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こう@電車おやじ

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2012年4月 2日 (月)

お盆の国鉄高砂工場

旧盆の時期は国鉄は使える旅客車のすべてを営業線に送り出す。
これは年末年始でも同じで、増発、増結に出来る限り対処するために、そういう態勢をとっていたのだろう。

ただし、長期在場が必要な更新車や改造車は別だ。

Photoそのお盆の頃の高砂工場の様子。
グラウンドから木工建屋などを見た様子。
コンクリートの煙突が国鉄高砂工場のもので、赤白の塗装が施されたものは隣の神戸製鋼のものだ。

37 マニの廃車体。
荷物輸送からの撤退が為されて、不要になったマニが多数、廃車のために留置されている様子。

35 入場前待機のキハ35。
通勤列車などの車両は優等列車の増発や増結とは関係がないために、普通のサイクルで入場してくる。

26廃車のために解体されているキハ26。
当時の廃車解体は今のように一気にユンボで潰すことなどせず、使えるものを保管する必要からわりに丁寧に為されていた。

26_2 そのキハ26車内。
化粧板を外した外板に吹き付けられているのは、アスベストだ。
今では考えられない危険な構造だったことがわかる。

35_2 入場前作業場のキハ35、オハ35、マニ50だろうか。
これらも通常のサイクルで運用される車両たちだ。

Photo_2 旅客車主棟建屋内の様子。
キロ28の更新修繕車だけがぽつんと置かれている。

A 主棟北側、この先がAスパンと呼ばれる建屋内のトラバーサがあったその手前付近。
この時期には使われない仮台車が集められている。

A_2 棟内トラバーサ、Aスパンの様子。
工場存続を目指して行われた大改造工事だったが、いくらも使わないうちに工場そのものが廃止されてしまった。

Photo_3 車両のいない塗装職場。
この場所に車両が一両もいないのは、盆と年末年始くらいだっただろう。

Photo_4 車両のいない出場トラバーサ。
普段ならここには新車のような輝きを放つクルマが多数並んでいたはずだ。

Photo_5 工場内で使われる工具運搬用のバッテリーカー。
当時既に環境に配慮していたことの表れか・・

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コメント

こんにちは。はじめて投稿します。

ほんと、貴重な写真が満載ですね。よくこれだけ丁寧に、しかも沢山撮影されていたのかと感心いたします。

ところで教えていただきたいのですが、塗装について、車両の番号の標記等は手描きだったのでしょうか。あるいは専用のシールのようなものを貼付していたのでしょうか。

また、美しい塗り分けは、当然マスキングをして行っていると思われますが、マスキングテープを貼る位置は、定規みたいなものを当てて行っているのでしょうか?特急車のヒゲの部分等、美しく塗装されているのにはいつもどのようにしているのかと思っています。

こう@管理人さん、おはようございます。

毎回、国鉄高砂工場のお写真を拝見する度に同工場を見学させて貰った時の事を思い出します。

時は、1975年のダイヤ改正後で高1の時でしたね。友人二人で事務所で許可を頂き、諸注意を受けて黄色いヘルメットをお借りし、構内をうろうろ。たくさん停まってた荷物車の側に82系気動車と、銀帯のオハネフ25が向かい合って停まってました。今思えば、屋根の形が粋なマニ系統も写しておけば良かったと…今更言っても仕方ないですが。 
気動車や客車の種類の多さは、高砂操作場に入出場する列車に教えて貰ってたような気がします。

TMさん>

とても大事なご質問だと思います。
車両の表記類、一部は手書きでした。
車端部の検査表記などは手書きでしていたと思います。
(やや記憶が不鮮明ですが)
車両の番号など大きなものはレタリングシートです。
もっとも、このシートは市販品ではなく、工場で製作したものです。
塗装職場の友人はずっと、国鉄字体の文字を練習していましたよ。

車内の車両番号も紛失したものは工場で製造していましたが、これも塗装職場の方々の作品でした。

それと、吹田工場などでは二色塗り装置があって、マスキングなしに二色の塗りわけが出来るようになっていました。
高砂ではそこまでの装置はなく、あくまでも手作業でマスキングしていました。

最初に濃い色合いを吹き付け、マスキング後に薄い色合いを吹き付けていました。
12系や一部20系では帯がカラーテープになっていたりもしました。

ゴンパパさん>

高砂にいらっしゃったことがおありなんですね。
鉄道ファンの増加と、マナーの悪化に伴い、国鉄の現場では鉄道ファンに見学を許可しないようになっていきました。
その前に見学が出来たのは、これはすごいことかもしれないですね。

こう@管理人さん
回答ありがとうございます。

番号はレタリングシートで、手書きもありましたか。
妻面に標記されている検査年月等は、手書きだったのでしょうね。

あと、塗装は濃い色から塗るのは意外ですね。
模型の塗装なら、濃い色を最初に塗ると、その上に薄い色を塗り重ねた時になかなか濃い色が隠れず、厚塗りになってしまうので、薄い色から塗るのが基本ですね。

TMさん>

濃い色と言う表現は誤解を招きますね。
申し訳ありません。

地色が一番あとなのです。
ですから特急や急行の気動車は窓周りの赤から、ブルートレインなどの客車は白帯から吹き付けます。
その上にマスキングをして地色を吹きつけるわけです。

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