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2013年1月26日 (土)

近江鉄道

  近江鉄道を始めてみたのは名古屋への卒業旅行のときか・・
昭和51年の春、彦根駅で車庫に居並ぶ車両たちを見て、一刻も早く訪問したいと思ったものだ。

それ以後、何度となく訪れているが、神戸からは新快速でいけるとはいえ、その距離は中途半端で、いっそのこと名古屋や金沢へ行くほうがずっと気楽で、その分、どうしても名鉄や福鉄よりも頻度が落ちてしまう。

それでも、昭和51年ごろから55年ごろまでの訪問時の写真を見ていただきたいと思う。

近江鉄道は中小私鉄にしては驚異的な技術力を持った会社で、車両メーカーに頼らず、自分たちが必要な車両は自分たちで工夫して用意してしまう実力を持っている。
大手私鉄の中古車もそのまま使うこともあるが、素材として購入し、それを組み上げ直す名人と言うところか・・

135  当時、彦根に留置されていた引退車両の中で僕が気になったのがこのクルマ。
カラー写真は135号。
窓の大きさからなんとなくそう思える不思議な電車。
実に京浜急行400形を自社で車体長短縮の大改造を施したもので、如何にもローカル私鉄にふさわしい軽快な印象だった。

136こちらは両運転台改造を施した136号。
増設運転台がHゴム支持で印象が変わるほか、車体の三分の一が荷物室になっているようだ。

1208 クハ1208、西武の初期鋼製電車1320形の車体を持っている電車。
この電車の前の電動車は元神姫電鉄(現山陽の一部)1型がそのルーツだ。

5 近江鉄道が自社でさまざまな部品を組み合わせて作り上げた電車群・・
1形5号、彦根にて。
なにやら後ろにつながっている。。

11 その後ろ、モユニ11という郵便荷物車だった。
もと京王の電車で、両運転台であることから郵便荷物車となった由・・
いまだ鉄道の郵便輸送が盛んだった頃の名残か。

131 1形と同じ車体を持つ131号。
場所の記憶がないが太郎坊あたりか・・

132 こちらは春先の132号。
湘南形マスクに似せたデザインを自社で設計製造したのだからまさに驚くべしである。

1 新塗装となった1形タイプ。
番号不明。
場所は高宮か。

1218 クハ1218先頭の1形タイプ。
高宮だろうか。

200 こちらは小田急1600形の車体を持った200形。
小田急1600はあちらこちらの私鉄での再就職を見ることができた。

1202 クハ1202を先頭にした200形。
西武以外にも小田急・京王、京急の電車が見られた当時の近江鉄道には今の同社が持たない魅力があったかも知れない。

502 高度経済成長とともに、近江鉄道が作る電車も2ドアから3ドアへ。
全体にさっぱりした印象になった500形。
502号、撮影場所不明。

1503500形のクハ1503を先頭にした編成。
彦根にて。

5031 彦根を出るその編成の503と、横に並ぶのは1形タイプのチューリップトレイン。
上記の132号の編成だったはずだ。

Photo 当時の彦根構内の様子。
カブトムシのデザイン塗装が為されているのは131号の編成。
ほかにED14や1形電車、貨車なども見える。

1100 岳南電鉄からやってきたのは1100形。
東急5000系の投入により余剰となった両運転台の電車を近江鉄道が譲受し、多賀線などで使った。

1101電気機関車。
ロコ1101。
かの伝説の鉄道会社、阪和電鉄の生き残り。
今もこの鉄道に残る。

Ed4001 ED4001。
英国製の電気機関車で、東武鉄道電化初期のもの。
この当時は近江鉄道で他の電気機関車とともに活躍していた。
今、東武博物館にある。

Ed143 多賀にてED143が貨物列車を牽引する。
当時は全線で貨物輸送が行われていた。
ED14形は国鉄の初期電気機関車で、こちらは米国製。

Ed143_2 ED143のサイド。
十字の窓が一枚健在。

Ed144 多賀におけるED144。
今も彦根に残る。
ED14はJR西日本が梅小路に計画している鉄道博物館にぜひとも入れてほしい貴重な機関車だ。

Ed312 ED312。
国産ごく初期の電気機関車で、元をただせば現飯田線北部の伊那電鉄の機関車。
太郎坊付近をワフを牽引して走る様子。

Ed314dd13 ED314がD340を従えて休んでいる。
彦根にて。
D340は新日鉄八幡からの移籍。

Ed314dd340 跨線橋からの俯瞰。
ED314、D340とほかに・・上述した電車とともに並ぶ褐色・の荷物電車風の車体が気になる。。

Dd451 多賀にいたDD451。

Dd13104 DD13104が貨物列車を牽引。
国鉄から譲渡された機関車。

1_2 長大編成の貨物列車最後尾にワフ1がぶら下がる。

Photo_2 こちらも国鉄貨車の最後尾のワフ。

Photo_4

当時の多賀駅。

日本有数の神社の玄関口とは到底思えない質素な駅舎だった。

Ed144ed142 少しだけ現状を。
今も彦根に残るED14、国鉄の褐色ED144と近江カラーED142。

1101_2 ロコ1101。
貴重な機関車はまだ健在。
これもぜひ、きちんとした形で保存してほしい。

700 西武の電車を大改造して投入。
転換クロス装備の700形電車、日野にて。
わずか一編成の虎の子的存在だが、せめてもう一編成ほしい。

Photo_3今の多賀大社駅。
ずいぶん立派にはなったが、あれだけたくさん走っていた貨物列車は今は存在しない。

Photo_5 昭和51年当時の・・踏切風景。
生活に根ざした地味な電車だけれど、だからこそ、頑張ってほしい・・
中小私鉄経営の見本となって長く生きてほしい鉄道だ。

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コメント

135・6の種車体となる京浜急行初代400形には、電車通学となった昭和40年に廃棄され、数度だけ心して乗った憶えがあります。銘板には昭和22年三井造船玉野製作所とあり、造船所で製作された電車となります。
昭和24年になると運輸省規格型の420形となった為、後にも先にもこの時の10輌だけの不慣れな造船所製電車でした。その為か、痛みが激しく18年で車体は廃棄されました。
その車体をスクラップとして引き取った西武の基準では再用に値したのですから、驚きました。流山にも1輌行きましたが、何故か近江では車体を詰められました。
17.5m車体から扉と窓各1を抜いたのですから、15mにも満たぬ車体に床下機器がよく収まったものです。
私も訪れた時に、ED14ともどもまじまじと眺めたものでした。
HOゲージが模型の主流だった頃、EF58をデフォルメしたEB58が模型店の店頭に飾られていましたが、正にそれを地で行った感じで、現車も模型にしたいキュートさでした。

昨夏行きました。古い電気機関車のある部分を調べたくて。汗だくになってスケール当てて、十分満足。乗車目的ではなかったのですが、彦根駅の跨線橋を渡って、駅前の名物のちゃんぽんを食べに向かったのですが、近江鉄道線乗り場から漂う、鉄と油の混じった、あの懐かしい昔の電車のにおいが・・・
いてもたってもいられず、ちょいと1往復。車体の角を面取りした車と、強烈な釣りかけ車に当たりましたが、どちらも不思議な形のブレーキハンドルで、かつ摩訶不思議なダイヤで、楽しませてもらいました。
機械は、使う人がいて、そして、工夫すればなんとでもなるんだと思い、モノを大切にすることを考えさせられた1日でした。

あづまもぐらさん>

この写真を撮影したときがこの電車の引退後で、なぜかこの鉄道は今も昔も古い車両をしばらくは大事に保管する癖があるようです。

それにしても、窓が大きな小型電車って・・いいですねぇ!!


丘オフローダーさん>

手作りの鉄道会社と言う印象がある鉄道ですね。
ここ数日、西武から101系301系を購入したようですが、さて、どのような姿になって登場するのか、興味津々と言うところです。

近江鉄道の車両のお話の後に余談を添えさせていただきます。
西武マルーンになる前の近江鉄道は木造車が多く、ローカル色が濃厚でした。しかし意気軒昂で、彦根駅には「近鉄のりば」の大看板が建っていて、東海道線のホームや車内からイヤでも眼に入りました。
看板の「近鉄」というのはむろん「近江鉄道」の略称で、近畿日本鉄道とは関係ないのですが、近畿日本鉄道の「近鉄」よりも歴史が古いだけに、堂々と使っていたようです。その読み方は「おうてつ」「きんてつ」と2種類あったようですが、文字通り「きんてつ」と読まれることが多かった記憶があります。近畿日本鉄道が「近鉄」を使い始めたのは戦後すぐの「近鉄百貨店」からで、鉄道路線の方では「近畿日本」「近日」などの略称を駅名などに使っていました(近鉄としなかったのは、近江鉄道の「近鉄」への配慮との説あり)。
昭和30年代半ばのこと、急行「瀬戸」で四国へ向かう途中、乗っていたスハ43形客車が彦根駅では「近鉄のりば」の大看板近くで停車しました。すると近くの席にいた関東の中年男性が「ほほう、これが近鉄かア…」と感嘆の声を上げました。看板の前には近江鉄道のくたびれた木造電車が並んでいました。それと「近鉄」のイメージが結びつかなかったようで、男性はしばらく考え込んでいました。
当時の関東で近鉄といえば、野球の「近鉄」以外は知らない人がほとんどで、近鉄電車の素晴らしさは話に聞くだけで見たこともない人がほとんどを占めていましたから、初めて見た近江鉄道の木造の“近鉄電車”に戸惑い(幻滅?)を感じたのでしょう。当時、私は学生でしたが、さっそく説明を買って出て、この電車は近畿日本鉄道ではなく、近江鉄道の「近鉄」であることを説明してあげたところ、直ちに納得。
今となっては懐かしい思い出の一つです。近江鉄道の「近鉄」という略称表記も姿を消して半世紀を超えました。

こがね丸さん>

近江鉄道には伊賀鉄道と連絡する新線の計画があったそうで、これができていたら、近江と伊勢を結ぶ幹線鉄道になっていたかも知れず、そうすると「近鉄」になっていたかもしれません。

近江鉄道の初期木造車には山陽電鉄から車体を譲ってもらった車両が存在していて、そういえば、かつては同じ宇治川電気系の兄弟会社だったことを思うと、親近感も沸きますね。

それにしても、大近鉄の向こうをはる意気軒昂さ・・
なんともほほえましい風景を想像してしまいます。
ありがとうございました。

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