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2013年3月

2013年3月28日 (木)

阪急伊丹線、920・1100系の頃

阪急伊丹線は神戸本線塚口から北へ延びる支線で、神戸線が伊丹を通過するはずだったのが、距離の関係でやや南を通過したために、伊丹への利便性を図るために神戸本線と同時に開業した路線だ。
距離はわずかに3キロあまり、当初から宝塚への延長も考えられていたようで、路線はまっすぐ・・塚口駅付近の分岐急カーブと終点の伊丹のゆるいカーブがあるだけで、それなりにスピードも出るし、複線で立派なツクリはぱっと見た目には支線には見えない。

今回は昭和54年ごろからの920系・1100系が活躍していた頃の写真を見ていただこうと思う。

945 塚口駅の945。
更新工事が為されたあとだが、原型を保った美しい表情。

947 稲野付近を行く947ほか4連。
鉄道史に残る200PS大出力電車の3M1Tという電気機関車並みの信じられない高出力編成、阪神間25分運転は今の阪急では出来ない芸当だったか。
それにしても、こうして眺めると非常に美しい編成だと思う。

959 稲野に停車する959ほか4連。
モノクロだとかえってこの電車の美しさが際立つように思える。

この頃にはまだ、南海と阪急には美しく手入れされた旧型電車が走っていたのだ。

973 新幹線高架橋をくぐる973ほか4連。
もしも、今こんな電車が走っていたら沿線は鉄道ファンであふれかえりそうだ。

975 伊丹駅で発車を待つ975。
支線の行き止まり駅だが、追い越し機能を持った立派な高架駅だった。
将来の宝塚延長を見据えたもの。

975_2 伊丹駅を外から見る。
ホームには上記の975ほかの編成。

1100 1100系のトップナンバーが稲野付近を快走する。

11002 これも1100ほかの4連。
この系列は初期高性能車で、非常に落ち着いた外観が特徴。
ただ、どうしても2000系以後の車両との外観上の差がありすぎ、この1100は試験的に幌枠を白く、側窓枠をアルミに変更したタイプだ。

1100_2 稲野を出る1100ほか。
個人的には好きな電車で、古臭く見えても全金属製、カルダン駆動、新型台車に、強制通風装置を備えた画期的な電車だった。
乗り心地も良く、旧型電車のような落ち着いた木目プリントの車内は雰囲気が良く、好んで乗車したものだ。

1151973 1151と973がすれ違う。
戦前の最高峰、高度経済成長時代の新世代という鉄道ファン好みの組み合わせ。

1151 稲野に停車する1151ほか。
上記1100編成の反対側のTcだ。

伊丹駅は阪神淡路大震災で完全に倒壊してしまった。
震災後、宝塚延長を一切考慮しない支線としての終点が、改めて建設された。

将来、幹線になるかもしれなかった伊丹線は、あの大震災によって将来的にも支線であり続けることが確定してしまったと言えようか。

2013年3月17日 (日)

宮津線・宮福鉄道・北近畿タンゴ鉄道とタンゴエクスプローラー

   宮津線に通うようになったのはやはり、福知山線が電化され、面白みが減ってからだろうか。
平成に入った年から頻繁に出かけている。
ただ、この路線に神戸から行くのは鉄道ではどうしても大回りを強要され、最初の一回を除いてはいつもクルマで現地まで行ってから撮影なり乗車なりをしていた。
今回はJR化後の宮津線・宮福線と、先だってのダイヤ改正で定期運用が終了した看板列車「タンゴエクスプローラー」を取り上げたい。

287 まずは、まだ宮津線がJRの管轄だった頃の写真から。
由良川の橋梁が好きで、ここでよく撮影した。
まずは急行気動車キハ28系列による7連の長大編成。

287_2 気動車の急行列車をサイドから全景。
キハ28系列と言うのは、どう撮っても絵になるし、日本の風景にベストマッチングの気動車だと思う。

282 キハ28系列の2連普通列車だろうか。
なんともほっとするような光景・・僕らはかつて、こういう鉄道風景を持っていた。

28 急行列車前2両のサイドビュー。
橋の袂付近をアップにして撮影すると如何にも漁港のようなイメージが漂う。
その中を瀟洒な急行列車が行く。

Me100 建設途中だった宮福線は、昭和63年、第三セクター宮福鉄道の手によって開業した。
その宮福線開業当時の写真から。
切通しを行くMF100形気動車。
軽快気動車ながら、新幹線の座席を転用した車内にはずいぶん驚いたものだ。

65 新線開業と同時に走り出したのが週末運行の気動車特急「エーデル丹後」。
福知山まで485系(後のJR西バージョン183系)に併結されて、福知山から単独運行だった。
大江付近にて上り列車か・・

65_2 こちらは後追い、ただし撮影日は別。

Mf200 赤い車体のMF200形。
大江のやや北だろうか。
クラシックモダンを象徴したデザインは他の第三セクターとは一味違う。

Mf200_2 MF200をややソフト気味に・・
こういう撮り方がしたかった頃だ。

Mf100 福知山駅のMF100形。
こちらもソフトフィルター・・

Mf10089 MF100形が山間を走る。

Mf100_2 MF100形、夕方の光線を浴びる。

Ktr001 宮津線開業時にデビューしたのが画期的なハイデッカー気動車KTR001形由良川を渡る

Ktr001_10 大江付近で。
架線柱のない広々とした雰囲気を見ているとかつての大陸の特急列車を思い浮かべると書けば言い過ぎだろうか。

1818 その頃の宮津線由良川橋梁をわたるキハ181系「あさしお」
8連の長大編成は今では考えられない。

Ktr001_2

「タンゴエクスプローラー」をサイドから。

284 やや短くなった編成の急行列車。
キハ28系列。

1815 同じく、やや短くなった特急列車。
5連だ。

28_2 JRから譲渡されたキハ28系を改造して投入したKTR1000・2000形による2連の普通列車

ちょうど、上記写真のキハ28系2連と似たような運用だった。

28_3 KTR1000.・2000を遠望。
銀に塗られた車体が午後の光に反射する。
なお、この系列の第二編成はJR「エーデル」シリーズと同じ前頭形状だった。

Ktr700 KTR700形。
宮福線MF100をサイズアップ、クラシックモダンは引き継ぎながら、新しい感覚を見せた気動車だ。
キロ28に近い印象の側面窓だが、経営には緊密な関係にある阪急の京都線特急の印象も被さってくる。

Ktr001_3 野田川付近を行くタンゴエクスプローラー。
迫力と気品、斬新さを兼ね備えた好デザインだ。

Ktr001_4 タンゴエクスプローラーの車両が、クルマで通りがかった久美浜駅の構内に見えた。
なんとしてもじっくり見たく、駅員さんにお願いすると、気持ちよく写真撮影を許可してくれた。
そのときの写真で、こちらが上り側の前頭部。

Ktr001_5 こちらが下り側前頭部。
といっても、当時の運用ではこの車両は運行毎に車両の向きが変わり、だから・・上り下りどちらに使っても同じになるように設計されていたそうな。

Ktr001_6 下り側先頭部を斜め下から。
非常に美しい流線型は気動車特急の中では白眉ではないか。

Ktr001_7 プラグドア。
細部までこだわったデザイン・・
それが現場で使いやすいかどうかは別の問題でもある。

Ktr001_8 ハイデッカーの中央部分。
北近畿タンゴ鉄道に賭けた地元の想いが伝わってくる。

Ktr001_9 運転室。
流線型車両の特徴である運転室の広さ・・
この気動車もまた例外ではない。

1133 平成8年には宮福線全線と宮津線宮津・天橋立間が電化され、自社の電車は持たぬものの、JRから電車が乗り入れて来るようになった。
3連で運用される113系電車。

485 既出だがこちらは485系「文殊」。

181

そして架線の下を走るキハ181「あさしお」

20110227 北近畿タンゴ鉄道の看板列車だったKTR001は今月のダイヤ改正で定期列車から引退した。
デザインを重視するあまり、使いづらかったとのことで、特にエアコンの効きの悪さと、バリアフリー対応に出来ない完全なハイデッカーデザインは特急列車としては使い勝手が悪かったとの事。
デザインと性能を重視して、乗りやすさを犠牲にした乗用車のスーパーカーと一脈通じるものを感じる。
写真はJR乗り入れから撤退直前、尼崎駅で。

20101227 今のこの鉄道の看板はこの車両。
「タンゴディスカバリー」と呼ばれるKTR8000形で、この写真は本来KTR001の運用の列車を、臨時にKTR8000が代行している様子。
大阪駅で。

183 上記「文殊」廃止直前の様子。

宮福鉄道を引き継いだ北近畿タンゴ鉄道は第三セクター鉄道としては日本一の赤字で知られる。
今後は全線を維持する必要があるのかどうか・・特に兵庫県区間の維持については予断を許さない。
それでも、立て続けに新車を導入し、JRと相互乗り入れをする活発さは他の第三セクター鉄道にはないものかもしれない。

どうか、沿線経済化成果とともに、鉄道事業が発展するよう祈るばかりだ。

Photo 写真は宮福線開業直後のレール。
いったんは挫折しかけた鉄路を地元の熱情が実現へと導いた。

その熱情がこれからのこの鉄道の大きな力になることをし信じて・・

 (なお、私鉄ではありますが、今回取り上げた初期の写真は第三セクター転換前なのでカテゴリーは「JR化後の思い出」とさせていただきます。)

2013年3月 8日 (金)

水間鉄道

本年で開業88年になる老舗の中小私鉄だ。
もともとは水間観音への参拝鉄道として建設されたものの、沿線の都市化に伴い、通勤鉄道へと変貌、さらに、接続する南海本線がJR阪和線の強烈な攻勢に半ば屈する中、阪和線への接続を持たぬこの路線はいまや苦境にあるといえるかもしれない。

さて、今回紹介する写真は昭和54年ごろの撮影。
カラーネガが原版だが、色情報は比較的残っていて、カラーのまま掲載する。

ここに走っていた電車と言えば南海の1201系で、幼少の頃、駅に停車する普通電車にやってきたのを見て、先を急ぐ両親に「普通で行く~~」などと駄々をこねたのが思い返される。

その頃から鉄道ファンへの確かな道筋は持っていたと言うことか・・(苦笑)

1001 既出だが接続駅の南海本線貝塚駅を通過するのは上りの特急。
1001系、座席指定なしの難波行きだ。

(貝塚駅ではないような気もします・・どこの駅か、お分かりの方教えてください)

502 終点、水間には車庫がある。
車庫に憩う502号ほか。
この当時の水間鉄道の車両はずべて南海1201系を譲受したものだった。

504505 504と505だろうか。
二段窓の電車と一段下降窓の電車がつながって走る。

南海1201系は急行用などにも使われた電車で、大型の2001系に比べるとその軽快さがかえって人気のあった名車でもある。戦前の初期型が軽快な二段窓、戦時中・戦後の増備車がなぜか一段下降窓で、ぱっと見た目には年代が逆に感じる。

509 509号。
南海1201系の美しさはこの塗装になっても変わらない。

509_2 509号のサイド。
南海旧型車のがっちりとした出来の良さ・・
いかにも「電車」だ。

508 その反対側508号。
水間周辺も今と比べるとまだ長閑な雰囲気が漂う。

510 510号。
この角度で見ると、旧型電車のファンとしてはたまらない魅力がある。

500 その500形の車内。
一段下降窓のタイプだ。
磨き上げられ、清掃の行き届いた車内は古くはあるが「オンボロ」などではない落ち着いた雰囲気がある。

1234 参考までに、これも既出だが同じ時期の貴志川線電車の様子。
1234号伊太祁曽にて。
上記502号と似た角度で似た写真になっている。
こちらはオリジナルだが、この当時、こういう手入れの行き届いた旧型電車を見ることができた僕らは幸せだったかもしれない。

1002 さて、今の水間鉄道の様子。
車庫に停車する1002号。
一時は過大投資が仇となり、経営危機に瀕したこの鉄道だが、飲食チェーン「グルメ杵屋」の支援で更生手続きが完了し、車両や設備の手入れに取り組んでいる。

Photo 水間観音駅の外観。
駅名は変更されたが見事な駅名看板は今も左書きで「間水」のまま。

10071009 車庫のはずれで1007号と1009号が出会う。
米国バット社との技術提携で生まれた東急7000系出自の電車だが、1007号はオリジナルのバッドスタイル、1009号は運転台取り付け改造タイプ。

553 駅の片隅に今も保存され、手入れされている553号。
上記の510号をクハに改造したものだ。
いまや、南海1201系の美しさをじかに眺められるのは、ここと加悦SL広場だけになってしまった。

252 最後に、当時、車庫の片隅にあった自社発注の新車、250型の廃車体。
まだまだ新しい車両だが、南海1201系導入に際し、廃車されてしまったものだ。