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2012年3月

2012年3月23日 (金)

南海「サザン」登場の頃・・緑の「サザン」

南海電鉄の特急列車については以前の2回のエントリーも参照していただきたい。
南海線特急四国号1001系から現在の南海特急を見る
あの頃の南海電車

さて、昭和60年、南海本線に「四国」号に代わって「サザン」がデビューした頃のネガが出てきた。
プリントやポジなら変色も少なく、安心して見ていただけるのだが、ネガフィルムで30年近い年月を経たものとなると、どうにもネガの劣化が避けられず、画像処理ソフトで何とか見ていただくに耐えるとまでは行かないまでも、それなりに写真らしく復元も出来たので今回はこれを見ていただこうと思う。

場所は鳥取ノ荘・箱作間か・・

00 まずはデビューしたばかりの「サザン」難波行き。

当初、1001系一本を廃車し、これの電動車の機器類を使って2連4編成が用意された。
下回りは1001系更新の際に改造されたもので、7001系と共通であり、今に至るも7001系、7101系と編成を組んでいる。

007001 7101系トップナンバーの急行、難波行。
この頃既に製造20年を経たベテラン電車だった。
今も健在なのは驚くばかりだ。

008000 1001系の代替として登場した、南海本線では始めてのステンレスカー、9000系。
関東の電車風に見えるが、側扉や窓の配置は関西型の4ドア車だ。
緑の帯は改めてみると、落ち着いていて還って新鮮味がある。

0010903 通過する難波行き「サザン」。
塗装一つで電車の品位がこれほどに出るものかと・・これはあくまでも個人的感想。
だが、南海にはやはり、緑のイメージが欲しいと思うのは僕だけではないだろう。

0010902 和歌山港行の「サザン」。
1001系の頃は座席指定料金を支払わなくてもクロスシートに座れた。
「サザン」では指定席はリクライニングシートになってデラックス化されたが、自由席は急行とおなじロングシートになった。

Photo この後、1001系の廃車とそれの機器の使用により「サザン」10000系がさらに増備され、今では自由席・指定席ともに4両が基本になっている。
Photo_2 自由席の車両はずっとこの当時のままの7001系、7101系だったが、昨年、久しぶりに製造された「サザン」新型電車はその連結相手の自由席も新型となり、30年以上ぶりに新しい組み合わせになったけれども、列車の風格という点では今の「サザン」より、登場当時の緑色の「サザン」のほうが上だったように思えるのは・・これもあくまでも個人的感想である。

2012年3月15日 (木)

昭和51年、阪和線天王寺駅。

今では特急列車や大半の快速列車の発着もかつての関西線ホームとなった阪和線天王寺だが、昭和50年代、まだまだ行き止まり式のホームが私鉄ターミナルのごとき雰囲気を醸し出していた。
関西の私鉄ターミナルと言えば、阪急や阪神の梅田、南海の難波、近鉄の上本町、阿倍野といった広大な頭端式ホームが主流で、阪和線も環状線や関西線より一段高いところにある私鉄風のターミナルだ。

これは、この路線が阪和電鉄と言うかつての大手私鉄からスタートしたことによるもので、昭和初期の高速電車の大流行当時の作品でもある。

ただ、阪和線には長距離を行く特急・急行も多く走っていて、私鉄風のターミナルと上野駅風の長距離列車発着駅という双方の顔を見せる駅でもある。

70 まずは大屋根の下に停車する区間快速70系電車。
この大屋根は現在も健在だ。

70_2 発車前の70系。
当時、区間快速が4両編成だったこともあり、阪和線では最も混む列車種別だった。

113_2 行き止まりのクルマ止めの向こうには快速電車113系が停車している。
新快速にはヘッドマークがついたが快速運用のときはヘッドマークを折りたためばただの青い板になる。

10370 ホームの様子。
103系と並ぶ70系。
この当時、基本的に快速・新快速は113系ブルーライナー、区間快速が70系、普通が72系や60系の旧型電車と当時新車だった103系と運用が半ば固定化されていた。

60 発車を待つ旧型電車。
60系と呼ばれるシリーズで、戦後に阪和線に転入してきた。
こちらはシルやヘッダのある初期型。
雨の風情がまた格別でもある。

60_2 そのおなじ電車の反対側。
ノーシル、ノーヘッダ、半流線型の戦前最高峰のデザイン。
張り上げ屋根が普通屋根になり、前面窓がHゴムになっているが、幌もつき、面影は十分だ。

55 クハ55。
中間にクラシカルなクハ55が連結されていた。

60_3 旧型電車の車内。
既に新性能化が完了していた南海本線に比べると、どうにも古臭いイメージは免れなかった。

113 新快速113系。
京阪神新快速は153系だったが、阪和線には転用された113系が使われた。
ブルーライナー塗装だったが、後にはレッドライナー塗装も使われた。
停車駅は新快速は鳳のみ、快速は堺市、鳳、和泉府中、熊取、和泉砂川で、新快速は阪和間45分、快速は52分だった。
いずれも日中60分ヘッドの運行、区間快速は鳳から先が各駅停車で、こちらは30分ヘッド、考えれば今の阪和線はこの倍以上の列車本数になっている。

81 特急・急行ホームに停車するキハ81「くろしお」
「くろしお」のうち、2往復にはキハ81が使われていた。
食堂車もつき、名古屋まで紀勢線をロングランする列車だった。

81_2 キハ81が停車するホームの風景。
「阪和ライナー」も消え、格別なホームを印象付けたこのホームの風情は失われてしまった。

Photo こちらは最近の阪和線天王寺駅。
当時と変わらぬ103系が生き残り、大屋根の下に停車している。

Photo_2 そして、先ごろ引退した113系のブルーライナー塗装、和歌山駅にて。
なお、おなじ113系だが電車は当時のものとは変わっていた。

2012年3月 3日 (土)

阪急三宮有情

神戸三宮のそのシンボルでもあり神戸市民の誇りの象徴でもあったのが阪神電車の三宮駅ビルである「神戸そごう」と、阪急電車の駅ビル「阪急会館」だった。
「神戸そごう」はかの阪神大震災でもかろうじて持ちこたえ、大規模な修繕を経て今も健在であるが、もう一方の「阪急会館」はその姿なく、震災16年を経て今もなお、仮設のままだ。

その阪急会館、阪急三宮駅ビルの夜景の写真を見ていただこう。
なお、フィルムはISO3200のコニカGX3200、カメラはニコンFE2あたりで、絞り優先、35ミリレンズ1.4開放だ。
これでシャッター速度はようやく60分の1秒くらいだろうか。
粒子が荒く見えずらいこと、電車のブレを補正できていないこと、レンズが開放で光源が滲むことなどご承知いただきたい。

撮影時期は僕が阪急六甲で写真の仕事をしていた頃だから今からざっと20年ほど前のことか・・
平成になったばかりの頃だと思う。

006000 JR三ノ宮駅ホームから見た6000系電車の様子。
電車が通過するガードの下を神戸最大のメインストリート、フラワーロードが走る。

006014 その6000系普通電車が駅ビルを出る様子。
かつての阪急梅田と共通のイメージ、アーチ型の電車入り口が阪急のモダニズムを感じさせる。

003026 こちらは3000系3076の特急。
更新され気を吐いて活躍していた頃の3000系。

005057 三宮駅中線に停車する5000系の普通電車。
駅ビルは取り壊されたが、駅設備そのものは今も当時のものが受け継がれて使われている。

00 駅舎一階のコンコースの様子。今でこそ待ち合わせ場所は数あれど、この駅のコンコース、映画館の前、宣伝用のテレビのあるあたりは恋人たちの待ち合わせに使われた。
かくいう僕も、ここで女の子と待ち合わせ、青春の気恥ずかしいような思い出のある場所でもある。

00_2 フラワーロードを渡るのは新進の6000系か・・
この町の賑わいこそが、神戸三宮だ。

00_3 駅舎の外観。
神戸の町と阪急のイメージがこれほどに具現化された建物はほかになかった。

阪神淡路大震災でこの駅ビルは無残な姿を晒して、それでも倒壊はせずに耐えていた。
だが、その被害はあまりにも大きく、鉄道の再開を急がねばならぬ事情もあり、復旧するよりも解体されることになり、震災2ヵ月後にはその姿を消していた。
このあたりの事情は、建物の復旧工事をしながらでも電車の営業が通常に出来ていた阪神三宮駅とは違うものだろう。

ようやく三宮に阪急電車が帰ってきたその頃、モダンな神戸の、最もモダンな建物であったにもかかわらず、急いで開通させた阪急電車三宮駅の仮設コンコース周辺は板囲いばかりで、なぜか悪臭の漂うものだった。

そして、仮設の約束でとりあえず造られたこじんまりとした駅舎は、震災17年を経ても仮設とは思わさぬほどに風景の中に溶け込んで今も現存している。

00_4 写真が数日前の阪急三宮駅の様子。

ハーバーランドから百貨店を撤退させる阪急だが、この会社にとって三宮は格別な意味のあるところでもあり、いずれはここに新しい時代の阪急のシンボルが出来るものと期待はしているが、それにはこの場所の駅機能を地下に移して、神戸市営地下鉄との相互直通運転を実施するのが前提だと言わんばかりの状況。
阪急の気持ちはわかるし、そうなって欲しい思いもあるが、三宮の風景に阪急がないのは考えられない・・
それが神戸市民の想いでもあると、阪急には知って欲しい。

けれど、渋谷から地下に移る東急の風景が消えるのと同様に、三宮から阪急の風景が消える日もあるかもしれない。