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2012年6月

2012年6月24日 (日)

昭和56年、長野電鉄・上田交通別所線。

梅雨の時期、昨年はこのブログで雨の特集をしたのだけれど、今年は少しさわやかな信州の鉄道をご覧戴こうと思う。
訪問したのは長野電鉄の長野市内地価工事完成からまだ日にちが経っていなかった頃だと思うから、昭和56年の初夏だろうか。

先ずは長野電鉄。
2001 河を渡るところを見ると、日野駅の近くだろうか。
全く何処で降りたかの記憶がない。
特急の2001だ。

2002 その編成の反対側だと思う。
2002ほか。(と思ったけれど、これ、明らかに2008のD編成ですね・・訂正します)
長野電鉄の2000系特急車は、ちょっと見た目には名鉄の5000系に似ている気がしたけれど、車内の回転クロスには驚いた。

25014 2500系2501ほか4連。
東急の御馴染み5000系「アマガエル」だけれど、長野電鉄での雰囲気は非常によかったと思う。
まるっこい、赤い車体に誰かが名づけた「赤蛙」、車内も丁寧に仕上げられ、知らない人には中古車には見えなかったかもしれない。

2508 築堤を走ってくる2508。

2608 その編成の反対側か。
2558。

2506 須坂における2506。
当時、運賃の高額さに驚いて、この駅までの乗車だったように思う。

Ed5001 須坂に居たのが電気機関車ED5001。
私鉄には珍しい箱型の中型電機だが、調べると今も系列会社の機械扱いで残っているとか・・

1552 須坂での屋代線1552。
阪急や山陽、京阪でも旧型車の残っていたこの当時、地方私鉄の長野電鉄が一気に車両改革を進めたのには驚いたけれども、その中で辛くも残った旧型電車。

実は、信州へは写真屋時代、7年にわたって毎年一回、仕事で出向いていた。
修学旅行のスキーツアー随行カメラマンとしてで、長野までは鉄道を使っても、長野からスキー場までは長野電鉄か松本電鉄の観光バスだった。
バス車窓から稀に電車が見えることもあり、その都度、乗りたい衝動に駆られたが、未だに再訪できずにいる。

さて、今度は上田交通別所線。
未だ丸窓電車が走り、個性たっぷりの時代だった。

5250 カラー撮影は下之郷付近で。
先ずはやってきた丸窓電車5250形。
ただし、車番は不明。
正面からの撮影で丸窓が判らないのが残念。

250 神中鉄道・・今の相模鉄道出身の元気動車、クハ250形がお供して去っていく。

Photo 東急の流線型気動車がその出自、クハ279が丸窓電車に押されて坂を下りていく。

52502 そのうしろ、5250形・・丸窓電車が去っていく。

5370 小田急1600形がその出自か・・
5370形が単行でいく。

251 気動車改造、クハ251が水を張った田んぼを見ながら走る。

5251 上田原の車庫に憩う丸窓電車5251ほか。
琴電の300号とは同じ日本車両の同期と言えるかも。
なお、この当時、ここにあった車庫は下之郷へ移転されているそうだ。

Ed251 ED251。
宇部電鉄出自の古典機関車。
富山港線を経て当線に入線したそうだ。

Photo_2 長野電鉄近代化の余剰車が留置されていた。
この電車は部品取り用として搬入されたようで、上田での車番はつかなかった。
長野611のままだ。
なお、この電車は川崎重工初期の鋼製電車で、頑丈でごつい作りが特徴。
阪急600形を嚆矢としたシリーズだ。

189 このときに上田駅で食べた蕎麦はさすがに蕎麦の国、信州のものだけに絶品で、お代わりをしたことが思い返される。
その上田駅ホームでの「あさま」189系。
この時代の参考までに。。

2012年6月13日 (水)

昭和51・52年の姫路駅(その2・・付電鉄姫路駅)

この時期の姫路駅の記事は二度目だが、改めて出てきたネガを中心にご覧戴きたいと思う。

前回の「昭和51年、52年姫路駅」はこちらをご覧戴きたい。

80 下りホームに入る80系電車、一次形の4連。
前にも書いたが、山陽本線の姫路・岡山間で、もっとも似合っていたのがこの系列ではないだろうか。

80_2 上り方へ転線する80系電車、こちらは300番台。
しかし、何故この写真を立位置で撮影したのだろう?
おかげで当時の雰囲気も随分出ているように思うが・・

Photo ホーム南側にあった留置線で休むのはクモニ83。
東海道山陽線、関西地区内で活躍していた荷物電車だ。

153165 クハ165を先頭にした新快速が到着するところ。
今見ても貫禄がある。

583 電車寝台特急となった581系「なは」

583_2 こちらは同じく581系「彗星」
車両はつい先日まで北陸線でローカル改造されて走っていたものだろう。

Dd5424 播但線ホーム、東3番線に到着したDD5424牽引の客車列車。
播但線ホームには幹線の終着駅のような格調があった。

Dd5424_2 そのDD5424が客車を切り離された後、回送の準備作業。
すぐ近くの姫路機関区への回送だろうか。

185 姫新線ホームのキユニ18 5。
姫新線列車の多くは郵便荷物車を下り方に連結していた。

185_2 そのキユニ18 5を後部から。
次位のキハ26もまた、当時を物語る。

15 こちらは自分でもまさか撮影しているとは思わなかった・・岡山所属のキハユニ15 11を先頭にした姫新線列車。
長い編成を見ると、キハ35、キハ23、キハ17と思しきクルマも・・

40 登場したばかり、キハ40を最後尾にした列車。
次位のキハ20と比べると、気動車の進化の具合が一目でわかる。

422008 姫新線ホームに客車列車が停車中。
姫路所属のスハフ42が最後尾。

41 既出だが播但線ホームのオハ41。
ロングシート客車の台頭が今の103系に続く道を思わせる。

422251 播但線ホームのスハフ422251ほか。
通勤路線か、それとも幹線鉄道か、はたまたローカル線か・・
当時の播但線はさまざまな顔を持っていた。

Photo_2 姫路駅の外観。
これは昭和54年の撮影。
広島へ行く際に、姫路までは始発が早い山陽電車を使い、乗り換えの際に撮影したもの。

Photo_3 姫路駅の正面玄関。
最大級の民衆駅だった姫路駅も、すでに今は解体され、新しい駅舎が建設中だ。

30827023204 ちょっとだけ山陽電車の電鉄姫路駅の風景も。
308、2702、3204の普通電車ばかりが並んだ様子。
一番向こう、3204は網干線へ直通する電車だった。

2008 これも網干線直通の2008。
この当時、山陽電車は20分ヘッドが基本で、飾磨と姫路の間は網干線直通を入れて10分ヘッドだった。

257 「神戸」の行き先表示の257。
250形の異端車で、800形イメージの前シリーズと2000系イメージの後シリーズの中間に位置する電車だった。

103 最後に・・
つい先日の姫路駅播但線高架ホームの103系電車。
色あせが激しいが、そろそろ塗り替えの時期だろう。
この路線も他のJR西日本管内路線のように完全なワントーンになるのだろうか。

2012年6月 5日 (火)

広島電鉄 昭和54年・・連接車と神戸・大阪市電

昭和54年、広電を訪問した際のネガから、当時の僕が興味を持っていた連接車と旧神戸市電、旧大阪市電のカットをご覧いただこう。

2504 まずは、長く日本の路面電車として「最新」だった2500形から。
これは宮島線直通用2000形をさらに大きくするために連接車としたもので、ツリカケ式ながら最高速度70キロ、高加速・高減速、今につながるLRTのさきがけとなった電車だ。
まずは初期型2504・・ヘッドライトは屋根上に外付け型。
原爆ドーム前。

2507 夕暮れの広島駅前での後期型2507。
満員の乗客、廿日市行きの行先板・・

2507_2同じく広島駅前で雨の昼間、2507。
自社工場製造の電車で、ヘッドライトが二灯埋め込み式となって、ぐんと近代的なイメージになった。

2510 昭和39年製造、シリーズの最後の新車2510。
この電車が出た当時、日本の路面電車は受難の時代に入っていて、長く日本中で新車が出なかった。
僕の知る限りにおいては軽快電車までは、高床式の京阪80形を除けば日本一新しい路面電車だったのではないか・・

2512 大阪市電1601形を連接車に改造した2512、性能はそろえられていたのらしいが・・やはり雰囲気は他の2500形とは全く異なっていた。

2008 こちらは連結車2008。
宮島線直通用として、これまでの市内電車のイメージを一新した電車で、ここから広電の発展が始まったといっても過言ではないかも・・
2000形の総数は9両で、トップナンバーの2001以外が連結改造されている。

759 大阪市電からの譲渡車、それも古いタイプの1601形から改造されたのが750形で、今も残る阪堺線モ161形とよく似た電車だった。
写真は759号。
雨の中、女子学生が乗り込む・・
そして、写真屋さんの広告・・「ギンレイ・・銀嶺」という名のフジフィルムの密着用印画紙があったことを思い出させる店名だ。
なお、1601形は14両が広島に来て、うち10両が750形に改造、残り4両は先述の連接車2500形に改造されている。

769 大阪市電1801形を改造した760形769。
軽快なスタイルの電車で、いまも残る形式だ。

7681157 こちらは旧大阪市電1801形改造の768と旧神戸市電1157が並んで走る様子。
幼き日の記憶に両市の市電を持つものとしては信じられないような光景ではあった。

782 大阪市電1650形を改造した762。
もとは散水車だったようで、明るく均整の取れた戦前路面電車の最高峰といえるデザイン。

583 そして旧神戸市電、大型鋼製J,K,Lの各車を更新した500形は、大挙して広島へやってきた。
写真は583で、正面の菱形警戒色以外ではほぼ原型のまま。

584 こちらは夕方の広島駅前584。
車体が大きく、運転台付近の幅も広いこの形式は神戸市電出自の車両の中では使いやすかった由。

584_2 その584の夕方の雰囲気。
神戸市電名物の風変わりな照明も見える。

1103 既出だが流麗な神戸市電スタイルの1103。
扉位置を前後から前中に変更したタイプで、この車両は昭和29年生まれ。

1157 神戸市電1150型を譲受した1157号。
神戸市電最後の、流麗な神戸スタイルの完成型とも言ってよいデザイン。
元々はPCCカーだが、扱いやすいとは言えず、結局は大阪市電の中古台車を履いて旧性能となっている。
今も1両のみ、ハノーバーカラーに塗られて健在とのこと。

東京。大阪、名古屋、神戸など和製PCCを導入したところはあったけれど、成功したといえるのは結局、阪堺線モ501くらいではないだろうか。
この当時の最新式、PCCの迷走が、広電をして2500形導入時にツリカケ駆動を採用させているわけで、その電車が今も残るということは広電の判断は正しかったのかもしれない。

769_2 さて、この春に広電へ行ったときに大阪市電だった769号と再開できたのでその様子を。
場所は元宇品口。

塗装は大阪市電カラーに戻されている。

1103_3 そして、広電から神戸へ里帰りした神戸市電1103号。
方向幕の部分、元に戻してほしいなぁ・・

なお、広電については以前から時々取り上げていて、以下のページもご参照いただければと思う。

「想いの背景は広電」http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2008/09/post-7151.html

「昭和53年、雨の広島駅前」http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2011/06/53-ce7b.html

「昭和50年代の広電、宮島線」http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/2011/08/50-6bb4.html