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2015年1月

2015年1月29日 (木)

国鉄急行形車両鎮魂歌

本年3月ダイヤ改正では北陸新幹線開業、上野東京ライン開業、トワイライトエクスプレスの廃止、北陸地区在来線の第三セクター化といった大きな話題が出ていて、鉄道ファン諸氏は忙しい。

しかし、その中にあって実は国鉄鉄道車両の歴史における大きな変化があることに気づいておられる人は如何程おられるだろうか。

北陸線の第三セクター化と、それに伴う車両需給により、北陸線で活躍している475・457系が引退となるのだけれども、この車両こそ、現役最後の定期運用を持つ急行型車両である。

国鉄の急行型と言うのは実に国鉄にしか存在しない用途別車種であり、その淵源はスハ43一党にまで遡る。

戦前戦後の長距離用標準型客車と言えば、オハ35一党だが、このシリーズでは急行専用という感覚は全くなかったと言っていい。

急行と言う列車種別は戦後に有料化され、列車名も付けられ、一種のステータスになってくるのであり、それに応じた客車が必要になったということだ。 そこで、戦前戦後のオハ35を一歩進め、座席定員はオハ35並みを維持しながら、可能な限りのアコモデーションの改善を行ったのがスハ43一党ということができる。

まず、今も見ることができる客車の内装から。

 

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片上鉄道に今も保存されるオハ35の車内。 広窓、オールクロスシート、各車両に便所・洗面所がつくが片上では便洗は撤去された。

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その座席、このクルマでは内装はニス塗りのままだが、窓下に小テーブルがつく。 これは後の改造だ。 広い窓、テーブル下の灰皿・・ 長距離列車のアイテムでもある。

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その小テーブルには栓抜きがつく。 まだ売られている飲み物の大半が瓶詰の時代、この栓抜きは長距離列車には必要だった。

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こちら、大井川鉄道のオハ35、窓下にテーブルがなく、このクルマは大きな改造をされずに今に至ることが分かる。

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大井川鉄道のオハ47の座席。 座席背摺りは上下二段に分割され、下段に傾斜がついた。 少しでも乗客に寛いでもらおうという意志である。

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その座席を横から。 ハードボードは後の改造によるものがほとんどだが、この薄茶系統の色合いは急行型標準の内装材として、いや、色合いだけなら新幹線にも長く引き継がれた。 オハ35と何より変化があったのは座席窓側の肘掛だ。 この肘掛の存在が急行型車両であることの証として引き継がれていく。

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こちら、80系湘南電車初期車の車内。 座席幅は近郊電車であり、狭く設計されていて窮屈だが、すでに座席背もたれの上下二段化がなされている。 登場当時は上段部分はベニヤ板ニス塗りだった。 なお、80系では後の増備車で座席幅やピッチが広げられるが、近郊型兼用としての性格ゆえ、最後までスハ43に並ぶ内装とはならなかった。

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スハ43一党の中でも特急形に分類されるスハフ43の車内。 回転型クロスシートが並ぶ。 大井川鉄道で運用される日本ナショナルトラスト所有の貴重な車両だ。

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こちらは横川に残る軽量客車、ナハフ11の車内。 座席は近代化されるも、基本的な寸法などはスハ43とは変わらない。

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ナハフ11の座席。 窓が上下に大きくなり、雰囲気も近代的になったがスハ43と根本的な変化は存在しない。

急行型車両は無煙化、動力近代化に伴い、電車、気動車でも登場することになる。 おおむね昭和33年を境に、急行型の大増殖が始まる。

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急行型気動車キハ28系列による急行列車、7連の編成で由良川を渡る。

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熊本駅における気動車急行、駅弁売りの姿も見える。 キハ28系列は電車の153系あたりと比すと、たとえば台車がコイルばねであったり、正面にも当初は曲面ガラスを使わないなどのコストダウンが行われたが、電車急行とは違い、自然環境の厳しい線区へも入線することで、表情には厳しさも感じられた。 客窓は一段だが、電車の3ミリのガラスではなく、分厚い5ミリのガラスを採用、窓柱には窓釣バネも付けられている。

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急行型電車153系による急行「山陽」、ビュッフェ、グリーンつきの優等列車だった。 急行電車の車体は、厚さ3ミリのガラスの二段窓、各車両に便所洗面所を設けていたし、台車は空気ばねで乗り心地の向上も図られていた。

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急行型153・165系による「比叡」、大阪・名古屋を結ぶ急行として新幹線開業後も長く走り続けた。

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交直バージョンも登場・・急行型455系による急行「まつしま」・・ 急行型電車は座席はスハ43と大差ないまま発展したが、その速達性は多くの乗客の支持を集めた。

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急行型電車、475系による「ゆのくに」 特急「雷鳥」と棲み分けがなされ、急行は急行の乗客を獲得していった。

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「ゆのくに」のやや後の姿、腰の白線がなくなっている。

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北陸本線武生を発車する「立山」、 質素だがそれなりに快適な車内、足回りが特急形とそろえられた乗り心地の良い車両、リーズナブルで特急ほどではなくても速い列車、それが急行だった。ヘッドマークの翼部分が小さくなっている。

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北陸本線倶梨伽羅峠を行く475系、この当時、急行電車の間合い運用で使われていた普通電車ではヘッドマークは白無地になっていた。

しかし、世の中の経済事情が好転、より速くて設備のよい特急列車を乗客が好むようになってきた。

国鉄としてもいつまでも硬いボックスシートに乗客を詰め込んでいたのでは、航空機や高速バスとの競争に打ち勝って生き残りを図ることはできない 急行列車の特急格上げが続き、急行型車両の製造がなされなくなっていく。 実際、計画された急行型電車163系はサロを僅かに作ったのみで計画が中止され、183系特急電車の新製へと変化していくし、185系は急行用として設計されながらも結果的には特急用となった。

電車としての急行型は457系を最後に製造されず、あとは相次ぐ特急格上げの実施により急行の肩身が狭くなる時代となる。

その頃、当初より冷房装備が当たり前だった特急電車・気動車はもちろんだが、急行においても急行料金を頂戴する上からサービスの向上のために冷房化が推し進められた。 気動車においては、冷房化による出力向上のため、特に山岳区間の輸送の安定化を図るために新型急行型が登場、大出力エンジンを持つキハ65は実は12系客車と同じ車体に運転台を取り付け、便所洗面所を省略した形態をしていた。

 

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写真は急行「うわじま」で、キハ65は単独での運用はなされす、キハ28系列急行の出力確保のために連結された。

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ただし、後にJR西日本はキハ65の高出力に注目、車体を大改造してキハ65だけの編成を組んで走らせたが、その列車は臨時列車の一部を除けば特急で、キハ65は特急形「エーデル」シリーズとしても存在するということになった。

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12系客車は元々は万博の波動輸送用に製造されたものだが、車体長さを気動車並みの21メートルとして1メートル延長、延長したその部分の定員増加はさせず、座席を少しゆったりさせて登場した。 写真は大蔵谷付近を行くDD51と12系の試運転列車。

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その12系を後ろから。 車体デザインは153系から始まる急行型電車に範をとりながらも、全体的にゆったりとした雰囲気の客車だ。

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12系客車、今現在残るJR西日本所属車の車内。 ゆったりとしたボックスシートは急行型車両の完成形と言ってもいい。

人間工学を取り入れた掛け心地のよい座席、見た目にはそれまでの固定クロスと大きな変化はないが、座るとその良さに気付く人は多い。 特急用14系の座席があまり好評でなかったのに、こちら12系の座席は好評だった。各車に便所、洗面所、出入り台の仕切りつき、幅広のオールクロスシート、広い客用窓、窓下テーブル、栓抜き、窓側肘掛・・これがスハ43から続く急行車両必須のアイテムだ。

12系客車とその亜流ともいえるキハ65は急行型車両の一つの到達点であるが、残念なのは電車でこれらに匹敵する系列が製造されなかったことだ。

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その座席空間。  テーブルに栓抜きも健在だが、灰皿は撤去された。

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北陸地区で最後の活躍をする475系電車、雪の魚津駅で。

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 475系電車の今現在の車内。 これはM'車の車内で、天井には集中クーラーの風洞が続く。

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こちらはTcの車内で、前面が見渡せる仕切り板が健在。 出入り口付近はロングシート化されている。

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急行型車両のサービスの根本をなすものの一つ、洗面所。かつては冷水器もあった。

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 国鉄はその末期に将来の列車の設備の理想を指していたが、それは通勤型→ロングシート、近郊型→転換クロスもしくはゆったりとしたロングシート、急行型→リクライニングシート・・だが急行型の国鉄理想形は登場できなかった。 写真は急行型と近郊型、特急形の三車種折衷ともいえるキハ66車内。

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その座席。 窓側にテーブルも肘掛もない。 急行型とはいえない部分がここにもある。

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こちらは117系車内。 座席は良くなったが、出入り台仕切りは存在しないし、トイレは編成に一か所、洗面所はなくなっていて、この辺りが急行型とはサービスの根本が違う部分だろう。 なお、座席は急行型を凌駕していて、窓側にも肘掛がつく。

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JR東海キハ75の車内、急行としても一時期運用され、今も実質的に急行的な存在である快速「みえ」に運用される。非常に優秀な車内で雰囲気はかつての急行形を凌駕する。出入り代仕切りはないが、ドア横の風防が急行型に最も近い車両であることを思わせる。

185こちらは今現在のJR東日本185系車内。 登場時は転換式クロス、今はリクライニングシート、国鉄が描いた将来の急行型車両像に近いが、当時の営業のごり押しで急行ではなく特急として登場したという噂がある。

私鉄には国鉄でいうところの特急形は各社有料特急用のロマンスカーなどとして存在する。 通勤型はもちろんだが、国鉄でいうところの近郊型も、数は少ないながら存在する。 しかし、純粋な急行型と言うと私鉄にはまったく存在しない。 (ただし、かつて私鉄に存在しながら国鉄に存在がなかった都市間連絡用ロマンスカーは、今ではJR東海、西日本の標準近郊型となっている)

一時期、富士急行、南海、島原には急行型・準急形が存在したが、これは国鉄への乗り入れのための国鉄車両のコピーであり、急行型となると東武の6000・6050系や西武の4000系、伊豆急100・1000系などが近いようにも見えるがそれは形態だけのこと。 かたくななまでに急行利用客の利便性・快適性を重視した国鉄急行型に匹敵する私鉄オリジナル車両は一両も存在しないのだ。

その国鉄急行型、最後の定期運用が間もなく終了する・・ トワイライトの引退もショックだが、僕には急行型車両の引退と言う国鉄車両史に特筆されるであろう今春のダイヤ改正が恨めしい。

北陸本線475系、その風情をもう少し・・

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黒部にて・・列車の向かう先は雪だ。

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 富山駅にて、通勤列車に供される475系の夜景。 ブルーに塗られているが大きな窓から漏れる明かり、車内に見えるクロスシートに、かつての夜行座席急行を思い起こす。

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夜の富山駅で発車を待つ北陸色の列車。

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富山駅出発信号機を望む。 もう、この春までで、急行型電車の雄姿は見られなくなることを思うと、嫌でも感慨深くなる。

2015年1月13日 (火)

山陽電鉄、西代あたり。

昭和51年、国鉄寮に入ったころ、意外に近い山陽電車の西代車庫を訪ねたことがあった。 今回はその時の様子と、昭和55年ごろ、並びに震災直前の平成初期のころの写真だ。

当時、西代には車庫があり、板宿との間の区間は下町情緒にあふれていたし、阪神・阪急の電車も頻繁に乗り入れていた。

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西代車庫の入り口近くに置かれていた117号の廃車体。 戦前の山陽電車の標準型ともいえようか。

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車庫裏側から見られる位置にあった250形の廃車体。 番号不明だが252号あたりだろうか。

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700形715号。 ヘッドライトこそないものの、まだ、台車を履いていて、この系列が一両でもいいから残せなかったものかと思ってしまう。

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715号の横には青く塗られた830号が・・ こちらは連結面側。

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830号、試験塗装だそうで青一色に塗られていた。

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後年に撮影した830号、最初のOK台車を履いた意欲的な車両だ。

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貨車、クト60、前方にあるのはモワか・・

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モワがちょっと出てきたのでついでに・・後年に東二見で撮影したモワを・・ こちらはモワ1。

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こちらはモワ5。車内に機器が置かれてしまい、車体側面に扉が二か所必要になったとか。

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モワ1とモワ5の連結面。

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西代駅にて・・ 阪神3561系、3568。

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阪神7001系、7105。

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道路下をくぐる阪神7117。

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上りホームの7708。

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阪急5006が駅西のカーブを行く。

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ややのちの撮影、2300系2601。

3000

震災直前、3000系トップナンバー。

横にあるのは地下工事の飯場。

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登場したばかりの5000系5603、まだ3連だった。

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勝福山からみた俯瞰、線路は仮設で、地下工事が進展していることをうかがわせる。 走っているのは3050系か・・

 

 

2015年1月 1日 (木)

新年のご挨拶

みなさま、あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

今年は春から北陸線方面に大きな変化がある予定で、さらには広島・新潟・名古屋地区への大量の新車の投入、ブルートレインのほぼ壊滅など、ますます国鉄の時代が遠ざかる一年となりそうです。

どうか皆様には、安全に気を配って、去りゆく国鉄を見送っていただきたいと願っています。

どうか、皆さまにとって、また、鉄道業界にとって、良い一年でありますように。

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