フォトアルバム

プロフィール

フォトアルバム

こう@電車おやじ

小説サイトSTORY http://e-maiko.blog.ocn.ne.jp/story/ 鉄道掲示板 http://6551.teacup.com/kouzou/bbs プロhttp://pr.cgiboy.com/02653710/フィール

« 国鉄高砂工場廃車留置線 | メイン | 名鉄犬山橋と車両たち »

2011年12月 2日 (金)

宝殿駅周辺の列車たち

今回は僕にとって鉄道ファンとしての生き方を決めてくれた国鉄宝殿前後での列車の写真だ。
宝殿駅そのものについては以前のエントリー「宝殿駅」をご覧戴きたい。
撮影時期は昭和51年から55年頃までの写真だ。

宝殿は日本の地名には珍しくNで終わる発音で、これは駅名ともなった駅南西1キロ強のところにある本邦最高の自然石産地、そして巨石が水に浮かぶ奇景で有名な「石の宝殿」から来ている。
僕は中学時代の大半をこの駅と加古川駅の中間地点にある「加古川市高砂市組合立宝殿中学校」で過ごした。
通学の途上には山陽本線の踏切があり、否が応でもその素質のあった僕は、鉄道ファンとして育っていくことになる。

まず、宝殿駅西方から。
Ef58 曽根駅との中間地点あたり、石の宝殿、竜山をバックに快走するEF58の牽引の団体専用列車。
当時はごくごく普通に見えたこの光景も、今、この場所には姫路バイパスが通り、住宅も増え、ましてEF58など見ることも出来ない・・

Ef581 古レールを上屋の柱に使った宝殿駅上りホームを行くのは・・
なんとEF58のトップナンバー。
古レールの風景が撮りたくてカメラを構えたのだが、まさかトップナンバーが来るとは思わなかった。
この写真は偶然の産物だ。

35190 その列車の横に停車していた貨物列車。
その最後尾、ワフ35190が写っている。
緩急車の独特の風情は鉄道の景色として途絶えるはずもないと・・思っていた頃。

122094 宝殿駅留置線に停まっているのはオハネフ122084。
臨時列車や団体列車の車両がここに留め置かれることが多かったように思う。
このクルマの乗務員室にはベットのシーツも見られ、臨時列車に使われる直前だったのかもしれない。

Ef6621 宝殿駅北側には広い鉄道用地があった。
そこは道路に接していて、誰でも入れる空間だった。
今なら危険行為としてみなされるような写真も当時だからこそ撮影できたしだい。

まず、下り貨物列車。
EF6621。

Photo_5 既出だが深夜の宝殿駅を通過する「鷲羽」

まだまだ在来線での長距離列車が残っていた時代。

110900 こちらも既出だが、宝殿駅に入る普通列車に連結されていたサロ110-900番台。

国鉄最初のステンレスカーも都落ちして当地の普通電車に使われていた。

Ef662 そしてEF662、セカンドナンバーの牽引する上り貨物列車。
EF66はこの形態が最も美しいと思うが如何だろう?

Ef58_2 通過するのは朝方の急行列車だろうか。
EF58牽引の14系夜行急行、「あそ」あたりだろうか。
当時のASA100のカラーフィルムでは如何に開放F値2.8のレンズをもってしてもシャッター速度はどうしても低くなる。

Photo 高砂工場で完成したお座敷客車だろうか。
旧型オールグリーン客車列車が通過していく。

153 フィルムの傷みが目立つが、153系の新快速。
低運転台のクハ153を先頭にした編成だ。
僕は今でも、新快速のデザイン上での最高傑作がこの低運転台クハ153ではないかと思っている。

117 負けていないのが後継車種の117系。
多分、展示会があったその回送列車だろう。
なんともきりりとしてよい表情だ。

80 当時の宝殿には朝と深夜だけ岡山の80系電車が走っていた。
神戸で生まれ育った僕にとって国鉄の快速電車といえばこの系列で、その面影を唯一残した列車だったわけ。
宝殿駅に入る唯一の80系電車。

80_2 その列車の後追い。
早朝のこの列車を見るために早起きして線路際へ。
ここ数年、夏になると「サンライズ」撮影のために早朝に線路際に行く僕だが、その発想の淵源はこの時代にあったのかもしれない。

Ef615 山陽本線の稀少機、EF61が貨物列車を牽引する。
当時、たしかEF61は運用が定まっていて、その列車を狙っていったように思う。

Ef608 宝殿駅側線で退避するのはEF608が牽引する高砂工場への部内輸送列車。
後部には14系座席車、10系寝台車、キハ26か・・の姿も見える。
宝殿駅は夕方4時過ぎの到着だったように思う。

117_2 やや後の時代、橋上化なった宝殿駅を通過する新快速117系。
国鉄最終期の傑作、今見てもデザインの古臭さを感じない電車だ。

82 その列車の前後だろうかキハ82系「はまかぜ」が最後の活躍をしている。
国鉄気動車特急最高峰のデザインだと今でも信じて疑わない。

Ef65108 宝殿から東へ進むと、やがて線路は加古川を渡るための築堤に進む。
ちょうど、日本毛織印南工場のすぐ脇で、当時はまだ、専用線の軌道敷も残っていたように記憶する。
EF65108の牽引する貨物列車が行く。

Photo_2 キハ58系列の上り急行列車が行く。
6連でグリーン車が1両なので「但馬」系統だろうか。

58165 築堤を下から見上げ、通過するのはEF58165の牽引する荷物列車。
キハ58とEF58・・国鉄で何故かメジャーになる不思議な番号、58を持った両者だ。

153_2 その場所を行くクハ153高運転台を先頭にした新快速。
「ブルーライナー」
このデザインも好きで、国鉄の宣伝にはクハ153高運転台が使われていたように思う。

Photo_3 下っていく荷物電車。
クモニ83だろうか。
客車荷物列車と違い、電車の荷電は単行で走ることが多かった。

Photo_4 こちらも下り荷電。
横の工場が日本毛織印南工場。

Eh10 さらに東へ行くと山陽本線は加古川橋梁を通過する。
ちょうど、通過しているのはEH10初期車が牽引する貨物列車。
なお、加古川橋梁についてはこちらもご参照いただきたい。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/351371/27542911

宝殿駅周辺の列車たちを参照しているブログ:

コメント

サロ110-900は冷房改造されずに廃車されたと思い込んでいたので驚きました

こうさん、いつも楽しく拝見させていただいております。
3枚めの緩急車の写真ですが、ワフの前についているのは、セキ3000?ですね。よく見ると、岡山局の表記がされているので、おそらく、伯備線での石灰石輸送に携わっていたものを鷹取に回送する途中でしょうか?ところで、この様な特殊な貨車の検査は、高砂ではあまりみかけなかったと思います。コンテナ車や車運車はたまにみかけましたが、タンク車やホッパ車等の検査入場はほとんどみかけませんでした。当時、何か区別があったのか、気になります。

こう@管理人さん、初めまして。

キラリかこがわ@鉄道交友館の「ゴンパパ」と申します。
弊ブログへのご訪問ありがとうございました。

今でもしっかり脳裏に焼き付いてる昔の風景や国鉄列車の数々がアップされてるのに驚きました。スーっと当時の記憶が甦ってます。確か宝殿駅の一番北側が退避線でしたね。色々な車輌が停まってたのを思い出します。

今日は素晴らしいサイトに出会えて嬉しいです、これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

砧本村さん>

廃車直前、東海道山陽線のグリーン車がすべて冷房化されたと思います。
冷房化してすぐに廃車でしたから、グリーン車の廃止は唐突に決まったことなのかもしれませんね。

旧高砂市民さん>

本当だ!
セキですね。

セキやホキなどは配置箇所が一定していたので、その箇所を担当する工場に入場した板と思います。
僕は鷹取工場で貨車職場を経験していますが、貨車職場でセキ、ホキ、タキといった風変わりな貨車を触りました。

ゴンパパさん>

いらっしゃいませ!
鉄道交友館はキラカコさんからお伺いし、リンクは貼らせて戴いておりました。

僕よりもう数年、先輩の方ではないでしょうか。
加古川周辺のなんとも懐かしい写真の数々、いつも感嘆して見させていただいております。
今後ともよろしくお願いいたします。

どうも、はじめまして。
ブルーライナー懐かしいですね。
昭和55年、父に神戸に連れられた際、行きが113系快速(「播州赤穂」ってどこだろうって思ってた)、帰りがブルーライナーでした。
最近JTBパブリッシングから出た「新快速物語」。登場時のブルーライナーの宣伝ポスターが載ってました。
幌枠からクハ165でした。デンと構えてました。
1970年代の事は物心ないので、よく分からいのですが、サロの冷房化は普通車の
冷房化を推進していたので(ブルーライナー前の新快速用+私鉄対抗)、結構多かったのでは、と。サロ113の転属もありましたしね。
あの時代の列車に載ってみたいです。

 宝殿駅の東側には2つの踏切があり、一つは県道と交差するため、渋滞の名所でした。その後立体交差化され、踏切はなくなりました。更にその東の踏切は自殺の名所で多くの方が亡くなっています。
 その踏切付近に所在気げに若者がおり、列車が来ると急に踏切に向かうので声を掛けようとすると、カメラを取り出し列車を撮影する人でほっとしたという話をよく耳にしました。地元の人たちは鉄道ファンが自殺志願者に見えたようです。

カミガタさん>

新快速153系(クハ165含む)は急行列車時代に大半の車両が冷房化され、私鉄との対抗上、改めて設定する列車ですので冷房改造済みの車両でそろえられました。
反面、急行には当時、まだ非冷房の167系や153系非冷房車も運用に入ったりしています。

グリーン車の冷房化はグリーン車の設備の向上という意味合いがありましたが、結局、関西地区快速電車のグリーン車全廃に伴い廃車され一部は非冷房のままでした。

L急行鷲羽さん>

件の踏切、僕が始めて「しおじ」の撮影をしたところです。
そして、僕の友人もまたこの踏切で命を落としました。

偶然ですが、この踏切をモチーフにした小説作品も年内に小説サイトに掲載できるかと思います。
(今はまだ、発表雑誌(小さな小さな雑誌です)が発行される前なので・・)

コメントを投稿