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2014年10月

2014年10月27日 (月)

名鉄揖斐線の電車たち。

名鉄揖斐線についてはこれまでも何度か紹介しているが今回はその決定版?としたい。 前回のこの路線記事もまた参考していただければと思う。 なお、美濃町線・岐阜市内線についても近く再再度、取り上げる予定だ。

僕が頻繁に名鉄の岐阜地区600ボルト線区に通うようになったのは昭和54年以降で、今回は770形が登場する以前を取り上げたいと思う。

このころの揖斐線車両は、どちらかというと車両も近代的だった美濃町線とは異なり、大正から昭和初期にかけての日本の鉄道車両が木造から鋼製へと変化していく過渡期のものだ。

701

 700形701号、下方駅にて。 旧名古屋鉄道が制作したごく初期の電車、瀬戸線でも活躍して、この路線に集結した。

701_2

701号、黒野で憩う様子。

702703

702と703、黒野。

755752

750形755と752、根尾川を渡る。

2326

 2320形、元をただせば愛知電鉄最初の鋼製車で、ここに流れ着いたときは全てTcになっていた。 2326号、黒野だろうか。

2326_2

 珍しく「急」表示板を付けた2326。 岐阜駅前から忠節までは510・520形の急行が走り、この先、いつもと急行普通の車両が入れ替わったものだ。 谷汲への臨時列車だったと思う。

2327

 2327、根尾川を渡る。 デジタル化に際し、ポジの切り詰めた露出をそのまま残してみた。

525751

 525と751が政田で出会う。

510

 揖斐線といえば、700・750や2320も相当名物車両だったけれど、やはり、モ510・520だろう。 丸窓電車とも言われた、木造車最終期・鋼製車最初期の半円形、古典電車だ。 そのモ510形のサイドビュー。

510_2

 モ520形の車内。 名鉄は支線区の優等列車にも転換クロスを積極的に採用した。 大正の電車がパノラマカー並みの転換クロスを装備し高速運転するのが名鉄揖斐線の人気の素だ。

511

 本揖斐の511号。 美濃電気鉄道が用意した当時としては高性能の車両、アメリカのインターバンを模した正面5枚窓は古さよりも時代のハイセンスを感じる。

512

 岐阜市内線から鉄道線へ入る512号。

513

岐阜駅前の513号。当時、揖斐線直通の急行は遅れが出た時は岐阜駅前まで行かず、新岐阜折り返しが行われていた。ゆえに、行き先表示は「新岐阜」だ。

513_2

 その513号、本揖斐にて。

513_3

513号を正面から。

515

 515号、岐阜駅前。

515_2

 黒野にて515号。

521

 本揖斐にて521号。520形は最終期の木造電車で、美濃電生まれ、鋼製車に見えるが外板に鉄板を貼っただけの「ニセスチール」仕様、80年以上も現役だった。

522

忠節橋を渡る522号。

522_2

普通列車の522号、忠節にて。

523

忠節にて鉄道線へ入っていく523号。

523562

市内線562と並んだ523号、忠節。

523_3

523号の後ろを高校生が渡る。

523_2

新岐阜523号。

524

 根尾川、524・513号。

524_2

 忠節の直通列車ホーム、524号。

524_3

本揖斐524号。

524_4

 発車する524号。

526

根尾川、526・515号、この2連の時、520形は実質はクハ代用だった。

Photo

最後に下方駅の様子。 15分ヘッド、最高速度70キロ、急行運転、市内線直通という活発な路線がなぜに廃止されねばならなかったのか・・ 名鉄の鉄道事業者としての企業姿勢にも疑問を感じるのは、これは鉄道ファンとしては致し方ないのではないだろうか。

2014年10月24日 (金)

昭和59年、紀勢本線岩代への旅

以前に少しだけ出したことのある岩代駅だけれど、今回はその時の旅の模様をアップしたい。

昭和53年、紀勢本線の西側が電化開業となり、急行を除く列車が電化された。 今回の写真は僕がこよなく愛するシンガーソングライター、谷山浩子女史の「夢半球」というアルバムが発売された後のことで、このアルバムが昭和54年11月5日の発売、画面に写るEF58牽引客車列車の電車化が昭和61年ということだからこの間の撮影となる。

このとき、仲間と南紀白浜の国鉄保養施設へ出かけたものと記憶している。

さて、谷山女史の「テングサの歌」これは、どちらかというとコミカルな曲調のしかし内容が怖いSFで、人類が滅亡した後の岩代駅でテングサが気持ちよくホームのベンチに居座っている様子をうたったもの・・

彼女の述懐によると、一人旅の途中、岩代の民宿に宿泊したとのこと。その翌朝、駅のベンチにテングサがあって、駅長さんが回収していた様子を鼻歌で歌ってみたとか・・に

僕はキハ28の急行「きのくに」で紀伊田辺まで行き、ここで折り返す形をとった。

28

 そのキハ28の急行「きのくに」。 グリーン車、キロ28が更新された姿で、この形態は昭和55年以後のもの。

Ef58170

紀伊田辺に入るEF58170牽引、新宮行き普通列車。 昨今のワンマン電車を見慣れている目からは同じ紀勢本線の普通列車とは思えない貫禄がある。

Ef5842

僕が乗ったのはこの列車。 EF5842牽引、12系客車の普通列車、和歌山行きだ。

Ef5842_2

その12系客車の中からEF58を見た様子。 当時、12系の普通列車はここだけだったのではなかろうか。

Ef5842_3

岩代駅に着いた普通列車。 EF58を跨線橋から俯瞰。

12

12系の様子・・前寄り。

12_2

12系の様子・・編成後ろ寄り。

50

 客車列車の最後部。 マニ50が繋がっている。

381

少し歩いてみたけれど、あまりよい撮影ポイントには出食わさなかった。 電車化されたばかりの381系「くろしお」

381_2

 その後追い・・

381_3

 駅近くに保線用の側線があった。 その脇を特急「くろしお」が駆け抜ける。

113

 やってきた113系の普通電車、いわゆるレッドライナー塗装で、この電車でその夜の宿泊地、白浜へ向かった。

113_3

2011年にここを再訪できた。

その時の様子・・ワンマン改造された113系電車が停車する。

Photo

岩代の駅舎・・当時とほとんど変わりないが無人化され、「駅長さん」がいなくなって久しい・

Photo_2

 海岸とテングサ・・ テングサが駅のベンチで寝るはずもないけれど、静かな午後、静かな海岸だった。

 

テングサの歌(抄) 谷山浩子作詞作曲、昭和54年11月5日アルバム「夢半球」収録

 

紀勢本線各駅停車、南部の次の岩代駅の

ひと気のないホームの古いベンチの上にあたしはいるの

(略)

汽車の時間に汽車が来ないの

海は見えるが船は通らず

道は見えるがクルマは通らず

(略)

しゅるしゅるそよ風いい気持ち

駅長さんの帽子がほら 転がっているわ

そりゃあたしにとっては どうでもいいことだけど

人間のいない地球ってもぎたてトマトみたい

紀勢本線各駅停車南部の次の岩代駅の

ひと気のないホームの古いベンチの上であたしはふわふわ

(筆者の記憶違いにより本記事の下になる旅行を当初、昭和55年としていましたが、ご指摘いただき、再度確認したところ、昭和59年春先の撮影と判明しました。ここにお詫びして訂正させて頂きます。ご指摘、本当にありがとうございました。)

2014年10月13日 (月)

色とりどりの名鉄神宮前・昭和52年

昭和52年、飯田線を見に行った帰り、神宮前駅でしばらく名鉄の電車を眺めた。 その時の飯田線はこちら

このころ、名古屋鉄道=名鉄の電車はまだスカーレット統一がなされず、本線系は3種類、岐阜地区の路線もそれぞれに個性的な色合いを魅せてくれていた。 当時の岐阜地区の様子などはこちら

さて、神宮前・・今とは違い、広々とした空気感を感じられるターミナルで、電車の撮影にもうってつけだった。 なお、写真撮影にはオリンパスのコンパクトを使い、ブレ、フレーミングのおかしさなどがあるがご承知いただきたい。 また、原板がすでに40年近く前のものであり、かなりフォトショップで補正・復元しているがお見苦しい点もあるかと思われる。こちらもご容赦いただきたい。

831

まずは濃い緑色、800系。 モ831・・名岐の名車800系の流れをくむ車両で、正面が改造されているが、小気味良くまとまったサイドビューはまさに戦前の大私鉄を思わせる。

2403

戦前の名鉄を代表する流線型、クリームと赤のツートン、3400系、写真はク2403だが、この系列はのちの改造によりTcにパンタグラフを装備している。 「高速」表示は当時、自由席特急の名称を変更したもので、非常に斬新に見えたものだ。

2554

戦中戦後の3550系、緑色のク2554、3ドアロングシートだが、アウトラインが良く、均整のとれたデザイン、正面が改造されていて、往年の名車の印象とは異なる。

2652

こちらも戦中の3500系、スカーレットのク2652、元は2ドアで計画されたが戦時ということで3ドアで登場、戦後、2ドアに改造された姿。 正面デザインが原型で、オリジナルのよさを感じる。阪急920・810系にも通じるスタイルの良さである。

2856

3850系スカーレットのク2856・・幅広の窓、張り上げ屋根・・旧型電車の中ではこれまでの車両と一線を画した車両で、サイドだけ見れば旧型電車には見えない。

2830

3800系、クリームとスカーレットのツートン、ク2830。 戦後すぐの規格型電車だが、規格型それ自体が名鉄800系と似ていたために違和感はなく、この10年後まで活躍していた。

3771

3770系、スカーレットのモ3771。 HL車の車体更新車で、外観は新しいが下回りは非常に古く、性能も低かった。 当時はほとんどがクロスシート車。

3780

3780系番号不明。 高運転台、二連の側窓、冷房付き、車内に目をやれば一人掛けと二人掛けの転換クロスという近代的な電車だった。 ただし、性能は3700シリーズと変わらずHLの低性能だ。

3863

3880系モ3863・・ 東急3700系を譲受した系列で、実際に乗車した感じも何となく違和感を覚えたものだ。 大手私鉄間の20両もの車両譲渡は非常に珍しい。

5000

5000系急行、こちらが岐阜方。 パノラマとはまた違った意味で強烈に名鉄を印象付けた系列。 独特の高加速・激しい騒音、揺れを伴った走りはまさに都市間電車の王者という印象があったものだ。

5000_2

5000系急行の後追い。 正面窓に桟が入っている。

5200

5200系高速。 国鉄153系に先じたパノラマミックウィンドウ、国鉄サロに先じた2連の下降窓、5000系とはまた印象の異なる好デザインだ。 ただし、側窓はこのすぐあとに2連2段のユニット窓へと改造される。

7000

パノラマ7000岐阜行き特急。 名鉄が名鉄である所以こそこのパノラマだと、僕は今でも信じている。

7000_2

パノラマ7000特急「三河湾」・・蒲郡行き特急がこの名称だったように思う。 今の名鉄に支線区直通特急は少ない。

7300

7300系による河和行き急行。 車体は7000系中間車、足回りはALという変わった電車だが、支線乗り入れの特急・急行が多くこの系列で運行された。

7300_2

7300系の本線普通。 更新車にあってもパノラマスタイルを採用した名鉄の意地は今何処へ・・

7500パノラマ7500による犬山行き特急。 7500は7000のさらに上を行くはずだった電車だが、結局、その高性能を生かすことはできなかった。なお、名鉄に関しては今回、かなり写真をスキャンしているので今後も2度ほど続くつもりだ。 かつて、広電と名鉄は僕の中の双璧だった。 名鉄の華やかな時代の記憶を可能な限り出していきたいと思っている。

2014年10月 7日 (火)

可部線その後。

前回エントリーでは72系電車全盛の可部線を特集したけれど、今回はその後の様子。 昭和59年と63年の様子で、この間に国鉄はJRとなった。

72系から105系への置き換えは、1両の電車も可部線用に製造することなく、103系を転用改造した105系、それに福塩線105系の運用合理化と先頭車改造により捻出した105系、宇部線運用合理化により転出させた105系で行われた。

105

広島付近、福塩線カラーのまま走る105系。

105_2

横川駅近く、奈良線カラーのまま走る105系4ドア編成で、これは常磐線からの転用をさらに転用したもの。

73001

前回にも出したが、このときの撮影、クモハ73001を先頭にした72系、すでに72系はその最後の時が近づいていた。上八木付近の太田川橋梁。

72

古色蒼然たるロクサンの面影を残す72系編成も最後の活躍。 横川付近で。

1053

 JR化後、105系3ドア編成の可部線カラー。

1053_2

 その編成の先頭車のアップ。

10532

 105系3ドア編成が山をバックにやってくる。

1054

105系4ドア、朱色の編成。 朱色は元は宇部線用。山をバックに・・

1054_2

朱色の編成が太田川を渡る。

なお、クモハ123には何度か乗車していて、写真も撮影しているはずなのだが、今回は写真が出てこなかった。

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このとき、三段峡まで行っている。

なお、可部以北が廃止された現在の可部線は輸送密度18000人以上、一部の幹線をしのぐ通勤路線に成長している。

それなら地方交通線扱いもやめて、幹線と運賃面でも同じにしないといけないのではないだろうか?なお、可部から先1,6キロが復活電化開業準備中とのことだ。

 

 

 

先だっての広島豪雨災害において、この沿線が甚大な被害を受け、多くの方が亡くなられ、非常に多くの方が家をなくされました。 ここに、かつて可部線に頻繁に出入りし、沿線の方々に非常に親しく接していただいた者として、謹んで、お悔み、お見舞い申し上げます。

一日も早く沿線の方々の生活が復興されますよう、心よりお祈り申し上げます。

2014年10月 5日 (日)

主役交代時の福塩線。

福塩線の前回エントリーでは阪和線から70系が転入し、70系ばかりになった写真を出したが、今回は昭和51年2月もしくは3月の撮影ということになる。

国鉄が初めてローカル区間用の新製電車、105系を登場させたのがこのとき、その最初の投入線区が福塩線だった。

20メートル3ドア、ロングシートというこれまでの新性能車両にない、新しいカテゴリー、しかも、制御器はこれまでのMM'方式を見直した1M方式、巨大な国鉄がようやくそれぞれの線区の実情に即した電車を入れ始めたということだ。

このとき、僕は万能倉で下車したように思う。 万能倉までの区間運転の電車に乗ったか・・

70

 70系電車、それも300台の美しい表情から。

70_2

その電車の全景。 清潔感が漂いながらも、凛々しく品の良いデザインであることが分かる。

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 府中からの福山行きが走る。

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 その電車を下から窺うように後追い・・

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区間運転の70系、よく見ると3両目のクルマは300番台ではない。

105

105系電車。 冬の田んぼをゆく。

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ピカピカの105系電車、この駅はどこだろう・・万能倉だろうか。

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留置される105系電車。 主役交代の時が近づいていた。

105_4快走する105系を望遠で・・ 70系の使用実績から福塩線105系は当初、1M方式の利点を発揮できない4連で登場、すぐに中間車も先頭車改造を受けて、全てが2連になった。 なお、105系で確立した1M制御は119系から211系、213系へと進化していった。

70_6

最後に福山城と70系電車。 70系のデザインは国鉄旧型電車の白眉だったのではないだろうか。 1両の保存も存在しないことが恨めしい。