フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 京阪3000系惜別の春(京阪旧3000系) | メイン | 近江鉄道 »

2013年1月15日 (火)

昭和51年、上野駅と東京駅の列車たち

今でも大阪駅などのホームで群がって列車を撮影する少年ファンを見ると、ついこの間までの自分の姿を見る思いがある。
僕も確かに、駅のホームで列車の撮影をする少年レールファンだった。

今回は昭和51年に上野駅と東京駅で数度にわたって撮影した列車たちだ。
撮影技法もわきまえず、ただ、列車の正面だけを撮ったものが多いがこれまた当時の記録でもある。
うまくない写真ばかり出てくるがご容赦ください。

まずは上野駅から。
当時は181系電車の引退が近い時で、「とき」に残った181系電車を追ったものだ。
「とき」の写真から。

18145 こちらはクハ181-45。
上越線161系がその出自のクルマ。

181101 こちらはクハ181-101。
当初から181系として製造されたクルマ。

181 番号不明な181系「とき」
ヘッドマークがひらがなとローマ字だけという通常のタイプではなく、朱鷲と漢字も小さく入っていたのが印象的だった。

181165 こちらも番号不明。
隣に「佐渡」だろうか・・165系が並ぶ。

181_2 クハ181ボンネットのサイド。
隙間風対策か、シーリング剤の塗布あとが痛ましい。

183 当時のニューフェイスたる183系の「とき」
この当時は3往復ほど、183系で運用されていたと思う。

189 「あさま」は新車189系になったばかり・・

189_2 こちらも新車189系「そよかぜ」

485 「ひばり」485系ボンネットタイプ。

485_2 「ひばり」485系の非貫通型。

なぜに、「ひばり」が東北新幹線で使われなかったのか・・

485_3 貫通型の「やまびこ」

489115 信越線経由の金沢行き「白山」489系ボンネットタイプ。
隣は115系。

489 同じく「白山」非貫通タイプ。

485_4 上越経由の金沢行きは「はくたか」485系ボンネットタイプ。


485_5 「はつかり」485系非貫通タイプ。
隣の気動車急行は非冷房。

481 「あいづ」が485系クロ481を先頭にして到着。

481_2 ヘッドマークの交換作業。

481_3 「ひたち」になって発車準備。

4814 クロ481-4の車番。

583 583系「はくつる」

583485 隣に485系「はつかり」が並ぶ。

583_2 同じく583系の常磐線経由「ゆうづる」

583ef81 その列車の隣には同じ「ゆうづる」の客車タイプ・・牽引はEF80。

Ef80 「ゆうづる」のEF80が並ぶ。

Ef8023 EF8023が「ゆうづる」を牽引して到着。
隣には客車鈍行の荷物客車。

Ef8033ef8023 そのEf8023が後続のEF8033と並ぶ。

22 「ゆうづる」の20系客車。
ナハネフ22。

22_2 「ゆうづる」20系電源車はカニ22だった。

Photo 「ゆうづる」の方向幕。
20系のステータスを感じる。

22_3 こちらは20系客車でも「北陸」

169 「とき」と並んだのは165系「佐渡」あたりか・・

169_2 169系。
「信州」あたりだろうか。

455 交直急行形電車。
455系で、「まつしま」「ばんだい」「ときわ」などでよく見かけた。

455_2 急行電車の「サハシ」
こういうクルマが連結されていたことに国鉄の誇りとステータスを感じる。

58511 キハ58511と読める急行気動車。
屋根の上にはクーラーがない。

山形あたりまで長躯する列車があったはずだ。

415 常磐線415系電車。
正面、幌枠のステンレス磨きだしも眩しいこの当時の新車。

115 115系電車。
こちらも当時の新車で、今、岡山に残る115系なのかもしれない。

Ef65529 ここからは東京駅。
憧れの駅で見たのは主にブルートレインだった。
EF65529が「はやぶさ」を牽引して入線。

Ef65535 「あさかぜ」はEF65535。
後ろには20系客車。

Ef65530 EF65530、「富士」の機回し中。

Ef65511 EF65511「出雲」の客車連結面。

14 「出雲」の14系客車。

Ef65512 「瀬戸」EF65512。

20 「瀬戸」20系客車。

113 そして、横須賀線113系。
スカ色に塗るだけで113系の格が上がったような気になったものだ。

167 こちらは167系。
関西でも見ることができたが、いずれにせよ当時とて見ることがかなり稀なクルマではあった。

自分にもこういう写真を撮影した時代があったこと・・改めて思い出す。
不思議なのはコダック現像所の純正処理ゆえか・・
カラー情報が生きていたこと・・
すでに30年以上前のネガカラーは、その劣化との戦いになってしまっている。

今回は在りし日の国鉄特急はじめ国鉄第一線の列車の姿を思い浮かべていただければと思う。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/351371/30800853

昭和51年、上野駅と東京駅の列車たちを参照しているブログ:

コメント

こんばんは。上から4枚目のクハ181(165系が隣にいるやつ)は、65号車じゃないかと思いますが。

私は行動範囲が狭く、いつも駅撮りばかりだったのでこれらの写真はとても懐かしいです。

上野には48年~50年に毎年二~三回、冬休みや夏休み、或いは5月の祝日に見に行っていました。
横浜線の始発に乗り上野には6時過ぎに到着。
急いで地平ホームに行くと19番線にゆうづる1号、20番線にゆうづる2号と並んで推回待ちしていました。
昼間は一日一回16番線に来るクロの付いた「やまばと」や、一日二回17番線に来る上野口唯一のDC特急「つばさ」を見るのが楽しみでした。
将来常磐線が復旧したなら、記念列車として青森まで「ゆうづる」や「みちのく」を走らせて欲しいと思いますね。

(フィルムのこと)
当時のネガというとコダカラーIIあたりですか。
朝撮ると赤くなるサクラカラーや日陰が青くなるフジカラーに比べ、国鉄色が綺麗でかつ、日陰がちゃんと黒く写るコダックはネガでも優秀なフィルムだと思いました。
ポートレート向けの「ベリカラー」も国鉄色のクリーム色が綺麗で、落ち着いた良い写りでした。

昔のネガですが、後から焼き増しラッシュでデュープをとったものがあり、その中には救われたのもあります。
フジカラーN100時代以前のフィルムにはカーリングしてしまったのもあります。

懐かしい写真ですね。幼い頃を思い出しました。
上越線で帰省していたので、記憶が蘇ります。
4枚目と31枚目の急行電車ですが、長ナノ表記と直江津行きの表示が確認できるので、169系『妙高』だと思われます。
32枚目は東京方から普通車が4両続いているので、新前橋の165系ですね。
いちばん懐かしかったのは34枚目のサハシ。上野口の
急行のサハシは現車は見た事はありますが、残念ながら
営業しているのを見た記憶はありません。
写真のサハシ165-7は、新製から最後まで新潟で生え抜いた数少ない車両です。

昭和51年3月迄の4年間、上野駅を通っていました。
山手線・京浜東北線と常磐線の乗換でしたから、高架フォーム相互間で、櫛形の地平フォーム(天王寺と逆ですね)は殆ど見る事はなく、今にして思えば何と勿体無い事か。
余りにも多数になってしまいはしたものの、151系に始まるボンネット型は、183系のノッペリ顔より私には好ましく思えます。
581系のノッペリ顔は、あの大陸的な大断面車体にこそ映える物と思えます。
まだまだ輸送力が求められていましたから仕方ないとは云え、振り子試験車の前頭デザイン等よかったのにと…。
とき(朱鷺)の赤帯、やまびこのヒゲもノッペリ顔になって廃されてしまいました。
当時のDC急行は、秋田行昼行「おが」と磐城石川行「奥久慈」、その併結相手「ときわ」が思い当たります。
後者はたまにゴゴゴゴゴーと唸り乍ら通過するのを柏駅で見ました。編成丸ごとが本線を高速で唸りを轟かせ乍ら走り去る迫力は、長大編成ディーゼル列車の魅力で、電車では味わえませんでした。
普通客車列車は、高崎・信越線経由直江津行(高崎で分断別列車扱い)1本と常磐線に4~5本の平行とか相馬行とかがありました。何故か常磐線には多数残っていましたが、交流電化区間故にセコハン車の回し様が無かった為でしょうね。
客車列車はディーゼル列車とは対照的に、機関車のダダダダダダと云う重厚な轍の響きに続く軽やかなリズムに、これまた電車にない魅力でした。
この頃、毎日見る特徴ある急行に、上越線廻りの直江津行165系急行「よねやま」と前橋行115系急行「あかぎ1号」なんて云うのもありました。後者は勿論定期列車でした。
東京駅は20系花盛りでしたね。
特に「あさかぜ」は個室寝台とA寝台、食堂車で編成の半分を成していて、貫禄充分でした。「さくら」だけは桃色地のテールサインと洒落ていました。
14系寝台試作車の試用は何故か急行「瀬戸」で為されました。
寝台特急はEF65が占有していましたが、急行はEF58でしたから、たまに61号機が立ち、いつ見てもピカピカに輝いている車体は、素人目にも際立っていたものと思います。

 私もS50年に上野駅、東京駅を訪問しました。当時の上野駅は在来線全盛期のよき時代でした。EF57や珍車の157系も健在で一日中いても退屈しないほどでした。

181系について
181系は、151系→181系および161系→181系の2系統がありますが、151系→181系の方が格上に見えました。クロハ181のように大きな窓を備えた車両は優美で素晴らしく、上信越の181系はヘッドライトも2灯しかなく、貧相な印象でした。
 その後、181系は廃止となりましたが、思いもかけずごく身近で復活しました。
こうさんもご存知でしょうが、川重兵庫工場です。私は業務で同工場をよく訪問します。
0系とクハ181を見ると当時の技術の高さがしのばれます。いつまでも文化遺産として保存してもらいたいものです。(運河の横なので腐食が心配です)

ブルートレインについて
上野駅、東京駅で驚いたのは、ブルートレインがホームに2本並ぶことで、地元大阪では見られないことでした。上野駅では“ゆうづる”が東京駅では“さくら・はやぶさ”が入線し、両列車が並ぶとカニからの轟音が強烈でした。それでも鉄道ファンには騒音と感じず、活気があっていいなくらいに思っていました。
発車の30分前には入線し、看板列車の面目躍如といったところですが、九州行きのブルートレインも全廃になり、ブルートレインも死語になりつつあります。

earlybird さん>

ご教示ありがとうございます!

すずめさん>

常磐線の不通は本当に悲しいですね。
まさに、完全復旧したときにはJR東が保有する485系583系の記念列車を走らせて欲しいです。

コダックはコダカラー2ですね。
今、時間が経てば経つほどにコダックの技術のすごさを実感します。

たいへいさん>

御教示、ありがとうございます。

微妙な編成の違いが列車を表していたのは確かで、僕自身が関西にいたことで、関東の列車群には詳しくなれなかったのが悔やまれます。

あづまもぐらさん>

このDC急行は「蔵王」あたりではなかったかと記憶します。
非常に不確かですが。。。

「とき」の朱鷲の文字、小さな表記がかえっておしゃれでしたね。

客車鈍行、実は一度だけ乗車しています。
123列車、上野発一関行き・・
小山まで行くときに乗車しましたが、当時、一関がどこか判別できず・・
ちょっと不安だったのを覚えています。

東京口の寝台特急はまだまだ満員御礼の頃・・
20系客車を14系に置き換えたときの編成定員の減少が国鉄の大きな悩みの種でした。

L急行鷲羽さん>

川崎重工のクハ151はこのブログで以前に取り上げています。
http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2009/02/post-b79d.html

今、横に新幹線も並んでいますが、塗装の劣化が気になるところです。
JR西日本の新しい鉄道博物館で保存してくれればいいのですが・・

上野駅の「はつかり、はくつる、ゆうづる、やまびこ、白山・・・」いずれも懐かしいですね。1971年か1972年頃に「東京発青森行 はつかり」に乗車した記憶がありますが記憶違いでしょうか。他に583の常磐線経由上野~青森の「みちのく」も乗車した記憶があります。
東北上越新幹線の東京発着で、上野駅は既にかなり変わっていますが、在来線東京駅乗り入れ工事が完成して東北・高崎・常磐線の始発が東京駅になると、上野駅はただの通過駅になってしまいます。

国鉄20面相さん>

一時的に東北線特急を東京駅へ乗入れさせていたことがありますね。
上野駅の地位の相対的低下は、逆に今も屹立している新宿駅との差を感じてしまいます。
大阪で言えば天王寺駅や上本町駅、天満橋駅と言ったかつてのターミナル駅の地位低下の、そのずっと大きな出来事ですね。

こんにちは。
今日も貴重なお写真、楽しく拝見させて頂きました。
上野駅も東京駅も、長距離を旅する旅客と列車が集まりごった返して、独特の高揚感のようなものがあったのではないかと思います。
数々の列車が、どれも風格を感じさせてくれます。その当時にカメラを持って駅に行くことができたならば、一日中シャッターを切っていたのではないかと思います。
当時にして新しい世代の車両も増えて来ていたのだと思いますが、まだ前の時代の古い客車も残っていて、その雑多な様子に、ますます惹きつけられます。
新幹線にも同じような旅情があっても良いように思いますが、システマチック過ぎて、なかなか情感の揺れ動く余地がないのかもしれません。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

風旅記さん>

いつもありがとうございます。
本ブログは、今月末でプロバイダーにより廃止されます。今後は新ブログのほうへお願いいたします。

上野駅、東京駅には旅のかおりが充満していましたね。
それも、今の新幹線のような明るく軽いものではなく、なんとなく大きなところへ立ち向かうような、あの旅の空気が大好きでした。

コメントを投稿