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2014年6月

2014年6月17日 (火)

飯田線、昭和57年9月

昭和57年9月25日の夜、大阪を22時20分に出る急行「ちくま5号」に乗り、飯田線に向かった。 これまで飯田線は南部の豊橋付近でしか撮影しておらず、今回は思い切って全線を乗車しながら撮影していこうというものだった。 同行はいつもの友人、O君だ。

松本で急行「アルプス」に乗り換えたのは、塩尻からでは接続がなかったからだろうか。

辰野から飯田線電車に乗車して下島という駅で降りた。

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 飯田線北部の乗車はこの電車から始まった。 クハ68車内。

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すれ違う電車に見たかったクモハ53が・・

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 降りたときに撮影した乗ってきた電車。 クハ68ほか。

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 80系4連の231Mが稲刈りの進む田んぼを見て走る。

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 165系急行「伊那」604M。

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タンク車を牽引するED62。

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 ED626の牽引、貨274レ。

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 その貨274レの後追い。

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 クハユニ56・クモハ54・クモハ53による226M。 今回の飯田線北部で最も見たい電車が中間に挟まっているクモハ53だった。

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 クモハ53の部分をアップで流してみた。 張り上げ屋根、広窓が美しい関西急行電車の出自だ。

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 クモハ53がきれいな小川を渡る。

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 飯田線用に改造されて投入・・ED62のトップナンバーED621。 この機関車が入るまでの旧型、外国製電機時代にぜひとも訪れたかったが、それは叶わなかった。

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 駅名に惹かれ・・ろくに調べもせずに降りたのが高遠原。 クハユニ56ほか普通電車、1226M。

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 165系急行4401M。 東京への「駒ヶ根」だろうか?

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 さらに駅名に惹かれて下車したのが山吹で・・ これも関西急電の面影を残すクモハ43先頭の247M。

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 165系急行2508M。

 

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 クモハ51(モハ43改造)先頭の247M・・伊那谷を望んで走る。

 

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伊那田島にて・・クハユニ56先頭の261M

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 当時既に珍しくなっていた17メートル国電の生き残り、クモニ13による荷物電車。

こうして見ると、たくさんの写真を撮影しているように見えるが、列車本数は少なく、しかも、降りたところは列車の撮影には不向きでもその浮上がなんともいえないところもあり、結構、時間を費やしてしまった。 このあたりでタイムアウト。 飯田のビジネスホテルに宿泊するも、この町の早寝の品行方正・・街中は夜7時を過ぎると静まり返る。 飲みに出るところなく、ホテルの夕食で我慢して自販機のビールを飲んで早寝する。 翌朝は早朝からスタート。 早瀬で下車し、天竜川の橋梁で撮影した。

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 80系電車が逆光の橋梁を渡る。 627M。

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 165系急行601M。 「天竜」か。

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 その急行の反対側にはなんとクハ164・・153系低運転台クハを165系に編入改造されたクルマが入っていた。

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 クモニ83を連結した編成。 1222M。

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 その編成の反対側はクハ68、クモハ53から成っていた。 クモハ53はこの旅行中、何度も見たけれど、先頭には出ていなかった。

飯田線北部は線路は山すそに沿って敷かれ、谷あいでは路線名物のΩ状のループも多々見られるが、南部は山間を抜く区間が多く、線形は比較的良く感じた。 これは、地形の差も然ることながら、開業時の私鉄の方針が今に影響を及ぼしているのだろう。 飯田線は1897年の豊川鉄道、1913年の伊那電車軌道、1923年の鳳来寺鉄道、1932年の三信鉄道の4社路線を統合した路線だ。 北部の伊那電車軌道・・のちの伊那電気鉄道は元々は軌道であり、線路は山すそや集落に沿って敷かれていた。 南部の豊橋鉄道はローカルな蒸気鉄道で、三信鉄道は高速電車タイプの短絡線といえる。 この出自の差が、南部では特急が走るも、北部では人口がありながら線形が悪く速度が出せず、長野直結の意義も薄れてしまった・・今現在の飯田線の苦闘につながってしまう。 ちなみに日本最初の長距離電鉄である「参宮急行」の開業は1930年、それよりはるかに路線長の長い飯田線が全線開業したのは1937年で、この頃には初期開業の区間も含めて全線電化されていた。 1943年、国家による戦時買収の対象となり、国鉄路線に編入されている。

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 東上、貨262レ、ED6215が走る。

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 1223M、何度か見ているクモハ53を挟んだ編成だ。

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 その編成の後ろ側。 クハユニ56。

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 中間のクモハ53007。

ここから80系電車に乗って豊橋へ向かうと既に午後3時前・・

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 豊橋でクハ85104・・クハ85は80系中間車の先頭改造だが、山陽線のものがサロ85格下げのサハ85を先頭改造していたのに対し、飯田線のものはサハ87を先頭改造していた。

この後、15時過ぎの「こだま」で神戸に戻った。 本当は戦術の旧型電機、あるいはモハ52が活躍していた頃にこうして全線乗車したかったが、それでも、旧型国電最後の輝きを眺めながら全線乗車できたのは、今思えば幸せな体験だったといえる。

2014年6月 8日 (日)

西日本鉄道宮地岳線

以前にもこの路線についてはエントリーしたけれど、自分としては内容が軽すぎ、折角、数度にわたって訪れたのに、この路線のボリュームを紹介しきれていない面があったと思う。

撮影はそこで今回、可能な限りの写真を集めて再度エントリーさせていただく。

最も古いもので昭和53年、54年55年撮影の写真も含まれている。

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 この路線の当時の特徴のひとつに、電車の慎ましやかな番号があるといっても過言ではない。 まずは、既出だが2号と8号が並ぶ貝塚での様子。

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 2号が走る。 この形態は昭和30年代の車体更新によるもの。

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 5号が、走り始めた313系363と並んだ。 小型電車の単行運転が当たり前だった当時の宮地岳線には313系などは新型車両に見えた。

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 6号が走る。 この形態はこの路線の前身、博多湾鉄道汽船のものだが、当初は客車として登場し、電化成った後に電車化された由、しかも、後に2ドアに改造、前後ドアの長く見える車両になった。

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 11号。 こちらは元々2ドア車だったようだが、後にドア位置を改造、これまた長く見える車両になった。

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 11号がほかの車両を従えて休む様子。

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 12号と54号。 12号は11号と同じ形態、54号は昭和30年代の車体更新車。

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 13号。 これも車体更新車。 元をただせば大阪電気軌道(近鉄奈良線)の電車だった由。

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 14号が津屋崎のホームにたたずむ。

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 遠足だろうか、大勢の子供たちが乗車していた。

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 21号。 九州鉄道(今の天神大牟田線)にいた車両。 宮地岳線では2ドア化されている。

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 54号。 津屋崎にて。

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 59号、貝塚車庫。

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 63号。 この更新車の形態はいかにも中小私鉄らしい軽快さにあふれていると思う。 しかし、西鉄は今も昔も大手私鉄であり、いかに宮地岳線が独立した路線であるかを思い知らされる。

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308号。 大牟田線で余剰になり転入してきた308形。 これらの車両が小型電車を追い出すことになった。 なお、大牟田線と宮地岳線は軌間が異なり、転属には台車交換が必要だった。

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 315号。 大牟田線で余剰になった大型車、313系。 なぜか、西鉄2000系の塗装で就役した。 このあたりの感覚は京阪の京津線260形が京阪特急カラーで走っていたのと似ているのかもしれない。

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 津屋崎における316号。 運転士さんが方向板の交換を行っているところ。 こういう作業が危なっかしいから琴電は全部貫通式に改造したのかなと・・ふと思う。

3162 方向板交換が終わった貝塚行き316号。

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 359号。 大牟田線308形で、この系列から特急カラーで入線した。

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 359号、津屋崎にて。 この当時はまだ原形を保っていた。 最近まで走っていたようで、末期には随分、イメージが変わったようだが残念ながら僕はその様子を見ていない。

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 津屋崎の363号。

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 貝塚の364号。 ぴかぴかの塗りたて・・まさに新車のようだ。

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 貝塚の365号。

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 津屋崎の365号。 当時の近鉄名古屋線急行電車に側面が似ているといわれるが、こうしてみると納得する。

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 ついでに? 福岡市内線電車も貝塚には居るわけで、訪問の際には、こちらも見させてもらった。 503号。

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 福岡市内線503号の正面。

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 518号が専用軌道を走る。

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 519ほか・・まだ廃車にはなっておらず、昼寝というところか。

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 貝塚の596号。

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 福岡市内線廃止後の訪問。 511号。

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 603号。 既に部品が取り外されている。

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 604号。 解体途中。 腰から下しか残っていない。

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 貨物電車。 花電車などに使っていた車両ではないだろうか。

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 昨年、30年ぶりにこの路線を訪問できた。 30年ぶりに懐かしい365号と出会う。 3ドア化され、正面も穏やかな表情になった。 この電車が313形最後の生き残りで、来春には姿を消すという。

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