジナル車両は一両も存在しないのだ。

その国鉄急行型、最後の定期運用が間もなく終了する・・ トワイライトの引退もショックだが、僕には急行型車両の引退と言う国鉄車両史に特筆されるであろう今春のダイヤ改正が恨めしい。

北陸本線475系、その風情をもう少し・・

475_8

黒部にて・・列車の向かう先は雪だ。

475_6

 富山駅にて、通勤列車に供される475系の夜景。 ブルーに塗られているが大きな窓から漏れる明かり、車内に見えるクロスシートに、かつての夜行座席急行を思い起こす。

475_9

夜の富山駅で発車を待つ北陸色の列車。

475_7

富山駅出発信号機を望む。 もう、この春までで、急行型電車の雄姿は見られなくなることを思うと、嫌でも感慨深くなる。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/351371/33144451

国鉄急行形車両鎮魂歌を参照しているブログ:

コメント

こう@電車おやじさま
はじめてコメントさせていただきます。

国鉄急行形車両のたくさんの写真とともに、現場をよく知る方ならではの解説(思い)を大変興味深く読まさせていただきました。私自身は鉄道に関わる仕事をしているわけではありませんが、北陸本線金沢以東の第三セクター化と475系の引退については、一鉄道ファンとしてでは収まらない言いようのない感慨を抱いております。

私の家は線路際というほどではありませんが北陸本線沿線にあり、特急や急行が走っているのを見るのが当たり前でした。ダイヤ改正に備えてトワイライトや北越の写真を撮ったりしていますが、優等列車が走らなくなり、ましてやものごころついた時から走っている475系が走らなくなる3月14日からの状況が想像できないでいます。

私が鉄道好きなのはある意味必然でして、祖父も父も(叔父も)国鉄マンでした。特に父は分割民営化を前に退職するまでの20年ほどを金沢運転所の電車検修掛として勤務しておりました。なので今残っている475系はみな40年選手ですから当時の父が手塩にかけていた車両たちです。同じ男に面倒を見てもらった(育ててもらった)という意味では475系は私の兄弟とも言えます。

あと40日ほど現役で働く兄弟の姿をしっかりと見届けたいと思います。そして引退後はもう一人の兄弟489系とともに余生を過ごすことになる梅小路へは定期的に会いに行きたいところです。兄弟に会うというよりは、彼らの姿を通して亡くなった父を偲ぶことになりそうですが。

いきなりの長文で失礼しました。

こうさん、いつも楽しく読ませていただいております。
『急行用車両』このテーマはとても興味深いジャンルです。
昭和30年代前半、ほぼ同時期にに登場した電車の80系300番台、気動車の55系、客車の10系はおなじ設計思想で造られたことを以前こうさんからうかがいました。
サイドビューなど(55系はマイチェン後)カラーリングは別として、とてもよく似ています。
しかしながら用途は別であるがゆえ、アコモデーションに微妙な差を付けているということもこうさんから聞きました。
80系は普通を主として準急にも、55系は準急用として、10系は急行用として製造されました。
座席回りの設備でいうと窓側のテーブルの有無、窓側の肘掛けの有無、通路側の頭もたせの有無、そのあたり当事の国鉄はきっちりと『階級』ごとに差を付けてましたね。
80系300代は窓下のテーブルは無かったのですが窓框が、テ ーブルを兼ねるように中央が台形に膨らんでました。
ところで通路側の頭もたせは43系→10系客車と採用されましたがそれ以降の車両には採用されておりませんね。

窓側席のビニール製の頭もたせと肘掛けについて補足させて下さい。
頭もたせはキハ55系とナハ10系に採用されましたが、不思議なことに近郊型と言えるキハ20系にも装備されてました。
窓側席の肘掛けはスハ43系から採用され、それ以降の優等列車用客車には標準装備されておりました。
気動車は準急用のキハ55系には採用されず、58系からの採用でしたが、電車の場合当初準急用(二等車がリクライニングシートを採用せず回転クロスシートであった故153系を独断で準急用と定義)の153系には当初から窓側の肘掛けがあった。
このあたり、統一性がありませんでしたね。

急行立山さん>

お父様は私たちの先輩でもあられたのですね。
金沢での車両の維持は、やはり暖地の人が考えるより余程、厳しいしz年条件お腹で車両が使われるのでしょうね。
今でも現地の方々の保守のあとを見ると、その苦労が漂ってきます。

413系もその頃から在籍した車両で、JRとあいの風富山鉄道に相当数が残るようです。
今は静かな413系周辺ですが、この車両も座席は急行のものを改造したもの、座席ピッチも急行型と同じ、台車や電気機器は急行型や特急形のもの、今後は目が離せない電車になりそうです。
それにしても、急行型電車の引退は私個人には結構きついですね。

ダイヤ改正以後の北陸線・・どんな姿になっているのか・・情報はあっても自分でも想像できません。

紀州さん>

いつもありがとうございます。
座席枕のことですね。

キハ20の窓側にこれがついたのは、キハ17からの大いなる反省と、キハ20がある程度の幹線の、客車列車をも置き換える車両であるということがあるかと思います。

ところが、通路側にはない。
客車の場合、43系と10系には窓側、通路側ともこれがありますが、通路側だとここに必要なのは手すりなんですよね。

枕をつけると、そこを通路が歩く人が持ってしまい、寝ている人の頭に障るなんてことも出てきてしまう・・

そこで、電車急行や気動車急行ではこれが廃止され、80系と同じく手すりがついたわけなのですが、後年、手すりと頭もたたせ?を兼ねたような金属製の無骨なものがつき・・これが今に至っていますね。、

富士急から有田鉄道へ転じた58系DCの両運形に対する伊豆急100系両運車は、如何にも私鉄然とした急行型でしょうか。
伊豆急は観光路線故のたまたま急行型ではあります。

やはり意見は異なりますが、東武6000系は私鉄唯一の急行型相当と云えると私は思います。
6000系当時の東武快速は途中8駅停車で135kmを走り、列車によっては一部座席指定があったり、全車座席指定列車があったりしました。
運用的にも間に合いに準急にも充当されたりと類似していました。

その東武快速も今や絶滅危惧種とは寂しい限りです。

 急行列車、急行型車両は貧乏旅行のパートナーでした。
私が撮影旅行に出向く際、必ず均一周遊券を利用しました。均一周遊券を使うと、急行の自由席は追加料金なしで利用でき、重宝しました。
SL撮影の際は、475系は“玄海・べっぷ・つくし”を客車は、“屋久島・阿蘇・高千穂・桜島・日南・さんべ”をよく利用しました。
 今でこそ旧型客車は希少価値があり、もてはやされていますが、当時はクーラーもなく、冬場の隙間風に閉口したものです。旧型客車には多数乗りましたが、乗り心地はオハ35もスハ43も大差はなく、むしろ空調の効くオハ14にあこがれたものです。
しかし、寒い日は蒸気配管が音を上げながら暖房が効き始め、旧型客車は旅情満点でした。

 時代と共に日本人も体格が良くなり、シートの大型化が進みました。私の職場ではある車両のシートを支給してもらい、車両振動を模した試験を何度か行いました。固有振動数を求めて振動を拾いにくいシートとはどんな構造か。更にFEMを用いた剛性の高い構体の開発が進み、乗り心地は大幅に改善されました。旧型客車の乗り心地は良くも悪くも過去のものと感じる次第です。

来月には定期運用の急行用車両が絶滅なのですね。
何かとても切ないです。
特急に乗るならばそれ相応の事由が要り、身だしなみや言動にも気をつけねば、と思って乗ったことを思い出します。
普通車にもあった白い枕カバーもとても豪華な設備に思えました。
急行はその点庶民的でした。
普段着で普段の気分のまま乗れました。
ボックス席を独り占めして夜を明かしたこと。
座席の布団を少し前にずらして座り心地が良くなってうれしかったこと。
寝るときは窓側の座布団の下にコーヒーの缶をかまして勾配をつけて寝たこと。
窓下の台形の棚とセンヌキがとても豪華な設備に思えたこと。
窓下の暖房キセに片足をのせたこと。
こんな、ことがもう過去のことになってしまいます。

四国や富山に行けばキハ58がいて、北陸の方には475系がいて、南紀に行けば165系に乗れて、臨時列車には12系がやってくる…。
そんな当たり前のことがなくなることはとても寂しいことです。
諸行無常の響きあり。

たしかに、国鉄全線の内の一部の通勤路線や盲腸線を除いて、全国どこでも走っているが、急行型車両でした。70年代には、フィルムが勿体ないと写真の被写体にもしなかった存在でした。たしかにこんどのダイヤ改正でイベント用以外の車両の運用は絶滅ですね、また一つの時代が消えていくのは寂しいものです。

あづまもぐらさん>

東武6050、車内も関東私鉄とは思えない豪華さで、とてもいい電車だと思います。
ただ、この電車にしても、ロングシートの存在、洗面所がなく、トイレの少なさという点は否定できず、伊豆急の100形は、やはり急行形に非常に近いですが、、どうしても汎用とせざるを得ないところに、国鉄の急行形に対しての割り切りと信念を感じてしまうのです。

それにしても、未だ未見の東武の6050、次回の関東訪問ではぜひ最優先に見に行かねばと思います。
それほどの電車であるように感じています。

L急行鷲羽さん>

私も国鉄退職後は周遊券を多く利用し、それこそ急行列車ばかり乗っていました。
私の場合、「雲仙・西海」「阿蘇・くにさき」「大山」「くずりゅう」「きたぐに」「立山」「きのくに」「うわじま」「土佐」「但馬」といったあたりでしょうか。

急行の座席が好きな私は14系の中途半端さにいら立ちを覚えたりもしたものです。
でも、その14系、実は最も利用した急行列車だったのかもしれません。

紀州さん>

急行形の消滅という国鉄車両史に特筆されるであろう事案が、実に静かにその日を迎えつつありますね。
トワイライトにももちろん私も感慨深いものがあり、それゆえ、トワイライトを追うわけですが、急行形への思いはそれをはるかに上回るやりきれなさにも通じるようにも思います。

キッコーマン専用線さん>

今春改正の後に残る急行形といえば、12系、スハ43一党のみとなり、いずれもイベント用ですね。
急行形発祥の遠因となった客車がその党美を飾る可能性があるのは、興味深いのですが、すでにこれら客車は通常運行はなされず、国鉄の時代は急行形一般運用の消滅とともに一段と遠ざかるように思えてなりません。

こんにちは。
記事を興味深く拝読致しました。
急行型の列車が確かに急行として全国を走り回っていた時代はほぼ知らず、急行型電車は仙台近郊や北陸本線で、急行型気動車は各地のローカル線で、僅かに乗ったことがあるだけの私には、本当の隆盛は写真集の中の世界でした。
それでも急行型の列車に乗れば、ボックスシートで見る車窓に見入ってしまうものです。
北陸本線では、寝台特急電車を改造した419系電車にも乗りました。
一部を除いては悲惨なデザインの改造車でしたが、これもシートに腰かければ、ゆったりとした向かい合わせの広さに、北陸路の車窓を一層魅力的に感じてしまうのでした。
国鉄時代の優等列車がどのような時間を乗客に提供していたのか、想像が広がる列車が北陸本線にはありました。
いよいよあと少しで新幹線の開業と引き換えの北陸本線廃止ですね。
往時を知らない私にも、あって欲しくないダイヤ改正です。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

風旅記さん>

いつもありがとうございます。
鉄道の旅がどんどん味気なくなる・・その一方で乗ればすぐに目的地の新幹線が増殖していく・・

時代の流れとはいえ、寂しい限りです。

コメントを投稿