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2012年2月10日 (金)

国鉄高砂線廃止直前の高砂駅と高砂港駅。

昭和59年12月、国鉄高砂線が廃止された。
第一次特定地方交通線だった路線で、この路線そのものの概要は過去ログ「高砂線」をご覧戴きたい。

今回は廃止直前の高砂駅と高砂港駅の様子だ。

Photo 高砂駅は木造の上に鋼板のようなもので改装された、ちょっと変わった雰囲気の駅だった。
これは南側から見た様子。

Photo_2 これは北側から見た様子。
廃止直前の記念乗車券を発売している様子がわかる。

Photo_3 駅構内を北側の踏切から遠望した様子。
時刻は晩秋の夕方5時頃か・・
気動車が停車している。

Photo_4 ホームの様子。
クラシカルな上屋が、駅舎外装の改築では隠し切れない歴史を物語る。

Photo_5 ホームから高砂港方面を見た様子。
十輪寺だろうか、古い寺院の特徴ある建築が見える。
ここから先に行くのは貨物列車だけだ。

Photo_6 高砂駅の転轍機。
駅員が忙しく立ち働いていたのは既に過去の光景となっていた。

35 ホームに停車する気動車。
歴史のある中都市の街中に位置する駅なのに、旅客列車は日に十数本しかやってこなかった。

Photo_7 駅北の踏切を渡る列車。
町並みの古さが気動車によく似合っていた。

Photo_8 その踏切に、高砂線廃止の案内看板が出ている。

Photo_9 国鉄高砂工場や神戸製鋼所、三菱重工、キッコーマンなどへの引込み線も街中を貫いていた。

Photo_10 こちらは高砂港駅。
旅客列車はやってこないが、ホームの跡がある。
かつての旅客営業の名残だろうか。

Photo_11 高砂港駅の構内。
広漠とした、寂しい風景。
貨物列車全盛時代にはここにはたくさんの貨車や機関車が居たのだろう。

2 放置されていた2両の日通所属の入換用機関車。
国鉄部内では構内入換機と称されるレベルのものだが、地方私鉄では堂々とこのタイプが機関車として使われていた。

2_2 その2両の側面。
前の機関車のほうがより「機関車」らしく感じる。

Photo_12 前の機関車。
雑草が線路の放置期間を物語る。

Photo_13 そのサイド。
とても入換用の機械には見えない。
どこかの私鉄で働いていたものだろうか。

Photo_14 やや後ろからサイドを見る。
運転室の窓に旋回窓・・
北国で使われていたのだろうか。

Photo_15 反対側サイド。
国家の都合で職を追われたもの言わぬ機関車。

Photo_16 キャブの室内。
ディーゼル機関車初期のにおいがする。

Photo_17 旋回窓と運転台。

Photo_19東急車輛の銘板。

昭和32年製だ。

W4 こちらは後ろに繋がっていたほうの機関車。
より「入換機」に近い近代的な香りがする。

デザイン的にもシンプルだ。

Photo_18

その銘板。

昭和40年、日本輸送機の製造。

高砂線が消えてはや28年になる。
今やそこに鉄道があったことを知らぬ住民が大半だろうか。

Photo_20 加古川を渡る貨物列車。
消えた鉄道はやがて記憶の中からも去っていくのか・・

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コメント

懐かしいニチユの日通のディーゼルロコ、高砂駅からキッコーマン専用線まで、ワムやトムを引っ張って、空瓶や大豆・小麦を運び、瓶入り醤油を積んでキッコーマン専用線から高砂駅まで帰っていく姿。
わずか2線の専用線終点でも2色の旗を持っての、入れ替えが有って、ワムやトムの一部はさらにキッコーマンの工場の中に。結構飽きずに見たもので。
日通ロコが高砂方向へ引き上げたら、留置貨車に掴って入れ替えの合図のまねをしたり、ダルマポイントを切り替えてよく遊んだものでした。(これ今なら大問題?すべておおらかな時代と改めて思う)
高砂線とそれに連なる専用線も、もう消えて30年近くなり、時間の経つのは早いもの。
そういえば醤油もほとんどペットボトル入りになり、瓶入りは見なくなり、そうして時代は、移っていくのか。

高砂線が廃止になった数年後、旧高砂駅の近くで八百屋のバイトを始めました。
その頃には線路もすっかり撤去され、舗装道路になってはいましたが、腕木式の信号機などの残留物はちらほら残っていました。

国鉄高砂工場の跡地に某飲料メーカの工場が建ちましたが、私は建設プロジェクトの一員です。
建設時に入れたシステムが今月から設備更新に伴い、撤去されました。
高砂という所は、常に時は流れ、形は変わっていくものであるという事を実感させられる場所です。

こうさん、毎回楽しく拝見させていただいております。
今回の特集、まさしく私の鉄道趣味の礎になった場所です。毎日、夕方4時位に加古川から到着する貨物列車の入れ替えを飽きずに見ておりました。残念なのは、廃止になった頃、高砂にいなかったため、貨物営業、高砂工場、高砂線自体の廃止、それぞれを直接見ることができなかったのが、大きな悔やみとなっています。高砂港にあった百両近い貨車をどうやって、移動させたのか、廃止間近の高砂工場の入出場車 (廃止間近には、今まで入線のなかったタンク車も廃止解体のため入線したとの話)を瞼に焼き付けてなかったのが残念です。

キッコーマン専用線さん>

ハンドルの由来はまさにこの引込み線でしたね。
荒井の先までずっと伸びていた専用線、いまは地元の方々でもそれがあったことすら知らない方々が大半でしょうか。
時代の移ろいはなんとも侘しいものです。

悪い猫さん>

僕とも不思議なご縁があるのですね。

工業地帯は常に時代を先取りせねばrならず、そういう意味では大都会の真ん中よりも時代の変化に敏感なのかもしれません。

旧高砂市民さん>

最後のころは貨車はおろか、客車や気動車も普段走らないような車両が次々と送り込まれ、高砂線との接続が切られた高砂工場では「余剰人員」による廃車解体作業が延々と行われました。

ただ壊すだけの仕事のつらさ・・
そこにいる車両たちの寂寥・・
想像するに余りあります。

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