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こう@電車おやじ

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2014年3月

2014年3月23日 (日)

千歳空港駅と銭函海岸

 僕が千歳空港駅に降り立ったのは、昭和56年の夏も終わり頃で、開業の頃というには既に1年近くが経過していた。 けれど、石勝線の開業はまだ少し先で、駅周辺は原野といってもいい状態だった。

711

 711系電車、上りのサイド。 この電車は千歳空港駅開業前に準備された新型、100番台だ。

711_2

 この編成の全景後追い、 カラーネガだが、色情報がしっかりと残っていた。

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 最後尾のアップ。 後尾の3連は初期型で、行先表示機が未装備だ。

781

下りの「ライラック」 485系1500番台で大失敗した国鉄が放った極寒地用特急電車の第一号。 この当時、「ライラック」は室蘭・札幌・旭川間の運転だった。

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 「ライラック」の後追い。

Dd51718

 石勝線へ試運転に行くDD51718。 このとき、まだ根室線方面へは滝川回りだった。

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上りの特急「おおぞら」 釧路から滝川、札幌を経て、東室蘭回り、函館行き。 キハ80系がロングランをがんばっていた。

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 「おおぞら」の全景。 カラーで。

81

 「おおぞら」最後尾キハ82。 基本的に本州用キハ80系と同じ設計で、これが北海道の厳しい自然の中でがんばっていたのだから今思えば驚愕である。

Photo

千歳空港の駅舎。 今の「南千歳」だが、僕はこのあとの状況は知らない。

Photo_2

 ここからは同じ時期に撮影した銭函の海岸で。 客レが小樽を目指すが、マニ50が2両続けて繋がる。

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 客レの客車、 43一党の編成だ。

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 長大編成の急行気動車はキハ27系「宗谷」

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 「宗谷」の後追い。 全国どこででも見られたキハ28一党ではあるが、さすがに北海道のものは形式が分けられ、専用車両となっていた。

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2014年3月15日 (土)

北九州・筑豊の鉄道・・(その2)西鉄北九州線・筑豊電鉄線

今回は筑豊の鉄道、私鉄篇。 この地域で私鉄といえば今は平成筑豊鉄道や北九州モノレールもあるが、この当時は西日本鉄道北九州線、筑豊電鉄線だ。

西鉄北九州線はたまに「北九州市内線」とも言われるが、それは誤りで、北九州市が小倉・門司・八幡・戸畑・若松各市の統合により誕生するずっと以前から「北九州線」だ。 実に、大手私鉄の一角に食い込み、バス事業者としては日本最大の西日本鉄道の創業の路線でもある。 僕が最初に訪問した際にはまだ、すべての路線・区間が健在でその規模は路面電車最大手といわれる広島電鉄を凌駕し、専用軌道の多さ、2車体・3車体連接車が頻発するその充実さでも、まさに日本一の路面電車だった。

まず、北九州線から。

339

既出だが、これは今回は出さずにはおれないだろう・・ 北方線連接車339号。 日本最小の連接車だったのではないだろうか。

321

 北方線ボギー車321号。北方線は北九州モノレールの工事の前に廃止となった路線だ。

633

 北九州線、旧塗装時代の633号。

571

 北九州線、旧塗装時代のの571号。

580

 やはり旧塗装580号。

303

 短命に終わった300形303号が目の前を通り過ぎる。

630

 ここからは塗装が変わった時代。 赤を基調とした塗装だった。 (この後にもう一度塗装変更があり、明るいクリーム基調のものに変わっている) 630号。

621

 到津(いとうつ)遊園の広告電車。 621号。

618

 618号は黒崎に停車中。

 

1026

 連接車1026号が接近する。

1050

 こちらは去る1050号。

1055

 連接車同士の離合、1058号。

1000

 筑豊電鉄は当初、すべての車両を西鉄からの乗り入れで賄っていた。 これは直方まで乗り入れている西鉄1000形。

2000

 こちらは福岡市内線電車を3連接に改造した筑豊電鉄始めての自社保有車、2000形が遠賀川を渡る。

2003

 同じく遠賀川の2003号。

2005

 黒崎の2005号。

2005_2

 ターミナルへ向かう2005号。 北九州線は路面電車からLRVに移行する今の時代まで生きながらえていれば・・格好のテスト路線になったかもしれない。 長い専用軌道に、高い表定速度、旺盛な需要・・ そして郊外に位置する筑豊電鉄との直通運転・・ もう数年、もう数年持てば脚光を浴びただろう路線であるだけに惜しくて仕方がない。

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2014年3月11日 (火)

北九州・筑豊の鉄道・・(その1)国鉄筑豊本線・篠栗線

僕がこの地を訪れたのは複数回あるが、今回は昭和53年頃から56年頃までの国鉄線の様子を・・ 西日本鉄道北九州線と筑豊電鉄線は次回と、分けて掲載する。

始めて筑豊に向かったのは最初の九州訪問での博多側からで、吉塚にあった留置線に休んでいる特急電車を見るのは楽しかった。 

485

485系「みどり」はクロ481を先頭にした編成、このクロは長崎線電化に合わせて東北・常磐線から転用したもの。

485_2

 こちらは貫通型クハ481-200を先頭にした「かもめ」 長崎線特急は分割併合をするので、貫通型先頭車が集められたが、実際には使わず仕舞いだった。

415

 吉塚に入るのは415系電車。 新車の415系でクロスシート拡大バージョン。正面の幌枠磨きだしが美しい。

583

 581系の「有明」 最初に見た頃はまだ、食堂車も営業していた。

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 憩うのはキハ66・67。 筑豊、日田彦山専用の気動車で、当時世間をあっと言わせた転換クロスの快速仕様。 もっとも、現場では当時の急行よりはるかにアコモがいいことから急行にも多数使われた。

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キハ66系の編成全体。

実に堂々としている。

 

 

10_3

 さて、始めて乗車した篠栗線快速だが、期待したキハ66ではなく、なんと、10系も混じった混成編成の列車だった。 がっかりもしたが、それでもあえてキハ10に乗ったのは鉄道ファン魂? 篠栗線のトンネル内にあるリミットを越えると、そこから先はすさまじい高速運転・・キハ10でこれだけの高速運転を体験できたのは後にも先にもこのときだけだ。 なお、撮影場所は全く覚えていない。

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その列車を多分終着駅・・飯塚だろうか・・で。

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 その列車の反対側、キハ26にDE10、オハフ50があり、その向こうに大きなボタ山が広がる。

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 快速列車が移動してしまった後、50系客車と保線作業車、ボタ山の取り合わせ。

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 DD51が牽引する50系客車の普通列車。

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 50系客車列車の後部。

66

 ここから小倉へは新車のキハ66に乗れた。

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 キハ66の車内。 緑の化粧板は113系あたりと同じもの、座席の紺色は普通用車両の定番、けれど、転換クロスシートがずらりと並ぶ光景は国鉄の普通列車用車両ではありえなかった異質の空間に思えた。 これこそが、今に続く国鉄=JR近郊型車両の転換クロス事始である。

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 キハ66の座席。 窓側に肘掛がなく、灰皿が備わる。 格好は良いが、弁当や飲み物を置くスペースがない。 かの宮脇俊三氏はこの車両をさして「急行なのに特急のような座席」と評したけれども、氏もまた弁当を置く場所がないことに戸惑っておられたようだ。

Photo

 直方の駅舎。 実に味わい深い駅舎であるが、現存しないと聞く。


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