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2012年4月24日 (火)

山陽電車2000系とその仲間たち

山陽電車の高性能化の歴史は昭和31年の2000系から始まる。

戦後の世間をアッと言わせた私鉄界戦後最初の大型ロマンスカー800形の後を受け、カルダン駆動を取り入れ、将来の神戸高速乗り入れ対応も目指したのが2000系だが、性能面での差異はこの系列最後までほとんど変化がなかったのに、その車体形態が激しく変化し、とても同じ系列だと見えなかったシリーズでもある。

さて、僕が写真を撮影し始めた頃、既に2000系の主流を成していた鋼製2ドアクロスシートの車両は大半が3000系のサハに改造され、僅かに5編成が2000系として残っていただけだったが、その5編成の車両たちにおなじ形態のものは一つもなく、2000系のバラエティを楽しめたものだ。
なお、今回の写真の撮影時期は昭和51年から57年ごろだ、

827 まず、2000系以前の主力形式、特急用だった本邦戦後最初のロマンスカー800形の当時の姿。
場所は加古川橋梁。

2001 2000系トップナンバー編成、加古川橋梁にて。
2000・2508・2001の編成で、前後が昭和31年に最初に登場した高性能車。
ロングシート、広幅の窓を持つ2ドアで、正面は非貫通、登場当初に比すと正面窓が改造されて、随分可愛い雰囲気になっていた。
なお、運転台側の窓が再改造されてやや小さくなった後の写真。
中間車は昭和39年、ステンレス・アルミとおなじ通勤仕様で作られた3ドア・ロングシート。

2008 2002から4編成が京阪1900系に良く似たサイドビューの2ドアクロスシート車。
ただし、京阪1900系のほうが後だから、あちらが山陽2000系に似ているのか・・
で、この編成はその最後、4編成目の2008・2507・2009の編成。
撮影場所は別府付近。

2008_2 その編成をサイドから見る。
場所は大塩付近。
両側のクロスシート車は、座席をこの後のステンレスカーに転用し、早々とロングシート化されている。
中間車は上記2000編成と同じく後から挿まれた通勤仕様の3ドア車。

両側Mcの狭窓と、中間車の通勤車然とした対比が面白い。

2009 須磨浦公園で上から見た様子。
2000系はこの当時、全編成がMTMで主電動機出力は110キロワット、主制御器が当時いまだに昇圧していなかった阪急・阪神にあわせ複電圧仕様となっていて、その構造が複雑で、これが2000系の寿命を縮めることになった。

2010 2000系のクイーンともいえる2010・2500・2011編成、須磨寺で。
昭和35年当時、未だ珍しかったステンレスカーで、しかもクロスシート。
中間車の2500が一足先に落成したそう。
この当時のステンレスクロスシートカーといえば他に国鉄のサロ153があるだけで、この少し後にアルミで製造された北陸鉄道「しらさぎ」と好対照を成す存在。

2010_2 その編成を地下工事中の板宿付近で。
この編成は2000系で最後に残ったクロスシート編成だった。
ロングシート改造とともに、前照灯の2灯化、室内蛍光灯カバーの撤去も行われた。
2000系シリーズ唯一の空気バネ台車で、京阪1900系は未だ登場以前だったから、京阪1810系を上回る斬新なクロスシート特急車だったわけだ。

2012 昭和37年製造の日本最初のアルミカー2012・2505・2013編成、別府付近で。
本邦初の軽合金電車。
川崎車両の試作的意味合いが強いとはいえ、戦後すぐのロマンスカー800形で世間を驚かせた山陽が放った画期的な電車。
ただし、3ドアロングシート、車内にはスタンションポストが設けられた純然たる通勤仕様で登場した。
この編成は今もまるごと、東二見に保管されている。

2014 そのアルミカーとおなじ仕様のステンレスカー、2014・2506・2015の編成、東須磨駅で。
ステンレスとアルミで長期実用試験を実施していたとのことだが、ステンレスは上記2010編成も含めてセミステンレス。

2015 雪の別府駅を出る2015ほか。
別府鉄道廃止当日の撮影。

2000系はOK台車の独特の乗り心地、軽快なモーター音、作りの丁寧な車内の雰囲気・・鉄道ファンとして乗車する喜びを感じさせてくれる電車でもあった。

2701 2000系にはその亜流もあった。
国鉄63型の台車や機器類を使用し2000系とおなじ車体を載せた2700形だ。
2700形は当初は西代車庫火災で被災した63型=山陽700形2両を改造したのが最初で、当初は2002からの4編成と同じく前面非貫通、2ドアクロスシートの車体だった。
写真は須磨浦公園で。
前面に貫通扉が設けられたが、正面の雰囲気は非貫通時代の面影をのこしている。

2300 その2700形は、最初の2両のみクロスシートで、のちには2000系後期車とおなじ通勤仕様となるが、その通勤仕様の車両の機器類を3000系にあわせ高性能化したのが2300系。
トップナンバー編成をサイドから。
場所は大塩付近。

2601 こちらは第二編成、的形付近にて。
2300系は車体こそ2000系の面影を持っていたが、乗り心地は完全に3000系で、システム的にも3000系の一員であり、後に冷房改造まで施された。

277 2000系の亜流と言えば旧型車更新シリーズの250形も、2000系登場後にはデザインが2000系2ドア車に酷似したものとなった。
(それまでは800形のイメージの車体だった)
車体全長がやや短く、車内もすべてロングシートだったが総数20両を数え、一時の山陽普通車のイメージを決定付けていたかもしれない。
このあたりは名鉄のHL更新車と似た感覚だ。
写真は須磨浦公園における277ほか3連。
(なお、山陽や阪急では特急列車、普通列車のことを「特急車」「普通車」と言う言い方をするが、他の鉄道では見られない表現ではないだろうか)

313 さらに、戦前戦後の流線型200形も2000系ベースの車体に載せかえられた。
これが300系で、車体幅は広いものの、全長は15メートルで、2000系通勤仕様のドアから車端までのあいだの窓を減じたようなデザインだった。

写真は加古川橋梁にて。
一部は3000系登場後に落成したため、車内のスタンションポストは斜めになった形状・・3000系とおなじものだったが、車端の窓一つ分は立席になっていて、ここに立って窓を開け、海を眺めるのが心地よかった。
最も、性能は低く、運用が固定されていたように思う。

2000系は結果としてさまざまな試作的意味合いが強い系列となり、山陽の決定版としては昭和39年の3000系を待たねばならなかった。
3600 写真は須磨浦公園を行く3000系トップナンバーの編成で、この電車は今も健在。
本邦最初の量産アルミカーだが、結局コスト面から2編成のみアルミで製造され、しばらくは鋼製車の製造に切り替えられた。
次にアルミカーが山陽に登場するのは昭和56年だ。

3556 2000系のクロスシート特急編成3本が3000系の中間サハに改造され、3ドア、ロング化して組み込まれたが、写真はその初期の様子。
3555号、加古川橋梁で。
3000系に合わせたデコラを貼り、床も3000系とおなじ模様入りのものに改められていたが、独特の深い座席、それにOK台車の振動の少ない乗り心地が、かろうじて2000系であったことを想像させてくれる電車だった。

3563 この当時、阪神からも山陽2000系とおなじ時代に生まれた初期高性能車が入線していた。
まずは阪神最初の大型車、クロスシート特急車を改造した3061系。
場所は板宿と西代の間辺りだろうか。
直角カルダンの駆動音と、深い座席が心地よい電車だった。

3503 阪神の急行系最初の3501形。
場所は須磨寺付近。
2個一組の、まるで国鉄グリーン車のような側窓が印象的な電車だった。

57 ついでに、その当時の山陽電車の「電鉄姫路駅」
古きよき関西私鉄の香りが感じられる駅だった。

Photo そして、西代の旧本社。
画面右脇には神戸高速開業以前の西代下りホームと車庫への側線が見える。

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コメント

非貫通3枚窓が丸みに満ちた車体とも相俟って、オーソドックスなデザインながらも他社が非貫通は湘南形に走った為か、独特なものとなりました。
二扉と三扉、非貫通と貫通、クロスとロング、鋼製とステンレス製とアルミ製が織りなすバリエーションが、たった6年の内に現れたとはある面で驚異的ですが、山陽の模索の姿の投影とも云えますね。
その反動か成果か、以後は一気に3000系に収斂してしまい、趣味的には面白みが薄れてしまいました。
5000系ではクロスが復活、さて3000系代替は如何なる哉?

こうさん。こんにちは。

山陽、2000系、大好きでしたね。子供のころ、大塩にある親戚の家から帰るとき、「銀色の電車が来るまで待つ!」といって、親を困らせました。それも、3000系の1次車ではなぜか納得しませんで・・・
それと、山陽の運転士の父上を持つ幼馴染に聞いたのですが、山陽電車の路線は、車や、オートバイで言うところのテストコースみたいなもので、ホンダの鈴鹿サーキットの川崎車両版、みたいなもので、新車のうち何両かは、無償提供だ、ということを聞いたことがあります。
2000系は、その主だった車両だったのでしょうか?

 2000系は私にとって印象深い車両でもあります。こうさんの写真は昭和51年以降との事で、2000系の老後の余生(?)を送っている頃と言うのは言い過ぎかもしれませんが、最も活躍したのは昭和30年代後半から神戸高速鉄道が開通する前の昭和42年頃だと思われます。その時期には特急列車として兵庫-姫路間を力走していました。ただ、惜しむべくは、その頃軌道の整備があまり進んでおらず、せっかくの高性能車の力を十分発揮できていなかった状況で、どたばた走る印象は否めなかったと思います。
 写真にありますような時期になりますと、本線の殆どが50kg軌条+PC枕木化されましたので、縦揺れも少なく3000系よりもマイルドな乗り心地を楽しむことができました。このような条件下で2000系に活躍の場を与えてやれなかったのが残念だと思います。尤も、2000系アルミカーは、さよなら運転で、播州路を快走したようでありましたが。

仕事の関係で山電を良く利用していますが、3000系の中に肩開き扉の中間車があったのを覚えています。ちょっと変わった車両が好きな私は、わざわざその車両まで行って乗車していました。

3000系の一部が3連化されたものが増えた際に、真っ先に編成から外されてしまったようですね・・・。

 2000から3000系中間車(3550系列)への改造の際に捻出した主電動機(MB3037,110kw)を新造の3200系に流用した事も忘れられませんね。3000系付随車を増備し2000系は更新等により使用し続けるのが通常の考え方だと思われますが、このようなやり方の方がコストや工期等でメリットが大きかったのか、あるいは急な計画変更等によるものなのか、第3者からは興味があるところです。ただ、2000系のまま改造を経ずに一生を終えた車両(アルミ車、ステンレス車がメインではありますが)が残っていることから考えると、制御方式やブレーキ方式の問題などよりも、車両の増備計画の要因の方が大きかったのではないだろうかと考えたりしています。
 4連化できない3200系列が新造され、一方で2000系で原形のまま残っていたものがあった当時では、少々ちぐはぐさを感じたものでありました。

こうさん、みなさん、こんばんわ。
山陽2000系は思い出に残るクルマでした。
昭和43年の神戸高速鉄道開業当初はクロスシートがまだ残っていましたね。
オールロングシートの阪神線、阪急神戸線に乗り入れた場合は乗客の方々から大変珍しがられて『旅行気分ね』なんて話が聞こえてきたことを覚えています。
このクロスの2000系に乗ることが至福の喜びでした。
こうさんも仰るようにステンレスの2010Fが最高のクルマでした。
あまり目立ちませんが窓は2個一の連窓でしたね。
エアサスで乗り心地も申し分なくホント山陽のスターでした。
当時はまだ小学生高学年で同一形式とは知りませんでした。
古き良き時代でしたね。

2700も当時は2000、3000に混じって特急運用に就いていましたが高速線内の爆音には少し閉口しました。
この2700のルーツは63の割り当てですが800→700→2700→2300→3560と5度形式が変わりました。
これも非常に珍しいことではないでしょうか?

重箱の隅ですが2010Fのシールドビーム2灯化はロングシート化と同時ではなく、それよりもかなり前だと思います。2010Fのクロスに乗車したことは何度かありますがすでに2灯化されており、原型の1灯の時代は記憶にないのです。
あ、それと2000を分類する場合、車体の材質、ドア数、シートの他に台車の違い、内装のデコラorメラミンや蛍光灯のカバーのありorなしもありますね。
細かいことでごめんなさい。m(_ _)m

あづまもぐらさん>

2000系のバリエーション、関東でこれだけのバリエーションをもつ系列を探すとなかなかでないかもしれません。
京王3000系のバリエーションが非常に豊かですが、車体はステンレスだけですし・・

山陽3000系も統一感はありますが、実にバラエティに富んでいます。
後の改造でさらにバリエーションが増え・・
そして今の5000系ですがこちらのバリエーションもなかなかのもの・・
山陽という会社はこまめに改良の出来る会社なのかもしれません。


丘オフローダーさん>

川崎重工が山陽大株主の一人で、それは試作品を走らせて貰うためだと聞いたことがあります。
もっとも、全部川崎車両=川崎重工からの無償提供ということはないのでしょうが、最初のステンレス、アルミ、あるいは新型台車などはその試作分的な部分を川崎車両が負担していたのかもしれませんね。


yossy-yさん>

この当時、まだ重軌条化は完成しておらず、東二見以西では37キロのレールの上を3000系がドタドタと飛ばしていました。
僕自身は2000系の主役時代を知らないのですが、その時代、見てみたかったです。

2000系のモーターなどを流用した3200系、今も走っていますね。
ということは、2000系のモーターは今も健在ということでその魂は残るということでしょうか。

山陽が2000系を3000系のサハに改造したのは神戸拘束開業による車両需給から特急車両を3ドアに統一、さらに特急の4連化を推進する必要性に駆られたというのが正直なところではないでしょうか。

しかも、制御器は欠点ではないものの、メンテナンスが複雑で、その数を減らしたかったということでしょうね。


akeyanさん>

改造を重ね、しかも初期高性能車特有の脆弱さもあり、山陽としては出来るだけ早く3550形は運用から外したかったのでしょうね。
ただ、冷房改造などでは意外に丁寧な仕事をしていて、もったいないという気もしました。

紀州さん>

2010のヘッドライトの改造は比較的早かったんですね。
失礼しました。
2000系シリーズの優しい乗り心地、滑らかな加速は本当に思い出の中にしっかりと残っています。
出来れば、残る一編成、整備して走らせて欲しいなぁ・・

 昭和51年から57年頃だと、確かに、重軌条化はまだ完成していなかったかもしれません。山陽が明石以西で100km/h運転を始めたのが昭和60年頃なので、その頃に凡そ終了しているのでしょうか。。
 私が神戸-姫路間を毎日往復したのが昭和47年~51年ですが、全てロングシートの3000系特急に置き換えられていて、JR(当時国鉄)の快速や新快速(その頃登場)の方が旅行気分を味わえたものでした。尤も37kg軌条とは言え明石以西は比較的良く整備されており、50kg軌条には負けますが、90km/h近辺でもそれ程ひどい乗り心地ではなかったと思います。認可速度90km/hとの事でしたが、Max 100km/h位に達していたことは割とあったのではないでしょうか。尾上松東方のカーブを通過した後、勾配を下り、車体をびりびり震わせながら当時浜の宮駅構内にあったポイントを駆け抜けていた頃が大変懐かしいです。
 

山陽はクロスシートを有効利用するのが大変得意に思えますね。古くはこうさんもお書きになってますが2008Fのシートは2010に移植されましたし、記憶の新しいところでは5000系固定クロスを転クロ化したとき経年の新しい3050をセミクロス化しましたね。
ところで2700+2701の転クロはロング化改造でどうなったか?私の知る限りどの文献にも載っておりません。
ご存知の方がおられましたらぜひご教示下さいませ。

2700+2701はロング化された後、正面が貫通化されて方向幕も取り付けられ、遠めには270系っぽいデザインになりました。
さらに車体の大きさと高さが異なる3扉の2700系と連結され、なんともチグハグなローカル私鉄のような組合せで神戸高速を通り抜け、阪神・阪急まで乗り入れておりました。
2000系と勘違いして喜んで乗ったら、乗り心地は悪いし音は轟音だし、よくガッカリしたものです。

yossy-yさん>

37キロ軌条で別府付近、電車は3058F、これで最高105キロ運転を見た記憶があります。
当時の山陽も国鉄も鷹揚な時代だったのでしょう。
スピード違反は日常茶飯事、むしろ制限速度を守って走る運転士を物足りなく思ったものでした。

紀州さん>

当時、外されたくクロスシート・・
2700もそうですが、2000系3連3本分、どうなったのでしょうね。
当時は転クロ受難の時代、もしかしたら、積極的に転クロに改造までしていた名鉄あたりへ行ったのでしょうか。

2000系ファンさん>

僕は2700は好きでした。
爆音ともいえるモーターの音、地下線で過ぎに別ったものです。
ただ、2000系特急全盛期と、すでに2000系が3000系の裏方に回った時代とでは印象は替わってくるのかもしれません。

2700系の爆音って足回りが63系なので、きっと東武の5070系みたいな音だったんでしょうね。
5070系は最近まで走っていたので、YOU TUBEでの吊掛音を収録したネタが豊富でたまに聞いて2700系の音を想像したりしています。
さすがに2700系そのものの音ネタはないですね。
270系はありましたが、車外収録なのでいまひとつ。

2000系ファンさん>

国鉄のロクサンとおなじ音のはずですが、なぜか山陽のほうが音が大きく感じました。
地下線に入るということもあったのでしょうね。

270の音はツリカケ車としては軽やかで伸びやかな音、300はドタドタと、しんどそうな音でした。

300系は音がでかいわりに加速してないなぁというのが印象です。
飾磨港線と網干線が立体交差するあたりに住んでいたので、飾磨駅の坂をグォーンという爆音で登ってくるのに、時速は40 kmぐらいなもんでガタンガタンと走って行く300系、たまに200系が毎朝のモーニングコールでしたので。
当時は姫路飾磨ノンストップで、飾磨でスイッチバックして網干行きでした。

2000系の思い出は、高砂に住む祖父に連れられての姫路駅から乗る時の1番線の木製長椅子を2000系の扉ごとに合わせ長くつらねているのに座って待った特急待ち。(ホームの両サイドにびっしり連なっていました)
転勤も多かった伯父・いとこのもとに向かう神姫バスの姫路駅ターミナルの山崎行きバスも同じようにして座って待って乗った毎夏の昭和38年から41年ごろまでの思い出です。
こんな乗車待ちのシステムも神戸高速鉄道開通の頃には全く姿を消してしまったので、今も強烈な幼少期の記憶です。
当時は利用客も多く特急が来るまで座って待つのも長い列ができており、ホームに停まっている特急が満席なら次の30分後の特急を待って乗るのもあたりまえだったという状況でした。(祖父も孫連れとしては、長旅で疲れていたのかも?)
そして待って乗った2000系特急に、乗りこんで転換クロス車に当たれば最高気分、なぜかまれに来るロングシートは大損気分、祖父に「こんなん特急ちがう!、もう一本後のにしよう!」と言い祖父が困った顔をしたのも覚えています。
正直、高速鉄道乗り入れまでが、2000系の一番輝いた時代だったのででしょう。
それと普通しか停まらない荒井住民には特急は高嶺の花で、最期の2010ステンレス車のクロスシート時代の昭和45年に普通ですが乗れたことも今となっては貴重な思い出です。

キッコーマンさんの書き込みを読んでいて、私も昔の記憶が蘇りました。
神姫バスの長椅子、そうでしたね!!!
一方姫路市営バスはそういうのがなく、立ち待ちでした。
山陽電車の2000系に関しては、それが来るまで親にねだった記憶があります。
やっと来たと思ったら、2000,2001,2008,2009と吊掛2700で、乗ってみたらロマンスシートじゃなくてがっかり。
アルミやステンレス2000系3扉もはずれくじでしたね。
今から思えば、当たりに乗れる確率は、約半分だったんですね。
明石からロマンスシート車に乗れたのに、車両故障で加速が悪くなって、東二見で270系に車両交換になったこともありました。
これは子供心にショックでしたね。
そんな子供をワクワクさせてくれる魅力タップリの2000系でした。

2000系ファンさん>

300系はドタドタした走りという印象があります。
実は300系の前身、200形の走りが文学作品に出ています。
椎名燐三「美しい女」で、この作品には戦前の山陽電車が沢山出てきますが・・このなかに「どしたどしたと走る」という表現がありました。
(なお、山陽電車の本社前にこの作家の文学碑があります)

今、僕は直通特急に乗るとき山陽5000系が来ると「あたり」阪神1000系が来ると「はずれ」だと・・感じてしまい・・
それは昔の乗客の方々も同じだったのですね。

キッコーマン専用線さん>

山陽電車の待ち合わせシステム・・今も山陽バスで健在です。
垂水駅・垂水東口駅では乗客は長いベンチに座って待ちます。
以前の垂水バスターミナルだと完全にベンチに座れたのですが、今は屋外なので難しいところです。

僕は山陽2000系のクロスシートには乗ったことがなく、羨ましい限りです。

 自慢話ではありませんが、終戦後の山陽の車両として挙げられているものには殆ど乗っているのではないかと思っています。ただ、800系、850系のクロスシート車の頃は、かなり幼少でしたので、乗ったことがあると言っても、あれがそうだったのでは・・・と思える程度です。
 余談になりましたが、2700系について少しコメントしますと、140kwのMT-40を装備していたので、確かに走行性能は確保できていたと思いますが、乗り心地については正直言って良くありませんでした。当時の国電が同様な性能の車両(72系等)を走らせており、台車が改良されていたことによると思いますが、遥かに軽快な走りであったと思います。700系から2700系への更新時に足回りに手が加えられなかったのはなぜだろうかと、今だに疑問として残っています(制御機についてはCS-10に置き換えたものがあるが)。例えば、先の850系ではオイルダンパの装着、軸受の変更等、種々行われています。DT-13に改良の余地がなかったのか、手を加えることにコスト的メリットがなかったのか・・・。いろいろ憶測されるところですけれど。

 山陽の63系車両について補足しますと、走行時の轟音は半端なものではなかったと記憶しています。特に700系の起動時の振動が大きく、確か小学校の遠足時に詰め込まれた悪童たち(私もそのひとりですが)が、床がびりびり震えて足がかゆいと言って騒いでいました。この頃の700系はかなり酷使されて疲れ果てていたのかもしれませんが、兵庫-明石間では駅間距離が短く、普通車ではノッチのオン、オフ、ブレーキ操作の繰り返しとなるので、このような車両では使い辛い面があったのではないかと思われます。
 さすがに2700系に更新された後にはこれ程のことはなかったと思いますので、何らか対策が取られていたのではないでしょうか。このような時期の車両は旧型車あり更新車あり、アルミ車あり、ステンレス車あり、それぞれ個性が発揮され、面白い時代でした。また、800系や850系もそうですが、吊り掛け車のMT編成では当然ながらT車では吊り掛け音がしませんので、何とも言えないアンバランスさが楽しめました。
 なお、先ほどYOU TUBEで東武の5070系の音を聞いた印象としては、700系や2700系に比べて軽快でやさしく聞こえ、当時の国電に近いと感じた次第です。

味わい深いコメントが続いていますね。
700系・・かなりの轟音吊掛で有名な5070系をも上回る轟音・・・いやぁー聞いてみたいもんですね。まず無理でしょうけど。
700系は私も乗ったことがありますが、加速した後のカランカランという乾いた音が記憶に残っています。
吊手が白ではなく、茶色だったことも子供心に強烈に焼きついています。
300系の音で印象的だったのは停車した後床下から振動とともに響いてくるコンプレッサーの音ですね。
乗り心地が悪く、吊手がカチンカチン音をたてて荷棚にぶつかってましたね。
まだ方向幕がなく、ごっつい貫通幌を付けっぱなしで走っていた頃です。

yossy-yさん>

もしかすると、軌道の整備状況の問題もあったかもしれません。
国鉄の場合、72系が走る区間は殆ど重軌条化されていたのに対し、山陽の場合、未だに37キロレール区間もありましたし。
もっとも、僕自身も神戸高速線での強烈な爆音を聞いていますからやはり、車体、台車のセッティングだったのでしょうか。

それにしても、山陽の殆どの車両を乗られたとは羨ましい限りです。

2000系ファンさん>

僕自身、実は飯田線のモハ52で、とてつもない爆音を味わっています。
びびり振動も強烈でした。
モハ52が戦前の製造時からこのような状態だったとは考えられず、やはり、車両の整備やセッティングの問題だったのでしょうか。

300系の吊手、そうそう、荷棚に当たっていましたね。
別府鉄道みたいだと・・思ったものでした。

こう様

 ご多忙と思われますが書き込み有難うございました。山陽700系については、元々国電として設計された63系を単純に標準軌仕様にしたという点で、ハンディーを抱えていたのではないだろうかと思っています。文献での情報でしかありませんが初期の運用の頃に主電動機を固定しているビス類がゆるみギアが空転したとか、単純に拡幅したことにより軸強度が不足したので後年材質の良いものに交換したとか書かれていました。ただ、主電動機の出力面では申し分なく、神戸高速鉄道開業後の数年間は3000系の増備を補うべく、2700系に改造後、相互乗り入れ用車両としての使命を果たした点では注目すべきと思います。

300系は別府鉄道みたい・・
いい例えですね。
あれほど激しく揺れた車両は山電唯一でしたね。
もっとも見かけは新しいですが、足回りからなにまで全て200系ですからね。
戦前の路面電車なみの性能だったということでしょう。

yossy-yさん>

この当時、国鉄の車両は将来の改軌を見込んで長軸で設計されていました。
これは、車軸に二段の車輪取り付け部があり、外側を使えば標準軌に、内側を使えば狭軌になるというものでした。

ただ、狭軌でモーターを載せている場合と比せば、車軸の絶対的強度は不足します。

当時、関西私鉄で軌道条件の良いところでは200馬力モーターを搭載した大型電車を使っていましたが、国鉄はそれに近い状態の電車を日常的に使っていたわけで、当初は山陽にとって巨大と思われたその性能も、やがて高速化時代には、本来の性能を発揮できていたのでしょうね。

2000系ファンさん>

足は遅く、揺れは最高・・
今でも、ふっとあの頃の300系に乗りたくなります。。

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