フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 宝殿駅 留置車両と列車たち | メイン | 昭和51年、上野駅と東京駅の列車たち »

2013年1月11日 (金)

京阪3000系惜別の春(京阪旧3000系)

いよいよ京阪電鉄から「旧3000系」の引退が本年3月一杯までと正式に発表された。

(通常運行は3月10日まで、その後は惜別の臨時運行)
関西の鉄道にあって、かつてサービスとスピードで競争を繰り広げた名車3車種のうち、ついにその一角がここで綻びることになったわけだ。
関西鉄道の名車3車種とは、登場順に京阪3000系、阪急6300系、国鉄117系だ。

いずれも2ドア転換クロスで、主要都市間を当初ノンストップで結び、大いに快適性を競ったサルーンカーのような存在だった。

さて、京阪電鉄による表現「旧3000系」とは、正確には3000の形式称号を持った電車がかつて、事業用の貨物電車として存在したからで、「初代3000系」という呼び方は決して正しくない。(なお、当該貨物電車は3000形であり、系列としての3000系は特急車である3000系が初代である)
それでも、利用者やファンにとって、1900系の次の特急車両といえば3000系であり、一般的には部内の貨物電車の形式は念頭にないのが普通だろうから、僕自身もあえて初代3000系という呼び方をしてきた。

本稿では新型「コンフォートサルーン」を標榜する系列を「新3000系」、本稿の主役の特急専用車を「3000系」もしくは「3000系特急車」と区別して表示することにする。
なお、3000系特急車については「京阪電鉄・初代3000系」で取り上げているのでそちらの記事も参考にしていただきたい。

思えば、昭和48年、祖母に連れられて、祖父の墓を詣でたときに始めて出会ったこの車両は、その最初の印象が強烈で以後、強く僕の心に染み込んだのだ。
上品でシンプルな正面デザイン、ずらりと並んだ2段窓、ゆったりした座席は国鉄グリーン車のようなストライプ模様の入った段織りで、カーテンは印象的な濃紺(京染めといわれていた)もちろん、冷房がついているけれど、びっくりしたのは乗車した電車についていたカラーテレビ・・
世の中にここまで豪華な電車があるのかと感嘆した少年時代の、一気にその思いが憧憬に変わっていった電車なのだ。

3012 前置きはこのくらいにして昭和52年頃からの写真を少し。
地上時代の七条駅に停車する3012ほか。
この車両はどこへも譲渡されず廃車されている。

3515 七条駅を出て大阪方面へ向かう3515ほか。
今も富山で活躍する車両だ。

3515_2 その3515が鴨川べりを行く。
京阪に乗る楽しみの一つが鴨川の景色だった。

35016 淀におけるトップナンバー3501。
京阪3000系は3連もしくは4連が基本で、大半の列車がこれを組み合わせた6連・7連で運用されていた。
そのうち、京都寄り3500形がテレビカーで、一列車に2両のテレビカーが連結されていた。

3000 3000系の編成連結部。
白地に赤文字・斜体の「特急」が懐かしい。

3000_2 3000系特急車の車内。
白い枕カバーが清潔感を漂わしていた。

5002 ついでに、この当時の京阪電鉄の主力車両たちを・・
まずは豪華な3000系に対し、通勤用最強の5ドア電車、5000系が淀付近を行く様子。
まだ正面の行き先表示器は設置されておらず、大型の急行板を掲げて走る。

1005 こちらは1000系。
今も全車両が健在の主力車両のひとつだが、旧型電車1000形や60形などがその出自だった面影はまったくなくなってしまった。

1807 1800系。
3000系の二世代前の特急車だ。
中間にドアをつけて通勤輸送に徹していた。

1915 1900系元特急車。
1900系には新車で登場したグループと、1800系の改良型1810系から編入したグループがあって、これが新車で登場したタイプ。
3000系の前の特急車だが、新車で登場したグループが特急運用についていたのはほんの数年か・・

1926 3000系全盛時にあっても、1900系は正月輸送などには特急用に返り咲いた。
乗り心地が良いことがその理由らしいが、当時すでに2400系までのシリーズも完成していたから、このあたり・・1900系を臨時運用の特急に持ってくることなどは京阪の京阪たるところかもしれない。
写真は七条における1926ほかで、格下げ後の臨時特急運用、先頭車は元両運転台で窓の数の理由から増設扉が両開き式。

1910 こちらは淀における1810系からの編入車1910ほかによる臨時特急運用。
クラシカルな外観だが、当時最新の高性能車で、だからこそ、かえってステータスを感じさせる。
このあたり、阪急1010・1300系グループと一脈通じるものがあるかもしれない。

30003008 さて、ごく最近の様子から。
大井川鉄道に譲渡されたのはMcTc1編成だ。
番号は京阪時代のままの3006を名乗るが、台車は営団地下鉄のもの。

30001 その車内。
座席モケットは張り替えられているが雰囲気は京阪時代のままだ。

30002 京阪3000系の大きな特徴のひとつに、千代紙をちりばめたような粋な妻面化粧板の存在があった。
本家では消滅していたが、大井川では健在だった。

3000_3 こちらは富山地方鉄道に移籍した車両で10037を名乗る。
元の3004で、富山地方鉄道生え抜きの14761と並んだ。

3000_4 こちらは京阪特急カラーに復元された10033。
京阪時代の名前は3018。
台車は営団地下鉄または国鉄の物を流用している。

3000_5 稲荷町を行く京阪カラーの10034。
テレビカーの文字も復元されたがテレビのあった場所には現在、運賃表示器が設置され、テレビは妻部にて復活している模様。

3000_6 富山地方鉄道移籍車の車内妻面。
ここでも、妻面の粋な模様は健在だ。

3000_7 その座席。
座席生地は張替えがなされているが、肘掛部は従前のまま。
この部分に京阪特急の面影が残る。

なお、窓下、化粧板にふたをしているように見える箇所はかつてのスピーカー跡。

30008081 新3000系の登場を前に、8030番台に改名されたときの3000系特急車。
正面デザインが変わり、8000系に混じって孤軍奮闘する様子が健気だった。

30003505 引退を前に正面のデザインがかつてを思い返す「クラシック」となった3000系特急車。
やはりこの電車は3000の数字が似合う。

30003006 夕方の太陽光を浴びて快走する復元3006ほか。
端整で落ち着いた表情、私鉄特急車らしい軽快でありながらも、プライドを見せてくれる表情。

3000_8 今現在の車内。
座席は8000と同じものに変更されたが、今では8000が新デザインのものに変更されたので、かえってこの車両だけの雰囲気ともなってしまった。
化粧板も張り替えられ、妻面の粋な模様は姿を消した。

3000_9 窓構造。
固定下段の上に単純開閉の上段が乗っかる構造。
それゆえに二段窓車とは思えぬほどに窓構造が「薄い」。カーテン溝にはワイヤーが仕込まれ、フリーストップだ。

3000_10 テレビカーの様子。
当初は運転台上部に設置されていたため、テレビの調整も車掌台で行なえたが、中間に改めて設定されたテレビカーでは調整室が必要になった。

3000_11 中間のダブルデッカーは京阪自社の改造工事で誕生したが、その側面には時代祭りの絵が描かれていた。
写真は最後尾の前田玄以の様子。

3000_12 ダブルデッカー二階席の様子。
背もたれが低く、眺望の妨げにならぬ工夫がなされている。

3000_13 ダブルデッカー一階席の様子。
幅広の固定座席が集団離反形に設置されているが、座席は非常に立派なツクリだ。

3000_14 淀屋橋駅における3000系特急車。
最後まで特急として使命を果たすことができるこの電車は、限りなく幸せな電車といえるのかもしれない。

3000_15 側面の様子。
丸みを帯びた窓にシンプルな行き先・種別表示。

30002200 最後に冬枯れの淀で2200系と離合した3000系特急車。
まもなく見納めの3000系が最後まで無事故で、できるだけ多くの方々の声援を受けられんことを心より願う。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/351371/30776427

京阪3000系惜別の春(京阪旧3000系)を参照しているブログ:

コメント

 後継の8000系があまりに良くて、3000系の引退が若干早まった感があったのは不幸だったかもしれません。
 ただ、阪急6300系と同じで、小改造はされても3ドア化されたりしなかったのは、幸せでしょう。
 正直京阪で3000系に乗る機会は、あまりありませんでした。
 ある程度大阪へ頻繁に通えるようになった頃には、もう8000系の天下でしたから。
 富山地鉄でも乗った事はあります。大井川はまだないな…。
 3000系そのものに関係なくなってしまいますが、3000→8030番台への改番は、随分ムチャしたなーと思いました。
 4000番台が丸まる空いていたにも関わらず、中之島線快速急行車を3000番台にして、旧特急車を強引に8000系グループに入れた訳だから。
 私鉄は、「4000」ってキライなんでしょうかね。
 大手で4000系が走っているのは西武・小田急(2代あった)・名鉄だけで、東急は今4000番台が走っているけれど(あくまで5000系)、過去には3000→5000と、2回も飛ばしていました。
 忌番という考えかもしれないが、今の各社の4000系は皆、何事もなく普通に走れているからそれは違うだろう、イメージ的に中途半端に見えるのかも知れません。
 ラストで旧番号を復刻しているのは、やってくれますねぇ。
(右下の隅っこに、本当に小さく今の番号が書いてある)
 このツートンカラーも、あと石山坂本線の600系だけになってしまうのか…。

菊池 正人さん>

8000系は非常に贅沢な電車ですね。
決して嫌いではなく、非常に好きなほうの部類に入る電車です。

私鉄が「4」を忌み番として嫌うのはわかる気もしますが、国鉄ならスハフ42とか、クモハ42があったくらいで、まったく無頓着なのが面白いですね。

京阪が新車に3000と命名したのは、旧3000系の華やかさにあやかりたい思いがあってのことだと思います。
それと、旧3000系はリニューアルで性能的にも8000系と同一になっていましたし。
でも・・僕はやはり3000系はあの、カーマインレッドとシルキーオレンジの3000系だけしかないと・・思ってしまうのです。

 3000系懐かしい。昭和50年代、関目に住んでいた小学生の私。たまに電車に乗っても600系、1300系、1700系の普通で淀屋橋へ行くだけ。2000系ならラッキーという状況下、複々線を快走する2400系や5000系は憧れでした。そして3000系は別格の輝きで羨望のまなざしでした。
 どうしても3000系に乗りたくて、淀屋橋から京橋まで乗って、そこから普通に乗り換えたりはしてましたが、乗っただけで走りを体験していないので面白くありません。
 6年生の時、京都へ弟と2人で旅行することが許可され、3000系に乗るべく京橋へ。当然、テレビカーを選択。関目駅を通過する時 うれしかったなぁ。

たてやんさん>

初めて、祖母に連れられて3000系特急に乗ったときは驚きでした。
こんな豪華な電車が日本にあるのか、大袈裟ではなくそう思ったものです。

あの頃の輝いていた3000系、よい時代でしたね。

コメントを投稿