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こう@電車おやじ

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2014年12月

2014年12月30日 (火)

宝殿駅西、法華山谷川付近。

僕がカメラを持って列車を撮影するようになったのは、加古川市に在住していた中学生時代で、特に自宅にほど近い宝殿駅周辺ではよく撮影した。

何度かこのあたりで国鉄はこのブログでエントリーしている。 「宝殿駅周辺の電気機関車たち」「宝殿駅周辺の列車たち」「宝殿駅、留置車両と列車たち」 以上もご参考くださればと思う。

今回は宝殿と曽根のちょうど中間あたり、今、姫路バイパスと国道2号が交差するあたりの写真だ。 法華山谷川という小川が流れている。 撮影時期は昭和51年頃から55年頃まで。

113

113系電車のアップ、初期型、大目玉・非ユニット窓電車だ。

1531533

 新快速153系電車、なぜか当時は低運転台の初期型が好きで、これが来るとシャッターを切っていた。 クハ153-3と番号も読める。

153

下りの新快速、今では想像もできないのどかな平野が広がっていた。

153_2

上りの新快速、ヘッドライトが点灯されている・・撮影している僕への注意喚起か、それとも軽い挨拶か・・線路からは相当離れており、いわゆるパッシングではないように思う。

153_3

上り新快速の後追い、編成の床面がそろわない・・これは、台車が相当痛んでいることによるもの・・ 一部には床面の垂れ下がった車両まであった。初期軽量車の宿命か。堅田行きの行き先も懐かしい。

Ef606

法華山谷川を渡るEF606牽引貨物列車。

Ef612

二兎を追うもの一兎を得ず・・双方向から貨物列車が来て結局どちらもまともに撮影できていない。 EF612のナンバーが流れ、反対方向には黒い二軸貨車が連なる・・ 撮影には失敗したが今、こうしてみるとなかなか当時の様子を物語っていると思う。

Ef5860

EF5880、すでに暗くなり始めた時刻か・・シャッター速度が上がらず、やむを得ず流したものだろうか。

Ef5860_2

その後追い、それほど速度は高くなかったようだ。

Ef6615

上りコンテナ列車、EF6615のアップ。

Ef6630

上りEF6630牽引のコンテナ貨物・・

Ef58167

EF58167牽引の荷物列車。 次位はワキ8000か、スニ40か・・

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後追い、マニ・スニ・スユ・ワキ・・荷物列車の編成はバラエティ豊かだった。

Ef60115

EF60115牽引のコンテナ貨物。

Eh1036

EH1036・・マンモス電機がなぜか、ワフとヨを繋いで走る。

Eh

その後ろ姿、なんとも楽しい列車だ。

58

キハ58の急行、山陽本線の特急・急行が消えてからは僅かに播但・姫新線の優等列車が宝殿あたりでの花形だった。

12

12系の臨時急行、「屋久島」のサボが見える。 長駆、鹿児島からの列車だ。

Photo

宝殿駅の様子。 既出だが当時の駅舎。

153_4

通過する153系新快速。

Photo_2

工事中の駅構内、宝殿駅は今のJR神戸線西明石・姫路間で最初に近代化された駅だ。

読者の皆様、本年1年、本当にありがとうございました。

どうか、新しい年が皆さまにとっても鉄道にとっても佳き一年でありますように!!

2014年12月24日 (水)

追憶、京都市電。

京阪神の各都市には市電が走っていた。 ただ、僕はそのどれも記憶には濃いのだけれど、残念ながら大阪・神戸の市電は僕がカメラを持つ以前に廃止され、ぎりぎりで間に合ったのが京都市電だった。

京都市電の廃止は昭和53年、僕がようやくカメラを得て京都に通いだしたのは昭和50年からで、神戸市電と京都市電の廃止が6年しか違わないのに、僕の個人データに神戸市電がまったく存在しないのはこのためだ。

さて、京都市電は以前にもエントリーしているし、ほかの鉄道と合わせてこのブログに登場しているが今回は僕にとっての京都市電の決定版としたい。 例によって既出の写真もあるがすべて再スキャンした。

また、カラーネガでの撮影が多く、幸い色データはほとんど残されていたが、復元・加工に相当の労力を要し、それが故、場合によってはわずかに当時の様子が再現できていない部分もあること、ご容赦願いたい。 なお、本ブログでの写真データのデジタル加工はすべて自力で行っている。

1800

1800形の正面、頭の様子からスタートだ。 京都市電ではほとんどの場合、当時、行先は表示せず・・(京都駅前とか烏丸車庫とか言うのはむしろ例外的)で、行先は白幕、腰の系統板で行き先を表していたし、ほとんどの系統が循環系統だった。

1616

京阪七条駅横の平面交差を通過する1616号。 1600形は当時すでにほとんどが廃車されていた。

1801

電停に迫る1800形トップナンバー1801号。 撮影から30有余年の時間が経過し、すでに撮影場所の記憶もおぼろげだ。 なお、当時の僕はほとんど、京都駅・七条・東山三条・元田中・北野の間で写真を撮影していた。

1801_2

その1801号が北大路をゆく。 この辺りでは激しく車体を揺さぶりながら、まさに快走という走りだった。

1802

1802号、東山線だったと思うが記憶はあいまいだ。 乗車料金が90円だったのが車体表記から窺える。

1804

1804号、撮影場所不明だ。 これも東山線だろうか。

1806

1806号、カーブをゆく。

1821

穏やかな夏の風景。1821号。 どこの電停だろうか。

1830

1830号、そういえば、この頃原動機付自転車の運転にヘルメットは必要なかった・・

1837

車内後部から撮影した1837号。 この当時、阪急で京都入り、嵐電に乗り換え、北野から市電で東山三条、三条から京阪でというのが僕のお気に入りの散歩コースだったがその経路だろうか。

1847

1847号、背景の建物はなにかの役所だろうか。

1850

1850号、整備された電停・・

1850_2

その1850号から降りた乗客・・夏の観光客といった風情。 市電があると、観光の道案内も分かりやすかった。

1852

1852号、背景にある寺院は三十三間堂だろうか。

1852_2

その1852号が去っていく。 市電は古都の風情によく似合っていた。

1853

22系統1853号、銀閣寺へ行く系統だった。

1855

1855号、サイド、電停はこれまた今となっては不明。

1867

1857号、東山通りだろうか。

1900

1900形車内の様子。

1918

1918号、1900形は1800形に比すとかなり近代化されたような印象がある。 場所はこれまた不明。

1920

七条通りだろうか、6系統の出会い。 1920号。

1920_2

京都駅前での1920号。このころはまだ運賃が70円だったことが分かる。

1920_3

1920号の運転台。

1924

1924号、端正で穏やかな電車だ。

1925

1925号から顔を出す子供たち。 この子たちは今、市電のことを覚えていてくれるだろうか。

1925_2

京都駅前の1925号。

1925_3

1925号の台車。

1926

 22系統、1926号。

1930

東山通りか・・1930号。

26092215

京阪電車2215号と出会う市電2609号。

2609

2609号、七条大橋を渡る。

2611

2611号、東山線でも北のほうだったと記憶するが・・

2611_2

カラーで、2611号のアップ。

Photo

1900形だろうか、叡電200形と出会う。 元田中。

Photo_2

乗車される普段着の女性たち。 電車は女性にも安心な乗り物だった。

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市電線路を横断するスクーター牽引のリヤカー、ご夫婦だろうか。

Photo_4

 京都市交通局が復元したボンネットバス。

1816

タクシーの波の向こうに市電・・ タクシーはクラウンタクシーの時代。

1606

現在、梅小路公園において、長年、市が管理してきた市電の貴重な保存車が一般公開されるようになった。 こちらは1606号。

2001

こちらは2001号、京都市電最後の新車だが、僕はこの電車に乗ったことはあれど撮影ネガが出てこない。 こうして自由に電車を眺められるのは良いが貴重な車両が痛まないか非常に気にかかる。

20032003

伊予鉄道、譲渡直後の2003号。 京都市電の2003号だ。

19201906

広電1906号、元は上記の写真の中にある京都市電1920号で今も驚くほどに健在だ。

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最後に、東山通り、クルマの向こうに市電・・ 古都・京都の町に最も似合う交通機関だった市電・・ もしも今、存在していたなら観光客の利用も多い広島市のように盛況な路面電車を目にできたにと・・ これはあのころを知っている人間の独り言でもある。

 

2014年12月 4日 (木)

昭和59年9月、三重の国鉄。

近鉄の三重での様子を見ていただいたからと言うわけではないが、今回は三重の国鉄を見ていただこうと思う。 時期的には急行「志摩」が走り、草津線、桜井線が電化なった時期、写真の記録状態から昭和59年9月ごろではないかと思う。

さて、近鉄伊賀線を見た後、伊賀上野・柘植・草津と回り、京都で京阪電車の夜遅い特急に乗り、天王寺から12系客車の「はやたま」から変更された通称「新宮夜行」に乗り、新宮から紀勢本線特急「南紀」で多気へ、参宮線で鳥羽へ・・ここから近鉄を見てという大周りの旅行だった。 今回、夜行や特急南紀の部分の写真が出てこず、その前後のものばかりであること、ご容赦いただきたい。

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国鉄で桜井へ行き、そこから近鉄で伊賀線へ向かったのだろうか・・ 同じネガに写っている桜井線の桜井駅。

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伊賀上野駅。 今も変わらぬ駅舎だ。

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柘植駅。 こちらも今現在も雰囲気は変わらない。

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柘植駅の構内。 キハ58と、留置線にラッシュ用50系客車が停車する。 今は夜間に117系電車が同じところに停車知るのではないだろうか。 キハ58は急行「志摩」だ。

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 急行「志摩」が京都へ向け草津線に進入する。 この列車は最後までキロを挟む長い編成だった。

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急行「志摩」の後追い。 この年のダイヤ改正で消滅することになる。

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奈良行きの列車が入線する。 キハ35が3両にキハ58が1両、この場合、キハ58は加太越えのための2エンジンとして連結されている。

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翌日の多気駅にて。 乗車してきた特急を撮影。 キハ82だが、JR東海移行後もしばらく残り、キハ80系列最後の定期特急ともなった列車だ。

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当時のダイヤはゆったりしていた。 その特急を跨線橋から俯瞰。

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そこに下り「志摩1号」が到着する。

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志摩1号発車時の様子。列車には「しま」とひらがなのサボが差し込まれている。

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名松線。 ここに来るまでには近鉄で鳥羽を経由していた。 伊勢奥津に着いた列車、キハ58とキハ30という珍妙な編成。

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その列車をやや斜めから。 駅の雰囲気と言い、列車編成と言い、まるでHOゲージの世界のようだ。もちろん、キハ58の冷房は使用できない。

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名松線は名張と松阪を結ぶのが当初の計画だったが、その名残の路線バスもあった。

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線路の先、鉄道員の詰所の先、あの山を鉄道は超えることができなかった。

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 伊勢奥津の駅舎。 いかにも中間の駅という感じだ。

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構内を遠望。 キハ30と給水塔。

この路線は現在、台風災害により長期運休状態にあるが、来年度内に鉄道として復旧することになりそうだ。

なお、国鉄時代にも災害により長期運休、その際に廃止が論じられたこともある。