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2012年11月

2012年11月30日 (金)

加古川線の写真

加古川線については以前の記事「加古川線の旅」をご覧ください。
北条線三木線高砂線も、またキハユニ15についても過去ログをご覧ください。

今回は昭和52年から60年までの加古川線、鍛冶屋線の様子。

15 加古川駅に停車中の列車は最後尾にキハユニ15を連結していて、荷物の積み込みが行われている。

5 神野・厄神間を行く加古川線気動車では長大編成、5連の輸送力列車、しかも、5両中、4両がキハ35、キハ30で占められる。

5_2 その列車が接近する。

20 今度はキハ20形2連の列車が反対方向からやってくる。

20 その列車の後姿。

昭和50年ごろからすでに加古川線の南部区間では日中、30分ヘッドでの運転が行われていた。

Photo_2 厄神と市場の間、夕日を眺めながら加古川橋梁を4連の列車が渡る。
夕日が南に沈むように見えるが、実はこの方向が西だ。

20_2 その少し先、加古川線屈指の絶景区間をキハ20の列車が行く。

35 同じ区間のキハ35。
今はこの真上に高速道路が通過する場所である。

Photo_3 ついでに、対岸を行く神姫バス。
加古川発神野経由小野行きだろうか・・
ローカルバスの風情もまた捨てがたい。

23 粟生より北側だと思う。
キハ23とキハ30の2連。

20_3 野村駅のキハ20。

20_4 同じく野村駅のキハ20の通学列車。
学生がキハ35よりキハ20を選んでいる様子が見て取れる。

15_2 野村駅に停車するキハユニ15のサイド。

Photo_4 駅員さんが列車を見送る様子。
こういう風景を見ると幹線かと・・思ってしまう。

20 下り方腕木式信号機と発車するキハ20ほか。

Photo_5 野村駅構内の様子。
まっすぐ進めば西脇から鍛冶屋、先で急カーブで曲がれば谷川方面だ。
ちょうどキハ20が西脇方面へ去っていく。

Photo_6 野村駅の駅舎。

37 野村駅に停車する新鋭、キハ37。
この気動車のクロスシートバージョン、2連を背中合わせにくっつけた本来の設計のものが見たかった。

20_5 停車するキハ20を跨線橋から俯瞰。

23_2 野村と西脇の間の区間、前後にキハ23、真ん中にキハ20の珍しい3両編成。

Photo_7 中村町の駅舎。

20_6 中村町に入るキハ20。

15_3 鍛冶屋駅に停車して発車を待つキハユニ15を先頭にした列車。

15_4 キハユニ15の荷物積み込み風景。

30 その列車が発車していく。
最後尾はキハ30。

20_7 代わってキハ20の2連が入線する。
加古川線の列車の大半は加古川と鍛冶屋線西脇、もしくは鍛冶屋を結んでいた。
沿線最大の拠点である西脇を失った加古川線が今に生きるのは僕には奇跡のように思える。

Photo_8 こちらは比延の駅舎。
野村と谷川の間の区間は、加古川線系4線区の中で、最も運転本数が少なかった。

125 今の様子。
野村駅が改称した「西脇市」駅に入る125形のワンマン電車。
電化工事完成で、103系主体ながらも、一部、新型電車が投入されたが、気動車時代の長大編成は今では望むべくもない。

103 谷川駅に停車する103系電車。
きちんとリニューアルされ、中古車であることを感じさせない良質の電車になっている。

2012年11月20日 (火)

南海高野線ズームカー21001,22001系の頃

昭和54年に高野線の一部複線化完成、昭和58年新型特急「こうや」30000系登場。
その頃の高野線紀見峠付近でのネガフィルムが出てきた。

ネガフィルムであるから色調の劣化著しかったが、かなりの画像処理工程を経て幾分、見られるようになった。
今回はその写真をご覧いただきたいと思う。

高野線ズームカーといえば、特急・急行用車両の一群で、50パーミルの急勾配と平野部での時速100キロの高速運転を両立できる電車だ。

20001 まず既出だが初代「こうや」20001系。

デラックスズームカーという位置づけ。
撮影場所は大和川橋梁。
一編成しかなく、僕が子供の頃には南海で唯一のデラックス電車だった。

22001 同じ場所で急行用21001系。
ずらりとクーラーが並ぶほか、4両編成に4つのパンタグラフ、オールMで重厚な床下機器配置、貫通型の正面・・いかにも電車ファンの好む形態だ。

11001 こちらは参考までにズームカー21001系と同世代の南海本線1001系(旧11001系)・・これも既出だが箱作付近での撮影。
僕はこの電車のデザインは湘南マスクを採用した最高傑作ではないかと思っている。
一座席にひとつの小窓、屋根の張り上げが高く、それによって長く見える車体は如何にも中距離を行く電車という印象がある。

11001_2 海岸を行く「四国号」1001系。
今も海の車窓風景が楽しめる区間だ。

30000 ここから紀見峠での撮影。
まずは30000系「こうや」号。
この系列は2編成建造され、こうや号もこれでようやく通年運行になった。
今も高野線の看板電車として華やかな存在だ。

3000121001 「こうや」号とすれ違う21001系急行。
まだまだこの系列が高野線急行の主役だった。

21001 高野山を目指す急行、21001系。
17メートル4両編成は河内長野以北では輸送力不足気味だった。

22001_2 橋梁をわたる21001系。

21001_2 そのサイドビュー。
南海本線11001系と比すると、同じイメージながら車体が短いこと、屋根が浅いことで少しスマートさには欠ける。

21001_3 新線区間を行く21001系。

22001_3 その後追い。

22001_4 こちらは当初増結用として登場した22001系、2両編成だった。

22001_5 それの後追い。
幌がついた正面はこの電車のプロポーションの良さを更に引き立たせてくれる。

22001_6 橋梁を渡るサイドビュー。
この時代の通勤車7101系と同じ窓、同じ扉、同じクーラー・・
2扉にすると、こんなにもプロポーションの良い電車になる。
それとやはり、南海急行用は緑濃淡、それも細いラインの塗りわけが秀逸。

22001_7 紀見峠駅だろうか・・
入線する急行22001系。

後に、この2系列は新型ズームカー、2000系に置き換えられ、21001系は廃車された後、他社へ譲渡された。
22001系のほうは支線区への転用改造が行われ、今も高師浜、多奈川、汐見橋の各支線で活躍するほか、貴志川線が南海の手を離れ和歌山電鉄となった今も、同線で活躍している。

3000 こちらは一畑電車の3000系となった21001系、南海時代の塗装に復元され、大阪湾ならぬ宍道湖畔を眺めながら走っている。

21001_4 こちらは大井川鉄道の21001系、トップの2編成がクロスシートのまま譲渡され、今も活躍する。
山間部の雰囲気はまさに南海高野線時代を髣髴とさせる。

21001_5 今に残る昭和30年代の南海急行用電車の室内。
こちらは大井川鉄道のクロスシート車。
ワンマン機器はもちろん、南海時代にはなかったものだ。
天井中央のカバーつき蛍光灯、窓上部の読書灯、湾曲した出入口仕切りも健在。

21001_6 その座席。
11001系在りし日をしのばせる南海の上質な座席である。
窓はバランサー付の下降窓、窓側に肘掛がなく、窓框がやや高く、肘を掛けるには適していない。

21001_7 こちらは一畑電車に残るロングシート車の車内。
登場当時は非冷房だったが、冷房改造の際に天井中央の蛍光灯はダクト下に移設され、イメージを壊さなかった。

2202 高野線急行を追われた22001系、今の2200系の汐見橋支線での様子。
場所は現代の奇跡、木津川駅。

2201 その車内。
座席生地の色合いは変わったけれど、ほぼ原型のまま。
蛍光灯はむき出し2列で、ごく普通の通勤電車となった。

Photo 和歌山電鉄で走る「おもちゃ電車」
元が22001系とは思えないデザインの良さは、この系列の基礎がしっかりしている証拠ではないだろうか。

(なお、本文では7101系、6101系までの南海電車については当時の形式である末尾に1のついた表記を、30000系以降の系列については他社並みに0を末尾にした系列を表記しています)

2012年11月11日 (日)

富山の国鉄→JR

富山は関西から近いといえず、さりとて遠いといえず・・かつて夜行急行「立山」のあった頃はなんとか撮影に出かけられたのだけれど、「立山」廃止後は「きたぐに」に乗って直江津折り返しという技でも使わないと撮影旅行にはいけない場所でもあった。

その「きたぐに」が廃止(多客時の季節運転はあるが)になった今、足が遠のいてしまうところではあるが、今夏、青春18切符の旅の途中に一瞬だけ立ち寄ることができた。
さて、今回、紹介する写真には既出のものがあるが、原版からのスキャンもやり直していて、掲載にはご了解をいただければと思う。

さて、富山の鉄道といえば、僕には忘れられない映像がある。
かつて、TBSドラマで「木下恵介アワー」というのがあったけれど、その中で大ヒットした「それぞれの秋」の次の作品だったと思う。
「冬の貝殻」という作品があって、主演は松坂恵子か・・

氷見線雨晴の厳しい冬の情景をこれでもかと織り込んだ作品で、これを見たのはまだ僕が小学校高学年くらいか・・
男と女のどろどろした人間模様は当時理解できるはずもなかったが、この作品が僕の人生観のある意味で一部になった感がある。

その雨晴駅には昭和61年ごろだったか・・行った記憶がある。
Photo 写真は雨晴駅舎全景。
箱のような、不思議な感じの駅舎だった。

Photo_2 駅舎のアップ。

Photo_3 駅構内の様子。
訪問時は夕方の時間帯だったか・・

23 海岸を行くキハ45。
モノクロでわかりにくいが当時のこの路線カラーだったように思う。

Photo_4 腕木式信号機と海岸、それにキハ45。
ドラマの印象が強く、このような切り詰めた露出で撮影したのだろうか。

Photo_5 さらに切り詰めた露出で海岸際に立つ信号機。
この撮影以後、いまだにこの路線の再訪ができていない。
北陸新幹線開業時にはJR西日本が運営を撤退したいと考えているとの報道もあり、ぜひ、じっくり再訪したいところではある。
なお、TBSドラマ「冬の貝殻」は今現在では鑑賞することも叶わず、こういった名品をなんとか保存し、鑑賞できる措置をとってくれないかとも思う。

28 こちらは富山ではないが今の西日本管内、金沢鉄道管理局最東端の大糸線平岩での撮影。
キハ28が写っているがもしかしたら、このうちの1両は最近、いすみ鉄道に引き取られたクルマではないだろうか。

419 魚津駅における581系改造419系の様子。
車体カラーは赤だった。

419_2 その419系の車内。
昨年まで走っていた電車だが、改造当時の姿。

40 富山港線クモハ40。
城川原にて停車した72系電車の窓から撮影。
こちらは幌のついているほう。
正面窓がHゴム化されている。

402 こちらは幌のないほう。

419_3 常願寺川における419系。
JR化直後の姿。

485 同じ場所で485系「かがやき」
長岡と金沢を結ぶ速達列車だった。

475 475系だろうか、急行形電車。

419_4 419系の特急顔バージョン。
この電車がこの撮影時期よりさらに四半世紀も生きたことに改めて驚愕の思いもある。

413 413系6連、国鉄が最終期に投入した車体更新車でこの地域にあっては521系登場まで最新の座を保ち続けた電車でもある。

419_5 小杉あたりか・・
419系電車が緑濃い夏の田園を快走する。

Photo_6 ここからは倶利伽羅。
撮影時期はJR化直前と直後の2回だ。
走り始めたばかりの「トワイライトエクスプレス」
なぜにソフトフィルターを掛けたのか・・・今もって自分の真意が不明。。

14 「日本海」バックの14系。

485_2 霧をついて走ってきたのは489系信越経由の「白山」

82 キハ82を最後まで定期列車で使ったのはJR東海で、倶利伽羅峠でも金沢へも乗り入れていた「ひだ」を見ることができた。
金沢から富山を経て名古屋を目指す。

475_2 急行形電車がヘッドマークを白にして走っていく。
当時、未だ旧型客車の普通が幅を利かせていて、電車による普通列車が珍しかった頃。

485_3 富山地方鉄道中村駅だったか・・その近傍で撮影した国鉄列車。
クハ481非貫通型を先頭にした「雷鳥」

Ef817 EF817による客車列車。
よくみると軽量客車ナハ10が編成の中心だ。

33 その客車列車の後尾。
最後尾にオハフ33戦後型がつながっているが、ほかの客車は軽量客車だ。

413_2 この夏、一瞬の再訪時の様子。
国鉄最末期近郊型電車たる413系・・場所は新幹線工事中の富山仮設駅。

521 そして最新鋭、521系。
ここでようやく北陸線は国鉄の香りを脱してJR西日本の色になったようにも思える。

なお、富山の鉄道については最近も別の記事で取り上げているのでそちらもご参照いただければと思う。
LRT化への道、富山の鉄道

2012年11月 2日 (金)

山陽電鉄網干線

山陽電鉄は一部鉄道愛好家には未成線の多いことで知られていて、僕が今もその痕跡を記録し続ける「神明急行線」とともに、岡山への延長を目指して本気で取り組んだ路線の一部が今に残る網干線だ。
なお、神明急行線の一部区間は現在線の明石市内大蔵谷・明石間として存在するほか、その神戸市内中心部の免許は神戸高速に譲渡されて実現している。

網干線は当初、今の相生までの開業を目指したそうだが、結局は工業化の著しい網干までの着工となり、戦時に開業、その後、延長されることなく今に至っている。

54 飾磨駅は今も昔の網干線の分岐駅だが、昭和50年代前半における飾磨駅の様子。
山陽電鉄本線に両側を挟まれた2線の折り返し線が網干線だ。
地図では飾磨で急に北へ進路を取る本線に対し、網干線はそのまま西へ向かい、格好としてはこちらがメインのように見える路線でもある。

54_2 飾磨駅の下り出発信号機の付近。
発車するのは下り姫路行きの3050形特急。

272 飾磨駅に入線するのは272を先頭にした網干線本線直通の姫路行き。
この当時、本線は20分ヘッドで、同じ20分ヘッドの網干線電車が飾磨・姫路間を乗り入れることでこの区間10分ヘッドを実現していた。

54287 網干駅近くの287ほか。
3連の電車は当時、どの系列でも網干線に入線した。

287 その電車のアップ。
今の網干線は車両的には面白みが少ないが、せめてこういう電車が走ってくれたらと思うのは鉄道ファンの身勝手か・・

301654 この当時から走り続けるのが3000系や3200形の3連。

写真は3016のサイド、非冷房だった当時を思い返してしまう。

54_3 この当時の網干駅の様子。
ここから先、那波町(今の相生市中心部)まで実際にある程度は用地買収も行われたが、建設された駅舎は純然たる終端駅のものだった。
櫛形のホームがこの駅舎に突き刺さる。

62 ここからは昭和62年当時の様子。
網干駅舎。
その全景。
上記の写真と7~8年の差があるが、イメージ的にはさほど変わっていない。

62_2 駅舎のアップ。
重厚な・・如何にも歴史ある鉄道の駅というイメージがある。

623018 発車を待つのは3018ほか3連。
後に3200形の仲間入りをした編成だ。
大きな楠木が印象的。

302462 この頃の飾磨駅。
前述の写真と同じ雰囲気だ。
ただ、電車の塗装が変更されたそのごく初期のもの。
この編成3024Fは塗装変更の一本目か二本目ではないだろうか。
僕自身はこの電車ではじめてこの塗装を知って驚愕したものだ。

623202 コンクリート造りの橋梁を3202Fが渡る。
網干線は戦時の設計、建設であり、鉄材不足の頃・・こうして橋梁にもコンクリートが使われたのだろうか。

823621 その編成がクハ3621を先頭に網干へ向かう。
山陽電車の塗装に関して、特に3000系シリーズには旧塗装が似合うと思って仕方がない。

62_3 網干駅近くの軌道の様子。
網干線は最初から複線分の用地を確保していた。
架線柱は木材だろうか。

302462_2 平松における3024F。
この編成はいったん2000系改造の3550形を組み込んで4連化された。
この当時、まだ3557号を組み込んでいたはずで、この写真は車両検査の合間なのか・・
こういうことは後になればなるほど不思議に思えるものだ。

6230165008 この当時の時代を知るために、同じネガから出てきた一枚・・大塩駅における5008と3018。

5000系はもともとは空いている普通電車へのサービスとしてクロスシートで登場、いまや梅田にも顔を出し直通特急の主力であるのはご存知の通り。

Photo さて、今の様子も少し。
飾磨駅の今の様子。
網干線の折り返し線は1線となり、本線上下どちらからでも乗換えがしやすい構造になっている。

Photo_2 飾磨駅入線時に電車の助手席側から撮影した構内の様子。
立派な橋上駅となり、網干線は1線化された。
行き止まりの正面には今も「山陽そば」が盛業中だ。

横を同時に進入するのは阪神8000系・・このあたりも時代を感じる。

Photo_3 網干駅の今の様子。
山陽電鉄では駅舎の改築が進み、ここ網干も今様の駅舎に改築されている。

3620 ワンマン化された3200形トップナンバーがコンクリート橋梁を渡る。
山陽電鉄では全駅がICカード対応で自動化されていて、ワンマンといえど、運転士の負担が大きくならないようになっている。

3202 網干駅の近くを行く四半世紀前と同じ3202号。

Photo_4 今現在の軌道敷の様子。
複線分の用地は今もそのまま空き地として残る。
せめて、室津あたりまで路線が延びていれば、新舞子海岸、室津梅林への直通座席指定特急も走ったかもしれない。
(室津梅林への神姫バス接続臨時特急は過去に春先に走ったことは何度かあるのだが)

思えば、幹線になるはずが中途半端に終わってしまい、地域輸送に徹さざるを得なくなったのが山陽電鉄の網干線といえなくもない。
だが、肝心の重化学工業も昨今はその沈滞が著しく、高度経済成長など夢のまた夢・・
今の網干線を見るとそう思ってしまう。