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こう@電車おやじ

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2013年9月

2013年9月24日 (火)

香住と餘部

昭和57年頃だったか・・ 職場の忘年会で香住へ行くことになった。 ただ、高砂工場の場合、普段から自家用車で通勤している人も多く、自家用車でも十分いける距離であったことから現地集合・現地解散となった。 (もちろん、今では当たり前だが、全員宿泊必須で、翌朝、自家用車で参加したものには酒類の提供は厳禁だった・・交通事故ひとつで解雇された国鉄ゆえの厳しさでもある) 忘年会の前日、僕は一人、早く山陰に向かい、余部橋梁にて、しばし撮影した。 初雪が降って数日たった頃だろうか・・まだ雪景色というわけではないが、山の上、路傍の影に雪が残っていた。

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余部橋梁下から、橋の上を通過する列車を撮影したカットから。

DD51が牽引する普通列車、機関車の次位には客車より新しい荷物車、マニ50が連結されている。

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その列車が民家の上を行く。 家の屋根を見下ろす空中の列車だ。

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客車がゆっくりと通過していく。 アニメ「銀河鉄道999」の発想の元はここにあったのではないかと思わせるシーンだ。

181

特急列車が行く。 キハ181は長大編成が似合う。

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橋梁の上の特急列車。 この頃とて、ずいぶん古くなった181系だがオハ35に比べると格段に新しいイメージが漂う。

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トンネルから飛び出た特急列車。 どの角度から見ても絵になるクルマだった。

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徒歩で橋の北、岬のほうへ歩いてみた。 そこにやってきたDD51牽引、普通列車。 機関車の次位はスハフ42か。 堂々とした貫禄を持つ普通列車だ。

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その列車がトンネルへ入っていく。 最後尾にはオユ10だろうか。

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特急列車、キハ181の8連だ。 持っていたレンズでは編成全体が入りきらなかった。 今、こんなに長い特急はこのあたりには走らない。

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特急の後ろ側。 屋根上のラジエターが大陸的な風貌をかもし出しているように思う。

翌朝、先輩、同僚より早く宿を出た。 大阪で谷山浩子女史のコンサートがあって、そこに行きたかったからだったように思う。 少し時間を作って、朝の列車を眺める。

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東京からの寝台特急「出雲」がゆっくり香住を発車する。 「紀伊」と名古屋で別れて京都から山陰本線を走ってきた列車だ。 客車は14系寝台車か。

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「出雲」が近づく。

Dd511117

DD511117が低いエンジンの音を響かせて通過していく。

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上り普通列車、DD51761の牽引だ。

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最後尾の客車。 窓配置からオハフ33に間違いがないのだが、車体デザインは角ばったスハフ42のように見える。 実は、この当時、福知山区に田子の浦事故で車体を修繕された3両の客車が所属していて、いずれも当時一般的だったスハ43一党の角ばった車体に変更されているから・・これはそのうちの1両か・・ 撮影から30年余りにして・・ネガを見て気がついた次第だ。

この日の僕はこの普通列車のあとの急行で大阪へ向かった。 所要5時間あまり・・遅いようだが、今でも列車によればこのくらいの時間がかかる・・ しかも乗換えが必要になった。

余部橋梁については以下の過去ログも参考ください。

思い出の中の餘部橋梁

餘部橋梁

昭和57年、雨の山陰本線

 

2013年9月20日 (金)

ドルトムント電車の走った広島電鉄

昭和57年ごろか、広電がドイツのドルトムント市の中古電車を輸入して、翌年から宮島直通系統で走らせ始めた。 今回はその頃の写真だ。 なお、宮島線は以前の記事を参考にされたい。 「昭和50年代の広電、宮島線

76

まず、廿日市近くの橋梁をわたるドルトムント電車、76号。 流麗な車体デザインは路面電車先進国、ドイツが日本よりはるかに先を行くのが実感として思い知らされる。

1092

その頃、宮島線にはまだ高床車が走っていた。 写真は広電オリジナル、1092。

1061

こちらは1061。

10941082

廿日市だろうか? 1094と1082が出会う。

1072

1072編成のサイドビュー。

1082210

阪急嵐山線で走っていて、好きだった210系、こちらの車号は1081・1082。

2507

広電といえば連接電車、2500形、2507。

2508

駅構内の2508号。

2005

連結電車、2005。

1153000

横の国鉄線には153系後継車たる115系3000台が登場していた。

76_2

さて、ドルトムント電車、76号に乗車。 日本が開発し始めた軽快電車は、クロスシート主体だったが、ドルトムント電車はベンチ式のクロスシート。 その車内。

76_3

連結部の様子。 垢抜けしたデザイン、合理的ながら、快適性も重視されている。

76_4

車内の広告。 ドルトムント時代のまま。

76_5

こちらは路線図。 これもドルトムント時代のもの。 広電の数倍はあるだろう広大な路面電車ネットワークがうらやましい。

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運転台。 これまた非常に垢抜けした印象がある。

76_7

広島駅前に到着したドルトムント電車、76号。

76_8

当時存在した歩道橋から俯瞰。 京都市電と並ぶ76号。

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76号の顔の部分。

このあと、もう一編成、77号が走り始めた。 けれど、やはりドイツの電車は日本流に改造しているとはいえ、使いづらいらしい。 運転席付近が流線型で絞られていて、高機能運賃箱の設置により、乗客スペースが狭くなるのも一因か・・ このあたりの感覚は神戸市電1100形1150形が追われた状況と似ている気がする。 結局は直通電車の充実に伴い、ドルトムント電車は運行されなくなってくる・・ さて、77号の写真は撮影したはずなのに見当たらない。 出てくればまたここで公開することにして・・

76_10

今の76号の様子。 広電本社の系列スーパーの前に、なにやら色合いを変化させて鎮座している。 一時期レストランとして使ったそうだが、今はただ、ここで保存されている、

5001

そして、今の宮島線。 グリーンムーバ5000形が走る。 ドルトムント電車が採用したクロスシートは、この5000形で久々に復活した。

2013年9月 6日 (金)

昼下がりの須磨海岸

時期的にはいつごろだろうか。
新快速が117系化されたものの、EF58の荷物列車が走り、113系103系に非冷房車が残存しているから昭和55年ごろだろうか。

場所は須磨・塩屋間、季節はたぶん春先の昼下がりか・・

103 去っていく103系、ユニット窓の改良タイプだが、全車両が非冷房。

103_2 これも改良型103系非冷房のアップ。

113 113系の快速。
海岸を見て走る。

113_2 113系快速のアップ。
この当時、113系が快速であると言う証は車体だけで、行き先表示には種別が出ていなかった。

Ef58146 EF58・・大窓原形146号。
陽射しを跳ね返す。

Photo 荷物列車。
最後尾はマニ37。

Photo_2 新快速と出会う荷物電車。
クモニ83あたりか・・

117 117系新快速のアップ。
優しくも凛々しい顔立ち・・

Photo_3 最後に波が光り、パンタグラフのシルエットがさっと通過していく・・

なお、須磨に関しては以下の過去ログも御覧ください。

震災前後の須磨・塩屋間」

須磨海岸の国鉄