フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 2014年6月 | メイン | 2014年8月 »

2014年7月

2014年7月27日 (日)

JR化直後の北海道、昭和62年6月。

昭和62年、国鉄の休職期間が終了し、それまで勉強がてらお手伝いさせてもらっていた写真屋も、これ以上学ぶことがなく、結局辞めてしまい・・それではと心機一転、専門書の書店の社長に勧められるまま入社したものの・・どうも自分の思う方向ではない気がして・・たった二日勤めただけで辞めてしまい、その日の夜、大阪駅から急行「きたぐに」に飛び乗ってしまった。 とりあえずの行き先は北海道・・そんなときの写真だ。

以前に音別は出したが、その音別の未公開写真から。

Jr183

音別にて・・太平洋沿いを走るキハ183「おおぞら」

以前の音別は以下。

「音別の海と列車」http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2013/06/post-0441.html

 

Jr781

 函館本線光珠内にて。 781系「ライラック」

Jr781_2

 ライラックのアップ。

Jr781_3

 光珠内駅を通過する様子。

Jred76518

 ED76518牽引の51系客車列車。

Jr183_2

 キハ183系初期型、「オホーツク」・・画像の色情報が飛んでおり、モノクロ加工した。

Jr183_3

構内をゆくキハ183系「オホーツク」カラーのままで・・

Jr711

 千歳線植苗にて・・711系電車。

Jr56

 キハ56系の普通列車。

Jr56_2

 こちらはキハ56系の回送。

Jr183n

 キハ183系新型「北斗」、これもモノクロ変換した。

Jr183_4

 キハ183初期型「北斗」、上記と同じくモノクロ変換。

Jr711_2

 千歳空港711系。

Jr711_3

 711系電車が発車する。 この電車が間もなく引退だとか・・僕ら世代にとっては、北海道の電車といえばこの系列だった。

Jr711_4

 朝里にて・・こちらも711系。 特に小樽と札幌の間ではこの電車ばかりだったが、デザインも乗り心地も良く、飽きることがなかった。

Jr

 朝里の駅舎。

Jrex

 苗穂に停留していた「アルファトマムエクスプレス」、リゾート列車の走りだ。

Jr56_3

 その列車の中間予備車に色だけ塗り替えたキハ56がいた。 札幌で。

Jr22_2

 釧網本線北浜にて。 夏空の下、キハ22。

Jr22_3

 別の列車の後追い。

Jr222

 ポジの色再現性は今も健在、ただし、コントラストが高くなる。 北浜のオホーツク海岸をゆくキハ22。

Jr54

 原生花園近くの橋梁にて・・キハ54。

Jr_2

 北浜の駅舎。

Jr54_2

 北浜駅のキハ54。

Jr22_4

 厚岸(あつけし)でのキハ22・・夕日に照らされる。

Jr53

 厚岸キハ53、本来のキハ53とは異なり、キハ56系を両運転台改造したもの。

Jr183_5

 網走のキハ183「オホーツク」

Jrdd511093

宗谷本線。 夜行急行「利尻」で稚内へ向かった。 6月、日が長く、夜行列車は午前3時には明るくなった茫洋とした大地を走っていたように思う。 勇知という駅で撮影。 DD511093牽引の急行「宗谷」。

Jrdd54

機関車の後追い。

Jr14

 当時の「宗谷」は14系座席車と寝台車を合わせた編成で、寝台車が指定席だった。

Jr14_2

 14系客車の後追い。 高砂で改造した車両も多く含まれる列車だ。

Jr40228

 キハ40228・・道内ではキハ22からの世代交代が進んでいた。

Jr53504

 キハ53504。 急行塗装を維持した車両は外観だけでもデラックスに見える。

Jr_3

勇知の駅舎。、ワフを改造したもの・・稚内から急行「天北」で旭川へ戻った。 長い編成の14系客車はがらがらで・・ゆったりと茫洋とした景色を眺めての旅となった。

Jr54_3

 旭川駅の風景・・停車しているのはキハ54急行「礼文」。

 

Jr183_6

 函館本線桂川(けいせん)・・海はなぜか悲しく、風がやまないところだった。 キハ183「北斗」。

Jr22_5

 桂川、キハ22の普通列車。

風がやむことが少ないのだろう、沿線の家々の窓にはビニールが張ってあったのが強く印象に残っている。

このときは10日ほど北海道に滞在しただろうか・・ 列車での車中泊が中心だったが、3回ほどビジネスホテルや木賃宿も使った。 宿帳の職業欄、まさか「無職」と書くわけにもいかず、「写真屋」と書いた。

翌月から神戸の写真スタジオで働くことになるけれど、それはまだ、何の話にもなっていない・・危うい空気の中での北海道滞在だった。

この旅行の写真ではモノクロ原板のものがまだ未公開だ。 それは、また機会のあるときに・・

 

 

2014年7月19日 (土)

函館市電、昭和54年9月。

初めての北海道旅行の際、僕と友人のO君が訪問した先は、札幌・函館の市電、定山渓鉄道の軌道跡。それに札幌・千歳周辺の国鉄線で、後で思えば北海道らしい雰囲気のところへはほとんど行けていなかったけれど、今回エントリーの函館市電などはかえって、この時期に訪問した自分を誉めてやりたい気持ちになるから不思議だ。

ただ、訪問から時間がたち、撮影した場所はほとんど記憶になく、当時の日記と書籍によって書き進めていくことにする。 、 この当時、函館市電は路線縮小の前で、いまだ全路線が健在、電車の運行系統も多岐を極めていた。

このころの主役は何と言っても戦前の大型車、500形だ。

507_2

507号、周囲のバスやタクシー^の様子もこの時代を表している。

517

 車庫行きの517号。 深いツートンカラーは神戸市電を思わせてくれた。

517526

 五稜郭公園前で517号と526号が出会う。 函館・神戸・長崎の路面電車は港町ということゆえか、雰囲気が似ているように思えてならず、とても懐かし気がしたものだ。

520

 撮影場所不詳520号。

525

 どこの分岐点だろうか、525号と後ろにもう1両の500形。

527

 2系統の表示のある527号。

715

近代的な外観の710形715号。

802

 システム的にもツリカケ式ながら間接非自動制御とさらに近代的になった800形802号。

1007

 東京都電7000形を譲り受けた1000形1007号。 都電と軌間が同じ1372ミリだ。

1008

 1008号がやってくる。

1008_2

 黄色の広告電車、1008号のアップ、黄色い事で都電のイメージが湧いてくる。

7084

 参考までに都電7083号。

函館は古い港町であり、長崎と並んで、わが故郷、神戸に近い雰囲気を備えもった都市だ。 さらにそこの路面電車の風情もまた神戸市電に通じるものがあったように思うが、長崎・函館が今も健在なのに対し、神戸の市電は姿を消してすでに長い年月が経過している。 悔しくも、うらやましい函館市電でもあった。

2014年7月13日 (日)

若鷹号と若鷹寮(国鉄鷹取工場)と嵯峨野観光鉄道19世紀ホール。

まず、最初に読者の方へご連絡です。 本ブログを閲覧する際、画面に正しいレイアウトが表示されないトラブルがあると伺いました。 この様な場合、プラウザの「互換表示」をONにしていただけますようにお願いいたします。

(IEの場合、上部メニューバーの中の「ツール」に互換表示設定があります。)

****************

さて、僕が国鉄、関西鉄道学園の技能者養成課程である「工作一科」を卒業したことは前に書いた。 その、鷹取工場の技能者養成所の生徒をかつては「若鷹」と呼んでいたらしい。

そして、国鉄が私鉄を買収し、その私鉄から国鉄に移ってきた機関車の中で、もっとも小ぶりだった徳島鉄道の7号機を、技能者養成所の生徒のための訓練用として整備したのが「若鷹号」だ。

まず、鷹取工場における写真。

Photo

 僕の所蔵するフィルムから見つかったのはこの一枚だけで、実際はもっと撮影しているはずなのだが、なぜか見当たらない。 「若鷹号」を「若鷹寮」からの俯瞰撮影だ。

Photo_2

 工作一科卒業アルバムから。 同期生のH君が「アルバム委員長」となり、僕もアルバム委員として編集に加わった卒業アルバムからの転載だ。

Photo_3

 工作一科は全寮制で、自宅からの通学は認められていなかった。 若鷹寮のプレート。

Photo_4

 若鷹寮歌。 ここには載っていないが3番の歌詞があり、「筋骨隆たる若人の足跡至らぬ峯もなく、鉄拐・鷹取・摩耶・六甲・・・」 神戸の背山で・・特に鷹取以西の須磨アルプスは養成所生徒の肉体的・精神的訓練の場でもあった。その訓練は軍隊式で厳しいが自分自身の思考や体力を成長させる大きな糧であったと思う。

それがゆえ、今も僕は、青少年を鍛える際に軍隊式の調練を取り入れるべきであると思っている。

さて、JR化後、さらに神戸での震災後、鷹取工場は一世紀にわたる歴史に幕を下ろし、その機能を網干に移転することになった。 工場で保管されていた準鉄道記念物たる「義経」は交通科学博物館へ移管されたが、問題は「若鷹号」だった。

歴史的に由緒ある機関車というほどでもなく、また、大活躍した機関車というわけでもないが、国鉄工場の若き職員たちの実習教材として多くの国鉄マンに親しまれた機関車でもある。

JR西日本系列の嵯峨野観光鉄道に移管され、ここで末永く保存されることになって、僕らもホッとしたものだ。

現在の嵯峨野観光鉄道「19世紀ホール」での様子。

1209

 若鷹号全景、公式側。 塗装が鷹取時代の緑から黒に変わっている。

1209_2

 こちらは非公式側。

1209_3

 後ろから見た様子。

1209_4

 若鷹号のプレート。

1209_5

 若鷹号のキャブ。

1209_6

 若鷹号の足回り。

1209c58d51c56

 ここには他にC56、D51、C58も展示されている。

1209c5698

 C5698。

1209c5848

 C5848。 これらは大阪の共永興業が保管していた機関車で、その保存状態は最高に近い。

1209d51603

 D51603。 日本最後のSL定期列車牽引機で、本来は上野の国立博物館に保存されるはずだった。 後ろに若鷹号が見える。

1209d51603_2

 D51603の後部。 追分機関区の大火で焼けおち、僕らはこの機関車がクズ鉄となって廃棄されたものだと思っていた。 それが、共永興業がひそかに焼け残った前頭部を引き取り、保管してくれていたというわけだ。 痛々しい前頭部だけの姿だが、この機関車がたとえ一部分でも存在することの意義は大きい。

1209_7

 こんな模型も展示されていた。 トロッコの客車模型。

1209_8

 こちらは人車軌道の模型。 若鷹がいた徳島に人車があったかどうか定かではないが、その時代まで一部には人車軌道も残っていた。

1209_9

 「若鷹」号の案内板。 いささか誇張されて書かれている。 実際には自力で走行はできても、機関出力が低く、戦時の貨車の牽引ではたいして役に立たなかったらしい。 やはり実習用の機関車なのだ。

1209_10

 若鷹号の正面。 鷹取工場を支えた若き職人たちの思いが今もこうして残ることに感謝したい。

なお、本文中、嵯峨野観光鉄道19世紀ホールでの撮影は一昨年の12月であり、その後の変化は目にしていないので本文中には記していない。

 

2014年7月 3日 (木)

北陸鉄道小松線・石川線・金名線・浅野川線

写真屋に入ったばかりの頃だから昭和62年の秋か・・ 北陸鉄道をじっくりと見たくて、金沢の宿から北陸線の始発に乗って西金沢駅に降りた。 そこから丸一日、北陸鉄道の当時残っていたすべての路線に乗り、写真を撮影した。 そのときと、そのちょっと後に友人O君と連れ立って出かけたときの記録だ。

まずは廃止公告こそ出ていなかったものの、能美線廃止直後で、こちらも次には廃止だろうと思われていた小松線から。

小松線はJR小松駅構内から出ていたように思う。 ここは以前にはぜひとも見たかった尾小屋鉄道もあった駅だが、残念ながら尾小屋の廃止には僕は間に合わなかった。

小松線電車は単行、ローカル用としてはスタイルのまとまった3001号という電車が走っていた。 直ぐに発車だったのか・・小松での写真が出てこない。 電車はまっすぐな路線を・・モーターのうなりを低く・・ゆっくりと走っていた。 軌道状態は良くないらしい・・速度が遅い割には乗り心地が悪かった。 終点の鵜川遊泉寺は何もない・・本当に何もない終点だった。

 

Photo

建物に特に看板がないが、ネガの順番からすると、ここが鵜川遊泉寺駅のようで、駅舎の建物。 周囲を見渡しても、ここが多くの乗客の目的地には到底思えないところだった。

Photo_2

 鵜川遊泉寺駅の時刻表・・乗客数から考えれば驚くほどの本数の多さだと思うが・・

Photo_3

 駅のホーム。 この状態で日中毎時一本以上の列車が発着していた。

Photo_4

 構内の様子。 機回り線がある。

Photo_5

 終点の行き止まり・・ この線路は何処へ行こうとしていたのだろう。

Photo_6

 鵜川遊泉寺に停車する電車。 この風景はこの当時ですら得がたい雰囲気だった。

Photo_7

 変電所と思しき建物。

Photo_8

 その建物の道路側。

3001

 気持ちの良い田んぼの中を電車が走る。 遠くには白山連峰も。

2

 電車が梯川を渡る。

3

 高校か中学だろうか・・学校の先にも白山連峰が。

3001_2

 梯川の鉄橋を渡る電車。

3001_3

 電車のサイド。

Photo_9

 電車が遠ざかる。

 

Photo_10 ,

軽海駅の駅舎外観 なにやらつっかえ棒がしてある。

Photo_19

 軽海駅舎、線路側。

2_2

 軽海駅の駅名票と駅舎・線路。

Photo_12

 その反対側から。

Photo_13

 軽海駅の時刻表。

Photo_14

 ここから金名線。 白山下駅。 始発電車に乗って終点の白山下までいった。 この電車で終点で降りたのは僕以外には二人だった。 駅前にはバスが2台停車していて乗客を待っている。

Photo_15

 白山下の構内の様子。 乗車してきた電車、3731号が停車している。

3731

 駅から歩いてみる。 次の駅までの途中でその電車をキャッチした。 準急の看板がついている。この路線は結構飛ばしていたように思う。

3731_2

 後追い・・ 北陸鉄道では後ろには行先板をつけなかった。

3752

 やがて、釜清水駅の近くに来ると次の下り電車がやってきた。 3752号だ。

3752_2

 その電車の後追い・・ 朝日の輝く中、瀟洒な電車が行く。

Photo_18

軌道の状態・・非常に痛んでいたのが分かる。

3752_3

 折り返してくる電車で戻ることにした。・・この路線の運転本数は少なく、日中には運行されなかった。 釜清水駅ホームで、3752号。

Ed301

 ここからは後日の撮影のものも合わせて入れる。 新西金沢・・ED301。ラッセル用だろうか。

3703

 新西金沢で3703・・もう、長く動いていないようだった。 名鉄700形だ。

3704

 3704号の向こうに電気機関車・・上記のED301だろうか。

3703_2

 後日に撮影したその電車のサイドビュー。

1724

 鶴来の1724号。 名鉄の香りがする電車で、元は愛電3300形。事故にあい、休車状態だったらしい。

3722

 鶴来駅付近の田んぼの中を行く3722号。

3011

 ここから浅野川線。 この路線は短いが活発な路線という印象があった。金沢にて3011。

3201

 こちらは3201。

Photo_16

 内灘にて、3011、3201、3563の番号が読める。

30113551

 後日の撮影。 3011、3551、5101の顔が並ぶ・・いかにも古武士といった顔立ちだ。

Photo_17

 粟ヶ崎駅を通過する3011の急行。

3011_2

 後追い、橋梁をわたる。

5101

 こちら5101、沿線は都市化が進んでいる。

8911 

3年ほど前に浅野川線だけ再訪できた。 京王のステンプラカー3000系が走っていた。 石川線は今も残るが、その先の金名線、小松からの小松線は廃止されて久しい。