フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 2014年7月 | メイン | 2014年9月 »

2014年8月

2014年8月25日 (月)

昭和54年夏、高知への旅

四国・高知へ行ったのは国鉄に入ってしばらくしたころだ。

153

このときの旅行は神戸から夜行急行「鷲羽」に乗ったように記憶している。 その「鷲羽」153系電車の様子を宇野で・・

Photo

 「鷲羽」のサボ。

65

 高松の駅ではキハ65・58・28による急行「あしずり」が迎えてくれた。

61

 高松でみたオハフ61・・当時ですら貴重なクルマだった。

Photo_2

 高知駅。 昨年、自家用車で高知を訪問した折に再訪したが、近代的な高架駅となってこのころの面影はなくなっていた。

219221

 高知駅前では土佐電鉄の路面電車が迎えてくれる。 219と221。

219

入構する219。

210211

 210と211。 このころ、高知駅前と桟橋を結ぶ系統は200形ばかりだったように思う。

207215

 215と207、カラーで。

207

 この路線に乗り、桟橋で207。

215

 215号。

Photo_3

 国鉄バス、松山高知急行線。

703

 はりまや橋付近で・・ 下関の山陽電気軌道から移籍の703。

803

 こちらも下関からの移籍組、803・・カメラ屋さんの広告電車。

803_2

 その803の側面には大きくNikon F2PhotomicAの絵が描かれていた。

当時の憧れのカメラだ。

209

 高知駅へ向かう209。

622

 「ごめん」と大書きした行き先番が名物。 622号。

609

 こちらは高知大丸の広告電車、609号。

Photo_4

 高知県交通の路線バス。

206

 御免に到着した206号。

606

 御免にて606号。

Photo_5

 御免の様子。 手前に線路が見えるが、かつての鉄道線との直通線路だろうか。

181

 高知駅へ戻り次の目的地、松山へ・・いったん、高松まで出たように思う。 キハ181南風、高知駅だと思うが記憶があいまいだ。(高松駅とのこと、ご教示いただきました。ありがとうございます。)

5042

 DF50が牽引する客車列車が発車を待つ。

58

 急行「土佐」 キハ58を先頭にしていて、僕らはこの列車に乗ったように記憶している。

26

キハ26・・駅名不詳・・

181_2

 高松だろうか、キハ181特急「しおかぜ」

181_3

 このときに「しおかぜ」に乗った記憶がなく、夜遅い急行「伊予」で松山へ向かったと記憶している。 どこで撮影したのか、この駅をご存じの方があればご教示願いたい。

(最後の写真は松山とのことでした。ご教示いただきました。ありがとうございます)

このあと、僕らは松山で伊予鉄道を訪問している。 伊予鉄道の訪問記は、またこの次に。

2014年8月14日 (木)

横川で国鉄軽量客車三種を見る。

つい先日、「ムーンライトながら」往復乗車が主目的の弾丸旅行をおこなった。 ムーンライトで東京へ行く以上、その先には訪問先が必要なのであって・・今回は長年、是非訪問したいと念願していた群馬県、信越本線横川駅すぐ近くの「碓氷峠鉄道文化むら」訪問を成し遂げることができた。

ここは日本最大の電気機関車保存両数で有名だが、僕の主目的は電気機関車ではなく客車、それも、3種あると聞いていた軽量客車だ。 このブログでもすでに、片上鉄道・大井川鉄道の旧型客車は紹介しているけれど、軽量客車は保存そのものが材質的に難しいために、特に一般型は保存が極めて少ないのだ。

189

さて、「碓氷峠鉄道文化むら」ではかつてのここのクィーンだった特急「あさま」に迎えられる。

 

Ef58172

その奥の、屋外展示場へ歩みを進めると、非常にたくさんの電気機関車、その中のEF58172につながれた編成に目が行く。 この前寄りがオハネ1229、後ろにつながれているのがオシ172055だ。

1229_2

まず、オハネ1229の外観。 寝台側、二連の窓が並ぶ独特の風貌だ。 車体幅が広げられ、裾が絞られている。 軽量客車の寝台、食堂車が初めて最大車体幅2950ミリを採用した。

1229

通路側の外観は隣の機関車、EF75との間から眺める。

1229_3

オハネ1229車内。 通路部で、完全に当時の様子が残されている。 20系以降の寝台車と異なり、通路側に補助椅子などはない。 窓は大きな一枚下降式だが、下降しないようにロックされていた。

1229_4

寝台の様子。 中段は座席運用時には背もたれとして活用するやり方。 20系より無駄が少ないが、その分、事故などの際は中段乗客が転落することも考えられる。

1229_5

寝台部の天井。 当初より冷房装備だった20系とは異なり、のちに冷房改造されたため、ユニットクーラーの出っ張りが目立つ。

1229_6

洗面所。 三人が一度に並んで使うことができる。

Ef631

碓氷峠の主だったEF63のトップナンバーEF631。 この後ろにナハフ111が繋がれている。

111

ナハフ11のトップナンバーナハフ111。 大きな窓を持つ優雅な外観。

111_2

車体中央部、車番表記がやや国鉄字体とは異なる気がする。

111_3

車端部をサイドから。 トイレの下に出ているのが汚物排出口。 線路に垂れ流しだった時代。

111_4

車内。 完全に当時の様子が残されている。

111_5

座席。 ゆったりとした座席だが、同じ時代のキハ26あたりとは作りが異なり、保守に難儀したものだ。

111_6

窓。 これも、キハ26・58の簡易だが確実な作りと比べることもできぬ粗悪な設計で、痛みやすく、保守に難儀した。 内側の網戸は撤去されている。

172055

さて、上記EF58172・オハネ1229の後ろにつながっていたのがオシ172055だ。 客席側の外観。

172055_2

厨房側の外観。 妻部に窓が作られているが、これは教習車オヤ171に改造された時のもの。

1720551

その反対側の外観。

172055_3

オシ172055の車番表記。 17の部分のみオヤ時代のもの、オシと2055は書き直したのだろう。

172055_4

台車。 近畿車輛のシュリーレン台車。

172055_5

その台車に残っていた銘板。 組み立ては高砂工場で行われたようだ。

この車両に高砂の面影を見つけたことは非常に嬉しかった。

172055_6

床下。 旧型車の台枠を改造したもので、すっきりしているが、これは水タンク、冷房用エンジンを撤去されているから。

172055_7

台枠。 魚腹型台枠の形が残っていた。

17

車内。 客室の一部が残されている。家庭用クーラーが見えるが、オシ時代はきちんと冷房付き、しかも平天井という凝った設計だった。

172055_8

車内にあったパンタグラフ。 オヤ時代は交流機関車の訓練用に使われていて、そのための模擬パンタだ。

172055_9

運転台。 本来、オシ17に運転台などあるはずもないが、教習用に電気機関車に似せた運転台が設けられている。

4011

D51の後ろにつながれていたのがマイネ4011で、よくぞ、この様な車両が残っていたものと感心する。 ただし、車内は公開されていなかった。

20467

すぐ近くにあったキハ20、後期型のキハ20467で、人気のある標準色に塗装されている。 僕は今でもこのタイプのキハ20は国鉄が作った気動車としては最高傑作のひとつであると信じて疑わない。

Photo

神社。 この場所は碓氷峠を守る横川機関区のあった場所で、機関区の方々が手作りで祀った神社が残されていた。 かつて、国鉄の現場にはこういう神社があったものだ。

1213

国鉄高砂時代の写真から。 再掲であるがご容赦を。 新宮にいて「はやたま」に使われていたオハネフ1213・・廃車時に高砂工場にて。

1213_2

その寝台。

1213_3

車内通路。

10103

ナハフ10103。

JR西が京都に計画している博物館・・新たに保存されるのは電車が主体になりそうだが、あくまでも個人的な思いとして、国鉄関西三工場の一つ、高砂工場が作り上げた傑作、オシ17を京都に持ってきて完全に復元して保存できないのだろうか・・ 可能であるならと念願する。 それにしても、21世紀も10年以上を経て、軽量客車が三車種も完全に近い状態でみられるとは思わなかった。

「碓氷峠鉄道文化むら」関係者の努力に素直に感謝したい。