フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 2012年1月 | メイン | 2012年3月 »

2012年2月

2012年2月26日 (日)

国鉄鷹取工場、昭和53年8月。

国鉄鷹取工場でのネガフィルムが出てきた。
すでに拙ウェブサイト「こうワールド」の「国鉄高砂工場」内で既出のものもあるが、改めてスキャンしてみていただこうと思う。

撮影日は昭和53年8月19日とある。
終業後の鷹取工場内をコンパクトカメラ「オリンパス35ED」を隠し持っての撮影だった。

なお、鉄道ファン諸氏には一部ショッキングな写真が含まれること、ご承知いただきたい。

Dd13 入場建屋にDD13が留め置かれている。
全国何処でも見られた小型の入換機だが、入換用のわりにはブレーキの効きが悪く、蒸気機関車でも入換用に使いやすい9600形が長く活躍する結果となった由。

2 入換用の機関車と言うより、国鉄部内では「機械」。
一部は工場でも自作していた。
これは入換のためにここに居るのか、それとも全般検査のために居るのか、ちょっと不明。

Dd51 ディーゼル機関車のエンジン。
こちらはDD51のものだろうか。
DML61系のエンジンが二つ並んでいる。

Dd54 こちらはDD54のもの。
V型16気筒DMP86だ。
このエンジンは鷹取工場で集中整備されていて、精密なエンジンの分解、組み立てができる設備があった。

Dd541 そのDD54の廃車解体の様子。機関車の廃車はまず、車体の箱を外して、主要機器を取り外さなくてはならない。まだ、まっさらのような機関車の解体・・
当時、廃車解体は主に定年退職された先輩たちが勤めていた下請け会社の仕事だったが、その方々の心中や如何に・・

Dd542 そのDD54サイドビュー。
前にあるのがSG(蒸気発生装置)その後ろがエンジンだ。

De10 こちらはDE11か?
事故で廃車になった機関車。
調べると、この年の6月1日に吹田操車場内で事故があり、その被災車両ではないだろうか。

103 冷房改造に入場したクハ103。
この当時、山手線ATC化工事のために、京阪神緩行用に作った編成の両側TcをATC装備させ、山手線に投入、京阪神緩行線には新車の中間車と、東京から流れてきた先頭車が組み合わされて投入と言うことになった。

このクルマも南シナの標記がある。

111 こちらも冷房改造工事に入場している113系電車。
レッドライナーかブルーライナーか判別がつかないが、ブルーライナーの車両を見た記憶はないから関西線の快速用だろうか。
鷹取工場は機関車、貨車を中心とする工場で、当時、受け持ちの電車はなかったが、冷房改造が忙しい時代、電車職場を立ち上げて103系113系の冷房改造工事にいそしんでいた頃だ。

Photo 鉄道学園鷹取分所の実習用機関車、「若鷹号」。
元々、四国の阿波鉄道の古典機関車だが、分所の前身「鷹取技能者養成所」の実習用に改造されている。
分解、整備、組み立て、試運転を繰り返したと言うが、この頃では分所のシンボル的存在だった。なお、今は嵯峨野観光鉄道で保存されており、ぜひ一度しっかりと実情を見てみたいと思っている。

Photo_2 鉄道学園寮からみた鷹取工場の風景。
左の新しい建物が食堂、正面左の大きな建物が機関車職場、右手なにやら溶鉱炉のようなものが見えるのは鋳物職場だ。

このあたりは今、まったく新しい町に変貌していて、もはや記憶の中でしか追えない光景でもある。

2012年2月20日 (月)

平面交差のあった町、京都・・市電、京阪、叡山電車の風景。

昭和51年の冬だと思う。
京都へ電車を眺めに行った。
京都に行っても寺社など目もくれないで電車ばかり追いかけるのはこれは今も昔も同じだ。

ただ、電車が走っている風景が場所によっては随分、様変わりしている。

その最も大きな変化が鉄軌道同士の「平面交差」だろう。
路面電車の平面交差は全国には結構あったし、高速鉄道の平面交差も西宮北口のものが随分あとまで残ったけれど、京都では市電の廃止とともに見られなくなった。

それと、もう一つの大きな変化は、これは以前にも書いたが京阪電車が鴨川土手から地下に移り、京津線も京都市内の併用軌道が廃止されその区間が京都市営地下鉄に変更されている。

さて、当時は私鉄のほうが国鉄より高く、安くつけるには断然国鉄だった。
だから、国鉄京都駅から京阪七条まで歩いてここから写真を撮影し始めた。

1616 京阪七条駅を横目に、鴨川を渡るのは京都市電の古参、1616号。

603 京阪電車の急行はツリカケ600形だ。
戦前の名車、1550,1580形(→600,700形)の機器類を使い、車体を新調した電車だ。

2045 まだ冷房改造されていない2000系の普通電車。

3012 七条の駅には京阪3000系の淀屋橋行き特急、3012が停車している。

26092215 京都市電2609が踏切を渡ろうとすると冷房改造されたばかりの2200系が発車していく。

2609 京阪電車をやり過ごして七条大橋を渡る京都市電2609号。

3509 京阪電車、3000系と1800系だろうか、踏切を渡るが、ここには路面電車があるから遮断機がなく、電車が通過するその横で、大勢の人が道路を横断する。

1800 東側からみた平面交差。
電車は1700系か1800系か・・

91 次は東山三条。
ここは京津線と市電の交差地点だった。
もっと、辛抱強く待てばいいのに、当時の僕は待てなかったのか・・京津線と市電の車両の出会いはネガには残っていない。
やってきたのは普通電車専用の80形91,92の編成。
路面電車であるけれど、低床構造になっておらず、路面の停留所から乗降するのは折りたたみ式のステップを登らねばならなかった。

28092 その電車と250形280の編成がすれ違う。
こちらは準急と石山坂本線専用の電車。

24 次は元田中。
ここは京福電鉄叡山線と京都市電の交差点だ。
やってきたのはデナ20形24、デナというのは電車の中型(なかがた)を表しているらしい。
アールのついた3枚窓、非貫通の顔立ちは戦前一時期の関西私鉄観光電車に流行った「ブーム」だ。

500 阪神からやってきたデナ500形507が道路を横断する。
阪神では急行用831形として知られた電車だ。

500_2 出町柳へ向け、走り去る507号。

3021850 デオ300形302が道路を横断する。
踏切警手が立ち、京都市電1850が叡山電車の通過を待っている。

507 さきほどの507号が戻ってきて、古風でシンプルなホームに停車する。

301302 デオ300形同士のすれ違い。
デオは大型の電車を意味するらしい。
一般の電車よりは小ぶりだが叡山電車では大きいほうなのだ。
この電車は叡山線唯一のカルダン駆動。

2611 たぶん、その近くだろう、京都市電2611号が走る。

かつての京都の電車たちには、いかにも京都といった穏やかなイメージがあったように思う。
京都市電が消えて30年以上、京阪電車が地下にもぐり、京津線も市内中心部から消えた今、こと、電車に関しては京都らしい風景が薄れてしまっていると感じるのは僕だけではないだろう。

2000 京都市電1900形だろうか・・
その車内。
まったりと走る京都市電の存在はもはや思い出の中にしかない。

なお、京都市電については過去記事「京都市電」もご覧戴きたい。
(今回のエントリーと重なる写真がありますがご容赦ください・・なお写真はすべて新たにスキャンしました。)

Photo さて、先日、久々に元田中の踏切を覗いてみた。
立派な遮断機がついた踏切を、新型観光電車「きらら」が通過していく。

2012年2月10日 (金)

国鉄高砂線廃止直前の高砂駅と高砂港駅。

昭和59年12月、国鉄高砂線が廃止された。
第一次特定地方交通線だった路線で、この路線そのものの概要は過去ログ「高砂線」をご覧戴きたい。

今回は廃止直前の高砂駅と高砂港駅の様子だ。

Photo 高砂駅は木造の上に鋼板のようなもので改装された、ちょっと変わった雰囲気の駅だった。
これは南側から見た様子。

Photo_2 これは北側から見た様子。
廃止直前の記念乗車券を発売している様子がわかる。

Photo_3 駅構内を北側の踏切から遠望した様子。
時刻は晩秋の夕方5時頃か・・
気動車が停車している。

Photo_4 ホームの様子。
クラシカルな上屋が、駅舎外装の改築では隠し切れない歴史を物語る。

Photo_5 ホームから高砂港方面を見た様子。
十輪寺だろうか、古い寺院の特徴ある建築が見える。
ここから先に行くのは貨物列車だけだ。

Photo_6 高砂駅の転轍機。
駅員が忙しく立ち働いていたのは既に過去の光景となっていた。

35 ホームに停車する気動車。
歴史のある中都市の街中に位置する駅なのに、旅客列車は日に十数本しかやってこなかった。

Photo_7 駅北の踏切を渡る列車。
町並みの古さが気動車によく似合っていた。

Photo_8 その踏切に、高砂線廃止の案内看板が出ている。

Photo_9 国鉄高砂工場や神戸製鋼所、三菱重工、キッコーマンなどへの引込み線も街中を貫いていた。

Photo_10 こちらは高砂港駅。
旅客列車はやってこないが、ホームの跡がある。
かつての旅客営業の名残だろうか。

Photo_11 高砂港駅の構内。
広漠とした、寂しい風景。
貨物列車全盛時代にはここにはたくさんの貨車や機関車が居たのだろう。

2 放置されていた2両の日通所属の入換用機関車。
国鉄部内では構内入換機と称されるレベルのものだが、地方私鉄では堂々とこのタイプが機関車として使われていた。

2_2 その2両の側面。
前の機関車のほうがより「機関車」らしく感じる。

Photo_12 前の機関車。
雑草が線路の放置期間を物語る。

Photo_13 そのサイド。
とても入換用の機械には見えない。
どこかの私鉄で働いていたものだろうか。

Photo_14 やや後ろからサイドを見る。
運転室の窓に旋回窓・・
北国で使われていたのだろうか。

Photo_15 反対側サイド。
国家の都合で職を追われたもの言わぬ機関車。

Photo_16 キャブの室内。
ディーゼル機関車初期のにおいがする。

Photo_17 旋回窓と運転台。

Photo_19東急車輛の銘板。

昭和32年製だ。

W4 こちらは後ろに繋がっていたほうの機関車。
より「入換機」に近い近代的な香りがする。

デザイン的にもシンプルだ。

Photo_18

その銘板。

昭和40年、日本輸送機の製造。

高砂線が消えてはや28年になる。
今やそこに鉄道があったことを知らぬ住民が大半だろうか。

Photo_20 加古川を渡る貨物列車。
消えた鉄道はやがて記憶の中からも去っていくのか・・

2012年2月 3日 (金)

憧憬の近鉄特急

阪神なんば線が開業して3年、標準軌の私鉄だけで名古屋・伊勢から大阪・神戸を経て姫路、京都、宝塚へ鉄路が繋がった。
にもかかわらず、相互直通運転はあくまでも限定的な枠の中にとどめられ、決して鉄路が繋がったことによる恩恵を利用者に供するものではないことは残念だ。

さて、近鉄と言えば、これはもう、関西の鉄道ファンなら近鉄特急が、まず第一に思い浮かぶものであり、東の小田急・東武と並んで私鉄特急の代名詞ともなっている。

その近鉄特急は国鉄=JRが今も大切にしている列車の愛称を早々と撤廃し、気軽に乗れる低料金と速達性、デラックスな造作が今も絶大な人気を誇っているのは承知の通りだ。

僕が近鉄に触れたのは小学校の高学年になってからで、それも最初は大阪線沿線の二上や奈良線の菖蒲池へ行くだけの足としての出会いだった。
もちろん、ビスタカーに代表される特急は幼少の頃から知ってはいても、どこか遠い別の世界へ行く電車といった感じだった。

この点では常時利用していた阪急や阪神の特急とは僕の中にある意識は随分違っていた。

はじめて近鉄特急に乗車したのは、小学校の遠足で伊勢に行ったとき。
20100系「あおぞら」の二階、3人がけ座席・・これを特急と言うかどうかは別にして、近鉄の通勤電車以外の列車に始めて乗車したのだ。
ちなみに、これは往路で、復路は2680系のドア部の補助椅子を使った団体列車だった。

写真を撮影するようになってから当然、近鉄へも足繁く通うことになるのだが、当時はまだ新ビスタカー10100系も最後の活躍をしていて、名古屋線系統には旧型ツリカケ特急車が格下げされて使われていた。

5308 まず、大垣駅における養老線5308、戦前の関西急行電鉄モハ1で、のちに関西急行鉄道・近畿日本鉄道モ6301形となったもの、一部の車両は戦後、運転開始された名古屋線特急に使用されていた。

6571 こちらはたぶん揖斐か・・
ク6571で、戦後の大阪線2250系と同時期の特急専用車、3ドア化されているが転換クロスが残っていて、たぶん、この系列の列車で桑名から大垣へ乗りとおしたと思う。

6571_2 その車内。
3ドア転換クロスは今や近郊型電車の標準となった感もあるが、図らずもその元祖である。

680 鳥羽線・志摩線で走っていたのは奈良電鉄出身の680系、奈良電鉄の特急車として俊足を発揮したが、近鉄に合併後、近鉄特急用に改装された。
この頃は特急運用を解かれ、車内設備はそのままにローカル運用に徹していた。

18000 京都線新祝園における18000系特急橿原神宮前行き。
奈良線のツリカケ車から主電動機を持ってきて作られた系列で、近鉄特急最後のツリカケ電車。

10100 既出だが新祝園での新ビスタカー10100系C編成。
名阪特急など看板列車から退いたビスタカーが、京都線でまだまだがんばっていた。

なお、僕は名阪ノンストップでビスタカーに乗車したことがあり、独特の車内造作と激しい揺れが記憶に残っている。

18200 京都線がまだ小型断面だった頃に作られた18200系。
一種独特の風貌を持つ電車だ。

この列車は京都と難波を結んでいた列車で、当時一日4往復ほどだったか・・

18200_2 18200系のサイド。
パンタグラフ部分の屋根が一段低くなっている。

18400 さらに大阪線12200系スナックカーと同時期の18400系。
近鉄特急最後の小断面車だ。

18400_2 その列車の反対側。
スナックコーナーが運転台すぐ後ろに見える。

16000 阿部野橋駅に停車している16000系。
今も健在な車両で、一部は大井川鉄道でも使われている。
阿部野橋駅の改装前の姿を見ていただきたい。

16000_2 こちらは既出だが大井川鉄道に移籍して走っている16000系。

30000 ビスタⅢ、30000系登場の頃、大阪線長谷寺で。
10100系以来のビスタカーの復活はファンにとっても嬉しいことだった。

Photo さて、現在の様子を少し。
伊賀神戸を行くアーバンライナー。
近鉄最長8連固定編成だ。

Photo_2 新型アーバンライナーネクスト、カモノハシのような顔つきは昨今の新幹線とも一脈通ずるか・・

21000 アーバンライナーの大阪なんば駅での様子。
阪神から快速急行で「なんば」で降り立った多くの乗客は否が応でも近鉄特急の雄姿を眼にすることになる。
当然、これに神戸から乗りたいと・・そう思うのが人情だろう。
それどころか、世界遺産姫路城、港都神戸、商都大阪、古都奈良・飛鳥・京都、伊勢、名古屋を結ぶことが出来る線路が折角存在し、近鉄特急と言う世間に大いに認知された商品がありながら、これを生かさないのはもったいない限り。
私鉄各社のつまらぬ縄張り意識を今こそ撤廃し、どうか、阪神・山陽線でも近鉄特急の雄姿を拝みたいと思うのは僕だけではあるまい。

鉄道関係者各位のよりいっそう、利用者の側に立った頭の切り替えを強く求めるものだ。
憧憬の近鉄特急は僕が生きている間に地元で見ることが出来るや否や・・