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2012年7月

2012年7月27日 (金)

城下町の赤い路面電車、名鉄岐阜市内線・美濃町線

名鉄の岐阜地区600ボルト線区については過去にも何度も触れているけれども、今回は未公開の写真ばかり、昭和54年ごろの様子だ。

前回の記事、特に岐阜の電車を取り上げた記事は「岐阜の電車」だ。

岐阜といえば、戦国時代の歴史が好きで自分でもいくつか小説を書いている僕には特別な場所でもある。
斉藤道三、織田信長、竹中半兵衛、木下籐吉郎といった戦国史を彩る大スターたちが活躍したところだ。
先ずはその当時の岐阜城の様子・・鉄道と関係のない話から入ってごめんなさい。

Photo 岐阜城址。
昭和31年に完成したコンクリートの天主、あまりにも険しい山上にある岐阜城は、江戸期以後は本来の目的には使われていない。

Photo_2 天主からみた北東側の様子。
山々の形がなにやら風雲急なる戦国時代を思わせるのは勝手な妄想ゆえか・・

Photo_3 天主からの長良川。
水が豊富で平地も多く、昔から交通の便のよい岐阜はじめ濃尾の地は、経済的には日本の中心地だったのではないだろうか。
織田信長や木下籐吉郎、徳川家康を挙げるまでもなく、今でも自動車業界の覇者、トヨタや、日本の大動脈たるJR東海もこの濃尾平野に本拠があることは偶然ではないような気がする。

さて、その日本を制する地域にありながら、こと、路面電車としては日本の代表になれなかったのが名古屋鉄道=名鉄の岐阜方面の600ボルト線区だ。
以前、僕は日記ブログで岐阜の電車をさして、「柳ヶ瀬ブルース」の歌から、「火の鳥になれなかった赤い電車」と書いたが、それはまさに僕自身の悔しくてたまらない、岐阜の電車への想いでもある。
今回は揖斐線は省略して、長良線と美濃町線からの写真。

さて、本題。

550 お城の麓、公園前を行くのは金沢からやってきたモ550形550号。
道路が狭隘で、電車も小型のものだった。
停留所に安全地帯がないのも岐阜の特徴。

552 長良橋に向かってくるのは552号。

552_2 その電車をアップで・・
偶然、電車の左にカローラHB、右にセドリック330のタクシーが写り込んでいる。

558 その近くか・・
558号。
道路が狭隘で、小型のボギー車しか使えなかった北陸鉄道金沢市内線の電車が、ここ岐阜で同じような道路環境の中、頑張っていた。

554 長良川を渡る554号。
カメラ屋さんの広告が全国の路面電車で見られた時代・・

Photo_4 こちらは美濃町線美濃の駅舎。
この撮影をした時代には電車は30~60分ヘッドだったが、後に新関以南は15分ヘッドにまで改善された。
当時、歌手の野口五郎さんの出身地ということで静かなブームが起こっていた。

A830_2
札幌市電A830を購入して改造したモ870形

美濃駅にて「回送」表示で停車中。

582 その隣にあるのは徹明町からやってきた名鉄オリジナルモ582号。
この手の電車で1時間あまりの美濃町線は長く感じた。

A830モ870形がホームに停車している様子。
デザイン的には今見ても全く古さを感じさせない。

600 そこへ美濃町線と各務原線直通用のモ600。
腰の高い車体にステップ、大きな旧型台車、屋根の上の抵抗器、それに非常に細い顔・・なんとも不思議な風貌の電車だった。

600a830 A830600 美濃駅のホームにモ870とモ600が並ぶ。
未だ美濃町線専用の可愛い連接車モ880は出ておらず、当時の美濃町線新鋭の共演というわけだ。

Photo_5 帰りは快適なシートのモ600形602号で・・
その車内風景。

2012年7月19日 (木)

鶴見線を訪ねたとき

前回記事の箱根登山や小田急を訪問したその翌日、鶴見線を訪問した。
だから訪問は昭和54年の夏と言うことになるだろうか。
関西人にとっては先ず縁のない路線であり、それでも、ここを訪れる気になったのは旧型国電、中でもクモハ12の存在があったからだ。

当時は私鉄ファンの国鉄マンという立場だった僕だが、旧型国電や気動車は別格で、それは何かしら私鉄との共通点というのも感じることが出来たからかもしれない。
そういえば前日に大雄山線で旧型国電出自の電車も撮影している。

何処から入ってどのように回ったか・・全く記憶にないのだが、写真を見る限りは鶴見、浜川崎、武蔵白石、大川が写り込んでいる。

79 先ずは多分、鶴見駅だろうホームに停車しているクハ79ほかの3連から。
側窓が三段のロクサンスタイルだが、この電車は比較的新しいほうかも・・

79_2 たぶん・・その電車を乗車ホームから。

72 浜川崎か・・
ロクサン電車更新型の72系クモハ73。

72_2 同じ場所のように思うが駅名不詳。
やはりクモハ73。(クモハ72と書いたが72は中間車モハで先頭車は73・・ご指摘に感謝し、訂正します)
ロクサン初期型はこう言う更新改造をされたものが多かった。

12 浜川崎だろうか。
クモハ11とクハ16の2連。
17メートル級旧型国電、それも国鉄に残っている電車と初めて会えた瞬間。

12_2 武蔵白石か・・
両運転台、クモハ12の非貫通・・オリジナル側。

12_3 大川か・・
同じ電車のモノクロ。
モノクロフィルムの保存性はカラーに比べると非常に良好で、こういった写真でもほとんど画像処理なく掲載できる。

12_4 大川駅に停車中のクモハ12貫通側、横に並ぶホキ2200・・この当時は電車から遠く離れた位置からの写真は「ついで」のつもりだったが、今見るとまさに当時の記録でもある。

12208 そのホキ2200、このようなものまで撮影していたとは自分でも驚きだ。
だが、これまた非常に貴重な写真で、既に絶滅してしまった貨車でもある。

12_5 クモハ12を大川駅近くで・・
ポジフィルムを多用していたはずの僕だが、なぜか列車の撮影にはカラーネガを用いることが多かった。
ゆえに、変色褪色著しく、掲載にはかなりの労力を伴う。

12053 クモハ12053のサイドビュー。

12_6 その車内。
阪急などの関西私鉄旧型電車の抜群の整備状態を見ているものからすると、なんとも痛んだ車内に感じられたが、今見ると、これはこれで結構整備されていたんだと思える。

12_7 クモハ12の運転台。

Photo 扇町の駅名票。
バックの工業地帯然とした雰囲気は。、関西では桜島線、和田岬線を思わせるが、関西のこういった路線の運転頻度は鶴見線の比ではなかった。
当時の鶴見線は日中でも結構な本数が運転されていた。

Dd13 扇町だろうか。
DD13が並ぶ。
当時としては何処でも見られた何気ないDD13だが、思ったほどに撮影していない。

Ed1618 浜川崎だろうか。
ED1618・・この機関車を見るためだけに南武線、鶴見線を訪問するファンもあったほどで、一枚しかない写真はややピンボケ、なんとも情けなく申し訳ない限りだ。

Ef15188 浜川崎のEF15138、このEF15という機関車も、何処でも見られた割に撮影していない。
このネガフィルムのワンカットも撮影したきりプリントもせず、今回、自分で見つけて驚いた次第。

私鉄の場合は訪問先の結構細かいことを覚えているのだが、国鉄の路線の場合、まったく記憶にないか、記憶が薄れてしまっていることが多いような気がする。
このあたり、僕自身がもう少しきちんと写真を撮影して、その状況を記録していればこのブログも随分、貴重な記録ずくめになったものだとは思うが、今となっては如何ともし難い。
それに、今でも鶴見線、南武線などは私鉄時代の遺構も多く残り、今ならば車両より駅舎や高架橋などを撮影するのにと思うと、当時の自分の趣味の方向性の定まりのなさも実感する。

12_8 最後に、大川支線クモハ12の雄姿をモノクロで・・

2012年7月11日 (水)

昭和54年、小田原・箱根湯本。

箱根へは2回行っているが、今回は最初の訪問のときの写真だ。
先ずは、しっかりと地域輸送に徹して今も足場を固めている伊豆箱根鉄道。
その大雄山線小田原駅。

163 先頭車の番号が163と読めるような気がする。
元々、17メートル級の旧型国電で。相模鉄道2000系を経てここに至った電車だろうか。

18187 こちら、2本並ぶ手前のほうの電車は187と読める。
旧型国電2ドアの電車を改造したもので、西武を経てやってきたようだ。

2238 小田急の小田原駅の様子。
停車しているのは小田急2220形。
この電車の登場当時、関東私鉄で20メートル車を積極的に採用していたのは東武くらいで、小田急も17メートル、関西私鉄よりも小柄な電車だった。

2487 湯本へ向けて発車していくのは小田急2400形。
いわゆる経済車で、HEと呼ばれる一群だ。
M車19メートル、Tc車16メートルの不均一な車両を組み合わせた個性的な電車だ。

Nse こちらはNSE車のフロント。
流れるような流線型デザインは正面から見ても秀逸。

108 箱根登山鉄道の電車は2本に1本の割合で小田原まで乗り入れてきていた。
珍しい3線軌道の実用例でもあった。

111 次は箱根湯本駅付近で。
箱根湯本駅で並ぶ箱根登山鉄道の電車。
111号と手前の電車は番号不明。

He 箱根湯本駅の小田原よりにて。
小田急HE車。

Nse_2 そしてNSE「はこね」登場。
道路上を走る車はスカイランジャパンか・・
鉄道車両デザインはさほど古さを感じさせないが、自動車のデザインは古くなるのが早い気がする。

Nse2 Nse_3 NSEが接近する。
車番は3111と読める。

NSEのサイドビュー。
国鉄151系を上回る上品で流麗なデザイン・・1960年代の鉄道車両としては最高峰のデザインではなかろうか。

Nse_4 箱根湯本駅に入線していくNSE。

Nse2_2 箱根湯本の特徴的な駅舎とNSE。

110 箱根登山鉄道110がやってきた。

113 そして113も・・

111_2 箱根湯本駅の強羅側で。
111号が急勾配を登っていく。

110_2 103号も・・・

この日は湯本で電車を見た後、温泉などということはなく、東京・本郷の定宿へNSEに乗車して向かった。
Nse_5 NSEの車内。
忙しく歩き回る日東紅茶のお嬢さんになかなか声をかけられず、それでもようやく、注文を為して自席で紅茶とサンドイッチを戴いたのも懐かしい思い出である。

2012年7月 3日 (火)

城崎にて

今回は昭和55年の城崎から。

タイトルは志賀直哉の名作をお貸しいただく。

城崎駅の北側に小さな山があって、ここから山陰本線を俯瞰したもの。
この当時の動画といえば8ミリが圧倒的で、スチールカメラと持ち合わせるには重く、しかも高価で、時にスチールカメラでこうしてコマ撮りのようなことをして楽しんだものだ。
ただし、ズームが今ほど一般的ではなかった時代、レンズをガチャガチャと付け替えての撮影だった。

朝の姫路始発、急行但馬で城崎へ。
ここで大阪からの「まつかぜ1号」を捉えることが出来た。

その「まつかぜ1号」は鳥取からの「だいせん2号」と城崎で行き違う。

1_2 まず、鳥取側の山のすそから「だいせん2号」が顔を出す。
キハ28系、6連でキロが1両挟まっている。

2

3

4

山の下のトンネルへ向けて、ゆっくり進み、やがてトンネルを抜ける。

5 そこは温泉街のど真ん中だ。
ちょうど編成中のキロが大谿川(おおたにがわ)を渡るところ。

6 列車の最後尾が川を渡り・・

7 円山川を背景にした城崎駅に「だいせん2号」が入っていく。

81 そこに、キハ80系堂々13連の「まつかぜ1号」が並ぶ。

Photo その写真の駅の部分をアップにしてみた。

2_2 「まつかぜ1号」が発車する。
次の停車駅は浜坂か・・

3_2 先頭のキハ82が構内のポイントを通過する。

4_2 温泉街の大谿川にさしかかる。
2両目の屋根が銀色で、このキロは全般検査直後だということがわかる。
3両目には食堂車キシ80が繋がっている。

5_2 長い編成が踏切を越え、川を渡る。

6_2「まつかぜ1号」先頭車が眼下のトンネルを抜け、山すそのカーブにさしかかる。

7_2 今では考えられない堂々とした編成がカーブを行く。

8 写真をトリミングしてみた。
なんとも、堂々たる列車だ。

9

10 そして列車はカーブの先へ消えていく。

1_3 温泉街に降りて、急行「但馬4号」が大谿川を渡るところ。

2_3 キハ28の下から風情ある大谿川の雰囲気が漂う気がする。