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2014年2月

2014年2月25日 (火)

豊橋の電車・・(その2)豊橋鉄道篇

今回は前回に引き続いて豊橋の電車・・愛知県と静岡県には今も魅力的な電車が揃っているけれど、地味ながら当時も今も健闘しているのが豊橋鉄道、しかも、この鉄道には鉄道線である渥美線と、豊橋市内線・・東田本線(あづまだほんせん)があり、規模は大きくないながらも実に楽しませてくれている。 撮影時期は(その1)と大体同じ頃だ。

2701

 鉄道線から。 元々、名鉄の一路線を引き継いだだけあって名鉄色の濃い路線でもある。 どこかで見たことのありそうな電車・・ク2701 この編成は西武鉄道200形で、拙ブログに以前登場した一畑電鉄60系と同じ出自。

1801

1800形モ1801、名鉄の前身のひとつ、名車、愛知電気鉄道3300型がその出自で、正面は不自然な非貫通化が為されているが雰囲気は健在。

1771

 モ1771、名鉄の名車、3700系を譲り受けた電車で、正面は非貫通化されている。 高運転台への改造は名鉄時代との由。

1851

三河田原付近だと思うが先ほどの1800形の反対側、モ1851.この写真は3ドア改造された後の姿。

1731

 1730形モ1731、東急出自の電車で、この時代、名鉄本体にも東急から同じシリーズの電車が入っている。

1730

 その1731を三河田原手前で。

1731_2

こちらは同じ編成を三河田原で。

1711

 1710形モ1711、田口鉄道の車両として豊川鉄道と同型の電車を導入、これがいったん豊川鉄道・鳳来寺鉄道が国有化された際、国鉄に供出とされ、後に田口鉄道へ戻り、さらに田口線廃止後、当時同じ経営者である豊橋鉄道渥美線に移ったという数奇な運命を持った電車。

203

 ここから市内線・軌道線である東田本線。 赤岩口の車庫にはかつて使用された単車がさほど状態を悪化させずに残っていた。 203と読める廃車体。

200

200形だがなぜか末尾の番号がはずされている・・番号不明。

3101

 雨の豊橋駅前に入る3100形3101。 この形式は名古屋市電の1400形がその出自。

3107

 こちらは3107、この頃、3100形が主力だった。

3108

3108号が赤岩口の工場で塗り替え作業中。

37023104

 車庫に3702と3104が並ぶ。 3700形は名古屋市電が昭和2年に日本初の半鋼製低床大型車体の電車として世に送った車両。 この3702号は今も残っているらしい。

370437023101

 3704・3702・3104と並んだ様子。

3801

 3801号、名古屋市電900形がその出自だが、元々は呉市電の注文流れ品だったとか。 名古屋らしい雰囲気があまり感じられない電車。そういえば、岡山にも名古屋市電がいたなぁ・

3101_2

赤岩口付近にて3101号。

3109

車庫で休む3109号。

豊橋の電車もどこか岡山電気軌道に似て、山椒は小粒でも・・という雰囲気があるように思える。 ここ数年、ようやく僕は東海道を通る旅を再開したが、残念ながら豊橋鉄道へ改めての訪問が叶っていない。 遠州鉄道・静岡鉄道・岳南電車と合わせ、ぜひ再訪したいところだ。

7000

さて、豊橋といえば名鉄が乗り入れていて、その名鉄の写真も少し。 7000系の「高速」が豊橋駅に入線する。 DE10や0系新幹線の姿も見える。

7000_2

 発車待ちの7000系パノラマカーの特急、正面の行先・種別表示が幕式になった車両だ。

Photo

 豊橋からの帰途はやはり名鉄電車に乗らないと・・ これが当時の僕の感覚・・ パノラマカーの速度表示。

2014年2月22日 (土)

豊橋の電車たち・・(その1)国鉄飯田線篇。

豊橋の電車たち・・(その1)国鉄飯田線。

豊橋地区の電車のネガがたくさん出てきた。 このブログの順序からすると今回は私鉄の番だけど、画像処理を国鉄側から始めてしまい、今回は国鉄飯田線とさせていただきたい。 なお、私鉄篇は次回に掲載のつもりで画像処理中。

なにぶん、古いネガで特にカラーネガのものは非常に煩雑な画像処理工程を経ないとまともに見ることも出来ない。 今回の部分では古いネガであるにもかかわらず、かなり復元できたのでゆっくりとごらんいただければと思う。 ただ、過去ログに出したものも含まれているが、スキャンもやり直し、画像処理も位置からやり直しているので、改めてここに出させていただいた。 あしからずご承知おきのほどを・・

まずは僕の最初の電車一人旅・・ 昭和52年だったと思うが、どうしても流電モハ52が見たくて行ったときのものから。 名鉄特急を豊橋で降りると、隣にモハ52が! (本稿ではモハ52という呼び方はこの車両のイメージをさすものとして、クモハ52という呼び方は車両そのものをさす呼び方として既述している)

 

5152

クモハ52の屋根が張り上げ屋根のままだから、今、リニア館にあるクモハ52004ではないだろうか。 隣の編成の先頭はクモハ54だろうか。 この頃、豊橋駅では飯田線電車の行先枠に電車の行き先と発車時刻を表示して、発車前にはずしていた。

5251

反対側、こちらは雨樋をつけたクモハ52005。 隣はクハ68か・・

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 モハ52が停車してるホームから先ほどと逆の構図で・・

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クモハ52005の車内。 旧型電車とは思えぬ幅広の窓、そして標準化されているとはいえ、独特の雰囲気を持つ車内。

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 編成中、サハ75の車内。 横須賀線出自のサロ75を改造したもので、ドアも増設されていた。 増設ドア横のロングシートも、元々の「ロ」座席を利用したもの。

Photo

クモハ52005の車内から豊橋機関区の様子。 今見れば・・なんとバラエティ豊かな・・

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 やはり車内からのクモニ83、但しここのは元々はクモユニ81で、それを小改造したもの。

そのまま牛久保駅へ・・ クモハ52の乗り心地はごろごろしていて、モーターの低いうねりとともに強く記憶に残っている。 電車は豊川行きだったが、豊川で折り返し回送として牛久保で留置というダイヤだった。

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 牛久保駅で先に電留線に停車していた編成を。。 格好の良いクモハ42、関西急電の雄である。

54123

 クモハ54 123・・これもまた関西出自か。

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クモハ54を反対側から編成全体。

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 サハ75・・元々ロであり、今で言うグリーン車なのだけれど、真ん中のドアを増設されている。

871

サハ87、なんと、湘南電車80系、登場時のトップナンバー車のひとつ、飯田線ではスカ色に塗り替えられていた。

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 豊川からクモハ52編成が回送されてきた。 牛久保駅のクラシカルなホーム上屋がよく似合う。

 

4252

ホームでクモハ52とクモハ42が並ぶ様子。 色合いこそ横須賀カラーではあるけれど、どちらも関西のスターだった電車だ。

52_3

    電車は電留線へ移動する。

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 クモハ52005のサイドビュー。

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 クモハ52とクモハ43、それぞれの横顔が並んだ様子。

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 クモハ42側からクモハ52と並んだ様子。

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クモニ83がやってきた。

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ここから又豊橋・・後年の撮影。

クハ68か・・乗降ホーム側から。

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クモニ13。 切り妻の顔立ちがなんともユニーク。。

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編成全体。

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 さて、さらにこの数年後、豊橋再訪。 停まっていたのはクモニ83.

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こちらはクモハユニ64、半流側。

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こちらはクモハユニ64の切妻側。

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 中間に挟まったクハ68。

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 反対ホームから先頭のクハ68。

 

 

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2014年2月13日 (木)

昭和49・50年、中学生が見た国鉄。

今、駅のホーム端などで列車をデジカメで撮影する中学生の年頃の少年鉄道ファンを見ていると、自分にもそういう時代があったことをふっと思い出してしまう。

幼少の頃より私鉄が好きだった僕だが、山陽電車の沿線で父が亡くなり、一家はまとめて国鉄の沿線へと移っていったわけで、だから始めてのカメラで撮影したのは圧倒的に国鉄が多い。

当時、無理を言ってkodakの110カメラ=いわゆるポケットカメラを買ってもらったのだけれど、フィルムサイズの小ささはもちろんだが、シャッターは単速90分の1秒、レンズはプラスチックのパンフォーカスという代物だった。 それでも、写真が撮影できることが嬉しく、中学生にとっては高価なフィルムを大事に使い、列車を撮影したものだ。

ただし、シャッター速度については発光済みの「マジキューブ=フラッシュ」をつけてやるとシャッター速度が60分の1秒になることを知り、曇りの日の撮影ではこのテクを使うようになった。

今回はこの110カメラの写真を主にピックアップした。 ただし、それがゆえに画質が非常にチープであること、経年劣化が進んでいること、スキャナーが110サイズに適応しないためにちょっとした工夫でスキャンしたが故の画質の甘さも含めてご承知おきいただきたいと思う。

Pc

 まずは大阪駅から。 キハ82の「まつかぜ」と485系の「雷鳥」。

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既出だがクハ165を先頭にした急行列車「比叡」・・・後ろの阪急百貨店の風景もすでに過去のものではある。

Pcef58

荷物列車牽引EF58155の隣に並ぶのが485系特急「白鳥」、青森まで長躯する列車だが、この当時、函館線電車特急用に製造された485系1500番台を編成に組み込んでいた。 正面の列車愛称には「白鳥」の文字はなく、それがゆえにガラスの上に「白鳥」シールを貼り付けていた。

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 EF5879が牽引する寝台特急「日本海」のヘッドマーク部分のアップ。 この後のダイヤ改正で関西発着寝台特急からヘッドマークが消えてしまう。

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 北陸線急行「ゆのくに」。 当時、金沢行きが「ゆのくに」、富山行きが「立山」だった。

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入線する長崎・佐世保行き特急「かもめ」・・キハ80の実力を示す長距離列車で、分割併合は肥前山口ではなく、小倉・・佐世保編成は筑豊線を経由していた。

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 宮崎行き特急「日向」、日豊線電化により485系化された直後だが、新幹線博多開業であえなく廃止された。

Pc51

ここから岡山駅・倉敷駅で。 宇野線普通電車、クモハ51だろうか・・当時、地方の電化線区に旧型国電が転用されていた。

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 167系の臨時急行「山陽」・・153系にはヘッドマークがつくのに、似合いそうな167系にヘッドマークなしは可哀想にと思ったものだ。

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 471系急行「つくし」博多行きの急行電車だが、赤穂線を経由した変わった列車でもあった。

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 岡山での「日向」、新車クハ481-300が先頭だ。

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 姫路駅、EF58が牽引する「あかつき」、ヘッドマークがないことを見ると、50・3以降か・・

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あかつきの20系電源車。

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 流線型80系電車。 姫路・岡山間の主力だった。

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 宝殿駅にて。 クモニ83の単行荷電。

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 50・3ダイヤ改正当日、急行「雲仙」は旧型客車ではなく12系客車の運用だった。 この日の夜始発の便からは14系になったわけだ。

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 既出だが「はまかぜ」と並ぶDD54・・大阪駅で。

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 そして485系「雷鳥」と並ぶ同じDD54. この2点はは後の一眼レフカメラによるもの・・画質の違いに愕然と・・する。 中学生の僕が、110カメラではなく、せめて35ミリのコンパクトカメラを持っていたら・・と思うが、そればかりは致し方ない・・

2014年2月 7日 (金)

南海電車浜寺公園駅惜別情景(付・諏訪ノ森駅)

南海電車の浜寺公園駅は知る人ぞ知る明治期の木造建築の傑作で、のちに東京駅を手がけることになる辰野金吾博士の第一作だとも言われている。 明治40年7月の完成と記録にはある。

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僕が小学生時代、2年間を泉大津で暮らしたのは既述のとおりだが、その頃とてこの駅舎の風格には心惹かれるものはあった。  さて、僕が写真を撮影し始めた当初・・この駅を撮影した写真だ。 駅舎正面・・ 当時の50ミリ標準レンズでは駅前の引きのない場所での撮影はこれが限度だったのか・・

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浜寺公園駅を発車する下り高石行き。 7101系で、この頃、南海線の電車は3系列しかなかった。

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 その南海の当時のスターといえば・・ 多少くたびれて見えるとはいえ、高速性も快適性も十分健在だった1001系(旧11001系)だろう。 和歌山港からの特急「四国」号。

さて、浜寺公園付近の連続立体交差化工事により、いよいよこの貴重な駅舎も地上駅としての終焉を迎えることになる。 駅舎そのものは高架工事完成後に駅の玄関として再活用されるらしいが、風格ある構内の様子はいまが見納めになってしまう。 そこで昨年末と本年1月に続けて様子を記録しにいった。

あわせて隣の「諏訪ノ森」駅も記録してきたので現況ルポとしたい。

 

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駅舎正面。 駅前は狭隘な商店街だったが高架工事の前に立ち退きとされ、そのことがかえって駅舎最後の記録をしやすくさせている。 ただ、城攻めの際に周囲を取り壊されて裸城となった感は否めなくもない。

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駅舎をやや斜め南から。 かつては到底撮影できなかったポジションでもある。

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同じくやや斜め北から。

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駅舎の正面アップ。

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 駅舎玄関を北側から。 郵便ポストが旅情を誘うが・・かつてはここにはなかったような気がする。

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 正面を広角レンズで近寄って撮影したもの。

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 やはり斜め北から広角レンズで。

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玄関サイドをやや引いて撮影。

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 かつての一等待合室。 ギャラリーになっていたが今は入れないようだ。

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 臨時改札あと。 海水浴客がどっと押し寄せた頃は、この改札にも出番があったのだろう。

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駅舎の内部。 出札窓口と改札口。 自動改札機が違和感を覚えてしまう造りだ。

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 南側の踏切から構内を見た様子。 一種独特の配線で、下りは通常の島式待避形ホーム、上りは通常の客扱いホームの先に、待避線があり、その部分に行き止まり式ホームを持つ。

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上りホームから下りホームを見た様子。

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 逆に下りホームから駅舎母屋と上りホームをのぞむ。

上りホーム手前が退避ホーム。

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下りホームから見た駅舎改札口。

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 上りホームの改札口と待合室付近。

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上りホームにある待合室内部。 エアコン完備だ。

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下りホームの待合室。 北側から。

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下りホーム待合室。 南側から。

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 下りホーム待合室内部。 ベンチに一人分ずつの区切りが入っている。 もちろん、クラシックな外観に似合わずエアコン完備。

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下りホーム先端から見た駅名票とホーム上屋の様子。

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 下りホーム上屋北端のアップ。

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駅務室とかつての折り返しホーム。

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上り退避ホーム、かつては左側にも折り返し線があった。

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1000系電車の区間急行が通過していく。 高架後は浜寺公園駅は阪急六甲のような通過形退避駅となる。

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 駅のトイレ。 外観はクラシカルでも設備は今様。

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上り線を行く2000系2ドア車の普通電車。 左側が退避ホーム。

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上り退避ホーム上にある新様式の待合室。 このホームを使うのは一日でも限られた時間帯だが、南海電鉄はそこでもきちっと上質の待合室を用意する。

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雨の中、特急「サザン」が通過していく。

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 浜寺公園駅東口はごらんのようなコンパクトな近代駅舎。

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駅前の路面電車、阪堺電車の浜寺駅前駅はこちら。

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 さて、諏訪ノ森だ。 上り駅舎。

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上り駅舎とホーム。 なお、下り側ホームは踏み切りを挟んで斜めに相対する位置にある。

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下り側駅舎。 浜寺公園の下り側駅舎と似た素っ気無い近代建築。

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上り駅舎の内部。 コンパクトだが如何にも高級住宅地の中にある駅といった風情。

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 諏訪ノ森下り駅舎の名物、ステンドグラス。

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 発車する最古参7001系による普通電車。

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 こちらは通過するやはり7001系区間急行。

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浜寺公園駅の案内碑。

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最後に、浜寺公園駅玄関脇の装飾柱。

浜寺公園、諏訪ノ森両駅が新時代にふさわしく、そしてこの両駅の持つ独特の風情を残した高架工事が出来上がることを念願する。