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2012年10月

2012年10月21日 (日)

153系から後継へ

  別の写真を探していて、ふっと・・153系と185系の「伊豆」の写真が出てきた。
そこで、アルバムやネガから古い写真を引っ張り出して、153系の思い出に浸ってみた。

まずは185系が登場し、一時的に153系と185系の両方が急行「伊豆」で使われていたときの写真。
153 こちらは153系の「伊豆」
サロを2両組み込んだ長大編成は東海道急行亡き後も、この系列の貫禄を示して余りある。

185 こちらは185系の「伊豆」
特急「踊り子」運転開始前、旧ダイヤで153系の運用にあてがわれていた短い時期の撮影だ。
特急形としての貫禄は持たないが、正しく153系の後継を示した系列だ。

ちなみに、僕はこのときに乗車して以来、185系は見ることがあっても乗車していない系列だ。
転換クロスシート、バランサーつきの上昇窓、横引きとロール式の両方のカーテンを有し、幅広の片開きドアはまさしく153系そのもの・・
だが、実際に153系と乗り比べてみると、軽快で静かな乗り心地は新時代の到来を予感させてくれた。

153_2 山陽新幹線博多開業直前の様子も少し・・
当時走っていた急行運用間合いの快速列車を岡山駅で。
サロ、サハシ込みの長大編成、ただし、正面のヘッドマークに「快速」の文字はなかった。

153_3 その編成で駅員さんがヘッドマークをめくりながら見せてくれた。
いろいろ出てきたけれど、撮影したのはこれ、「比叡」。
岡山で「比叡」というのも変だけれど・・

153_4 山陽本線の急行列車「山陽」。
153系のグレードの高さを実感させる急行列車で、サロ、サハシ込み、今で言えば「こだま」的存在となろうか。
場所は倉敷駅だ。

153_5 岡山駅で停車中の153系列車を跨線橋から。
急行編成といえど、冷房装置の未装備な編成があったことを、改めて思う。
この写真はカラーだが、ネガの変色が激しくモノクロに変換している。

165 大阪と名古屋を結ぶ急行列車「比叡」は結構後まで運転されていた。
これはまだヘッドマーク装備のころ、昭和50年頃だろうか。
先頭はクハ165だ。
バックの阪急百貨店が懐かしい。

153_6 高槻・山崎間を走る「比叡」。
阪急6300系を撮影に出かけたときの撮影で、この頃にはヘッドマークは省略されていた。

153_7同じ区間を行く新快速153系・・この編成の先頭車もクハ165か・・
ここからは「ブルーライナー」時代の新快速の写真をいくつか・・

153_8 加古川橋梁の新快速。
わずかな差で反対方向の列車とのすれ違いをキャッチし損ねている。

153_9 先頭車はクハ153で、幌枠のメッキが生かされていた。
幌枠のメッキを生かしていたのは生まれから関西に配属されて移動のない編成で、関東のものは幌枠部分も塗りつぶされていた。

153_10 既出だが宝殿と曽根の間の法華山谷川を渡り、上り方へ去る新快速153系。
この場所、今では絶対にこのような撮影ができない。

153_11 これも既出だが宝殿における上り新快速の後追い。
今見ても、正面窓の大きな初期型153系のデザインは極めて秀逸だ。

117 同じ場所で、展示会回送の新型117系。
転換クロスで国鉄離れした好デザイン・・僕が国鉄の名車のひとつに押す系列だが、基本的には近郊型であり、153系の正当な後継とはいえないかもしれない。

153_12明石駅に入線する153系新快速。
ブルーライナーの塗装も今見ても惚れ惚れとする。

153_13 夏の須磨海岸を行く初期型クハを先頭にした153系新快速。
117系の初期の頃まで、京阪神新快速は電車線の運行だった。

153_14 同じ場所で湘南色クハ153高運転台タイプを先頭にした「新快速」
時として、同じ宮原所属車で「比叡」などに使われる湘南色のクルマが編成中に入ることがあった。

117_2 さらに同じ場所で117系の新快速。
当時としては軽快に思えたデザインだが、今見ると如何にも国鉄の風格・・といったものを備えているように思う。

153_18 須磨駅における上り新快速。
この駅で乗客を助けようとした駅員が新快速に撥ねられて殉職し、今も彼を称える石碑が線路際に立つ。

153_16 広島、廿日市付近の153系快速。
すでにこの頃は6連、モノクラス編成となっていた。

1153000 その廿日市における115系3000番台。
117系譲りのサイドビューと、115系の正面、足回りを持った電車で、今もこの地域の看板電車として人気を集める。

1153000_2 115系3000番台には冷房準備工事、一般型115系との併結編成もあった。
一時的だが冷房化率は153系時代より低下してしまった。

100 さて、民鉄にも153系をプロトタイプとした系列が少ないながら存在していた。
東武6000系は見たことがないので割愛するが、これは伊豆急行100系。
観光路線らしいデザインの電車で、民鉄に現れた153系というイメージがあった。

1000 その後継として開発されたのが伊豆急行1000系。
正面デザインなどはまさしく153系のリファインで、非常な期待を持ったけれども、このシリーズは主力になりえず今や東急出自の4ドアステンレスカーが走る。

153_17 最後に、姫路市内、夢前川を渡り、大阪へ向かう153系ブルーライナー「新快速」
長距離運用が前提の出入台つき、オールクロスシートで通勤には使いづらい電車だったけれど、仕切りがあることによる静粛さ、空気バネ台車の快適さ・・
高速で走ると僅かな振動で座席下のヒーターカバーがシャカシャカと揺れる音も懐かしく・・
その大半は165系に受け継がれていはいるけれど、今の時代にはもはや急行型それ自体が絶滅寸前でもある。

リーズナブルで、優しくも早い急行電車の代表格だった153系を思い返すとき、鉄道が陸上交通の主役だった頃が蘇るように思うのだ。
そして新快速での生まれ変わったのかのようなスマートさも、鉄道に関心のない人たちにまでその存在を知らしめ、今の223・225系全盛の流れのその源流たるものであるとも思う。

2012年10月15日 (月)

南海平野線

昭和55年に、地下鉄谷町線・阪神高速松原線と引き換えに廃止された鉄道だ。
路面電車ということになっているが、併用軌道区間は阪堺線との接続区間のごく僅かしかなく、大半が専用軌道の郊外電車のような路線だった。

僕がはじめて撮影に訪れたときには、阪神高速の工事現場の真下を走り、そういえば、自分自身の鉄道ルーツともいえる神戸市電にも、似たような風景がああったのを思い出していた

さて、平野線といえば、終点の八角形の不思議な駅舎なのだけれど、今回発掘したネガには写っておらず、なぜか高速道路工事の真下部分の写真が大量に出てきた。

撮影時期は昭和53年54年ごろで、撮影場所は西平野、中野、それに今池町だと思う。
記憶が曖昧だが、すでに30年以上も前のことである。

124 まず、西平野を終点へ向かう124号。
大阪市電出自の電車だが、もともと、阪堺線系統の電車は大阪市電に似ているので・・違和感は全くない。

129 今池町だろうか・・129号。
女性のファッションに時代を感じる。

129_2 西平野の129号。
高速道路と地下鉄はここから南へ折れ、喜連瓜破方面へ向かう。

166 西平野の166号。
今も現役の車両が残る形式だ。

166_2 西平野の高速道路橋脚と166号。
今もこの塗装で活躍している。
日本最長寿の現役鉄道車両として知られた一党のうちの一両でもある。
雲模様のスポンサーは現オムロン。

167 西平野だろうか・・ちょっと良くわからない。
167号。
平野線は天王寺行き、恵美須町行きが10分ヘッド、あわせて5分ヘッドで走る路線で、非常に乗客が多かった。

167_2 恵美須町へ向かう167号。
ワンマン対応車だが、平野線での運用の際はワンマン表示を裏返していた。

219 恵美須町の駅に停車するのは平野線専用とも言える205形219号。
小さな車体に大きな窓、気持ちよい形の路面電車だ。

220 中野に停車する220号。
反対行きの電車を待つ女性の雰囲気がいかにも都会的だ。

220_2 220号が平野と西平野の間を行く。
この一駅間は郊外電車の雰囲気を味わえた区間だ。

229 229号が高架下から抜け出してくる。

229_2 229号が高架下の踏切を行く。

234 234号が浜寺公園からやってきた。
今池町。

237 高速道路高架の下へ進む237号。
車掌さんがなにやら調べているのだろうか。

239 中野を出る239号、
205形の雲形模様は玉の井酢がスポンサーだった。

239_2 239号が平野から恵美須町へ向かう。

249 中野の249号。

地下鉄谷町線に平野駅はあるけれど、その場所は平野線の西平野だ。
これでは肝心の平野の町からはかなり利便性が悪くなってしまったのではないか・・

あるいは、全線専用軌道の平野線であるならば、速達性は地下鉄とさほど変わらず、平野線利用者にとってはやはりかえって不便になってしまったのではないか・・
などとも、その当時、考えたけれど・・
結局は大阪市の方針の下、愛すべき郊外電車は姿を消した。
今であるならLRTとして存分に活用できたかもしれない・・

Photo 中野駅風景。

高速道路直下の路面電車があっても良いと思うのだが・・

352 今の阪堺線、今池町。

電車は352号。

165 今も残る165号、恵美須町で・・

2012年10月 1日 (月)

身延線

国鉄戦前の名車、横須賀線32系、関西の51系、それに42系の一部までもが揃って活躍していた線区が富士の麓、身延線だ。
ただ。関西からの距離もあり、流電52系が活躍していた飯田線に比べると「行きたい」モードはぐんと低くなり、訪問は全部でも3回ほどだったと記憶する。

赤い車体の115系電車や旧型車体更新車も見に行っているが、今回出てきたネガは最初の訪問のものだ。

昭和55年当時、同じ沼津区所属でありながら、御殿場線には72系のロクサン電車、身延線にはクモハ51、クハ47を中心としたクロスシート電車が運用されていた。
まずはクハ47のバラエティを・・
47bw モノクロ画像のクハ47はたぶん、入山瀬駅付近。
リベットが規則正しく並んだ車体に、Hゴム支持の正面窓がアンバランスを感じる。

47_5 こちらも同じ場所のクハ47、Hゴムの支持方法が微妙に異なる。

サハからの改造車だろうか。

47 富士駅のクハ47正面。
横須賀カラーでほぼ原型に近いクハ47・・横須賀線の誇りが見えるような気がする。

47063 クハ47063と読める車両。
サハ48からの改造車で、車内はロングシートだった由。

47_2 富士宮駅で停車中のクハ47、リベットが僅かに残る。

47_3 クハ47025と読める電車が停車しているのは富士宮駅か・・

47_4 クハ47の車内。
横須賀線の香りが残っているような気が・・

56 こちらはクハ55・・
サハ57改造の運転台増設車で、初期改造の貫通扉をそのまま使用したタイプ。

51 クモハ51半流タイプのHゴム以外は原形車。

5143 クモハ51だが、関西のモハ43を横須賀線用に3ドア改造したタイプ。

51_2富士駅に停車するクモハ51半流タイプ。
女性の服装が季節を現している。

51_3 こちらも富士駅のクモハ51だが、正面窓がHゴムになっていないタイプ。

51802 クモハ51802と読める車両。
雨の富士宮駅だろうか。

5147 クモハ51とクハ47の連結部。
関西出自の電車と、横須賀線出自の電車が組み合わされていた。

51_4 中間に挟まるクモハ51。

身延線はトンネル断面が小さく、パンタグラフ部分が低い屋根構造に改められていた。

なお、身延線の車両限界は、今もJR東海の電車デザインに影響を与えているという。

165 この10年以上後、身延線に乗車したときに、内船で撮影した165系急行「富士川」・・165系の似合う路線でもあった。