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2014年4月

2014年4月28日 (月)

阪神赤胴(急行系)の記憶。

阪神電鉄の特急・急行に使われている電車といえば、今でも各駅停車に使われる青系カラーのジェットカーシリーズとは全く異なった、ある意味では開き直ったとでも言えようか・・ 朱と肌色の電車がカーブの多い路線を加減速を繰り返しながら突っ走るというイメージだ。

このシリーズは阪神電鉄では「急行系」と呼ばれるらしく、普通電車以外のすべての種別で使われる。 「急行系」であって、「特急系」ではないのが今見ると意外だが、元々、「特急車」として作られたのは阪神最初の大型車3011系のみで、この系列も僕の記憶の中では既に「急行系」3061系に変貌していた。

今回はそんな阪神赤胴を見つめてみたいと思う。

まず、昭和29年生まれの3011系から改造を繰り返しこのような姿になっていた3061系から。

 

3563

須磨寺付近を走る3563ほか。 山陽乗り入れにも重宝された3061系だが、改造車の痕跡少なく、一般に人には違和感なく、急行系に取り込まれて活躍していた。

3565

 武庫川駅付近の3565・・直角カルダン独特のモーター音が懐かしく思い返される。

3565_2

 3565の野田での様子。 引退間近の頃。

79225010

 この系列から7801系シリーズに移った7922号。 中間車化、側面デザインも大きく変化したが、戸袋は元のまま。 須磨にて。

3501

 純粋な急行系最初の系列は昭和33年の3501系。 須磨での3501。

3503

 須磨寺での3503・・正面の表情は今に続く阪神電車のイメージとなった。 側面の2連窓はクロスシートにしたらいいだろうなと・・思ったものだ。

3507

 鳴尾での3507。

3510

 魚崎、3510・・周囲は大変貌を遂げた場所でもある。

3517

 野田にて・・快速急行が走り始めたとき・・ 3517ほか。

3302

 この系列には単行運転ができる増結用3301形が含まれていた。 単行を生かして武庫川線で使われたが、当時は冷房用電源を搭載できず・・ 武庫川線では非冷房だった。 写真は武庫川駅の俯瞰・・今はここも変貌を遂げた。

3302_2

 同じ3302・・阪神本線が行き交うその下で、静かに発車を待つ。

7705

 ここから7601系。 昭和36年に登場した3601系をチョッパ制御化した系列。 須磨で7705。

7708

 西代で7708・・地下化され存在しない区間だ。

7709

 須磨浦公園7709・・このシリーズの側面の美しさは阪神歴代随一ではなかろうか。

7812

 ここから7801系。 神戸高速開業、高度経済成長・・非常に多くの車両が必要になり、昭和38年からコストダウンに徹した電車を作ったのが7801系。 時代に応じて多くの車体タイプを持つ。 写真は7812・・初期ロット、当初は旧型車由来の台車をはいていた。

7826

 須磨浦公園で7826の俯瞰。 冷房改造によりあまりにも安っぽい車内構成はやや改善されていた。

7829

 西代7829。 側面の同じ大きさの窓が4枚並ぶ様子は3501系あたりとはまた違った魅力もあった。

 

7836

 野田にて7836・・赤胴車が初めて両開きドアを採用したシリーズ・・ まだ屋根が低い。

7839

 尼崎7839・・西大阪線で最後の活躍をしていた頃。 方向幕と行先板を併用している。

7839_2

 7839の急行・・鳴尾付近で。 中間2両だけ屋根高さが違う。

7844

 三宮で快速急行として発車を待つ7844。 屋根が高く、デザインもスマートになった。 当時の最新系列7001系にあわせたデザインで登場・・

7844_2

 須磨浦公園にて7844の特急。 あと少しで終点だ。

7861

 7861・・野田駅にて準急の運用。 準急は5連だった。 このシリーズは当初から増結用。 車体はこの系列最初のグループと同じデザイン。

7862

 7862・・武庫川にて。 武庫川線は単行運転から2両編成に変わった。

3531

3521形3531。

7801系初期ロットと同時期の増結用車。

須磨浦公園で・・この編成は前面雨樋を隠し、やや阪神電車がデザインを重視しだしたであろうことをうかがわせる。

7104

 7001系、昭和45年製造、画期的なチョッパ制御の最初の車両。 ただし、回生ブレーキも・・いや、電気ブレーキそのものがついていなかった。 魚崎の7104。

7111

 武庫川、7111。 屋根が高く、スマートなデザイン。 やっと阪神も再び良い電車を作る機運が高まってきた。

7116

 魚崎7116。 デザイン的には関東の京成と並んだ気がしたものだ。

3902

 3801系。 来るべき西大阪線全通へ向けて、モーター出力をアップ、久しぶりに電気ブレーキもついた高性能車で、阪神スタイルの完成型といっても良い電車。 この編成が最初の編成だが、事故が多く、早々と廃車された。 高速神戸にて3902。

3904

 須磨にて3904。 系列廃止、一部廃車となった哀れな系列だが、全12両中8両は系列を変更して残った。

8901

 3801系から改造された8801系。 青木(おうぎ)にて。 1編成のみの異端車になってしまった。今はこれも存在しない。

2207

 2000系・・ 旧7001系・7801系を6連固定にして改造したシリーズ・・ 2207・・尼崎で。

2212

 2212・・姫島。

3111_275

 3000系、3111・・西灘で・・ 7801系初期ロットや3521系を改造した系列で、界磁チョッパ制御、3両固定を2編成つなげていた。

8502

 8000系、阪神にもついに6連固定編成の登場・・ 最初の編成は3801系の流れを汲むデザインだった。 この編成が震災で半分が廃車、残り半分の先頭車を方向転換し、やはり震災で廃車の出た第二次8000系の一部車両と、新車の先頭車で編成を組む。 写真は淀川における8502。 更新もされ、中間車にはクロスシートも・・

8502_2

こちらは更新前の様子。野田で。

85368214

 甲子園における8000系更新車と未更新車の出会い。 8536と8214、8536は震災で被災した車両の代替新車だ。 平成26年4月現在、急行系標準塗装・・いわゆる赤胴で残っているのは武庫川線の4本と本線8000系3編成のみとなった。

82305608

 同じ甲子園で山陽電車の5608と並ぶ8230。

82419501

 山陽電鉄の大蔵谷で赤胴シリーズ最後とも言える9300系9501と8000系8241が並んだ。 かつての阪神からは考えられない場所で阪神電車の新旧カラーが並ぶ。

92089506

 赤胴車もいよいよステンレスカーに・・ 阪神淡路大震災では多くの車両が被災して廃車になり、阪神電車の世代交代が一気に進んだ。 石屋川にて最後の赤胴鋼製車9506と、ステンレス9208が並ぶ。 9300系は9000系以後に、山陽電車との直通特急運用のために登場した電車。 阪神電車久々のクロスシート車だ。

125910

 かつての阪神では考えられない1000系による10連運転。 西大阪線を改称した「阪神なんば線」出来島にて。



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2014年4月22日 (火)

12枚撮りに写った別府鉄道

 今回は昭和55年頃か・・12枚撮りのカラーネガフィルム1本に写り込んでいた別府鉄道の写真から。

何故にわざわざ撮影に行くのに、カラーネガ一本だけで行ったのか・・ 当時の自分の行動が疑問だが、別府鉄道は当時住んでいたところから自転車でもいける距離・・ つまりはそういう遊びをしたのかもしれない。

別府口駅は今の山陽電車別府駅=当時の電鉄別府駅北すぐにある簡易な停留所だった。 

142

山陽電車の築堤下をキハ2がゆっくりとやってくる。

142_2

 キハ2の側面、手入れが行き届き、ローカル鉄道にありがちな荒れた感じはない。 当時、既に片上鉄道からキハ101が入線していて、ほとんどがキハ101の運用に変わっていたから、久々のキハ2の走行風景は嬉しかった。

142_3

 幹線道路を越えて去っていくキハ2。

142_4

 こちらは別府口駅の別府港行きの列車らしい。 キハ2には野口方に「野口行」、別府港方に「別府港行」と表示されていたように思う。

142_5

 去っていく列車と駅名票。 この場所は今も線路跡の遊歩道として整備されている。

14db201

 別府港の近く、土山線と野口線の合流付近で土山線列車。 日曜日なのか、やって来たのはDB201がハフ7を牽引する「客車列車」。

14db2012

 近づいてくる。

14db201_2

 DB201のアップ。

147

 ハフ7が通過していく。 列車の速度は非常に低く、せいぜい時速20キロくらいか・・

14270

 フィルムの終わりにはこんな写真が・・ 山陽電車の築堤を行く270形電車。

別府港駅や機関区、操車場のあった場所は、巨大なショッピングセンター、「イトーヨーカドー」に変貌して、当時の面影を感じるのはほとんど不可能だ。

142_6

 現在、別府鉄道野口線円長寺駅があった場所に保存?というか、放置されているキハ2・・ どうか、きれいにしてほしいものだ。

14db201_3

 こちらは土山線の途中に出来た大中遺跡公園に保存されているDE201とハフ5・・ キハ2とは対照的に抜群の保存状態だ。

なお、ハフ7は生まれ故郷の相模鉄道にて保存されているようだ。

別府鉄道については以下もご覧ください。

ウェブページ「別府鉄道の物語

ブログ過去ログ「別府鉄道のデラックス編成」 「別府鉄道との出会い」 「加古川市、野口駅辺り

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2014年4月16日 (水)

さようなら交通科学博物館

つい先ごろの4月6日、大阪にあった「交通科学博物館」が閉館し、京都の梅小路に鉄道系博物館が集約されるとのこと、先ほどの関西ローカルニュースでは「義経」号の京都への引越しが伝えられた。

僕は小学生時代は最後の2年近くを除き、大阪市港区に住んでいたこともあり、この施設は少年時代からの思い出がしみこんだ施設でもある上、国鉄時代には一部客車の保守修繕を担当するなどという巡り合わせもあり、今、改めてここにかつての記録を少しだが出してみたいと思う。 今、JR西の究極の「ジョイフルトレイン」とも言われているかつての東海道特急列車の展望車、マイテ49がまだここにあった頃の写真から。

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 「つばめ」のテールマークも誇らしげなマイテ49、車番はマイテ49 2号車。 本来は桃山式の展望車を保存したかったそうだが、タッチの差で上層部の意向が現場に伝わらず、桃山式展望車が廃車になってしまった。 結局、国鉄が誇る客車特急の歴史を物語るものとしてこの1両が保存されたと伺っている。

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 やや時間を置いて、撮影したマイテ49。 まさか、この後に営業線復帰するようになるとはとても思えなかった。 高砂工場が修繕を担当していた頃、とにかく、床や屋根の痛みが激しく「一度、工場に入場させられないか」と上層部に掛けあっていたものだ。 工場入場を果たしてそのまま現場復帰するとは、あまりにも幸運な客車であると思われてならない。

Photo

 マイテの車内から外を眺める。 かつては、特別なイベントでなくても、保存車両には自由に出入りできた。

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 国鉄バス、ドリーム号の第一号車、744-9901 。 市販車と異なる高性能を要求されたといわれる国鉄専用形式で、これが今の高速バス栄光時代のさきがけとなるもの。

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 ドリーム号の車内。 昨今では夜行高速バスは3列シートが主体だが、これは1986年の関西・九州を結んだ夜行バス、西鉄・阪急共同運行の「ムーンライト」が最初であり、かつては昼行便と車両を共用していた。 もっとも、当時の国鉄夜行列車は直角椅子の時代、バスはこの設備でも国鉄車両を凌駕することができた。

26

 キロ26模型。 交通科学館では代表的な国鉄・私鉄の車両を大型の模型にして展示したが、これは準急色をまとったキロ26。

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 キハ81。 キハ81 3で、日本の鉄道史に大きな足跡を残した、日本最初の気動車特急だ。 高砂工場では廃車が前提で部品も取り外されていたが、急遽、保存されることになったもの。

D51c62

 D51とC62、D51は極初期形の「ナメクジ」タイプで2号機、C62は26号機で、この当時、「はと」のヘッドマークがつき、「つばめ」のマイテと好対照を成していた。 なお、このC62は梅小路に行かない公算が高いらしく、ファンの間で心配する声が聞かれる。

C62

 C6226の正面をアップで・・ 風格という言葉がぴったりと当てはまる。

1801

 タンク式蒸気機関車1801。 京阪神の鉄道開業当初の栄えある機関車で、今は40号機の番号になっているがこの当時は1801号機だった。

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 233号機。 汽車会社がはじめて国鉄に納入した国産機関車で、汽車会社も国鉄も存在しないが、技術はこうして遺産として保存されている。 汽車会社は川崎重工に吸収合併、技術は同社の中で息づいていると確信する。

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 新幹線0系電車。 先頭車は東京方21型、博多方22型。

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 かつては車内もごく普通に見ることができた。 普通座席車の車内。

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 グリーン車の車内。 16型で、実際の運行では静かで重厚な雰囲気だったように思う。 なお、天井照明は展示では半分だけの点灯だった。

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 35型ビュッフェの車内。 東京へ組合の用務で行った帰り、よくこの車内でビールを飲んでいたものだ。

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 0系の運転台。 今から見ると旧式に見えるが、この当時では登場20年以上を経ても最新式に見えた。

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 閉館直前の様子から。 233号機関車。

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 DD5433号機。 DD54は新三菱が国鉄に売り込みながら、結局は失敗に終わった不名誉な機関車だ。 けれど、斬新な箱型ボディは人気が高く、細部の詰めがもう少しきちんと出来ていたなら、DE10とDD51の間で、特に山陰本線など大活躍できたのではなかろうか。

Dd5433_2

この機関車の現役の頃、

姫路機関区にて。

Df5018

 DF5018号機。 国鉄が量産に成功した唯一の電気式ディーゼル機関車で、特に四国はこの機関車が水に合い、いや、現場の国鉄マンの努力と誇りで最後まで維持してきた機関車である。 昨今、ようやく、JR貨物に電気式ディーゼル機関車が登場、時代を超えて後輩が誕生した。

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 キハ81の最終時の様子。 この気動車はこの角度で見ると案外、スマートで格好がよい。

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 キハ81の車内。 よく見ると車内妻部の銘盤が間違えている。 「キハ81-3」とあるが、本来は「キハ81 3」だ。

シートカバーもビニールではなく、綿が正しい。

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 キハ81、高砂で廃車解体待ちのころの様子。

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 義経の様子。 さすがに最終公開で、引き出して見せてくれた。 鷹取工場正門前で保存されていた頃が懐かしい。

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 義経、鷹取での動態保存復活の際の写真。

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 吹田工場でのモハ52。 JR西日本のアナウンスでは、この車両も京都鉄道博物館入りするようだが、どうか、新しい博物館がこれまでの交通科学博物館を上回る充実で多くの市民、中でも子供たちに愛されんことを切に願う。

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2014年4月 6日 (日)

筑肥線電化の頃

記録によると昭和58年3月、福岡市営地下鉄が姪浜まで延伸し、同時に電化が完成した国鉄筑肥線と相互乗り入れを開始した。 今回のエントリーはこの時期の写真で、だから昭和58年の夏から秋にかけての頃ではないだろうか。

(ご指摘いただき、地下鉄と筑肥線電化の時期を間違えていたことが判明しました。謹んでお礼申し上げますと共に訂正させていただきます)

まず、福岡市営地下鉄、1000形の斬新なデザインを、僕の当時の地元、宝殿駅で見ることができた。 甲種回送で、まずはそのときの写真を。 この編成は数日、この場所に留め置かれていたように思う。

10001

 上り側先頭車。福岡市ではどちらが西向きだったのかは分からない。

1000

 宝殿の駅名票と中間車。 1108と読める。

10003

 農業倉庫をバックにした1000系。

10004

 橋上駅舎工事の鉄骨と・・

10005

 編成をやや遠くから見た様子。

1000_2

 さて、その当時、超近代的だった福岡市1000系、初めて営業運転の実物に乗車して撮影も出来た。 姪浜でアップ。

1000_3

 ホームに入線する様子。 近代的なホームに近代的な電車・・ 新時代を感じさせるに十分だった。

1000_4

 姪浜の高架を走る1000系。 ステンレスの車体が夕日に輝いて美しい。

103

 こちらは姪浜の103系。 福岡市交通局が立派な1000系を入れたのに、国鉄が用意したのは103系だった。 もっとも、当時既に201系が登場していて、この103系は201系と103系一般型最終増備車との合いの子のような雰囲気だった。

103_2

 このときの旅行では、福岡からではなく唐津から筑肥線に乗車した。 鹿家(しかか)という駅で降りたのは地図で海岸線が近いと読んだから。 鹿家に入る博多行き103系。

103_3

 鹿家を出る電車。

103_4

 鹿家を出る西唐津行き電車。

1031

 海岸線に103系がやってくる。

1032

 103系のアップ。 新規に電化され、新車が走るとは言っても、見事に1系列、同じ電車ばかりでは写欲もそそられない。

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 さて、昨夏、久々に訪問した福岡の地下鉄でいきなり103系に出会った。 103系の掉尾を飾る筑肥線バージョンは顕在だった。

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2014年4月 2日 (水)

札幌市電を訪ねた日。

さて、初めての北海道行きの際に重点的に見たのは札幌・函館の二つの市電と、札幌市内に残る定山渓鉄道の痕跡だった。

以下、昭和56年当時の様子だ。 まず、定山渓鉄道・・・既に昭和44年の廃止から10年以上が経過した鉄道だが、当時はまだ痕跡も見ることができた。 今のように廃線跡のガイドなどもなく、ただ、友人のO君と二人で、古地図と現在の地図を照合して探したものだ。

Photo

定山渓鉄道本社、豊平駅跡である。

Photo_2

 プラットホームの痕跡が色濃く残る。

211

 さて、札幌市電。 211号で、昭和33年製と言うが、昭和50年代にしても十分通用する外観デザインが札幌市電の独自性を物語る。

製造は北海道の地元企業の集合体である札幌綜合鉄工共同組合が技術力を結集したもの、道産子電車だ。

211_2

 中央区役所前の211号。

213

 気持ちの良い街路を行く213号。横を通るタクシーは「コロナ」

(ご指摘をいただき、車の車種名が間違えていることが判明しました・・ありがとうございました)

2164

 西4丁目だろうか。 216号。

(ご指摘をいただき、すすきのと判明しました。ありがとうございます)

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 241号。 昭和35年生まれ。

これも札幌綜合鉄工共同組合で生まれた。

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 246号俯瞰。

246_2

 246号のサイド。 丸みを帯びた外観に大きな窓が美しい。

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 247号俯瞰。ニッサンレパードが追い越していく・・トヨタソアラに対抗して生まれた高級車だがいつの間にか姿を消した。(シルビア、もしくはガゼールでした・・このクルマ、好きだったのに間違えました・・失礼しました)路面電車を撮影すると当時の町の様子や懐かしいクルマも写りこむ。

252

 252号。 これも、道産子電車。 旧車の機器を流用して製作された。

334

 334号。 330形でこの形式が札幌スタイルの元だそうだ。 電車の脇を通るローレルに時代を感じる。日立製作所製。

334_2

 334号の俯瞰。

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702号。 日本で唯一の気動車市電、D1000形を改造して電車にしたもの。 車体は新しいがちらりと見える台車の古めかしさは・・ 電車化にあたり、旧型電車の機器類を再利用したとか。

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 こちらはやはり気動車を改造した704号。並走するタクシーがセドリック330か。(ブルーバード810だそうです)

713

 713号、D1020形からの改造車。

222

さて、札幌市電はこの後も訪問しているが、一番最近、といっても、10年以上前の様子。 当時、写真屋の仕事で高校の修学旅行に随行し、北海道へ渡ることがあり、少しだけ市電を撮影できた。 222号。 近代的な塗りわけも元々スマートな札幌市電には良く似合う。

331

 331号。復刻塗装だろうか。

8511

 こちらは当時の新型電車。 8511号。 札幌市電のオリジナルデザインではなく、熊本や長崎の電車に似ている。

Photo_3

最後に、当時の札幌市高速鉄道=地下鉄だ。

南北線で、ゴムタイヤ式、しかも新幹線並みに車体幅の広い連接方式など、非常にユニークな存在だった。

このあとの東西線からは少し普通の電車に近くなる。

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