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2013年6月16日 (日)

音別の海と列車。

国鉄がJRとなったそのときからまもなく、6月の北海道に僕はいた。
写真業界にいったん道を定めたものの、はて、そこから先に道が見えなくなった・・
人の勧めで本屋に就職したものの、やはりそこは自分の世界ではなく、思い切って何もかも捨てて「きたぐに」の乗客となったのは若き日の思い出である。

行った先は北海道。
根室や釧路を訪ね、そこから札幌へ戻る途中、車窓の景色に心奪われた音別へと下車したものだ。

このあたりの感覚は長崎本線東園を訪れたときと似ているかもしれない。

Photo_4 音別の駅は意外に構内が広く、貨物線もあった。
音別駅の構内の様子。

Photo 列車を迎える駅員氏。

この列車はこのあとに乗車した「狩勝」か・・

Photo_2 跨線橋からの「おおぞら」キハ183系。
通過風景。

Photo_3 去っていく「おおぞら」
国鉄最末期の傑作で、その性能は新時代にふさわしいものだ。

Photo_5 音別の駅舎。
如何にも北海道の・・ローカル駅といった風情だ。

音別はかつて大学もあったらしく、町の作りは若々しく、けれど・・町は賑わってはいなかった。

Photo_6 音別の海岸。
黒っぽい砂浜が延々と続く。
ここで初めてキタキツネと出会った。

Photo_7 巨大なタンポポとフキ。

Photo_8 海岸すぐ傍に線路が敷かれている。

Dd51 DD51重連の貨物列車が太平洋を望み走る。

40 キハ40とキハ22の「ぬさまい」

4022 その連結部。
JRのロゴがまだ新しい。

22 去っていく「ぬさまい」キハ22。

Photo_9 上り、キハ183系特急「おおぞら」がやってきた。
黒っぽい砂浜、茫洋とした海岸風景。

Photo_10 列車の側面。
広大な北海道に似つかわしい雰囲気の特急列車だ。

Photo_11 その列車中間のハイデッカーグリーン車。

Photo_12 去っていく「おおぞら」
キハ183のこのカラーリングはとても似合っていて好きだ。

Photo_13 このあと、根室線経由の急行「狩勝」で札幌へ向かった。
その列車の出入り台。
帯広にて。

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コメント

お久し振りです。
懐かしいですね。
そのころ私は出向で北海道から静岡県へ出向いていました。
その後北海道へ戻り、これらの車両達を整備しましたよ、短い間でしたけど。
今でも車両の臭いが懐かしく感じます。

 私も北海道が好きで毎年避暑を兼ねて訪問しています。
SL亡き後、DF50,DD54を撮影していましたが、それも全廃となり鉄道趣味を卒業して、バイク、クルマに転向しました。
とりわけバイクは風を切って走る爽快感、仲間と走るツーリングが楽しく、独身時代は毎年北海道詣でをしていました。
音別付近もよく通過しました。音別のある太平洋沿岸は夏季は海霧の名所で、あまりの濃霧に驚いたものです。
 道東を旅していると、あちらこちらに“鉄道公園・廃線記念館”があり感慨一入でした。しかし、地元民はなくても困らないとのことでした。
 私が若い頃、飛行機は高嶺の花で手が届きませんでしたが、LCCの普及で気軽に北海道に行けるようになりました。JRだけが世の中から取り残されているようです。

ほろきねぇねさん>

北海道の車輌の、如何にも風説を耐えているその力強さ、検査修繕の現場でも一種独特の雰囲気があったのではないかと・・思います。

l急行鷲羽さん>

僕自身、北海道へはJR化後、何度も行っていますが、いつも航空機利用です。
時間とコストを考えると必然的に航空機になるのは鉄道ファンとして悲しいですね。
新幹線新函館開業という声も聞こえていますが、料金ではもやは航空機にかなわないのではないかと・・思ってしまいます。

 威風堂々としたキハ183系の姿に懐かしさを覚えます。さて本日、梅田駅で購入した『朝日新聞・朝刊』に「特急出火、不安な夏 JR北海道・観光シーズン打撃」という見出しの、ショッキングな記事がのっていました。 記事では「同社は2011年に起きた石勝線の特急脱線炎上事故を受け、10年間で1300億円の投資を盛り込んだ安全基本計画を12年11月にまとめた。その後もトラブルは減らず、同社に責任がある輸送障害は12年度に187件(速報値)と過去20年で最多を記録した。」ということで、こうさまが北海道を訪問なさった1987年、私が初めて北海道に行った1989年当時の方がまだJRの安全が守られていたような印象を受けます。あえて申し上げますと、キハ261系やキハ283系と比べると、キハ183系の方がまだまだ安全だ、と受け取られるのも無理はありません。どうしてこのようになってしまったのか、こうさまなりのお考えを聞かせていただければ、うれしく存じます。

ハイセンマンさん>

今現在、部外者の僕が勝手に言うべきことではないかもしれませんが・・
あえて言わせていただくなら・・
国鉄時代も厳しい自然環境の中で、ほかの地域より早く80系の寿命が尽きてしまったのは間違いがなく,それでも大きな混乱もなく列車を運用できたのは国鉄流の・・予備車を多く持つこと、検査周期を短くすること、いざとなったら急行型で特急を代走するなどという柔軟な発想・・これらがダイヤ維持に大きな力を発揮したのは否めません。

また、国鉄時代には検査部門の人間は車両を熟知していたのに対し、昨今の車両はブラックボックス化が進み、現場の人間では対処できない部分も多いことも要因でしょう。
更にその上の要因として、厳しい自然環境では車両の寿命・・特に高速で突っ走る特急列車の車両に関しては、置き換えのペースを早くすることが根本的な解決に繋がるのではないかと思います。

 お返事、ありがとうございました。私自身は「え、ブラックボックス!?つまり、整備士はおろか運転士や車掌もわからない部分かあるのか」と言うのが精一杯なほどの衝撃です。
 厳しい自然環境で、なおかつすぐ新車を買えるお金もない、というのであれば、検査の周期を他社よりも短めにしたうえで、「ブラックボックス」をなくし、整備士だけでなく、運転士・車掌でも「おかしい」と感じたら修理・報告できるよう改良すべきではないでしょうか。

ハイセンマンさん>

今の車両は基本的にブラックボックス化されている部分が多いです。
特に制御回路などはそうですね。
昔の単純なツクリの車両は今の時代では性能も環境性も到底ついて行けませんから、ある意味ではやむをえない部分であると思うのです。

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