フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« JR化直後の北海道、昭和62年6月。 | メイン | 昭和54年夏、高知への旅 »

2014年8月14日 (木)

横川で国鉄軽量客車三種を見る。

つい先日、「ムーンライトながら」往復乗車が主目的の弾丸旅行をおこなった。 ムーンライトで東京へ行く以上、その先には訪問先が必要なのであって・・今回は長年、是非訪問したいと念願していた群馬県、信越本線横川駅すぐ近くの「碓氷峠鉄道文化むら」訪問を成し遂げることができた。

ここは日本最大の電気機関車保存両数で有名だが、僕の主目的は電気機関車ではなく客車、それも、3種あると聞いていた軽量客車だ。 このブログでもすでに、片上鉄道・大井川鉄道の旧型客車は紹介しているけれど、軽量客車は保存そのものが材質的に難しいために、特に一般型は保存が極めて少ないのだ。

189

さて、「碓氷峠鉄道文化むら」ではかつてのここのクィーンだった特急「あさま」に迎えられる。

 

Ef58172

その奥の、屋外展示場へ歩みを進めると、非常にたくさんの電気機関車、その中のEF58172につながれた編成に目が行く。 この前寄りがオハネ1229、後ろにつながれているのがオシ172055だ。

1229_2

まず、オハネ1229の外観。 寝台側、二連の窓が並ぶ独特の風貌だ。 車体幅が広げられ、裾が絞られている。 軽量客車の寝台、食堂車が初めて最大車体幅2950ミリを採用した。

1229

通路側の外観は隣の機関車、EF75との間から眺める。

1229_3

オハネ1229車内。 通路部で、完全に当時の様子が残されている。 20系以降の寝台車と異なり、通路側に補助椅子などはない。 窓は大きな一枚下降式だが、下降しないようにロックされていた。

1229_4

寝台の様子。 中段は座席運用時には背もたれとして活用するやり方。 20系より無駄が少ないが、その分、事故などの際は中段乗客が転落することも考えられる。

1229_5

寝台部の天井。 当初より冷房装備だった20系とは異なり、のちに冷房改造されたため、ユニットクーラーの出っ張りが目立つ。

1229_6

洗面所。 三人が一度に並んで使うことができる。

Ef631

碓氷峠の主だったEF63のトップナンバーEF631。 この後ろにナハフ111が繋がれている。

111

ナハフ11のトップナンバーナハフ111。 大きな窓を持つ優雅な外観。

111_2

車体中央部、車番表記がやや国鉄字体とは異なる気がする。

111_3

車端部をサイドから。 トイレの下に出ているのが汚物排出口。 線路に垂れ流しだった時代。

111_4

車内。 完全に当時の様子が残されている。

111_5

座席。 ゆったりとした座席だが、同じ時代のキハ26あたりとは作りが異なり、保守に難儀したものだ。

111_6

窓。 これも、キハ26・58の簡易だが確実な作りと比べることもできぬ粗悪な設計で、痛みやすく、保守に難儀した。 内側の網戸は撤去されている。

172055

さて、上記EF58172・オハネ1229の後ろにつながっていたのがオシ172055だ。 客席側の外観。

172055_2

厨房側の外観。 妻部に窓が作られているが、これは教習車オヤ171に改造された時のもの。

1720551

その反対側の外観。

172055_3

オシ172055の車番表記。 17の部分のみオヤ時代のもの、オシと2055は書き直したのだろう。

172055_4

台車。 近畿車輛のシュリーレン台車。

172055_5

その台車に残っていた銘板。 組み立ては高砂工場で行われたようだ。

この車両に高砂の面影を見つけたことは非常に嬉しかった。

172055_6

床下。 旧型車の台枠を改造したもので、すっきりしているが、これは水タンク、冷房用エンジンを撤去されているから。

172055_7

台枠。 魚腹型台枠の形が残っていた。

17

車内。 客室の一部が残されている。家庭用クーラーが見えるが、オシ時代はきちんと冷房付き、しかも平天井という凝った設計だった。

172055_8

車内にあったパンタグラフ。 オヤ時代は交流機関車の訓練用に使われていて、そのための模擬パンタだ。

172055_9

運転台。 本来、オシ17に運転台などあるはずもないが、教習用に電気機関車に似せた運転台が設けられている。

4011

D51の後ろにつながれていたのがマイネ4011で、よくぞ、この様な車両が残っていたものと感心する。 ただし、車内は公開されていなかった。

20467

すぐ近くにあったキハ20、後期型のキハ20467で、人気のある標準色に塗装されている。 僕は今でもこのタイプのキハ20は国鉄が作った気動車としては最高傑作のひとつであると信じて疑わない。

Photo

神社。 この場所は碓氷峠を守る横川機関区のあった場所で、機関区の方々が手作りで祀った神社が残されていた。 かつて、国鉄の現場にはこういう神社があったものだ。

1213

国鉄高砂時代の写真から。 再掲であるがご容赦を。 新宮にいて「はやたま」に使われていたオハネフ1213・・廃車時に高砂工場にて。

1213_2

その寝台。

1213_3

車内通路。

10103

ナハフ10103。

JR西が京都に計画している博物館・・新たに保存されるのは電車が主体になりそうだが、あくまでも個人的な思いとして、国鉄関西三工場の一つ、高砂工場が作り上げた傑作、オシ17を京都に持ってきて完全に復元して保存できないのだろうか・・ 可能であるならと念願する。 それにしても、21世紀も10年以上を経て、軽量客車が三車種も完全に近い状態でみられるとは思わなかった。

「碓氷峠鉄道文化むら」関係者の努力に素直に感謝したい。

 

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/351371/32560679

横川で国鉄軽量客車三種を見る。を参照しているブログ:

コメント

国鉄世代にとっては懐かしいですね…。
10系客車は数が少なかったのか旧型客車に比べて印象が薄いです。
ただ車内を見ているとキハ58系に似ているような印象もしますね。
横にずらりと並んだ洗面台を見ると0系新幹線を思い出すような気もします。

 10系客車はよく利用しました。S50.3のダイヤ改正以前は数多くの急行に使用され、貧乏旅行のお伴をしてくれた車両です。10系客車(ハネ)は構体腐食が多く、軽量化が災いしたようですが、防錆鋼、FEM解析のような技術が当時あれば、もっと現存していたことでしょう。
 こうさんの写真を拝見しますと、洗面所に洗面器が3つあり、その脇にたんツボが見えます。たんを吐いても流れるように渦を巻いて水が流れ、当時の技術レベルの高さを垣間見ました。
 オシ17は“雲仙・きたぐに”の運用に入っていました。九州のSL撮影の際にはぜひ乗りたいものだと思っていましたが、北陸トンネル事故のあおりで全廃になり心残りでした。食堂車の存在を知らない世代も増えてきました。

10系客車は私がガキの頃はまだまだ『新型』でノーシルノーヘッダー、窓にはRのつく、スマートな外観は43系以前のクルマとは一線を画するものでした。
母の帰省で乗車した臨時準急で、ほとんどが35系の中、1両だけナハ10が混じっていたりしたら母の手を引いてナハ10を選んで乗車したものでした。
軽量の割にはバネが硬く乗り心地に難点があったことや、保守にも難があったことなどを知ったのは最近になってからのことです。

昭和50年前後に、均一周遊券を使って首都圏から西へ向かう場合、昼行なら唯一残っていた急行「桜島・高千穂」、夜行なら大垣夜行が定番でした。
他の線区ならばせいぜい43系と10系の混成でしたが、「桜島・高千穂」はハザは10系で統一され、グリーン車だけがスロフ62でした。近代的なデザインの非冷房車とクーラーを載せたシル・ヘッダー付き車体の取り合わせの妙が、いかにも在来線の主の貫禄を醸していました。
14輌編成故に軽量客車を連ねたのでしょうか。
昭和40年代前半には更にもう1本、長崎行急行が2時間程先行して走っていて、新幹線に旅情を感じぬ母と静岡へ行くにも利用した事がありました。
見てくれの良さもあって最後尾のナハフ10に座っていると、暫くして車掌が来て「この車は暖房の調子が悪いので前の車輌へお移り下さい。」と案内されて移ると43系でした。
更に遡って昭和30年代、毎朝小学校への通学の折りによく見た寝台専用急行「彗星」は、裾の絞られた10系寝台車で統一され、実に美しいものでした。所要時間は変わらぬものの、停車駅を極めて少なくした列車で、次々に雁行する寝台急行の中でも、特別扱いの列車でした。

10系の軽量客車が残っているのはほんと、奇跡ですね。
また、高砂工場の銘板もご覧になり、懐かしかったのではないでしょうか。

もし、10系客車が12系と同様の下降式でない、保守の容易な2段式のユニット窓だったらどうなっていたでしょうか。10系の美しいすっきりした窓のイメージが犠牲になっても、車体の腐食が抑えられ、もう少し長く使用されていたでしょうか?

えびちゃんさん>

10系客車は数は多かったのですが、耐用命数を少なく設計され、結局、それ以前の客車のほうが最後まで残りましたね。
車内はキハ26辺りに似ていますが、設計が全く異なり、保守に難儀しました。

L急行鷲羽さん>

10系客車の時代、まだ鉄鋼材料に今のような防錆技術がなく、それが寿命を短くしましたし、客車の場合は電車・気動車と全く異なる設計ゆえか、痛みが更に酷いものになってしまったのは結果として残念だったと思います。

オシ17・・私も乗りたかった・・

紀州さん>

ナハ10の台車はホイールベースが短く、乗り心地の面ではさほど悪いとも思えませんでしたが、音だけ聞いているともの凄い高速で突っ走っているように思えたものでした。

デザイン的には当時の国鉄営業局の粋を集めただけに、今見ても全く古さを感じないですね。

あづまもぐらさん>

10系寝台車の、濃い青で統一された、局面を描く車体・・きれいでしたね。
最も、私の場合は、既に老朽化した姿しか知らないので・・これが新車のころは本当に美しかっただろうなと想像するしかないのですが・・

TMさん>

10系客車がせめて気動車のキハ26・キハ20辺りと同じように細部を設計されていたら・・・
今でもそれなりの数は残っていたかもしれませんね。

同じように見えるキハ26とナハ10の窓ですが、同じなのは窓のサイズだけで・・
設計は全く別物・・
結局、腐食対策もきちんとしていた気動車の勝ち・・
これは当時の車両設計が電車・気動車・機関車と、客車ではまったく別の組織だったゆえだそうです。

こんばんは。
10系客車は私にとっては知識だけの存在、走っているところも見たことがありませんが、外観のデザインだけは、シンプルで美しく感じます。
記事と皆様のコメントも拝見しまして、近代化・軽量化という掛け声先行になってしまったのではないかと想像しますが、ヨーロッパの客車を思い出させるようなスマートさと優美さを兼ね備えていると感じます。(その観点で、20系客車は最高ですね)
耐用年数を短く設計しているとは言いましても、秀逸と言えるような作りには決してなっていなかったのでしょうね。ご記載のある窓の構造にしましても、私は詳しくは分かりませんが、雨水の浸入もある開口部がお粗末だとしましたら、すぐにダメになってしまう気がします。
終点になって久しい横川駅から、この施設を向こうに眺めてはいました。
お写真、楽しませて頂きました。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

風旅記さん>

いつもありがとうございます。
最近、国鉄の車両が非常に優秀であったような、当時を知らぬマスコミの方々の報道などもあったりして、実は当時を知るものとしては驚いております。
お粗末な設計でも現場の人たちが必死で守ってきたからこそ、車両は耐用命数をはるかに超えて使い続けることができた・・
もっとそのことに目をやってもいいのではなかとも思っております。

コメントを投稿