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2013年8月

2013年8月31日 (土)

追憶・・鴨川沿いの京阪電車

京阪電車が鴨川沿いを走っていたころ、それは僕ら鉄道ファンには如何にも歴史のある京都らしい風景であると・・そして鴨川沿いは京都市民の憩いの場であるだけでなく、鉄道ファンの聖地でもあったように思う。

今回は少し古い昭和51年ごろの写真と、京阪本線昇圧後の昭和59年の正月輸送の写真を見ていただきたいと思う。
なお、一部に例によって既出があるがご容赦ください。

1700 七条の駅と1700系か・・
1700・1800のシリーズはシステム的には大きく変貌しているのだが、外観の違いは難しい。。

1900 1900系の臨時特急。
正月など繁忙時の臨時ダイヤで見られた列車だ。

5651 5000系の急行。
この系列もまだこの頃は大きな行先板をつけていた。

3000 七条駅と3000系の特急。
まだ国鉄117は無く、阪急6300も限定的だったころ・・抜群の豪華さで京阪間ノンストップ特急に君臨していたころだ。

1000 ここからは少し時代が新しくなる。
鴨川に沿って走る1000系・・700系を冷房改造、昇圧した系列だ。
まだ、車体には700系の面影が残る。

1000_2 1000系のサイドビュー。
なぜに、2000番台と600・700系の更新車グループは車体横のデザイン、特に窓の形態を変更したのだろう。

22006 2200系6連の普通。
冷房改造がなった数年後か。

24007 2400系7連の急行。
急行の看板が懐かしい。

2405 2400系のサイドビュー。
冷房初期のころで、異様に背の高いクーラーがたくさん並んでいる。

2400 こちらは2400系でも普通列車。
6連だ。
正月の京阪本線はノンストップ特急、急行、普通がそれぞれ10分ヘッドだった。

2400_2 2400系が離合する。

3511 3000系のサイドビュー。
3511号、どこにも譲渡されず、廃車された車両だ。

30006 3000系特急、6連の編成だ。
鴨川に最も似合うのはこの電車か。

60007 新鋭、6000系7連の急行か・・
昇圧なり、6000系は本来の7連で運用されるようになった。

6003 鴨川べり、6000系のサイドビュー。
この電車が鴨川べりの京阪を知る最後の世代だ。

2400_3 工事中の七条の駅から。
2400系の急行。
電車というのは生まれたときのデザインが最も美しいと感じるのは僕だけだろうか?

6000 6000系の特急。
正月の臨時特急は1900系から6000系に変更された。

3010 三条へ向かう3000系特急。

1900_2 最後に、1900系特急が去っていく様子・・
京阪電車が京都の一角の風景のよき演出者であったころを知っている人は20歳代後半より上の世代ということになる。
思い出はただ、古く、霞むしかない。

2013年8月25日 (日)

福岡市・貝塚公園のナハネフ22

30年近くぶりに九州を訪問した。
今回は時間的経済的制約の中だったので福岡・熊本で鉄道の側面を眺めたに過ぎないが、その中でどうしてもここだけは見ておきたかった場所があった。
市営地下鉄と西鉄貝塚線=旧宮地岳線の接続駅である貝塚駅すぐ近くの貝塚公園だ。
そこに、かつて「かいもん」で使われていたナハネフ22が保存されていると聞いていたからだ。

0820_dh114 8月20日、午後から福岡入りした僕は、最高気温が40℃を超えるという新記録の熱風が吹く中、貝塚駅から公園へ向かった。
公園には航空機も保存されていて、これは「デ・ハビランド DH.114 ヘロン」という航空機で、富士航空・日本国内航空=今の日本航空で使われていたものだそうだ。

0820 蒸気機関車、ずんぐりした独特の風貌は「キュウーロク」49627で、神戸生まれ、札幌で青春期を過ごし、筑豊地区で現役を終えた機関車だ。
こちらが公式側。

082049627 この機関車の後ろに20系客車が見える。
機関車から見て非公式側。

082022 ナハネフ22 1007・・これこそが、僕が会いたかったクルマだ。
こちらは4位側で客車の場合、車掌室は後位になる。客用ドアは自動式に改造されているが、これは12系との併結改造のときのもの。元々、20系は手動ドアで電磁ロック式・・NSEまでの小田急ロマンスカーと似たやり方だ。

0820_2 こちらは3位側。
かつてはもっと明るいカラーだったらしいが、20系客車本来のスカ色に改められている。
九州では最晩年は連結相手の12系客車とカラーがそろえてあったのではなかろうか。

0820_3 正面・・というより最後尾の流線型の顔。
20系独特の濃い色合いが美しい。
だが、ここまでするなら、クリームの帯を原型の三本にしてほしかったなぁ・・
(贅沢言って申し訳ない)

0820_4 前位、1位側=洗面所付近。
大きな窓、車内側では洗面器が3個並んでいた。
天井が高く、開放感あふれるデザインで、洗面所には大きな冷水器もあった。
なお、窓ゴムは腐食するのだろう、シーリング剤のようなものを塗られているが、これは現役時代、工場でも行われていた補修方法でもある。

0820_5 前位、2位側=便所付近から見た全景。
トイレは大小兼用2箇所で、この後の14系などよりゆったりしていた。

0820_6 1位側の連結面。
現役時代の表記がきちんと復元されている。

0820_7 キューロクとの連結器。
よく見ると、20系側の連結器には外側にもうひとつ、腕が噛むようになっていて、これは20系開発のときに設計された「密着自動連結器」であることが分かる。
ただし、機関車や一般客車、貨車は普通の自動連結器だから、完全に衝撃を抑えられるものではない。

0820_8 客車中ほどに車内が観察できるデッキが設けられていた。
洗面所側・・1位側・右側全景だ。

0820_9 ここから車内を観察。
中段寝台を出した状態。

0820_10 こちらは中段寝台をたたんだ状態。

0820_11 中段寝台のロック装置。
糸のようなばねが用いられ、これの保守に手間取ったものだ。
なお、画面左、畳んだときは必ずロックをしなければならないが、この状態はロックが解除されている。
実車運用中では禁止行為。

0820_12 枕灯。
10系の白熱灯から20系では蛍光灯に変わった。

0820_13 上段寝台。
10系シリーズと違い、冷房は集中式で床下装備、ダクトを通路上にしているために天井のでっぱりが無い。

0820_14 ヒータカバー、テーブル付近と下段寝台兼用座席。
座席は座席枠に折りたたみ式の簡単な角材が取り付けられ、これを使うとリクライニングしたような角度になるよう考えられていたが、実際にはほとんど使われなかった。
灰皿も原型のままだ。

0820221007 車番。
ナハネフ22 1007・・1000番台は12系との併結改造車であることを示す。
高砂ではかなり遅くまで12系併結改造車であっても帯は三本だった。

0820_15 方向幕。
独特の仕様、表示できる種類が限られていたために、色々分割して表示しているが、かえって風格を感じさせる。

22 最後に、当時の「さんべ」だったと思う。
ナハネフ22の急行時代の様子。
ナハネフ22は20系客車のイメージシンボル的存在でありながら、いくらも残っていない。
福岡市以外には1両がさいたま市の鉄道博物館、もう1両がなんと、西宮市のキャンプ場に保存されているが、そのほか、どこかにあるのだろうか。

それにしても、貝塚公園でのナハネフ22 1007との出会いは嬉しい出会いだった。

2013年8月15日 (木)

加古川市野口町、山陽本線昭和58年・春「サロンカーなにわ」ほか

高砂工場施工の「サロンカーなにわ」が完成し、その一般公開の日、姫路から神戸へ向かうこの列車を、いつもの宝殿駅ではなく、加古川・東加古川間の野口町付近で撮影している。
この場所はこの以前から時折撮影していた場所で、また別のときに撮影したものが出てきたらアップすることにしようと思う。

Dd13 さて、まず、この場所から見えた高砂線列車から。
貨物列車で、国鉄配給列車ではない通常の貨物列車。
先頭はDD13だ。

Dd132 その貨物列車が進む。
列車の向かう方向が加古川駅だ。

Photo マンション前をゆく気動車列車。
キハ35、20の編成だ。

113 電車。
113系の快速電車。

117 こちらは信号機も写り込む117系の新快速。

1172 117系新快速快走・・

Ef6511 貨物列車を牽引するEF65 11。

Ef6654 EF6654。

Ef651125 サロンカーなにわを牽引してEF65 1125がやってきた。

Ef651125_2 先頭車と機関車。
大阪よりがミニ展望室。

Ef6511252 2両目が通過する。

Ef6511253 4両目までが通過・・

Photo_2 最後尾客車。
展望室、サロン室。

Photo_3 客車の編成全体。
まだ最後の1両が出場しておらず、6両編成での運行だった。

1_2 参考までに安土駅で撮影した「サロンエクスプレスTOKYO」
大宮と高砂の競争意識丸出しのこの欧風客車企画だったが、デザイン的には関東勢の勝ちか・・
関西の高砂では丸妻の平妻化、横揺れダンパーの装備などの芸の細かさが目立った。
今も残っていて、しかもお召し仕様なのは「なにわ」のほうだ。

0614ef652_02 最近撮影したサロンカーなにわ。

牽引はEF651132、撮影は大蔵谷にて。

06145_01 その後部から客車全景。

21世紀も十有余年を経て、サロンカーなにわが生きていることに深く感謝したい。

この客車についての詳細は過去ログ、「なにわとみやび

サロンカーなにわ」をあわせてご覧ください。

なお、今回エントリーのこの場所、鉄道高架工事と高速道路の工事でまったく当時の面影がない。

2013年8月 9日 (金)

大井川鉄道

大井川鉄道にはじめて行ったのは昭和53年ごろだろうか。
まだ、国鉄の鉄道学園在籍時だったと思う。
その後、何度も訪問して、電車の撮影をしている。
当時の僕はこの鉄道が売り出しを始めていたSL列車ではなく、電車・・それも国鉄、名鉄、西武、北陸鉄道から移籍した電車たちを見るのが目的だった。
一度、井川線終点まで行き、井川の旅館で泊まったこともあるけれど、井川線のことは別の機会にしたいと思う。

6061 大井川鉄道でまず驚いたのが北陸鉄道から来たアルミカーで、6011・6061という番号のほかに「しらさぎ」という愛称がついていた。
家山付近、橋梁を渡る「しらさぎ」。

観光路線だった北陸鉄道河南線は、国鉄の加賀温泉駅開業に伴い、接続駅である動橋(いぶりばし)、大聖寺(だいしょうじ)の両駅が特急通過駅となってしない、大打撃を受けて廃止されてしまった路線で、この路線のクイーンとして2編成のデラックス電車が活躍していた。
2編成とも大井川にやってきたけれども、6001・6051の編成はカルダン駆動で当時の大井川では昇圧が難しく、電装解除されていたのに対し、6011・6061編成は旧型車の機器を流用した、性能的には旧型車だったために長く大井川で働いた。

511 同じ橋梁をわたるのは旧型17メートル国電で、西武を経てやってきた311・511の編成。
後に2ドアクロス化されるけれど、この頃は3ドアロングのままだった。

311bw その電車の反対側、モノクロで・・
国鉄と西武の両方の香りが感じられる。

510 こちらは名鉄からやってきた名車3800系、310・510の編成。
転換クロスとロングの双方の編成があったが、この編成はロングだったのでは・・
ただし、大井川の車番を与えられたのは最初の一編成だけで、あとの2編成は名鉄の番号のまま。

310bw この編成の反対側、やはりモノクロ。

3512 西武の電車を2ドアクロスに改造して入線した312・512の編成、中間に20メートル級サハ1426を挟んでいた。
好ましい湘南スタイルの2ドア車だが、中間扉を埋めた部分の窓はほかの窓より幅が狭い。
クロスシートは西武レッドアロー初期のものだったと思う。

3312bw この編成を場所を変えて撮影。
今、大井川鉄道では電車の3連運転は見られない。

6011 金谷における6011。

荷物積み込み中。

6061_2 こちらは6061。

Photo その車内、驚くほど軽快、近代的なつくり。
コカ・コーラの自販機が愛嬌。

Photo_2 運転台後方から。
名鉄パノラマを思わせるワイドな眺望が客席から楽しめた。

2922 千頭にて・・
名鉄3822・・上記310と同じ出自だが名鉄番号のままだった。

2922_2 その反対側2922。
名鉄本体にも相当な旧型の名車たちが頑張っていたころ。

脇に上手く使いこなせなかったSE車が見える。

3800 その編成が千頭近くで大井川を渡る。

Photo_3 こちらは上記の6011・6061「しらさぎ」。
陽射しにアルミが映える。
山陽2012編成より1年遅れて登場した。
山陽は川崎車両だがこちらは日本車両。

313 千頭構内の313。
312と同じく西武351系出自だが、こちらは2連だった。

513その編成の反対側、クハ513。

Photo_5 千頭構内の1号機「いずも」
一畑開業時の機関車で、今も新金谷に保管されている。

C11 3両のスハ43系客車を牽引してC11337が橋梁を渡る。

C11_2 SL急行が接近してくる。

C56 昨年、一昨年と大井川を訪問した。
一番の目的は旧型客車の記録だったけれど、特に昨年はじっくり時間もかけて撮影もできた。
千頭付近、橋梁を渡るSL急行、タイから帰国したC56が客車7両を牽引、後ろに電機が補助でつく。

16000 同じ橋梁で近鉄から移籍の16000系・・まさか近鉄特急が大井川で見られるとは思わなかった。

80上記、312編成の中間に挟まれていたサハと、同じ形式のサハを西武から購入、これを原資に展望客車とお座敷客車を作り上げた。
写真がそれ。
マイテ、スロという記号を持つ80系客車。
(客車の80番台は国鉄ではお座敷客車だった)

Photo_4 当時の千頭の駅舎。

大井川鉄道に注文があるとすれば、電車の保守だろうか。
古い名車はSLに負けずと劣らない文化財でもある。
どうか、。窓や座席回りなど保守にもう少し頑張ってもらいたいとは思うのだけど、大量の旧型客車を抜群の状態で走らせてくれるのだから、その注文は贅沢といわれても仕方ないけれど・・

なお、大井川鉄道の客車は「大井川鉄道旧型客車レポート」。

訪問記は電車おやじの平凡な日々から「東方遠征鉄第一日

第二回東方遠征鉄・往路・大井川鉄道篇

2013年8月 1日 (木)

昭和57年、電化直前の伯備線布原あたり。

昭和57年夏に伯備線が電化され、それまで走っていた気動車が電車に置き換わった。
今回はその直前の伯備線の様子で、撮影場所はかのSL時代の「三重連」で有名だった布原信号所あたりだ。

Photo 181系気動車特急「やくも」を俯瞰、渓流沿いを走るキサシ込みの長大編成。

Photo_2 こちらは同じ場所でキハ28系急行「伯耆」。
キロを連結した5連。

Photo_3 西川をわたる181系「やくも」の俯瞰。
いかにも特急列車らしい重厚感。

6 伯備線普通。
キハ40,47、26、28、26と最前部にキユニ17。

472 芸備線普通キハ47の2連。
今もこの当時も、この駅には芸備線列車しか止まらない。
ただ、この当時は信号所であり、市販時刻表には時刻の掲載がなかった。

181 キハ181「やくも」を川べりから。
キハ80系から続く流麗な気動車特急のデザインこそ、国鉄デザインの最高峰ではなかろうか。

Photo_4 「やくも」の食堂車、駆動エンジンを持たない、国鉄気動車では珍しい完全な付随車だった。
「やくも」乗車のたびに、食堂車を利用したものだ。

205 キハ20,26,23,47異系列混成の気動車列車。
これは伯備線の列車だ。

Photo_5 その列車の最後尾はキユニ26。
伯備線普通列車は郵便荷物車を連結していることが多かった。

伯備線特急「やくも」は高速道路に押されながらも健闘していて、いまや当時の倍以上の本数が走る。
けれど、僕にとって気動車特急の伯備線からの撤退は、結局は高砂工場の廃止という道筋につながっているわけで、なんとなく、この当時の僕自身の気持ちが出ているかのような作品群でもある。
なお、伯備線電化後もここに通っていて、その写真は一部は既出したが、また後日・・