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2014年7月13日 (日)

若鷹号と若鷹寮(国鉄鷹取工場)と嵯峨野観光鉄道19世紀ホール。

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さて、僕が国鉄、関西鉄道学園の技能者養成課程である「工作一科」を卒業したことは前に書いた。 その、鷹取工場の技能者養成所の生徒をかつては「若鷹」と呼んでいたらしい。

そして、国鉄が私鉄を買収し、その私鉄から国鉄に移ってきた機関車の中で、もっとも小ぶりだった徳島鉄道の7号機を、技能者養成所の生徒のための訓練用として整備したのが「若鷹号」だ。

まず、鷹取工場における写真。

Photo

 僕の所蔵するフィルムから見つかったのはこの一枚だけで、実際はもっと撮影しているはずなのだが、なぜか見当たらない。 「若鷹号」を「若鷹寮」からの俯瞰撮影だ。

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 工作一科卒業アルバムから。 同期生のH君が「アルバム委員長」となり、僕もアルバム委員として編集に加わった卒業アルバムからの転載だ。

Photo_3

 工作一科は全寮制で、自宅からの通学は認められていなかった。 若鷹寮のプレート。

Photo_4

 若鷹寮歌。 ここには載っていないが3番の歌詞があり、「筋骨隆たる若人の足跡至らぬ峯もなく、鉄拐・鷹取・摩耶・六甲・・・」 神戸の背山で・・特に鷹取以西の須磨アルプスは養成所生徒の肉体的・精神的訓練の場でもあった。その訓練は軍隊式で厳しいが自分自身の思考や体力を成長させる大きな糧であったと思う。

それがゆえ、今も僕は、青少年を鍛える際に軍隊式の調練を取り入れるべきであると思っている。

さて、JR化後、さらに神戸での震災後、鷹取工場は一世紀にわたる歴史に幕を下ろし、その機能を網干に移転することになった。 工場で保管されていた準鉄道記念物たる「義経」は交通科学博物館へ移管されたが、問題は「若鷹号」だった。

歴史的に由緒ある機関車というほどでもなく、また、大活躍した機関車というわけでもないが、国鉄工場の若き職員たちの実習教材として多くの国鉄マンに親しまれた機関車でもある。

JR西日本系列の嵯峨野観光鉄道に移管され、ここで末永く保存されることになって、僕らもホッとしたものだ。

現在の嵯峨野観光鉄道「19世紀ホール」での様子。

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 若鷹号全景、公式側。 塗装が鷹取時代の緑から黒に変わっている。

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 こちらは非公式側。

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 後ろから見た様子。

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 若鷹号のプレート。

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 若鷹号のキャブ。

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 若鷹号の足回り。

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 ここには他にC56、D51、C58も展示されている。

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 C5698。

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 C5848。 これらは大阪の共永興業が保管していた機関車で、その保存状態は最高に近い。

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 D51603。 日本最後のSL定期列車牽引機で、本来は上野の国立博物館に保存されるはずだった。 後ろに若鷹号が見える。

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 D51603の後部。 追分機関区の大火で焼けおち、僕らはこの機関車がクズ鉄となって廃棄されたものだと思っていた。 それが、共永興業がひそかに焼け残った前頭部を引き取り、保管してくれていたというわけだ。 痛々しい前頭部だけの姿だが、この機関車がたとえ一部分でも存在することの意義は大きい。

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 こんな模型も展示されていた。 トロッコの客車模型。

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 こちらは人車軌道の模型。 若鷹がいた徳島に人車があったかどうか定かではないが、その時代まで一部には人車軌道も残っていた。

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 「若鷹」号の案内板。 いささか誇張されて書かれている。 実際には自力で走行はできても、機関出力が低く、戦時の貨車の牽引ではたいして役に立たなかったらしい。 やはり実習用の機関車なのだ。

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 若鷹号の正面。 鷹取工場を支えた若き職人たちの思いが今もこうして残ることに感謝したい。

なお、本文中、嵯峨野観光鉄道19世紀ホールでの撮影は一昨年の12月であり、その後の変化は目にしていないので本文中には記していない。

 

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コメント

若鷹は一見してKoppelと解りますね(ドイツ語キーが無い
ので)。でも良く残っていた物です。Cabの下回りが、
臼井茂信氏の分類のwavelessみたいですが、角ばっていて
輸入後の改造でしょうか?
共永興業にはC57の完全なのが保存されていませんでしたか?大阪地下鉄中央線から見えていた-----。

モハ830さん<
若鷹はコッペルですが、鷹取での大胆な改造で殆ど原形を失っているようです。
現車は嵯峨野駅横の嵯峨野観光鉄道にありますので、ぜひ一度、じっくりとご覧くださいね。

共栄興業には今もC57がありますね。
C57を残して他は嵯峨野へ譲渡したようです。

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