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2013年8月 9日 (金)

大井川鉄道

大井川鉄道にはじめて行ったのは昭和53年ごろだろうか。
まだ、国鉄の鉄道学園在籍時だったと思う。
その後、何度も訪問して、電車の撮影をしている。
当時の僕はこの鉄道が売り出しを始めていたSL列車ではなく、電車・・それも国鉄、名鉄、西武、北陸鉄道から移籍した電車たちを見るのが目的だった。
一度、井川線終点まで行き、井川の旅館で泊まったこともあるけれど、井川線のことは別の機会にしたいと思う。

6061 大井川鉄道でまず驚いたのが北陸鉄道から来たアルミカーで、6011・6061という番号のほかに「しらさぎ」という愛称がついていた。
家山付近、橋梁を渡る「しらさぎ」。

観光路線だった北陸鉄道河南線は、国鉄の加賀温泉駅開業に伴い、接続駅である動橋(いぶりばし)、大聖寺(だいしょうじ)の両駅が特急通過駅となってしない、大打撃を受けて廃止されてしまった路線で、この路線のクイーンとして2編成のデラックス電車が活躍していた。
2編成とも大井川にやってきたけれども、6001・6051の編成はカルダン駆動で当時の大井川では昇圧が難しく、電装解除されていたのに対し、6011・6061編成は旧型車の機器を流用した、性能的には旧型車だったために長く大井川で働いた。

511 同じ橋梁をわたるのは旧型17メートル国電で、西武を経てやってきた311・511の編成。
後に2ドアクロス化されるけれど、この頃は3ドアロングのままだった。

311bw その電車の反対側、モノクロで・・
国鉄と西武の両方の香りが感じられる。

510 こちらは名鉄からやってきた名車3800系、310・510の編成。
転換クロスとロングの双方の編成があったが、この編成はロングだったのでは・・
ただし、大井川の車番を与えられたのは最初の一編成だけで、あとの2編成は名鉄の番号のまま。

310bw この編成の反対側、やはりモノクロ。

3512 西武の電車を2ドアクロスに改造して入線した312・512の編成、中間に20メートル級サハ1426を挟んでいた。
好ましい湘南スタイルの2ドア車だが、中間扉を埋めた部分の窓はほかの窓より幅が狭い。
クロスシートは西武レッドアロー初期のものだったと思う。

3312bw この編成を場所を変えて撮影。
今、大井川鉄道では電車の3連運転は見られない。

6011 金谷における6011。

荷物積み込み中。

6061_2 こちらは6061。

Photo その車内、驚くほど軽快、近代的なつくり。
コカ・コーラの自販機が愛嬌。

Photo_2 運転台後方から。
名鉄パノラマを思わせるワイドな眺望が客席から楽しめた。

2922 千頭にて・・
名鉄3822・・上記310と同じ出自だが名鉄番号のままだった。

2922_2 その反対側2922。
名鉄本体にも相当な旧型の名車たちが頑張っていたころ。

脇に上手く使いこなせなかったSE車が見える。

3800 その編成が千頭近くで大井川を渡る。

Photo_3 こちらは上記の6011・6061「しらさぎ」。
陽射しにアルミが映える。
山陽2012編成より1年遅れて登場した。
山陽は川崎車両だがこちらは日本車両。

313 千頭構内の313。
312と同じく西武351系出自だが、こちらは2連だった。

513その編成の反対側、クハ513。

Photo_5 千頭構内の1号機「いずも」
一畑開業時の機関車で、今も新金谷に保管されている。

C11 3両のスハ43系客車を牽引してC11337が橋梁を渡る。

C11_2 SL急行が接近してくる。

C56 昨年、一昨年と大井川を訪問した。
一番の目的は旧型客車の記録だったけれど、特に昨年はじっくり時間もかけて撮影もできた。
千頭付近、橋梁を渡るSL急行、タイから帰国したC56が客車7両を牽引、後ろに電機が補助でつく。

16000 同じ橋梁で近鉄から移籍の16000系・・まさか近鉄特急が大井川で見られるとは思わなかった。

80上記、312編成の中間に挟まれていたサハと、同じ形式のサハを西武から購入、これを原資に展望客車とお座敷客車を作り上げた。
写真がそれ。
マイテ、スロという記号を持つ80系客車。
(客車の80番台は国鉄ではお座敷客車だった)

Photo_4 当時の千頭の駅舎。

大井川鉄道に注文があるとすれば、電車の保守だろうか。
古い名車はSLに負けずと劣らない文化財でもある。
どうか、。窓や座席回りなど保守にもう少し頑張ってもらいたいとは思うのだけど、大量の旧型客車を抜群の状態で走らせてくれるのだから、その注文は贅沢といわれても仕方ないけれど・・

なお、大井川鉄道の客車は「大井川鉄道旧型客車レポート」。

訪問記は電車おやじの平凡な日々から「東方遠征鉄第一日

第二回東方遠征鉄・往路・大井川鉄道篇

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コメント

昭和40年頃のテレビの天気予報番組(今の様に予報士が丁寧に説明するのではなく、字幕で単純に案内するだけの地味なもの)のバックに景色画が流れ、右下には寸又峡と小さく出ていて、調べる内に大井川鉄道を知りました。
数年後に金嬉老事件で一気に知れ渡る事とは思いもよりませんでした。
更に数年後の昭和45年、名鉄3800系を転換クロスとして、車体側面には女性が温泉に浸るイラストを描いた310-510を以って急行すまた号の運行を開始、この時から大井川鉄道が積極姿勢に転じたものと思います。
名鉄から転じたピク誌で著名な白井氏の施策だったのでしょう。
相前後して千頭~川根両国間でミニSLの運行も開始して、今に繋がるSL運行の嚆矢となり、私も見事に釣られて昭和46年に初めて訪れました。
川根機関区では、長崎出身の整備士の方(「原爆の時には、劣等生は何らかの労役に駆り出されて山蔭にいて助かったんだよ。」とも)と懇意になり、お土産をいろいろと戴いたのも、今の様な即売会などはない時代のよき思い出です。
その後は、本線SL運行や井川の更に奥の赤石温泉、アプト式運行などに惹かれて幾度となく訪れました。
鉄橋区間は、トンネル掘削ミスで食い違い、対岸へ路線を振り替えたものと地元の方から聞いていますが、絶好の撮影ポイントになっているのも皮肉な事ですね。
静岡や浜松から80系4連の千頭直通臨時列車が設定されていたり、大垣夜行も金谷に臨時停車したりしていましたが、今では偲ぶよすがもありません。

あづまもぐらさん>

かつての大井川鉄道はそれこそ、ロングシートの、がたがたの電車ばかりだったと伺っています。
それが名鉄3800あたりから観光路線であることに力を入れて、いまや、観光需要のほうが大きいような路線になりましたね。
それにしても、SE車の失敗は惜しいことでした。

その大井川が何故かここ数年で廃車になった名鉄の優秀なSR系、7700や5300を導入しないのが不思議です。

国鉄の80系も確かに乗り入れしていましたね。

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