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こう@電車おやじ

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2014年9月

2014年9月26日 (金)

琴電、昭和50年代。

高松琴平電鉄=琴電を初めて訪問したのは昭和51年の夏、工作一科で同期になった友人の自宅を訪問した時だ。 以後、数年を開けずに琴電は訪問していて、今回はその中から当時の本当に様々な表情の電車を見ていただきたいと思う。 琴電訪問はいつも夜行「鷲羽」で、この列車の廃止後、しばらく琴電から遠ざかってしまった。

さて、その琴電は、地方私鉄では珍しい標準軌の電鉄で、関西や関東・中部の大手私鉄からだけではなく、各地で廃線などになった地方私鉄の電車も買い集めていた。

それだけ輸送力増強がひっ迫していたのだろう。

まずは、当時の瓦町駅から。

K55

カラー写真は阪神881形を譲受した30形で、番号は55、長尾線で走っていた。 正面の喫茶店スタイルが貴重だった。

K130

 130号、形式は1300形で番号が130、なんとも不思議な附番だ。 大正15年、琴平電鉄開業時の電車。

K2623

26と23、26は京浜急行230形がその前身、30形として導入されたが番号が次の形式に抑えられ、若いほうへ戻った 23は大阪電気鉄道(近鉄南大阪線)の5620形がその前身、正面デザインが完全に変わったために、全く分からない。

K31

 31号、阪神881形を譲受した30形が廃車され、京浜急行の230形が30形となった。

K33

 33号が築港方向からやってくる。 この当時、志度線が高松築港へ直通し、長尾線は瓦町発着だった。

K33_2

 スイッチバックしてその電車が志度線へ入っていく。

K35

 35号が志度線を走ってきた。

K62510

 60形62号、京浜急行からの木造車を近代的な車体に乗せ換えた電車で、昭和51年当時は正面非貫通の二枚窓だった。

K62

 昭和57年訪問時は、この電車が貫通型に変更されていた。

K65

 65号で、こちらも京浜急行の木造車に近代的な車体を乗せたもので、側面がいわゆる「バス窓」だ。

K92

 90形92号、京浜急行の木造車41号形がその前身、鋼体化改造時に正面の雨どいだけ原型のものを取り付けたとか。

K230

 2000形230号、仙石線前身の宮城電気鉄道の電車を鋼体化したもの。

K325

 3000形325号、こちらも琴平電鉄開業時のもの。

K520

 5000型520号、昭和3年の増備車。

 

K1011_211000形1011号、昭和30年に帝国車両で車体が製造され、琴電に搬入されたものの、長く放置、結局5年後に旧型車両の台車、電動機を取り付けてデビューしたという、希有な経歴の持ち主で、今のところ琴電最後の自社発注車両。 昭和51年に見たときは正面二枚窓(写真は撮れず)だったが、阪神ジェットカーの影響か、正面デザインが大きく変更されている。

K1012

瓦町駅に停車する1012号、上記1011と編成を組む。

K1031

 1020形1031号、名鉄3700系がその前身。 もう少し走るかと思っていたけれど、案外早くに姿を消した。

K1051

1050形1051号、阪神ジェットカーの試作編成がその前身。 正面貫通化は阪神で施工されていた。 琴電ではサイドの3ドアを2ドアにして入線。

K1052

上記の編成、1052が入線。 この電車が琴電のスタイルに大きな影響を与えた。

C22

 次は高松築港付近での様子。 お堀端を行く22号。 前述、大阪電気鉄道から来た電車だが、この電車には飾り窓の跡が残っていた。

C31

 31号のサイド、極端に大きな窓が京急出自であることを表す。

C720

 お堀端の7000形720号、元をたどれば総武鉄道から東武へ移った電車。

C790

 780形790号、山形交通三山線からやってきた電車、元をたどれば西武出自。

C1001

 高松築港の駅に停車する10000形1001号、意欲的な琴電自社発注車で、高性能化前夜の高速鉄道用車両らしい雰囲気にあふれる。

C1001_2

 走行中の様子。 まとまりのよい、好ましいスタイルの電車だ。

C1001_3

 築港の駅に停車しているのを駅舎の外から。

C1002

 お堀端を行く1002号のサイド。

C1052

 ジェットカー1052の俯瞰。

1027

 名鉄から来た1027の正面。

23

 沿線での様子、八栗だろうか・・23号。

31

 同じ場所で31号。

34

 34号が海岸線を行く。逗子や横須賀の海を思い出すだろうか。

35

 走行中の電車の車内から・・ 片原町付近の35号。

345

 八栗345号。

8202

820形820号、豊川鉄道(飯田線南部の鉄道)が木南車両に発注した電車で、戦前の生まれだが近代的な雰囲気を有していた。 国鉄を経て高松へやってきた。撮影は岡本付近か。

920

 920型920号、山陽電鉄の前身、宇治川電気の電車で、山陽電鉄となった後、戦後に琴電入りした。八栗付近で。

920_2

 920号の運転台後ろから。

1053

 1050形1053号、岡本付近で。 阪神量産型ジェットカーを譲受したもの。

1102

 ここからは最近の写真で。 神戸から高松へはかつての夜行、「鷲羽」くらいの時刻で「ジャンボフェリー」で行くことができる。 朝ラッシュ時の4連運転、京王5000の瀟洒なデザインが映える。

23_2

 旧型車も一部が残され、イベント運行されている。 23号と320号。

614

お堀端を行くのは名古屋市営地下鉄からやってきた電車614号。

1200

 琴電が経営破たんしたのは瓦町再開発の失敗によるものだったが、その瓦町駅ビル、そごうが撤退した後の天満屋を目指して電車が行く。 電車は京急700形を譲受したものだ。 なお、天満屋も今は撤退して巨大なビルは空きフロアが目立つ。

 

2014年9月13日 (土)

昭和54年、伊予鉄道。

四国シリーズの二回目は愛媛県の伊予鉄道。

伊予鉄道にはこのとき、二回目の訪問で、この前年に訪問した時に多くを見られなかったことが心残りで再訪したと思う。 (最初の訪問時の写真ままた別の機会に)

まずは充実した路線網のある市内線から。

国鉄駅前、市駅前、市役所前、道後温泉、城北線と見て回ったように記憶しているが、撮影場所の記憶はすでに曖昧で、本文中にも間違いがあるかもしれない、ご指摘いただければ幸いだ。

52

 50形から、当時、市内線は2000形以外はすべて50形とされていた。

西堀端だろうか、50形52号、昭和26年製造というが、とてもそうは見えない近代的な外観だ。

53

 大手町だろうか。 53号と後ろに軽量設計の後期型50形が見える。

54

 城北線を行く54号、郊外電車のような落ち着いた雰囲気に穏やかな表情の電車が似合う。

55

 国鉄駅前、55号。

56

 国鉄駅前、56号。

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 大手町から国鉄駅前を望む、58号。

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 市役所前、松山城を望む、59号。

60

 道後公園だろうか、60号。

62

 市役所前、後期型62号。 呉市電とよく似た軽量設計車体になった。

 

62_2

62号、道後温泉近くか・・

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 南堀端か、67号。

67_2

 市役所前、67号。

69

 大手町、69号が鉄道線電車の通過を待つ。

702004

70号と2000形2004号。 大手町・・2000形は京都市電最新の2000形を譲り受けた形式。

72

 市駅前、72号。

74

 大手町の平面交差を渡る74号。

7472

 道後温泉、72・74・76号。

74_2

 道後温泉駅舎と74号。

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 城北線50形の車内から76号を見る。

76_2

 道後温泉76号。

81

 大手町、81号。 南海和歌山軌道線からやってきた電車だ。

1001

 国鉄駅前、1001号。 結局、呉市電の1000形は呉市電廃止後に松山にやってきた。 正面デザインが変更されていて、松山の50形後期車とまったく違和感がない。

1002

 国鉄駅前、1002号。 呉から来た電車の車体にはリブが入っていて、これが特徴でもあった。

1002_2

 市役所前、1002号。

2003

 京都からやってきた2000形2003号。 松山の50形初期型車はもともとが京都市電をモデルにしたといわれるだけあって、京都市電最新の2000形も、全く松山で違和感を感じなかった。 正面、ヘッドライトが一灯化されていて、ぱっと見た目には既存の50形と同じ雰囲気を持っている。

2004

 西堀端2004号。

50

 お堀端を行く50形電車。 お城のある町に路面電車はよく似合う。

101

 ここから鉄道線。 松山市駅を三方向に向かって出る郊外電車で、この当時、琴電の百鬼夜行ぶりと比べると非常にスマートに見えたものだ。 松山市駅の100形101、高浜線電化時に登場した電車で昭和6年製。

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大手町を行く101、とても戦前の電車には見えないほど美しく整備されていた。

103

 大手町の103、当時の伊予鉄道は3両編成で、伊予鉄生え抜きの電車は100・400・200と組成されていた。 101と違い、103には正面幕板部のベンチレーターがない。

104

 松山市駅の104、シンプルだが好感のもてるスタイルだった。

106

 106が高浜線を行く。 電化当時、関西で流行した弩級電車のようなものを作るつもりだったらしいが、結局は乗客数のこともあり、「やや誇れる」電車となったらしい。(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐりより) それにしてもスマートな電車。

113

 110形113、横河原線電化の昭和42年までに西武鉄道から譲り受けた電車。 阪急600に似たごつい、川造タイプ(川崎造船が製造した初期の鋼製車)の電車だ。

115

 大手町を行く115。

125

 その編成の後ろには125が繋がっていた。 小田急1900形がその前身。

131

 相模鉄道2000形がその前身の131号、さらに過去をたどれば、今の井の頭線のその初期の姿、帝都電鉄開業時の電車にまでさかのぼるとか。 梅津寺付近。

201

 元々は「モハニ」だった200形201、100・400・200編成の高浜寄りに連結されていた。 ドア位置がその生まれを象徴する。

204

 200形204、荷物室の跡、リベット、製造された当時の姿が浮き上がる。

300

 300形が梅津寺の海岸を行く。

304

 松山市駅の300形304。 昭和25年、郡中線電化時の新車で、当初は100形と同じような電車だったようだ。 自社で車体延長、3ドア化の大工事を行った。

304_2

 その304の台車。 なんとも近代的なエアサスをはいている。 WNドライブに変更されているが、こうなるとやはりちょっとアンバランスな感じがする。

601

 600形601、伊予鉄道最初の高性能車で、昭和33年に早くもこういう電車を登場させた積極的な経営方針は素晴らしいと思う。

603

600形603、編成中でこの車両のみ2ドアだが、長野電鉄で東急5000系導入の際に余剰となった車両を譲り受けて新性能化、正面デザイン変更のうえ、投入された。

この後、JR化直後にも伊予鉄道を訪問しているが、その記事もまた別の機会としたい。 当時の琴電と異なり、同じように中古車を活用するにしても、イメージを統一した垢ぬけた電車を用意し、日本第二の歴史を有する私鉄らしい、誇りを感じられる鉄道だ。 ただ、今の僕にはここはやや遠く・・ここ20年以上、訪問はできていない。

Photo

 郡中港駅舎。

Photo_2

 そしてそのすぐ近くの国鉄伊予市駅舎。