フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 宝殿駅周辺での電気機関車たち。 | メイン | 長崎本線長与支線・・昭和58年3月春の朝 »

2013年5月11日 (土)

山陽電車と国鉄高砂線の加古川橋梁

国鉄山陽本線の加古川橋梁が出てきたついでに、そのずっと南、加古川河口に近い二つの加古川橋梁を見ていただきたいと思う。
山陽電鉄本線と国鉄高砂線の加古川橋梁で、この二つの橋梁はすぐ横に並んで架けられていた。
今回のカテゴリーは「私鉄の思い出」とさせていただくけれど、これは山陽電車のほうが写真が圧倒的に多い・・つまり、列車本数がそれだけ違うことからそうさせていただいた。

撮影は昭和51年ごろからのもの、一部に既出のものがあるがご容赦いただきたいと思う。

Photo まずは加古川の看板。
建設省だったなぁ・・と、ふっと思う。

827 800系、827による普通電車。
旧型車といっても更新車が多かった山陽電車の中で、かくしゃくたる存在感を見せてくれた電車だ。

2001 2000系トップナンバー編成。
山陽電車高性能化の走りで、当初の広窓ロングシート・・激しく形態が変化していく系列の最初はあっさり薄味ということか。

2008 2000系2008。
狭い窓、転換クロス2ドア、登場早々にロングシート化されたクルマで、中間Tは3ドア。

313 300系313。
200系の機器を使った車体更新車だが、車両全長が短く、4連でもほかのクルマの3連分の輸送力しか持たない。

3601 3000系トップナンバー3600。
ちょっと後の撮影で、特急列車、普通列車の15分ヘッド運転がなされたダイヤ改正の看板をつけて走る。
それまでは、日中、特急20分ヘッド、普通10~20分ヘッドで普通のほうが運転本数が多かった。

Dd13614 高砂線DD13614が工場入場車や配給貨車を牽引する。
国鉄部内のためだけの列車。
 
277 カラー写真も少し。
250形277。
250形は当初、800系に似た外観で登場した車体更新車だが、2000系登場後はデザインが変わった。

279 250形279。
一時期の山陽普通車のイメージと言えるシリーズで、雰囲気が如何にも中規模私鉄の主力らしさに満ちていて好きな車両だった。

3606 3000系3606。
非冷房の3連、当時、2000系3000系のカルダン駆動3連車は共通の運用だったように思う。

3611 3000系3611。
これも非冷房、特急の4連だ。
中間に2000系改造の3551を連結している。

3615 3000系3615。
冷房改造がなった編成で、中間には、やはり2000系改造3555を連結、3550形も一部は冷房改造された。

3617 3000系3617。
上り特急、この編成も冷房化されている。
中間に3557を連結。

Photo_2 高砂線貨物列車。
16両ほどの貨車を従え、DD13がゆっくり川を渡る。

Dd13174 その貨物列車の先頭はDD13174。
姫路機関区にいたDLだ。

20 キハ20の2連が川を渡る。
よく見ると、前のクルマは2段上昇アルミ窓、後ろのクルマは上段がHゴム固定のバス窓タイプだ。

Tec0 ふっと、北のほうを見ると、山陽新幹線。
0系ばかりで面白みはなかったけれど・・

279_2 以上は川の西岸からだが、今度は東岸から。
250形279が土手を登ってくる。
早そうに見えるが、この当時、山陽電車には時速50キロの、高砂線には時速45キロの制限がついていた。

3054 3050系3054の特急。
3050系は当時の最新系列。

3060 3050系3060。
なぜか正面の窓押さえが黒のゴムで登場、異彩を放ち人気があった編成だ。

3062 3050系3062。
正面窓押さえは普通のグレーに戻った。

Photo_3 山陽電鉄と国鉄高砂線の橋梁が仲良く並ぶ様子。
キハ30が渡河中。

Photo_4 踏切の標識。
警報機も遮断機もない踏切で、めったにクルマも人も通らない。

35 キハ35のツートン車が土手を登ってくる。
キハ35、ツートンであるだけで、ずいぶんイメージが変わると思う。

3071 その列車の折り返し、キハ30が先頭だ。
こちらは朱色一色。

3000 昭和59年、高砂線が廃止された。

廃線跡となった橋脚を見ながら、3000系がすれ違う。
橋脚上部の補修跡は、台風で橋脚が傷んだときのものだ。

5602 新鋭5000系、新型車のヘッドマークをつけて走る。
5000系の登場は、僕が写真業界に転進した時と同時期であり、そういう意味では思い入れの強い系列でもある。
5000系は高砂線の生きている姿を見ることができなかった。

Photo_5 高砂線橋脚。
この後まもなく、この橋脚も撤去されている。

facebookグループで本ブログのコミュニティを立ち上げました。

http://www.facebook.com/kouzou.iino#!/groups/184824531673237/

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/351371/31513099

山陽電車と国鉄高砂線の加古川橋梁を参照しているブログ:

コメント

こんばんは。
高砂線、現役の姿はついぞ見ることなく、存在を知ったのはつい10年前でした。
橋脚もきれいに撤去されてしまい、当時の面影はあまりありませんね。

加古川橋梁の高砂北口駅寄り、道路をまたぐコンクリート製の立体交差はかなり新しいように記憶していますが、あの上を列車が走ったのは1年ほどだったでしょうか。

一度でも現役で走っている列車を見たかったものです・・・

日常の光景だったので、何にも考えてなかったのですが、DE10ではなく、DD13が走れる路線だったのですねえ。今更ながら高砂線の成り立ちを思い返しました。

こうさん、いつも楽しく拝見させていただきます。
高砂線の貨物列車の写真、まさに高砂線ならではの編成だと思います。
推測ですが、無蓋車は、高砂港駅行き、白帯の配給貨車は高砂工場、ワラやワムは、高砂港、キッコーマン、三菱製紙へ、最後の方には、検査入場のコンテナ車が繋がっているようですね。
以前にも書き込みましたが、この貨物列車、普段は決まった貨車のみでしたが、たまに珍客が繋がっているのを見ると、テンションがあがりました。

これまた、良い写真をアップ頂きました。以前にも投稿しましたが。山陽本線加古川橋梁や宝殿駅界隈が、国鉄車両の写真撮影の、又、今回テーマの山陽電鉄・高砂線の加古川橋梁が山陽や高砂工場入場車の見学スポットでした。
この当時の橋梁西岸は、土手の県道が踏切からアンダーパスに変わったころで今のような金網フェンスも無く、写真も写しやすいアングルで写せたことを思い出します。
JR山陽本線の加古川橋梁も付け替えで写真向けで無くなり、山陽電鉄の加古川橋梁も保線員の退避場所の数が各橋脚に1個づつ付いてにぎやかすぎ、フェンスとのアングルの絡みでこちらも一寸写真向けでは無くなりました。
こうしてみると、昭和の時代は、線路に近付いて危険なのは、近づく人の自己責任で済んでいた。好い意味で大らかな時代だったと認識します。

高砂線は、私も現役当時はついに行くことができませんでしたが、廃止後仕事で高砂周辺へ行く機会が何度かありました。
また、山陽電鉄の尾上の松駅から並行して、加古川を渡って高砂へ向かう廃線跡や旧高砂駅周辺などは、今でも山電の中からも見ることができますね。

このような写真をみていると、一度は行ってみたかったなぁって思いました。

ラジマニさん>

高砂線のみならず、播州地方には鉄道が走っていた痕跡が結構残っています。
明姫幹線の3つの高架橋は国鉄高砂線と別府鉄道野口・土山線のものですし、山陽電車尾上の松東の築堤は高砂線のアンダークロス跡ですね。
みな、使わなかったけれど、まさか廃止になるとは思っていなかった鉄道・・だったのかもしれません。

丘オフローダーさん>

軸重が大きい機関車でも走行できる路線・・
軍工廠への輸送路線でしたね。

旧高砂市民さん>

雑多な貨車に工場入場車のキハや客車それも関西の全形式が集結しますから・・本当に面白い路線でした。


キッコーマン専用線さん>

鉄道ファンの間でも安全への意識が割りにしっかりしていたと思います。
今のどこでも金網や有刺鉄線などで区切られる鉄路よりは人に近かったように思いますが、その柵がなかったことで鉄道が事故の責任を問われる・・やむをえないですね・・
寂しいですが・・

akeyanさん>

昨今の山陽電車はクロスシートが多いので、景色を見るのに便利ですよね。
この地方、まだまだ廃線跡はあるのですが、そういう遺産も、このところどんどん減っていくような感じです。

こんにちは

昔の山陽電車 は素晴らしいですね。
まだ こんないい写真が 世の中に残っていたなんて 感動もんです。

いつか作るであろう模型の資料として 保存させて頂きました。

いい記事をありがとうございました。

東 重千代さん>

山陽電車はこのころのほうがバラエティに富んでいて、楽しかったです。
こちらこそ、ありがとうございます。

コメントを投稿