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2012年8月

2012年8月28日 (火)

LRTへの道、富山の鉄道

6152                                                       先ず、昭和55年、富山駅構内に留置されていたオハユニ6152の写真から・・
当時、北陸線は有力な中規模の都市が連なる中、鉄道はようやく旧態依然とした姿を脱しつつあるときだった。

73 さて、本題に入る。
富山で見たものといえばもちろん、当時、中小私鉄の雄だった富山地方鉄道線であることは間違いないが、鉄道線については次の機会に譲るとして、今日のLRT先進都市、富山市のその源流を見ていたので、それをご覧戴こうと思う。
まずは国鉄の富山港線、富山駅に停車する72系電車・・所謂ロクサン電車だ。
ここのロクサンは水色に塗られ、ちょっと見ただけでは京浜東北線や京阪神緩行線の103系電車のような雰囲気を持っていた。

79 岩瀬浜駅のクハ79。
当時の富山港線は4両編成の旧型国電が毎時一回程度走っていたが、乗客は案外多かった。

Photo 岩瀬浜の駅舎。
重厚な駅舎で、元は私鉄だった路線だが、この頃は国鉄独特の風格を持っていた。

7016 富山市内線電車。
なぜか単線区間で好んで撮影していたようで、僕にとって単線の路面電車が珍しかったのかもしれない。
大橋を渡る電車は7016号だ。

7020 こちらは7020号。
場所は新富山の近くだろうか。

7023 歩道橋からの撮影か・・
7023号。
富山の路面電車は、京阪神や阪堺、広電と同じく、車体幅が広いタイプで貫禄があった。

5020 射水線廃止には間に合わなかったものの、新富山駅はまだ電車が残っていて、射水線の面影がたっぷりとあった。
写真は5020号はじめ一列にまとめられた射水線電車。

5020_2 5020号の路面電車然とした台車。

5040 こちらは駅舎側から。
5040号。

Photo_2 ホームの立派な上屋。

Photo_3 待合室には乗客の姿があってもおかしくない様子。
だが、電車は来ない。
射水線は元は、富山、伏木、高岡を結ぶインターバンだったが、新港建設の際に線路を分断され、結局、乗客数が半減して廃止の憂き目に会った。
この路線分断には対立する代議士の力関係があったといわれるが・・
なお、線路の東側は加越能鉄道高岡軌道線と統合され、いまも「万葉線」として存続しているのはご承知の通りだ。

一時は射水線から富山市内線への直通電車も運転され、今のLRTのさきがけとなった射水線だが、乗客は増えず、結局は廃止されてしまう。

8003射水線廃止から30年。
現代の富山は、広島、長崎に匹敵する路面電車先進都市である。
先だって、僅か数時間を利用して富山の電車を眺めたその写真。
駅前にてVVVF 制御の新鋭、8003号。

7021 その電車とすれ違うのは、今も現役の7000形7021号。
車体カラーは新鋭と揃えられている。

7018 こちらは復元色の7018号。
やはりこの色合いが似合う電車だと思うが・・

9003 新線区間の環状線へ乗り入れる「セントラム」9003号。
岡山のMOMOタイプの斬新な電車だ。

1101 こちらは乗車した電車とすれ違った際に撮影した最新鋭、3連接の1101号。

606 そして、何より僕を感嘆させたのが、富山港線を引き継いだ「富山ライトレール」。
0606編成が富山駅北へ向かってくる。

606_2 岩瀬浜の駅舎と電車。
国鉄時代の面影はほとんど消えうせてしまった。
だが、これは新しい時代の都市近郊鉄道の模範でもある。

606_3 岩瀬浜にて電車を正面から。
ロクサン電車がここにいたとは到底思えない。

Photo_4 富山ライトレールの富山駅北口乗り場をJR富山駅仮設跨線橋から遠望。広島・長崎・岡山といった路面電車先進都市の何処もが手掛けなかった在来鉄道のLRT化を、真っ先に実行したその姿がここにある。
思えば30年の年月は時として思いも拠らぬ風景を見せてくれるものだと・・痛感した次第だ。

2012年8月16日 (木)

岳南鉄道

富士の麓の岳南鉄道は二度、訪問している。

一度目は伊豆急や伊豆箱根と同じ昭和54年ごろ、もう一度は結婚前の最後の一人旅としての平成に入ってからだ。

いずれも駆け足旅行でもっと良く見ておくんだったと、今になって悔やむけれど仕方がない。
先ずは最初の訪問時の写真から。

1103 吉原に停車中の1103号。
この電車は日本車両が地方私鉄向けに設計製造したなんとも好ましい形のシリーズで、同じ形態の電車が汽車会社でも作られている。
汽車会社の作った電車の中には先日、大井川鉄道でいまも車体が残るステンレスカーをみかけている。

1103_2 その1103の車内。
昭和30年代、地方私鉄には新車を購入する余裕があったということか。

この電車で岳南江尾に向かう。
小雨が降り続いていた。
16021103 江尾で並んだ1103と小田急の名車1600形そのままの1602。

16021103_2 それをやや斜めから撮影。

1107 1103号の後ろには1107号が繋がっていた。
こちらも小田急からやってきた電車だけれど、なんと、小田急開業時の電車。

1107_2 その1107号をホームで撮影。

Ed321 江尾構内にはED321という機関車が綺麗に整備された状態で停車していた。
こちらが1エンド側。

Ed321_2 こちらは2エンド側。
飯田線の前身である伊那電気鉄道出身の機関車で、国鉄で制式形式を貰い、しばらくは飯田線で活躍していた古豪だ、

Ed321_3 ED321のバックには江尾駅が写り込んでいる。
小さな機関車に見えるが主電動機出力は140kw、当時としては結構強力だったのではないか。

Ed321_4 ED321の正面。
ただ、このすこし前の水害で被災して休車となったそうだから、この写真は放置されたごく初期のものかもしれない。

Ed3211 そのED321、二度目の訪問時にはかなり荒れた状態で同じ場所に鎮座していた。
記録ではこのときは既に廃車・解体後だったらしいが、こうして僕自身が見ていたときには少なくともまだ存在はしていた。

Ed281 さて、二度目の訪問時には本吉原だったかで、ED281も見ることが出来た。
貨物列車を牽引しているように見えるが既に廃車後の姿。

Ed281_2 斜めから。
小田急出身の堂々とした機関車で、神戸・川崎造船生まれらしい船のような丸窓が特徴。

50015002 このときは電車はすべて東急5000系を譲受したものに置き換わっていた。
江尾の駅で5001と5002が並ぶ。

5001 5001号の車内。
東急5000系の内装そのままの車内で、同じ電車をリニューアルして入線した長野電鉄2500系とは、雰囲気が違っていた。

5001_2 須津(すど)における5001号。
このときは良く晴れて、富士山が見えた。

5102 やはり須津の5102号。
富士山に赤蛙はよく似合った。

今夏の関東訪問では吉原の駅に停車している京王3000系改造のワンマン電車を車中から眺めるだけで通り過ぎてしまった。
下車したかったのだが、時間が許さず、別の機会を見て再訪したい。
1105なお、大井川鉄道千頭に、ステンレスカー1105号の廃車体がいまも現存していた。

2012年8月 8日 (水)

宇部・小野田線の記憶

東の鶴見線を出したら、西は宇部・小野田線ということになるだろうか。

今回の写真は昭和51年から53年にかけての訪問によるものである。

14系座席車の夜行急行「阿蘇」で九州へ向かう途中、小郡駅の電留線に停車している旧型電車を見て、すぐにでもここで下車したくなった。
そこは若さゆえの性急さ、たぶん、数ヶ月以内には早朝の小郡駅に下車していたはずだ。

時刻は午前4時10分。
小郡駅始発は5時代後半のはずで、その間に何をしていたかトンと記憶にない。

それも何故に宇部から回らず、時間待ちの長い小郡から回ったのか・・
どちらで下車しても長門本山行きはおなじ電車に接続だから、長く電車に乗れるほうを選んだのだろうか。

51 小郡駅電留線で出庫準備をしているクモハ51だ。

宇部線といえばクモハ41とクハ55のコンビで、セミクロスのクモハ51は珍しい。
今回、写真を際スキャンする段階で、ドア間の窓数が6枚なのに気がついた。

宇部線では数少ないクモハ51に出会っていたということに今更ながら気付く。

55 僕たちが乗車したのは多分、この電車だろう。
これもスキャンして気がついたが、ノーシルノーヘッダのリベットレス車体に平妻の正面。
サハ57のうち、昭和14年生のスマートなクルマを先頭車か改造したものだった。

41 その編成の反対側は半流線型、戦前型国電のスタンダードとでもいえそうなクモハ41だ。

このシリーズが走っているだけでも、72系、所謂ロクサン電車が走っている路線よりは優遇されているような気がしたものだ。

時刻表を見直してみると、宇部線小郡からの始発電車には宇部新川で長門本山直通の電車に接続できたはずだが、記憶にはない。
ただ、早朝の宇部線電車は、都会の電車のように駅ごとに通勤、通学の乗客が増えてきたのだけは印象に残っている。

Photo 雀田の様子。
まるで私鉄の乗換駅のように感じた。

55_2 先頭車改造・ノンシル、ノンヘッダのクハ55が入線してきた。

41_2 こちらはクモハ41平妻の風格溢れる表情。

42 そして本山支線名物、クモハ42。
由緒正しき関西急電の面影をとどめる電車だ。

42_2 長門本山に着いたクモハ42、番号は005だったように思う。

42_3 電車が到着し、いまから女子高生が乗り込もうとしているところ。
宇部・小野田線の高校生は雰囲気が良く、ローカル線通学生にありがちな荒れた気配は感じられなかった。
乗車している学生さんたちは穏やかで賢そうだった。

42_4 乗客が乗り込んでいるクモハ42。
通勤というより、通学のために走っているような電車だ。

駅前の小さなお店のご主人が僕たち鉄道ファンの相手をしてくれたのも良い思い出だ。

42_5 行き止まりの先から駅を遠望。
幌のついたクモハ42はそれだけで風格を感じる。
かつての都会のスターも、地方通学生の足となった日々を器機としてこなしているように見える。

41_3 こちらは深瀬駅だろうか。
平妻のクモハ41が入線する。

55_3 深瀬駅近くの田園風景の中、半流クハ55を先頭にした4連。
カラーネガは褪色が激しい。

51_2 セミクロス、クモハ51の座席。
のちの近郊型の原型がここにある。

Photo_2 さて、小野田駅だろうか。
特急「金星」が写っていた。
名古屋と九州を結んだ581系寝台電車だ。

Photo_3 同じ駅だろうか。
寝台特急「富士」が通過する。

421九州からの交直流電車も一部は宇部線に入っていた。

55_4 停車中のクハ55の雰囲気。

小郡にて。

なお、新山口という駅名はどうも馴染めない。「新」ではなく、由緒正しき「小郡」なのだと思ってしまうが・・